古賀志山。垂直の壁、「赤岩」に足が震える。

2016年12月02日(金) 晴れ、春の陽気

森林公園駐車場~芝山橋~北コース途中から滝岩へ~中尾根~ピーク559~弁天岩~伐採地~富士見峠~古賀志山~東陵見晴台~東陵コース~芝山橋~森林公園駐車場

日光市の健康福祉の一環で市の補助による人間ドックを隔年で受けている。脳ドックと人間ドックを交互に受けているのだが今年は人間ドックの番だ。
人間ドックでは毎回、良好な結果が出ていて身体には問題はないらしい。山登りは健康にいいから続けた方がいいと言われている。アルコールは適量なら差し支えないと言われているいや、そう解釈している。

昨日がその受診日だった。
ここ数ヶ月、気になっていることがある。
突然、咳が出て止まらないこと、深夜に胃痛で目が覚めることだ。咳と胃の痛みは逆流性食道炎が関係しているらしいので、医師に申し出て胃カメラを使って詳しく診てもらうことにした。検査をしながら説明があって胃と食道にはまったく問題ないと言われた。原因は別にあるのかもわからない。
ひととおりの検査が終わり最後に総合診断があった。

長い間、同じ病院に通っているが総合診断を担当した医師は初対面だった。
こちらが挨拶をしてもなんら反応がない。デスクの上に置かれた結果表をじっと見ているだけだ。聴診器のあと、診察台に寝かされて膝の下を叩いてその反応を見るいわゆる、膝蓋腱反射がおこなわれた。この間、医師は無言だった。看護師が医師の代わりに指示を与えてくれた。
医師が初めて喋った。
「白米を止めて玄米にしなさい。そうしないと寝たきりになる。あなたは脚気だ」、と。
それを言い終わると医師は背中を見せて、デスクに向かい合った。とりつくしまもなく、否応なく部屋から追い出された。
う~む、白米はNGで玄米はOK、寝たきりに脚気という言葉の他に発しないこの医師は正しいのか?

自宅に戻り脚気をキーワードに情報をネットで探しまくる。
脚気はビタミンB1の欠乏による末梢神経障害であることがわかった。
ビタミンB1の欠乏など管理人にあり得ない。健康にはひと一倍気を遣っているから食べ物に偏りはないはずだ。
ビタミンB1を含んだ食品を調べてもどれもよく食べている。
唯一例外はウナギである。そういえばここ数年、口にしたことがないなぁ、匂いすらかいだことがない(^^)。でもウナギ以外はよく食べているからビタミンB1が足りないことなどあり得ないのだ。

ただ気になる記述があった。
管理人の山での主食は高エネルギーを作り出す菓子パンやエネルギーバーだが、これら炭水化物食品をエネルギーに変換する際にビタミンB1が使われるそうだ。スポーツドリンクに含まれている糖分もエネルギーの基だから、同じようにビタミンB1が使われる。
つまり日常生活で摂取するビタミンB1は山で消費しきってしまい、食べ物だけでは補えず、管理人の身体はたえずビタミンB1が欠乏状態にあるという仮説が成り立つ。
ちなみに、白米を多く食べる場合も当てはまるようだが、管理人が食べる白米は一日あたりせいぜいご飯茶碗1杯半と少ない。
それにしてもだ、山歩きの頻度が多いとはいえ週に1回から2回だ。その間の食生活はきちんとやっている。それゆえ、ビタミンB1の欠乏が脚気の原因であるとは信じられないのだ。

翌日、すなわち今日の山行後、近所の薬局へ寄ってビタミンB群中心の医薬品とサプリを3種類、買い込んだ。
成人が一日に必要とするビタミンB1は1.4ミリグラムだそうだが購入した薬とサプリを規定量を守って服用すると200ミリグラムに達する。これは重篤患者が病院で投与される量を上回る。ビタミンB群はとりすぎても排出されるので量が多くても問題はないらしい。
管理人の脚気がいつ始まったのかはわからない。脚気など昔の病気だと考え膝蓋腱反射などおこなったことがないからだ。
まずは薬とサプリを続け、膝蓋腱反射を小まめにやろう。
改善の見込みがなければ他に原因があると考え、そのときは専門医をさがして相談しよう。きちんと説明してくれる医師をさがして。

昨日はそんなことがあったので今日の山行は気分を晴らすのが目的となった。
でわでわ、、、

赤川ダムの水面に映る古賀志山。
気温は10度。緑があれば春と間違ってしまうような穏やかさだ。昨日のイヤな気分を忘れさせてくれる。


赤川ダムの畔を左に見ながら古賀志山の入口に向かってゆっくり歩く。


芝山橋脇の登山口。
ここから赤川に沿って北コースへ向かう。


北コースに入ったばかりの登山道。
古賀志山を目標にするのであればこの道の続く限り歩けば迷わず着ける。
管理人はちょいと脇道へ、、、


北コースを5分ほど歩いたらコースと分かれて薄い踏跡のある斜面を登っていく。
10分ほど歩くと大きな岩壁と出合う。ここまで来ると踏跡はなくなり岩壁に沿って斜面の上に向かっていく。
ここが参道であることを前に確かめてある。


岩は左へ湾曲し、コーナー部分に石の像が見える。


石の像は炎を背負っていることから不動明王だ。
小柄で可愛らしい顔をしている。


不動明王を右に見ながら岩壁に沿って進む。


地面から1メートル半くらい上に小さな洞窟があり中に石の祠が置かれている。「山ノ神」である。
この辺りは宇都宮市福岡町細野に属し、昔は霊地として「山ノ神」を祀ったそうだ。
不動明王は山ノ神を守っている。
Mt.masaoのブログ「古賀志山にあらず細野山なり 」に詳しい→こちら


不動明王→山ノ神と歩いてそのすぐ先にほぼ垂直に切り立った大きな岩がある。8メートルくらいの巨大な岩だ。ネットにおける情報は少ないがこれが滝岩(※)。
過去4回、ここを訪れては弄ばれている。はたして今日はいかに?
※「古賀志山を守ろう会」代表の池田正夫さんから、この岩の正式名は「赤岩」だと教えてくれた。したがって、以後、「赤岩」と呼ぶことにする。ただし、過去の記事は当時の知識のままにしておく。


古賀志山山域にある岩はこれまでずいぶん経験し、多くの岩はロープや鎖を使わないで上り下りできるようになった。
しかしこの岩は管理人の技量では無理だ。垂直なので重力の影響をまともに受ける。
手がかり足がかりとなる凹凸が岩にないために、10キロのザックを背負い、登山靴で上るのは自殺行為に等しい。
そこでこのトラロープにすがって登っていくのだが、万一、手が滑ったりしたらそのまま地面に激突する。
持参したスリングでハーネスをつくり身体にくくりつけ、別のスリングでハーネスとトラロープを結んで命綱とする。これで最悪の事態は避けられる(たぶん)。
あぁ、しかしこのトラロープも怖いね。

滝岩改め「赤岩」に関する過去記事
2015年11月24日
2015年11月17日
2015年11月12日


あと1メートル半、気を緩めるなよ!


ひぇ~~~!!
見上げるのと見下すのとではえらい違いだ。
登り終えて足が震えているのがわかった(^^)


上った後のご褒美はこれ。


「赤岩」を上りきると前方に大きな岩の塊が見えてくる。
細野ダムから始まる中尾根である。まずはあそこへ。


目の前が中尾根。
あ~、やはり地面はいい(^^)


地図のピーク496手前に1本の枯木がある。
特徴的な場所なので中尾根のランドマークとなる。


尾根の右側に2本の大きな檜が並んでいる。
二枚岩の入口である。


斜面に向かって直進(西)する道と斜面を巻くように右(北)へ行く道との分岐がある。
直進すると古賀志山から北へ延びる尾根道に突き当たり、右へ行くと途中で西へ向きを変えて沢に入り込む。
ピーク559へはここを直進した方がわかりやすい。が、へそ曲がりの管理人は巻道を行く。ピーク559を目指すのにその方が複雑で面白いからだ。


檜林から下ると沢と出合う。ここを559Pと書いてある方へ。


ガレた沢を上っていく。
ピーク559へは途中から右へ入る。たしか踏跡があったと思う。今日は地図読みの練習も兼ねているので踏跡のない斜面を選んでピーク559に向かうことにした。


無事にピーク559への道と合流。


ピーク559に到着。
丸太で組んだベンチがあり地元の人の憩いの場になっている。


ここからの眺めはよく、日光連山が一望できる。
画像はズームしたものだが男体山の裾野に冠雪した白根山が見える。雪が深くなる前に登っておきたいものだ。


ピーク559の少し先で古賀志山から北へ延びる道と合流する。
そのまま北へ向かっていくと道は大きな岩に阻まれる。


これがその岩。ロープがかかっている。
地元では弁天岩と呼ばれているがこの部分だけを指すのか岩全体を指すのか管理人にはわからない。


弁天岩のトップは遮るものがなにもなく、日光連山を見渡せる。
今日はここを昼食の場としよう。


弁天岩を降り、元来た道をピーク559に向かって進む。


中尾根の末端と合流する。
ここを左へ折れると下山口の細野ダムまで行けるが最後は急な岩場を下ることになる。


今日は最後に古賀志山に立ち寄るので中尾根末端を左に見て直進し、伐採地→富士見峠という順路を辿る。ここは伐採地と呼ばれる開放的な場所。


育った檜を伐採した跡に幼樹が育つ。
幼樹の幹の先端が折られているのがわかる。
詳しいことは別の記事をお読みください→こちら


伐採地に立ち止まり、振り返るとここからも日光連山がよく見える。


富士見峠を通過。
道標を左に折れると北コースとなり芝山橋が下山口となる。
古賀志山へはここを直進する。


富士見峠から急斜面を登ると古賀志山と東陵見晴台との鞍部に出る。
古賀志山はここを右へ2分。


古賀志山山頂。
昼時は地元に人で賑わうがこの時間になると誰もいない。


先ほどの鞍部まで戻って次は東稜見晴台に立つ。
宇都宮市街が一望できるのと遠く筑波山まで見渡せるので人気の場所になっている。
今日はここから下山することにした。


東稜見晴台から下山するには岩を3つ降りるのと5つ降りるという、ふたつのルートがある。
後者は岩場をふたつ余計に経験できる東南稜コースだが、最後に森林公園の中を30分ほど歩かなくてはならない。
今日は欲張らず、岩を3つ降りる東稜コースで下る。って、どちらにしても所要時間に変わりはないのだが。


いい色に染まったアブラツツジ。


岩を3つ下ってからの東稜コースは長い尾根が芝山橋まで続くため、滑り止めにチェーンスパイクを装着した。


落ち葉が堆積し地面を覆い隠している。スリップしやすいのがこういったロケーションだ。こんな場面ではチェーンスパイクが活躍してくれる。


地元の人が反省岩と呼んでいる休憩スポット。
岩の上に乗ることもできるし巻くこともできる。


岩の上に乗ると北に位置する中尾根の全貌が見渡せる。


下山口の赤川に戻ってきた。今日はまだ明るいうちに下山できた(笑)
赤川の流れの方向に歩いて行くと芝山橋に行き着く。


コースのGPSデータをご入り用の方は
ここをクリックしてダウンロードしてください。
なお、危険箇所が多数ありますのでご利用にあたっては事故のないように十分、ご注意ください。

無残、傷だらけの古賀志山。

2016年12月2日(金)

古賀志山での不祥事については過去2回取り上げた。
ひとつは岩場に取り付けられているロープや鎖が取り外され、登山者を危険な目に遭わせていること。もうひとつは目印となる地名板が損壊されたことである。当記事で3回目の不祥事の報告になる。
2016年01月18日 ロープ外し
2016年11月03日 地名板損壊

古賀志山山頂から富士見峠を経てピーク559に至るルートの、富士見峠とピーク559の中間に古賀志山や御嶽山、日光連山が見渡せる展望のいい場所がある。
もともとは檜の植林地だが成長した檜が伐採されたためにとても見通しがいい。登山者の間で「伐採地」と呼ばれている場所である。
そこにはいま、人が歩く道の両側に、檜の幼樹が育っている。樹齢はわからないが小さいもので1メートル、大きいもので2メートルくらいある。ただし、斜面に植えられているので見通しの妨げにはなっていない。

古賀志山には100以上もルートがあるとされ、管理人が古賀志山を歩く際も毎回、同じルートというわけではない。この伐採地を通過するのは前回、いつだったのかさえ覚えていない。それほど歩くルートに事欠かないのが古賀志山の面白いところである。

まるで春のような穏やかな日差しに誘われて古賀志山に足を向けた。
古賀志山の登山口となる宇都宮市森林公園に着いたのは9時30分。登山をするには遅い時間だが古賀志山であればこの時間からでも十分に楽しめる。それが里山のいいところである。ただし、歩く場所を選べばの話。
ルートはあらかじめ決めてあった。
古賀志山北コースに入ってすぐ進路を北に変え、久しぶりに滝岩という垂直の壁をよじ登って中尾根に乗り、次にピーク559、その次に弁天岩に乗って日光連山を眺めながら昼ご飯にし、古賀志山に向かって南下するというものである。距離が短いので時間に追われることのない、まったりした歩きだ。その途中で冒頭に書いた伐採地を通過する。


これが伐採地。
檜の幼樹が育ついつもと変わりない光景。道は画像の右端についている。


正面に古賀志山を望む明るい道。
道の両側は斜面になっていて檜の幼樹が育っている。


日光連山がよく見える管理人のお気に入りの場所でもある。


檜は幅広の葉をもつ常緑樹なので枝振りがよく見えない。
だがよく見ると幹の先端が折れているのがわかる。
この1本だけなら強風で折れたとか雪の重みに耐えられずに折れたとも考えられるが、数えてみると道の両側だけで折れているのが23本もあった。
これだけの数になると風雪によるものとは考えられない。明らかに人為的なものだ。誰かが故意に折ったのだ。しかも枝ではなく、樹木の成長に欠かせない幹を狙っている。

道の左右すなわち、斜面に成育している檜は被害に遭っていないように見える。
道から丸見えの斜面(1枚目の画像)に入り込んで檜を折ろうとすれば他の登山者に不審の目を向けられる。そこで道を歩く素振りを装い、道に沿って成育している檜だけを狙って、何食わぬ顔で折ったのであろう。
前後に登山者がいないかどうか、キョロキョロと眼を這わせ、他に登山者がいないことを確かめた上で犯行に及んでいることがよくわかる。
やっていることが陰湿で変質的である。

前回、地名板損壊のことでも書いたが、この人物は子供の頃から古賀志山に通っているので、古賀志山を自分の山と考えている節がある。
この伐採地が昔、広葉樹の林であった頃から親しんでいたのであろう。その広葉樹が伐採され、代わりに檜が植えられたために自分のお気に入りの遊び場がなくなってしまった。そのことに恨みをいだき、老齢になったいまでも恨みを引きずっているように管理人には見える。幼稚なのだ。

状況の変化に対応するという、大人としての知恵が身につかないまま成長したために、自分がこうなったのは広葉樹を伐採して檜を植えたのが原因なのだと、思い違いをしている。
人格的に見れば、自分にとって不都合な出来事は他人に原因があるとしなければ自分を守ることができない、強い自己愛に支配されているように管理人には見える。
生い立ち、環境がそうさせるのか、勉強不足、能力不足がそうさせるのか、家庭不和がそうさせるのかはわからない。いずれにしてもなんらかの治療を必要とする人物に見受けられる。


古賀志山にもっと多くの人が訪れ、常に山域のどこかに登山者がいること、それが犯行をやりにくくすることに結びつき抑止力になるのではないか、管理人はそのように考えている。
そのためには古賀志山に関する情報を拡散し、情報が乏しいゆえに二の足を踏んでいる人たちに、古賀志山の敷居を低くしてあげる配慮が必要だ。
当ブログは2014年10月に初めて古賀志山の記事を書き、以来、古賀志山に行ったときは欠かさず詳細にわたりリポートしている。当ブログの記事を参考にして古賀志山を歩いたという人も多くいるから、世間の役には立っているのであろう。

古賀志山の記事はこれで53回目だ。
記事はできるだけ詳しく書いているつもりだが、それでも読者にはピンと来ないのではないかと思う。ネットの情報などそのレベルだと思っていただきたい。
実際に歩いて初めて、情報が自分の血肉になるというものだ。

では、ひとりでも多くのブログ読者に足を運んでもらえるよう、古賀志山の敷居を下げる工夫はないものか。
管理人はこれまで多くのバリエーションルートを歩いたと自負している。
ただし、地元の人が長い年月をかけて開拓したルートであることを踏まえ、先人の労に報いるためについ最近まで、地図は掲載しないできた。
それとバリエーションルートの中には危険な岩場や急斜面、尾根の分岐があるため当ブログ記事が原因で事故を誘発する懸念も大きいと考えてきた。
だが、それを理由にいつまでも秘密主義を続けていたら初めて古賀志山を歩く人にとって古賀志山の敷居の高さは変えられないと思うようになった。
より正しく詳しい情報を提供することで多くの人に古賀志山に足を運んでいただく、そうやって古賀志山のファンになってもらえれば結果として、犯行への抑止力になる、そう考えるようになった。

そこで、古賀志山に関する記事に次の工夫を施すことにした。
(1)ブログに出てくる山名や地名、ルートがどこを指しているのかをわかるようにする→こちら
(2)管理人がその日、歩いたルートを地図に重ねて掲載する→上図
その上で、
(3)GPSを利用している登山者向けに、管理人が歩いたログを提供する

(1)は現在、進行中。(2)は最近の記事には反映するようにした。(3)はこれからの作業だ。
古賀志山を隅々まで歩くのはとても難しいと思うし、危険だとも思っている。それを承知の上で事故のないように利用してもらうことが大前提であることは言うまでもない。

どうしてもというのであればメールを使って情報を提供してもいい。希望に沿って同行するというのは困難だが、現地で偶然出合えばバリエーションルートを案内できるかもわからない。
いずれにしてもひとりでも多くの人に古賀志山のファンになってもらい、傷だらけの古賀志山に歯止めをかける力になってほしいと願っている。
古賀志山に日参するという人が多いことは知っているし、管理人以上に詳しい人がいることも知っている。それら先達を差し置いて、新参者でなおかつ地元の者ではない管理人が出しゃばることに躊躇いはあるが、古賀志山がこれ以上傷つくことに耐えられない。
ブログは管理人の自己表現の場であるが、自己満足に終わらせたくはない。古賀志山の健全性を保つ役に立ちたいと考えている。

鹿沼の石裂山。まるで古賀志山のような荒々しさに怖じ気づくw

2016年11月29日(火) 晴れ、10度

加蘇山神社~石裂山・月山分岐~行者返し~奥ノ宮~剣ノ峰~石裂山~月山~石裂山・月山分岐~加蘇山神社

先週の金曜日に古賀志山を歩いた後、日曜日あたりから両太ももとふくらはぎに筋肉痛が出はじめた。
やはり2週間以上のブランクがあったので筋力が弱っていたのかもしれない。
週一の山歩きを課していたのに間を開けてしまったのがいけなかった。
ゼロから鍛え直しとまではいかないまでも、二歩も三歩も後退したのは事実だ。
早いところ元の調子に戻すために少し間を詰めて歩くようにしよう。

栃木県の山を紹介するガイドブックの中から、近場で面白そうな山はないかと物色していたところ、管理人の重い腰を上げさせるような、食指の動く山が見つかった。
『はしごとやせ尾根をたどる信仰の山』・・下野新聞社「栃木百名山」
『ハシゴと岩稜をたどる信仰の山』・・随想社「栃木の山150」
『展望とスリルの信仰の山』・・山と渓谷社「栃木県の山」
はしご・やせ尾根・岩稜・スリルというキーワードがいい。まるで古賀志山みたいじゃないか。

場所は鹿沼市郊外。昨年登った岩山よりも奥にあるが車で1時間半くらいで行けそうだ。
それにしてもどの出版社も同じようなキャッチコピーとは能がない(笑)。最後は3社とも、信仰の山などというありきたりの言葉で締めくくっている(爆)

山の名前は石裂山(おざくさん)。
石を裂く山?、裂けた石の山? 由来はわからないがなんとも強烈な名前だ(笑)

よしっ、行ってみよう!


石裂山の登山口にあり古色蒼然とした佇まいの加蘇山(かそやま)神社。歴史は古いらしい。


神社の脇から歩き始める。


歩き始めは工事用の林道風だったが山道らしくなった。


竜ヶ滝。落差は3メートルほど。


滝のすぐ上に四阿(あずまや)があって休憩できるようになっている。


四阿のすぐ先で道は二手に分かれる。
左が石裂山で右が石裂山と峰続きの月山へ。
1周するとここで交わるわけだが、初回は石裂山から月山へと廻ってみることにした。


直径2メートルはあろうかという巨大な杉。
加蘇山神社にもこの規模の杉の木があることからこの辺り一帯、昔から杉の植林がおこなわれていたのだろうか。あるいは大きさから見て天然の杉なのだろうか。


これはカツラ。
樹齢は推定で1000年以上。高さ23メートル、幹の直径は杉と同じく2メートルもある。昭和32年に栃木県の天然記念物に指定されている。と、近くの説明板に書いてある。


中の宮


中の宮から進行方向に目をやると巨大な岩に鎖がかかっているのが見えた。
あそこを登るのか?


岩の基部まで来て左下に目をやると洞窟らしき穴を見つけた。
降りてみると高さ3メートルほどの岩がふたつ、150センチほどのすき間を空けて向き合い、その上に1メートルほどの岩がかぶさっている。ひとつの大きな岩が、あたかもふたつに割れているようにも見える。
読めたぞ。
これが石裂山の名前の由来だ! って、そんなわけないか(笑)


お~、すっごい!
ガイドブックによるとこの岩場を「行者返し」と言うそうな。
厳しい修行に鍛えられている行者さえもここを登れず、引き返したという言い伝えなのだろうか。
岩は苔むしていかにも滑りそう。鎖を使わず登りたいとは思うものの、どうも無理そう。


鎖は太い。古賀志山の鎖よりも太い。
握るにはかなりの握力を必要とする。それにあまりにも重いので身体に引き寄せるのも大変だ。


鎖場を登ると次は奥ノ宮だ。
ジェットコースターのレールを思わせるような長いはしごが設置されている。


アルミ製の階段、というかハシゴ。
その左には古い鎖が。


ハシゴを上った先に巨大な岩(石裂岩)があり、下部が洞窟になっていて鳥居と祠がおさまっている。
祠が奥ノ宮でしょう。
この先に道はないので戻る。


なんだかとてもワイルドだぞ(笑)


この荒々しさは古賀志山並だ。


木を見て森を見ず(?)
道はここで鋭角に左へ曲がるが、気づかずに直進して5分のロスタイム。
全体を通して言えることだが、道標はしっかりしているものの背が高いためうっかりすると見落としてしまう。
この道標は道の左上、斜面側に立っているため余計に背が高く、丸太の支柱が木の幹に見えて通り過ぎてしまったのだ。そりゃオマエの目が悪いからだ。えぇ、ごもっともでw


幾多の難関を乗り越えると道が平坦になった。
山頂はもうすぐか?


いや、そんなに甘くはなかった。
今度はハシゴだ。しかも下り。


お次は岩尾根。


視界が開けて西剣ノ峰。


西剣ノ峰のすぐ脇に視界が開けた場所があり、目の前に全体が岩でできている山が見える。
これが石裂山に違いない。
この岩の頂点に行かなければならないわけだが、あそこに道なんかあるのだろうか?


西剣ノ峰から下る。


登り返す。
先ほど正面から見た石裂山を右から回り込んでいるらしい。


石裂山と月山との分岐。


ふ~、やっと着いただよ。


ここが三角点であることを示す石柱だが文字から察して相当、古そうだ。
そもそもこれは旧字体なのか?
調べると「三」を除いて旧字体にもない。かなりデフォルメされている。


山頂は北西だけ視界が開けていて日光連山がよく見える。


30分ほど休憩をとり昼食。久しぶりにカップラーメンにした。
それから先ほどの分岐まで戻って月山に向かう。


地図で見る限り緩やかな稜線になっているが実態はご覧の通りだ。


石裂山から10分ほどで月山に到着。
朽ちて柱だけになった神社がとてもクラシック(^^)


石裂山よりもこちらの方が日光連山がよく見える。
左から男体山、男体山のすそ野に小さく見えるのは太郎山か?、その右は大真名子山、大真名子山のすそ野に見えるのが小真名子山、、、、そして我が母なる女峰山だ。どの山よりも雪が多い。


これはヤシオツツジでしょう、きっと。
ここまでの道すがら、結構見つかったので5月はいいのかも?


丸太で組んだ階段があるところなど、古賀志山の南コースによく似ている。


道がない。
さて、どちらへ行ったらいいものやら?
注意書きのプレートがあるくらいだから間違いではないはずなのだが、、、、
とりあえずあのプレートまで行ってみることにしよう。


道は落ち葉に隠れて見えなかったが無事に通過。
次はかなり荒れた斜面の下りだ。


下りはこれで終わりかな?


往きに通った石裂山と月山との分岐まで戻ることができた。
写真は振り向いて撮ったもの。
往きでは気がつかなかったが月山との距離は1.2キロと刻まれている。いや、そんなはずはない。鎖やハシゴはなかったがこの疲労感は5キロは歩いたような感覚だ。


10時35分に歩き始めたので4時間44分かかって駐車場に戻った。
参考にしたガイドブックによるとそれぞれ3時間40分、3時間55分となっている。
今日は初めてなので地図とコンパスを使って地形と照らし合わせながら歩いたので妥当なところか。


ついでに登山口にある加蘇山神社に寄ることにした。
戻りにこの階段を数えたら100段あった。
なお、ここから見える3本の木は杉。樹齢500年以上、高さ50メートル、幹の径2メートルもある(と説明板に書いてある・笑)。


無人の神社だがなかなか荘厳な佇まい。



雪の古賀志山を鞍掛山から馬蹄形へと10時間。最後は暗闇に。

2016年11月25日(金) 晴れ 気温:10度→6度

森林公園駐車場~こぶし岩~長倉山~大岩~鞍掛山~手岡峠(仮称)~手岡分岐(仮称)~ピーク444~腰掛岩~作業小屋~北ノ峰~赤岩山~中岩~御嶽山~古賀志山~富士見峠・・(北コース)・・森林公園駐車場
※歩行距離:18キロメートル
※累積標高:1974メートル
※所要時間:10時間30分

今月7日に女峰山に登ってからというもの、満足感に浸るばかりでどこへも行く気になれず、丸2週間が過ぎた。
いつもなら余韻の消え去る前に次の山歩きの予定を立てるのに、なかなかエンジンがかからない。感動の余韻がいまも続いているということであろう。それほど今度の女峰山は素晴らしかった。
7日が11回目の登頂だった→こちら

同じ山になんども登るのは管理人の性格の現れとでもいおうか、とにかく気に入った山なら飽きることなくなんどでも登る傾向がある。
突きつめて言えば、気に入った山を極めたいのであろう。知らないことのないようにしたい、そんな願望がある。
古賀志山なんかこの二年で51回も登っているのに、まだ知らない顔を見せることがある。知り尽くしたい。毎回、そんな思いで登っている。

ところで、女峰山の余韻の有無にかかわらず、そろそろ停止しているエンジンを始動しないと錆びついて再起動が困難になってしまう。
管理人の経験上、筋トレで筋力をつけても2週間は維持できるが以後は低下する一方となり、回復させるには並々ならぬ努力を要する。管理人が週一での山行を課しているのはこの理由による。

折しも24日は季節外れの雪に見舞われた。
これをいい機会ととらえて身体が錆びつく前に重い腰を上げよう。
7日の女峰山は17キロ、11時間半を要した。もしも筋力が衰えていなければ同等の距離、時間の負荷をかけても大丈夫だ。反対に体力が消耗してリタイアせざるを得ない事態に陥った場合は鍛え直さなくてはならない。
それを見極めるためにも今日は女峰山に匹敵する長い距離と時間のかかる山に登ってみよう。

女峰山と同等の山として古賀志山の馬蹄形に鞍掛山を加えたルートがマッチする。古賀志山は近隣に住む人たちが好んで利用する里山だが、100以上あるとされるルートを組み合わせることで20キロほどのマイルートが設定できる。
2週間以上も歩いていないが古賀志山山域であればエスケープルートが充実しているので安心して歩ける(※)。
今日の朝刊によれば古賀志山が位置する宇都宮市で積雪4センチを記録し、初雪としては45年ぶりだそうだ。市街地で4センチなら古賀志山はもう数センチは多いだろう。
雪の古賀志山は今年の1月に経験しているが距離7キロ、5時間という軽いものだった。
今日は推定距離18キロ、アップダウンが激しくて無雪期でも身体を酷使するルートを歩くことにした。

※エスケープルートもバリエーションルートの一部であり地図にはないし道標もない。管理人はこれまでの経験で理解しているのであって初めての方や経験の浅い方にとってエスケープルートを探すのは困難であろうと思う。


女峰山に匹敵する距離、時間を歩くつもりで古賀志山を選んだが、その割に到着が遅かった。この時間から18キロも歩くとなれば日没は間違いない。当然ながらその備えはしてきている。
前日、雪が降ったこともあってか森林公園の駐車場に車は1台もない。
地元の皆さんは雪が積もった古賀志山がどれほど危険なのかをよく知っているのだ。
この広い駐車場を管理人の車1台で独占する、とはいかない。なぜならここは管理規制があって17時にクローズされるからだ。
今日は古賀志山山域の大外、鞍掛山から馬蹄形ルートに入るため、この時間から歩き始めると17時には戻れない。そのためにも時間の規制を受けない外側の駐車場(※)を利用することにした。
※画像の駐車場に接する車道脇に15台くらい駐まれるスペースがある。


駐車場からアスファルト道路を北に向かうと赤川ダムがある。農業用水用のダムだが畔から古賀志山がよく見える。
双こぶの右が東陵見晴台でその左が古賀志山。10分もあれば行き来できる。


赤川ダムからさらに北へ向かうと道は二手に分かれ、左の道が古賀志山への北コースとなる。
今日はまず、鞍掛山を目指すので右の道を行く。


右の道を行くと右側に大きな岩が出現する。
岩の基部に沿って急斜面を登っていく。
なお、鞍掛山へは駐車場脇の登山口から長倉山を経由するルートが一般的(ただし、道標なし)。写真の岩場から入るルートは危険でお勧めできない。おそらく入口も見つからないと思う。


水分をたっぷり含んだ落ち葉が堆積して滑るので、ここで滑り止めのためにチェーンスパイクを装着。


濡れた落ち葉と昨日の雪で滑る。
登山口から長いトラロープが途中まで続いている。いくらチェーンスパイクといえどもこのロープなしでは難しい。ありがたく利用させてもらった。


次はこの岩場だ。
チェーンスパイクで岩を登るのは危険が伴うが外すのも面倒なのでロープにすがって慎重に高度を稼ぐ。
この最頂部が地図の天狗鳥屋(てんぐのとや)で、岩は「こぶし岩」と呼んでいるようだ。


長倉山。積雪は5センチ強といったところ。
ここへは駐車場のすぐ脇から、もっと歩きやすい道で来ることができる。それが一般ルート(といっても地図にはないし道標もない)。


長倉山から次の鞍掛山へは並行するふたつのルートがある。
どちらも急な下りを強いられる。


管理人は東へ向かうルートをよく利用する。
東とはいってもすぐに北に向きを変える。


斜面を降りきると続けてふたつのアスファルトの林道に出合う。
2本目を横切ると丸太の階段があるので上っていく。ここまで長倉山から北に向かって降りる道よりもほんの少し短い。


紅葉したヤマツツジ。
ちなみにこのルートは春から初夏にかけて多くの花が楽しめる→こちら


チェーンスパイクは圧雪した道や落ち葉が堆積した道であれば威力を発揮するが、降ったばかりでなおかつ水分を多く含んだ雪には弱い。
このように雪が付着して団子状になり、スパイクの効果がまったく得られない。そればかりか、かえって滑りやすくなる。
チェーンスパイクを着けないと滑るし、着けたら着けたで雪団子になって滑る。数歩、歩いたら靴を地面にたたきつけ、付着した雪を落とす必要がある。それはなかなか面倒な仕事だ。
今日は滑って尻餅をつくこと3回。いずれもこの団子が原因だ。


鞍掛山への道は険しい。急な斜面がずっと続く。
ここ、大岩に来てようやく息がつけた。


大岩の目の前に古賀志山が見えるが今日のルートだと最後に訪れることになる。


大岩から鞍掛山へは平坦な気持ちのいい道を歩ける。
大岩まで急傾斜で脚に負担をかけてしまったのでここで回復に努める。


鞍掛山山頂。
ガイドブックだと周りを木々に遮られて見晴らしのない山頂と書かれているが、大岩からここまでの稜線からの眺めはいい。


鞍掛山から緩やかな下りで次の小ピークへ向かう。


標高450メートルの小さなピークがある。
ここでルートは北(画像の右側)に転じ、急な下り斜面になる。次に目指すのは「シゲト山」だ。


細く危なっかしい道を登っていくと視界が開け、そこに「シゲト山」と書かれた板ッ切れが木に取り付けられている。正しい名称なのかどうか、地図に描かれていないのでわからない。
見る場所によって尖って見えることから「鞍槍」とも呼ばれている。


シゲト山からの日光連山と高原山。いい眺めだ。


書き漏らしたが大切なことを。
古賀志山は宇都宮市にあるが、広く古賀志山山域としてとらえると、日光市との境界と重なる部分が多い。赤川ダムのある宇都宮市森林公園から登ると鞍掛山で日光市との境界になり、手岡分岐と管理人が名付けた分岐路から先の馬蹄形ルートは、林道内倉線に至るまでずっと日光市内を歩く。
それなのに日光市の山という気がしないのは古賀志山の裾野に位置しているからだ。


猪倉峠
ここで直進(南)と右(北西)、左(東南)に分岐しているが馬蹄形ルートに向かうには直進する。


地図のピーク431を過ぎると西へ向かって平坦な道に変わる。実に快適、気持ちのいい歩きが楽しめる。


ここが手岡分岐。鞍掛山から来た場合はここから馬蹄形ルートが始まる。馬蹄形ルートを歩く際のとても大切な分岐路となる。
地図には描かれていないため説明のしようがないがここを直進すると知らぬ間に古賀志山へ行ってしまい、馬蹄形ルートに入れない。せっかくここまで来たのに目標を達することなく終わってしまう。
正しくはここを右斜めに入っていく。
えっ、これでも道なの? というほど危なっかしい歩きを強いられるが、それで正しい。


尾根はここで北向きと南向きに分岐する。
年に数回歩くだけだとどちらへ行ったらいいのかわからないので、毎回、地図とコンパスで尾根の向きを確かめる必要に迫られる。


北北西に向かう尾根。
こちらではない。


南へ向かう尾根。
実際には西に向かいたいところだが西に向かう尾根はない。実にいやらしい分岐だ。


上の画像の尾根を南に向かうとすぐまた尾根が分岐する。


南へ向かう尾根。
歩いてきた進行方向にあるのでどうしてもこちらに行ってしまいたいが、間違いだ。


身体の向きを90度右に向けると目立たない尾根がある。
こちらが正しい。
つまりピーク383で南の尾根に入り、すぐに西の尾根に入るといったクランク状のルートになっている。


檜林の中を西へ向かって平坦な尾根を進む。


ルートに間違いがなければ檜林を過ぎて複数の送電線が見えるようになる。送電線の下に特徴的な地形が姿を現す。
あそこへ向かって一度、下り登り返す。


下りのも登るのも藪。


ピーク444手前の大きな岩を這い上がる。
地図にはピーク444まで岩記号が続いているがその最初の岩だ。


ピーク444を通過。
ここは地図にはあるが目印となるのは石の祠のみ。


ロープがかかっている先ほどの岩からピーク444を挟んで連続した岩記号が地図に描かれている。その長さ300メートル。ただし、道は岩記号の北側につけられているので岩の上を歩くわけではない。
岩記号の末端(西端部)に位置するのがこの腰掛岩。ちなみにここは日光市。


腰掛岩で午後3時を回った。
ここから北ノ峰まで1時間と見て、赤岩山あたりで日没になるはずだ。


腰掛岩から南に延びている尾根を下るが傾斜は急。
木立につかまりながら慎重に下ると檜林となり、まもなく沢と出合う。


失敗した。
200メートルほど東へ降りてしまった。


林道内倉線を西へ歩いて軌道修正を図る。そして腰掛岩への入口(画像の右)に。
ここから崩落によって土砂が堆積した沢を横切って再び林に入る。


沢を横切るとまるで魔界への入口のような林が口を開けて待っている。
ここを突破すると林道がもう一本あるのでそこも横切る。


魔界への道がもうひとつ。
両側から木々の枝が迫り、両手でかき分けながら進んでいく。
この先を左に曲がって右へ曲がると、、、


馬蹄形コースのランドマーク的な存在のプレハブの作業小屋が現れる。
こいつが見つからないと魔界を彷徨うことになる。


プレハブ小屋の脇をすり抜けると広い斜面になるので上へ上へと、地図のピーク432.7に向かう。
この斜面は一応、尾根になっているが広すぎて尾根とは思えないほどだ。尾根をしっかり意識しながら歩かないととんでもない方へ行ってしまう。
目印は「無縫塔」と書かれた小さな道標。
疲れはピークに達し足が重い。


「無縫塔」と書かれた道標が見つかったら正解。
道標は巨大な岩が連なる端っこにある。ただし、岩は地図に描かれていないので厄介だ。
ピーク432.7はそれら岩の上に位置する三角点である。まずは鎖を使ってよじ登る。


鎖が終わると急斜面の登り。


北ノ峰に到着。
腰掛岩からちょうど1時間だった。
尾根が分岐して地図とコンパスを必要とするルートはこれで終わった。
ここからは一本のルートのみで道迷いの心配はない。が、岩の上り下りと細尾根が待ちかまえているので危険は増す。


この時期、日没は早い。
あと30分で日が暮れる。
来たるべき闇に備えるためザックからヘッドランプを取りだして頭にセットした。


北ノ峰から日光連山を眺める。


南西の方角に目をやると二股山(鹿沼市)の向こうに日が沈もうとしている。


赤岩山山頂を通過、、、


二尊岩を通過、、、
ただひたすら歩く。


5メートルほどの岩を登る。
ふだんなら鎖を使わず登るところだが暗がりの中、ホールドが見えないため両手でしっかり鎖を握って登る。


中岩を通過、、、
ここからの眺めは見応えがあるが今見えるのは宇都宮と鹿沼の夜景だけ。


今度は5メートルほどの岩を下る。


ふ~、御嶽山に到着。


これまでの無事と、最後の最後まで気を抜かずに無事に下山することを御嶽神社に向かって誓う。
さらには二年前の9月、木曽御嶽山の噴火で多くの登山者が犠牲になったことへの思いを込めて合掌。
過去に書いているが木曽御嶽山とこことは深い縁で結びついている。木曽御嶽山に眠る霊がここにもあると考えて差し支えない→詳しいことはこちらを


御嶽山から宇都宮市街地の夜景を眺める。


古賀志山はさっと通過。


時計を見ると北ノ峰から2時間もかかっている。漆黒の闇の中をヘッドランプの灯りを頼りにいくつもの岩を登りそして下り、足を踏み外すと谷底へ転落するような細い尾根を注意しながら歩いたので妥当なところ。
さてと、古賀志山から下山するにはいくつかのルートがあるが馬蹄形ルートは古賀志山で終了したので無理はしないことにする。
闇夜なのでもっとも安全(でもないのだが)な、地図に道が描かれている北コースで下ることにした。


東陵見晴台との鞍部。ここを富士見峠の方向に進む。


富士見峠から北コースに乗り下山口へ向かう。
途中、伏流水が流れ出ている場所がある。備え付けのカップを使って一気に飲み干す。


下山口となる赤川まで来た。
ここからアスファルト道路を歩いて森林公園の駐車場まで10分だ。


点線から左側が馬蹄形ルートで、これだけでも歩きごたえがある。
ただし、ルートがはっきりしているのは古賀志山から北ノ峰までで、北ノ峰から先は尾根の分岐が多い。読図の練習にいいとは思うが難易度は高い。失敗覚悟でどうぞ。
点線の右側は馬蹄形ルートのオプション。時間と体力に余裕があればということで。


標高600メートルに満たない典型的な里山だが今日のルートだと累積標高が2千メートル近くになる。その理由はアップダウンの多さにある。厳しいよ~、古賀志山は!!

今年5回目の母なる山、女峰山は久しぶりに絶景で迎えてくれた。

2016年11月7日(月) 晴れ

天空回廊(6:00)~日の出の写真多数撮る~階段最上部(6:35)~小丸山(6:38)~焼石金剛(7:12/7:20)~赤薙山(7:48/8:00昼食)~奥社(8:54/9:00)~P2209(9:15)~P2295/一里ヶ曽根(9:53/10:00)~P2318(10:26/10:30)~女峰山(11:14/11:30写真と立ち話)~帝釈山(12:01/12:35昼食)~女峰山(13:10/13:15)~P2318(13:56/14:05昼食)~水場(14:19)~P2295/一里ヶ曽根(14:38)~P2209(15:10)~奥社(15:27)~赤薙山巻道(16:10)~焼石金剛(16:30)~小丸山(16:53)~階段最上部(16:58/17:08)~天空回廊(17:30)
※距離:17キロメートル
※累積標高:1830メートル
※所要:11時間30分

7・8年ほど前から、長い登りが終わった後の下りで右膝の外側が痛くなる、腸脛靭帯炎に悩まされている。
腸脛靭帯炎は若きアスリート、中でもランナーによく起こるというから、一般の膝痛とは原因が異なるものと考えて対応した方がいいらしい。グルコサミンやコンドロイチンといったサプリをいくら飲んでも効果はない。なぜなら関節ではなく、靱帯そのものの痛みだから。

でまぁ、3日に古賀志山の馬蹄形ルートを歩いたときに腸脛靭帯炎を発症し痛みを我慢しながら下山したのだが、よせばいいのに翌日4日、100パーセント晴れ保証との天気予報につられて女峰山に行くつもりで歩き出したのだ。
天空回廊を登り始めてちょうど10分、700段目にさしかかったときに右膝に違和感があり、試しに700段目から数段下ってみると前日と同じ痛みを感じたことから、腸脛靭帯炎に間違いないと判断し、わずか10分歩いただけで大事をとってリタイヤを決めた。前日発症した腸脛靭帯炎が治っていなかったのだ。

→2016年11月3日 古賀志山・馬蹄形ルート

腸脛靭帯炎は膝の外側を通る腸脛靭帯が膝関節とこすれることで炎症を起こし、それが痛みとなって現れる症状だが、腸脛靭帯が膝関節とこすれるのは理由がある。
腸脛靭帯は膝の外側を通って脛骨とつながっているので、こすれる下地はもともとある。
だからといって山歩きする人全員がなるわけではないし、管理人も右足だけが痛くなる。つまり、人ならすべて同じ条件をかかえているにもかかわらず、腸脛靭帯炎になる固有の原因があるはずだ。
管理人の場合、なぜ、右足なのかというと2009年に起こした踝の骨折が原因している。
手術は成功(医師の弁)し骨はくっついたが以来、右足だけがO脚となり左右のバランスがよろしくない。

腸脛靭帯炎は腸脛靭帯と繋がっている大臀筋と大腿筋膜張筋の緊張がいけない。大臀筋と大腿筋膜張筋がなんらかの理由で緊張(硬縮といったほうがいいかもしれない)すると、繋がっている腸脛靭帯が引っ張られて、膝関節とのすき間がなくなり膝関節と接触するようになる。すると膝の曲げ伸ばしによって接触が繰り返しおこなわれるようになり、次第に炎症へと発展する。
管理人の場合、左右の脚のバランスが悪いために右側の大臀筋と大腿筋膜張筋が絶えず緊張を強いられていて、腸脛靭帯炎になりやすいのだ。

なんども腸脛靭帯炎を経験しているから治し方は知っている。
大臀筋と大腿筋膜張筋をほぐすためのストレッチが効果抜群だ。やりかたは動画で見たり画像入りの説明を見る方が理解しやすいので、管理人と同じ症状で悩んでいる人はどうかネットで探してほしい。

3日に発症、下山後、簡単なストレッチだけで4日に女峰山に挑戦してリタイアしたのは自業自得と言える。一度くらいのストレッチで治るほど、腸脛靭帯炎は軟弱ではないのだ。晴れとの予報に目がくらんで欲を出したのがいけなかった。

4日の夜から一日2回、延べ5回、大臀筋と大腿筋膜張筋、太もものストレッチをおこなって今日に臨んだ。
結論を言うと、霧降から女峰山を経て帝釈山を往復しても懸念した腸脛靭帯炎は発症しなかった。いつ発症するかいつ発症するかと心配しながら歩いていたのだが、幸いなことに何ごともなく下山することができた。
お尻周りのストレッチは腸脛靭帯炎の予防に効果大ということだろう。
距離約17キロ、時間にして11時間だった。

ではぼちぼち山行記録に取りかかるとしましょう。
参考:今年の女峰山の記録
07月20日(水) 野門から帝釈山経由で10回目の女峰山・・・
07月04日(月) 女峰山を寂光神社から・・・
06月10日(金) キスゲ平から女峰山、帝釈山ピストン・・・
04月06日(水) 残雪の女峰山へチェーンスパイクで・・・


6:00
まだ夜が明けぬ時刻。辺りは薄暗い。
気温、プラス1度。寒い。
予報によると今日は一日中、晴れるそうだ。
今年5回目となる母なる山、女峰山へ向かって歩き始めることにする。


6:09
おっお出ましになった(笑)
ちょうど鹿島灘の方角。
どうか予報通り、いいお天気でありますように。
そして、腸脛靭帯炎が発症しませんように。
さらには、誰とも会わず、女峰山を独り占めできますように(笑)


6:15
天空回廊の700段目。
4日はここまで来て腸脛靭帯炎の痛みに耐えかねてリタイアした。


陽がだいぶ昇った(天空回廊700段と800段の間から)。
う~ん、いいですなぁ。


6:35
天空回廊のトップ。
陽が昇る方向をなんども振り返りながら階段を上ったため35分も要したが、ゆっくりだった分、疲れは感じない。


6:38
小丸山。
すぐ目の前に赤薙山が望めるが今日、目標とする女峰山と帝釈山はまだずっと先。
朝日が回転ゲートの影を作り出している。影がずいぶん長い。


赤薙山へ向かう稜線から北東に目を向けると高原山が見える。
陽はまだ昇りきっていないので幻想的な光景だ。


7:12
焼石金剛に到着。
8分の休憩。


冬の訪れを物語るかのように一面、霜、霜、霜。


赤薙山直下のやせ尾根を通過中。赤薙山はもう目の前。
笹原を抜けて樹林帯に入ったら15分くらいだ。


7:27
樹林帯に入る前に道が分岐するがどちらの道を行っても途中で合流して赤薙山に行ける。
こちらは直登コース。道標の示すコースよりもややきついといった感じだが登りやすい。


7:48
途中、写真を撮るのと休憩を含んで1時間48分という、まったりペース。


赤薙山は神社の鳥居のうしろだけが開けていて、女峰山と男体山が垣間見える。
写真中央のピークの右が女峰山。ルートは写真右端から大きく左へ曲がりながら達する。


こちらは男体山。


このルートでもっとも疲れるのが赤薙山から赤薙奥社へ向かう区間だ。
距離は1キロだが標高で200メートルも上がる。
景色は見えないし道は荒れているし、ただもう黙々と歩くしかない。


岩が多いのも特徴。


8:54
ふ~、ようやく奥社に到着。ここまでがひと苦労だった。6分の休憩。
標高は2203メートル。スタートが1345メートルなのでここまでで858メートルも登ったことになる。女峰山まであと280メートル登ればいい。だがそう簡単にはいかない。標高差は小さいがアップダウンの激しい道を4キロ弱歩く。それに今日は帝釈山を往復する計画だ。とてつもなく長い。


奥社を過ぎると下ってそれから登り返してピーク2209に達する。
2203メートルから2209メートルへ6メートルの登り、、、とこれも数字通りにはいかない。
一旦、2152メートルの鞍部に下ってそれから登り返すからだ。
実際にはピークを左へ巻くようになっているため、積雪で道が見えないときにピークを目指すと藪に入ってしまう。冬はリボンに忠実に従って進むことを勧めたい。


9:14
ピーク2209の稜線に乗ったところ。
ここはハクサンシャクナゲが群落している。


9:21
「ヤハズ」。矢筈って書くんだろうか?


ヤハズに来てようやく女峰山への道のりが一望できるようになる。
まだまだ遠い。


シャクナゲが早くも来年の花芽をつけている。
開花は7月なので半年以上かけて栄養を蓄えるのだろう。


ヤハズから先、ピーク2295(一里ヶ曽根)まで、ほとんど平らな道。
1100メートル歩いて60メートル上がるだけという快適さだ。だが、ここでペースを上げてしまうと山頂でバテてしまうから意識してゆっくり歩くのがいい。


9:53
ピーク2295の一里ヶ曽根に到着。7分休憩。
女峰山が眼前に迫ってきた。
あと乗り越えるのはピーク2318だけだ。


一里ヶ曽根からガレた急斜面を恐る恐る下りるとピーク2318との鞍部に出る。
鞍部の距離は短いが広々していて気持ちがいい。
ただし、目の前にピーク2318が立ちはだかっていて気後れする。


10:04
水場を通過。
歩き始めて4時間経ったので、夏だったらここで補給しておいた方が安心かもしれない。


10:26
ピーク2318に到着。立ち枯れした木があるのが特徴。4分休憩。
道はここから南へと転じる。


いよいよ始まった(^^)
これからしばらくの間、ガレ場があったり幅30センチほどの道を歩いたり、ロープで岩を登ったりというスリルを味わうことになる。


おぉ、女峰山をとらえたぞ!!
山名板が見える。人の姿も見える。


ロープがかかっているがあえて使う必要もないであろう。
ただし、下りは使った方が安全かもしれない。


ハイマツが茂る間を縫って、、、


見えるのは女峰山だけになった。


ハイマツ帯を抜け出すとそこに女峰神社がひっそりと建っている。


山頂目前。
管理人を追い越していった三人のうちのふたり。
このふたりよりも前にいた若者の姿が見えないが、帝釈山へでも行ったのだろうか。


11:45
晴れている(^^)
今年になって5回目の女峰山だが山頂で陽の光を見るのは今回で2回。他3回は一面の霧でなにも見えなかった。それだけにとても嬉しい。
先着の人と立ち話をして15分費やす。


西にこれから向かう帝釈山がよく見える。
その向こうに太郎山、左に小真名子山。


小真名子山(右)と大真名子山(左)


そして男体山。
それにしてもいい天気に恵まれた。
今日の女峰山は絶景をプレゼントしてくれた。ありがとう、厳しくも優しい母なる山よ!!
おっと、感動ばかりしているわけにはいかない。これから帝釈山まで行かなくてはならない。


専女山。
女峰山から帝釈山へはガレた急斜面を下り、ガレ場を歩き、この岩を乗り越え、急斜面を上がる。


12:01
女峰山を出て30分で帝釈山に到着。
燧ヶ岳を始めとして越後の山々を見渡せる帝釈山山頂。眺めは女峰山よりもいいんじゃなかろうか。
女峰山を目指してここまで来ないのは実にもったいないと思う。


誰もいない山頂を独り占めして満足顔の管理人。
このあと、管理人としては珍しく、たっぷり時間をかけて昼食とした。
管理人の山での主食はコンビニの菓子パンだが、360度の雄大な景色のおかげで最高のご馳走となった。


山名板の右が小真名子山、その左は大真名子山、さらに左が男体山。


中央右が太郎山で左が小真名子山。その間に挟まれて遠くに白根山が見える。


その白根山をズームで。


大真名子山とそのうしろに男体山。
う~ん、なんという絶景!!


さあ、あまりのんびりしているわけにはいかない。そろそろ引き上げなくては。
女峰山を仰ぎ見る。
まるで三角形の薄い板を立てたかのよう。こんな姿の女峰山を拝めるのも帝釈山だからこそ。


山頂直下のガレ場。
荒々しさでは白根山と同等だ。


13:10
女峰山山頂。


女峰山から帰りの道を俯瞰する。
いや~、とてつもなく長いね。ここからあの稜線の右端まで歩かなくてはならないとは。陽が暮れるな。


ピーク2318へ行くまでにこんな場所もあるが気をつけてゆっくり歩けば大丈夫でしょう。


13:56
ピーク2318。
右斜面は崩落していて深く切れ落ちている。
ここで降りてきた道を振り返り、大福をほおばる。


14:18
一里ヶ曽根との鞍部の水場を示す道標。正面に見えるのがピーク2295の一里ヶ曽根。
水場に立ち寄ってみることに。


14:19
小さい沢に差し込まれた塩ビ管からちょろちょろと水が流れ落ちている。
7月に来たときは2本の塩ビ管のうち、1本は涸れていた。


ピーク2209の手前まで来ると北東に大笹牧場が見えた(目一杯のズームだが)。


北西には栗山の集落が、、、


15:27
奥社を通過。


奥社から赤薙山への道は帰りの疲れた身体に堪える。


こんな場所もあるしな。


16:07
振り返ると、男体山に間もなく沈もうとしている陽が見えた。日の出と同じくらいにいい眺めだ。


16:08
ここで赤薙山を巻く道と分岐する。
崩落箇所があるので登山者はほとんど通ることがない。
今日は日没を覚悟で出発したので時間は気にしない。久しぶりに行ってみることにした。


歩く人がいないためか案の定、藪化している。
崩落箇所は見あたらなかったがここは通らない方が無難だ。積雪期は特に危なそう。


小丸山へ続く稜線の向こうには雲海が出ている。


16:30
焼石金剛を通過。
雲海の上に高原山が飛び出している。いい眺めだ。


16:58
小丸山を通り抜け天空回廊のトップまで来たときはすでに陽が落ちてヘッデン(ヘッドランプを指す業界用語・笑)に頼ることになった。毎度のことですが。


おかげで日光市街の夜景が楽しめるというオマケがついた。
天空回廊を下りきったのはちょうど17時半であった。


ルート断面図。
アップダウンが激しく標高差1136メートルに対して累積標高1830メートルにもなる。


地図はこちらを参照ください→16年6月10日

古賀志山、5回目の馬蹄形。標高差367Mなれど累積標高はその4倍も。

2016年11月3日(木) 晴れ

森林公園駐車場~芝山橋~東陵コース~東陵見晴台~古賀志山~御嶽山~中岩~赤岩山~北ノ峰~無縫塔~腰掛岩~P444~P383~手岡分岐(仮称)~P431手前を南東へ(北尾根)~長倉山~P349~森林公園駐車場

文化の日、紅葉の見ごろと重なって日光は大渋滞が予想される。
こんな日は混雑する日光を離れて静かな山をのんびり歩くに限る。それに天気もいいことだし、、、やはり古賀志山でしょう。

馬蹄形ルートはその形が馬の蹄に似ていることからつけられた名称らしいが、地図にルートが描かれていないので説明が難しい。そこで始めに、管理人がこれまで4回、手探りで歩いたときのGPSの軌跡を地図で紹介しておく。
古賀志山とその北に位置する手岡分岐(地図に記載はない)を結んだ線の西側を馬蹄形ルートと呼んでいる。ただし、管理人が歩いたルートこそ唯一、正しいのだということではない・・・後述馬蹄形ルートは面白い。
地図にルートが描かれていないため自分でルートを設定しなければならない。その作業ならびに自分で設定したルートを地図とコンパスを使って歩くのは読図の訓練にぴったりだ。
机上でのルート設定が終わり、いざ実践に望んだとしても、わずかな角度差で尾根が分岐しているときなど、どちらに進んだらいいのか現場では迷う。
上の地図を見て、同じ馬蹄形ルートを歩いたつもりなのに過去4回の軌跡は微妙に(大きく?)違っていることがわかると思う。これは分岐でのルートミスによるものである。それほど馬蹄形ルートは難しい。
とはいえ、地図にルートの記載がない以上、なにをもって馬蹄形ルートとするかの定義はなく、馬蹄形に似たルートを自分で設定すればそれが正しい馬蹄形ルートということになる。ただし、地図を追っていけば自ずと1本のルートに集約されるが、、、、
上にルートミスと書いたがそれは管理人があらかじめ設定したルートから外れたという意味であり、それは悔しいものだ。地図読みの難しさを痛感する。その悔しさがその後の馬蹄形歩きに結びついている。
馬蹄形ルートを歩くのは与えられたわずかな情報を元にゴールへ向かうオリエンテーリングのように、頭と身体を使うスポーツなのである。
果たして今日の結果は如何に(^^)
それでは行ってきま~す。

参考:過去の馬蹄形ルートの記録
1回目:2015年06月30日 右回り
2回目:2016年01月03日 右回り
3回目:2016年01月09日 左回り
4回目:2016年04月30日 左回り


2ヶ月ぶりで訪れた赤川ダム。
渇水期なのか水位がずいぶん低下している。
正面に見える双こぶの左が古賀志山で右は東陵見晴台。その下が急激に落ち込んでいるが、そこが岩場の連続する東陵コースで今日、歩くルートである。


赤川ダムに沿った車道を北に向かって歩いて行くと芝山橋がある。ここが古賀志山北コースと東陵コースに共通する入口となる。


芝山橋を渡り右を見ると川に沿って踏跡がある。そちらが北コースで左の急斜面が東陵コース。


東陵コースの大部分は急斜面だが画像のような歩きやすい部分もあって息が抜ける。


紅葉したアブラツツジ


地面の最後の登り、ってわかるかなぁ?
つまりこの登りが終わると次は岩の登りとなるわけだ。


始まった(^^)
最初の岩は5メートルはあるだろうか、垂直に近いがよく見ると手がかり足がかりとなるホールドがあるので技術を磨けば鎖を使わなくても登れるようになる(決して推奨しているわけではありません)。


最後にこの岩を登ると、、、


、、、眺めのいい東陵見晴台に立てる。
ここから宇都宮の市街地と北に高原山が見える。角度的に日光連山も見えるのだが木立があって遮られている。


東陵見晴台と古賀志山とは隣り合わせの位置にあり7・8分で行き来できる。
古賀志山は古賀志山山域の最高峰583メートルだが展望がいいとは言えないのが残念なところ。
ただ、山頂は広く地元の人の社交の場となっていて昼時は多くの人で賑わうので情報を得るにはいいかもしれない。


地理院地図を見ると古賀志山から西へ向かって長く、なだらかな稜線が続いている。
それが古賀志山の主稜線でピーク432.7の北ノ峰まで、実に変化に富んだ稜線歩きが楽しめる。眺めがいいのも山域一と言っていいのではないだろうか。
ただし、なだらかな稜線と書いたがそれは地図上でのことであり、実際に歩いてみると地図では読み取れない大きな岩が稜線上にいくつも出てくる。もう勘弁してくれと言うほど、、、
これは御嶽山手前の岩。これから先を暗示させるような(^^)


御嶽山の山頂まで来ると視界は一気に開ける。
西に日光連山と白根山、錫ヶ岳、皇海山などの2千メートル峰、北に高原山や那須連峰が見渡せる。実に素晴らしい。


御嶽山山頂から日光連山を望む。
冬は冠雪した日光連山がとても美しい。


山頂の北には高原山が望める。


古賀志山主稜線は適度なアップダウンがあるのと稜線からの眺めがいいので管理人がもっとも好んで歩くルートである。その上、高さ5メートルほどの大きな岩をクリアしなくてはならず、それがまた主稜線の大きな魅力(^^)となっている。
この岩がそのひとつ。
赤岩山へ向かう場合は上りとなる。ここにも守ろう会が取り付けた真新しい鎖がかかっている。
なお、正式な名称がないためかカミソリ岩と呼ばれているらしい。位置はピーク546(中岩)の東120メートル。地図には岩記号が描かれている。


赤岩山山頂。
山頂は眺めがないのと休める場所がない。
休む場合はこのすぐ手前の今は使われなくなったパラグライダーの離陸場を利用するといいと思う。眺めがいい。


赤岩山から北ノ峰への明るい道を歩く。


猿岩。
ルートから少し外れるので馬蹄形を歩くための必須事項ではないが、立ち寄ってこの岩の上から景色を眺めることを強くお勧めしたい。
なお、岩の基部に「猿岩」という地名板があったのだが不心得者の仕業により損壊されてしまった→こちら


猿岩のトップから日光連山を眺める。


古賀志山主稜線の末端に当たる北ノ峰。
4等三角点がある。地図に北ノ峰の記載はなく、標高432.7メートルの地点。
北ノ峰から先のルートはふたつ。
ひとつは籠岩を経て県道70号線に至る南西ルート、もうひとつが無縫塔を経て北西に向かう馬蹄形ルートである。
いっとくけどここから無縫塔まで急な下りなので怖いよ(^^)


急な下りが終わると檜林となり左に長い岩壁が続いている。
岩壁に沿って5分ほど歩くと地上3メートルくらいの高さに洞窟があり、中に卵形の石が鎮座している。
文字が彫られてなくのっぺらぼうの石像である。文献で調べるとこれは無縫塔といってお坊さんのお墓なのだそうだ。
なお、猿岩と同じでここもルートから外れるので立ち寄るのは必須ではない。なにかが出てきそうな雰囲気があるし、、、(笑)


無縫塔から北西に向かって広い斜面の、はっきりしない尾根をかすかな踏跡を頼りに下りていく。


傾斜が緩くなると廃屋となったプレハブの小屋が見つかる。馬蹄形ルートのランドマークともいえる重要なポイントなので見落としてはならない。
この後、小屋の脇を通り抜け左折して傾斜を下りて右折という手順を踏むが、これがなかなか難しい。


プレハブ小屋の先を左折して右折して林道を横切って藪を突っ切ると林道内倉線と並行するこの沢と出合う。沢というよりも土砂が堆積した現場という方がわかりやすいかもしれない。
昨年9月の台風による大雨でピーク444の中腹が大きく崩落し、その土砂が沢を埋め尽くしたのである。


上の画像の沢を横切ると林道内倉線と交わる。その林道も横切って斜面に突入する。
薄い踏跡があるので大丈夫でしょう。


林道内倉線を横切って樹林帯の中の踏跡を辿りこの奇妙な形の岩が見つかったら正解。
名前は腰掛岩という。いわれはその形でしょうね。なお、腰掛岩に至る尾根筋はとてもわかりにくい。地図とコンパスの出番といえる。


腰掛岩は西側にあるいくつかの尾根が合わさった位置にあり、ここで進路を東に変えてピーク444を目指す。ピーク444は地図には記載があるが平坦なので見落としてしまう。石の祠が目印。


さあ、これからが馬蹄形ルートの核心部分となる。
多いときは尾根が3つに分岐するからたまったものではない。
3つに分岐する尾根の、自分はどちらに行ったらいいのかをあらかじめマーカーで塗っておくといいと思う。
ピーク444からピーク383の間で見ると進むべき方向は東北東から東南東の範囲にある尾根が正しい。
ピーク444を過ぎると尾根は崖で終わっているがそれが正しいので慌ててはならない。すぐ左にロープがかかっている岩があるので下る。


ロープを伝って崖を降りると再び尾根になるので進む。地図を見るとピーク383の手前(西側)に林道が描かれている。
画像はその林道に向かう藪の斜面。一年前より藪が深くなり踏跡を隠すほどになっている。ここは勇気を持って突破しよう(^^)
ちなみにこの藪を下ると地図の林道(軽車道)と交わるが、林道といってもすでに廃道となっていて人が通れるほどの幅しかない。地図だけだとわからない混乱する箇所だ。


地図の林道を横切ってピーク383に上ると尾根は方向を北東に変える。それから次に東へと変えて現在地に来た。ここはピーク559を経て古賀志山とピーク431を経て鞍掛山に至る分岐点。管理人はここを便宜上、手岡分岐と呼んでいるが地図にはもちろんそんな名称はなく、場所が日光市手岡だから記号のつもりで管理人が勝手につけたものだ。
馬蹄形ルートは一応、ここで終わりとなる。
ここをピーク559へ向かって南へ進めば古賀志山に至るし、体力にまだ余裕があれば鞍掛山へ向かってもいい。
ちなみに、管理人が手にしている地図は過去4回の軌跡を描いたものだが、初めての場合でも進むべきルートを地図に描いておくことをお勧めする。


手岡分岐を過ぎた辺りから両太ももの内側が引き攣れる。それに傾斜で脚を曲げるたびに右膝の外側が痛むようになった。
馬蹄形の右回りは長くて急な上りが多いので脚への負担が大きい。前回の山行は先月27日だったから7日ぶりで、インターバルとしては悪くないのだがその間、デスクワークの時間が長かったため下半身の筋が硬化したのが原因だと思う。
太ももの痙攣は症状がまだ軽いから我慢できるが膝の痛みは耐え難い。管理人を長年悩まし続けている腸脛靭帯炎である。発症すると入念な手当しなければ治らないので鞍掛山は諦めてショートカットすることにした。
ミネラルを多く含んだサプリとロキソニンでごまかす。腸脛靭帯炎にはなんら効果がないのはわかっているが困ったときの神頼み(泣)


予定していた鞍掛山を見ながら長倉山(地図に記載なし)へのショートカットの道、北尾根を進む。


ほう、アキノキリンソウがまだ咲いている。


オヤマリンドウ


ようやく長倉山に。


森林公園駐車場まであとわずかのところまで来た。16時半を回って辺りは薄暗い。
膝の痛みは我慢の限界に達している。
早く車に乗り込んで家路へ急ぎたい。風呂とビールが待っている我が家へと。
あっ、それから、天気のいい祝日にもかかわらず御嶽山からここまで誰とも出会わなかった。馬蹄形ルートを独占したわけだが言い換えれば高リスクと隣り合わせだったということでもある。
馬蹄形ルートを歩く際はくれぐれもお気をつけください。携帯が通じない場所も多いですし。


記事のタイトル通り、スタート地点の森林公園駐車場と山域最高峰の古賀志山との標高差は367メートルと、古賀志山は里山特有の登りやすい顔をもっている。
ところが、馬蹄形ルートを歩くとなるとアップダウンが連続し、上り分を足した累積標高は標高差の数倍にもなる。今日、管理人は馬蹄形の東側も歩いたわけだが、累積標高は1522メートルに達しこれは男体山に匹敵する。
距離でいえば14キロ歩いたがこれは霧降から女峰山を往復するのとほぼ同じで、累積標高が300メートル少ないだけだ。古賀志山は里山の域を超えて立派な山岳登攀である(^^)
なんども書きますがこのルートは誰にも会わないことが多く、疲労や怪我で身動きが取れなくなっても助けてもらえない。携帯の通じないエリアがあります。複数人で歩く、読図ができる人と同行するなど最善の方法を選択してください。

累積標高の詳しい説明


今日、歩いたルートを青線で示している。
赤線は過去4回の軌跡で地図中央の点線から左(西側)を馬蹄形ルートという。点線から右はオプションなので自身の脚力に応じて加えるのがいいと思う。鞍掛山を回ると18キロにもなるからそれなりの疲れは覚悟の上でどうぞ(笑)

今日、管理人は森林公園を出発して古賀志山へ出てそれから馬蹄形ルートを歩き始めた。割とすんなり歩けたのではないかと思う。青い線からはみ出している過去の軌跡から比べると格段の進歩だ(^^)
それでもまだ地図とコンパスは必要とするから、はっきりした1本の道が山頂まで続く日光の山々に比べれば難しいし侮れないルートである。古賀志山は奥が深い。

出発点だが森林公園(赤川ダム)の他に、古賀志山から北ノ峰にかけての主稜線の南(岩下道)から主稜線に這い上がるという方法もあるが、道が複雑でとてもではないが読図ができない人には無理だと思う。
その古賀志山へは地理院地図に道が描かれている北コースの他に上図には書かなかったが中尾根コース、東陵コース、南コースがある。管理人としては安全性とわかりやすさの観点から、北コースをお勧めする。

古賀志山の猿岩、地名板損壊という無残な光景に強い怒り。犯人像に迫ってみた。

2016年11月3日(木) 晴れ

2ヶ月ぶりに古賀志山を歩いた。
ルートは以下の通り、馬蹄形の右回り。
森林公園P~東陵岩場~東陵見晴台~古賀志山~御嶽山~中岩~赤岩山~猿岩~北ノ峰~腰掛岩~P444~手岡峠(仮称)~長倉山~森林公園P

詳しい山行記録は後日書くとして、この記事では今日、気がついた下記2点について取り急ぎ記録しておく。
(1)岩場に新しい鎖が取り付けられたこと。
(2)猿岩に設置されている地名板が壊されていたこと。
こちらも参考にご覧ください→繰り返されるロープ外し

古賀志山の一般ルートとしてもっとも利用者の多い北コース入口に当たる芝山橋に、古賀志山に100以上あるとされるバリエーションルートのひとつ、東陵コースがある。
広葉樹の明るい尾根道を進んでいくと別の尾根と合流する。そのすぐ右を見るとルートを塞ぐかのように巨大な岩が待ち構えている。その岩が古賀志山に隣接する通称、東陵見晴台へと続く岩場の始まりである。

古賀志山山域には手がかりがなければ上れないような急峻な岩場が数多く存在する。その多くは鎖やロープが取り付けられているので慎重に行動すれば、岩が雨で濡れているといった悪条件でない限り、事故は起きない。
ただし、既設の鎖は古いしロープはすり切れていたりまた、取り付けられている相手(支点)が枯木であったりというように、利用する側にとって必ずしも安心できるものではない。

東陵見晴台へと続く岩場は長く、数本の鎖が取り付けられている(※)。
そこに真新しい、いかにも頑丈そうな鎖が既設の鎖と並行して下がっているのを見た。

※東陵が終わって次に古賀志山主稜線に移ったとき、各所に新しい鎖が取り付けられているのを確認した。


岩をよじ登り、鎖の支点となる部分に達するとそこにアルミ板のタグが取り付けられていた。
それによると設置者はNPO法人「古賀志山を守ろう会」で、その下に刻まれている「2016.8」とは鎖を取り付けた年月のこと、「NEXT 2017.1」とは次回の点検の時期を示していると読み取れる。

設置者のNPO法人「古賀志山を守ろう会」(以下、守ろう会)について詳しいことは同会のホームページをご覧いただくこととして、このタグが持つ意味は大きいと感じている。
もしもこの鎖の材質や強度、取り付け方法などが原因で重大な事故が起こった場合、設置者に大きな責任が生じるのは自明だ。このタグはそれら鎖に起因する事故の責任の所在を明確にしているのだ。とても大きなリスクを伴う。そんなリスクを冒してまで鎖の取り付けを英断した守ろう会に敬意を表したい。

NPO法人「古賀志山を守ろう会」

一方で心配もしている。
守ろう会が鎖を設置するよりも前から、危険な箇所にはロープや鎖が取り付けられている。それは無許可であり、工作物を設置してはならないという自然公園条例に反しているとはいえ、登山者有志による危険防止のための善意として受け止められ、今日にいたっている。

しかし驚くことに、それらのロープや鎖が外されたり切られたりといった、人身事故に直結するような危険な行為が頻繁におこなわれている。
登山者がまだ少ない早朝から、下山し終わった夕刻を狙ったものだと思う。
日中だとしても登山者が少ない場所を狙っていることから、古賀志山に精通する人物の仕業と断言してもよさそうだ。
どのような理由があって行為に及ぶのか知る由もないが、同じ人物が今度は守ろう会に罪を負わせることを目的に、新しい鎖で事故が起こるような細工をしないとも限らない。

有志が安全のために善意で取り付けたロープを切断したり鎖を取り外すことに偏った正義感を持ち、執念を燃やしている人物がいるは事実だ。
その矛先が、今度は守ろう会が取り付けた新しい鎖に向けられるのではないか、それを心配している。

複数人によるものではないであろう。
なぜならそのような目的のために意気投合するなどというのはふつう、考えられないからだ。それに目立つ。
性格が陰湿かつ執拗なことから、古賀志山をよく利用する登山者からは疎まれ、行動は常にひとりだ。古賀志山へ来る目的はロープの切断や鎖の取り外し、地名板の損壊といったことだけ。決して歩くのを楽しみに来るのではなく頭の中は次はどこでどんなことをしようか、それしかない。登山者を困らせたり事故が起こるのを喜んだり、古賀志山に人を寄せ付けない悪評を立てることを目的とした、鬱屈した心の持ち主による仕業だと思う。
もしかするとこの人物は、古賀志山は子供の頃から慣れ親しんだ自分の山なんだという倒錯した考えをもっていて、自分以外に古賀志山を利用する人をよく思っていないのかもわかならい。
それが本人の正義感を駆り立てているとすれば一般の登山者にとっては迷惑この上ない。人格が破綻しているとしか思えない。
本人の言い分も聞いてみたいが、ネズミのようにこそこそ動き回るだけで、表に出てくるほど器の大きな人物ではないのであろう。


古賀志山と北ノ峰を結んでいる主稜線を歩いて赤岩山を過ぎ、主稜線から少し外れたところに「猿岩」がある。
猿にしか上れないあるいは、猿でさえ落ちるという急峻な岩にたとえて名前が付けられたのだと思うが、この岩の上に乗って南から西へ広がる雄大な景色を楽しむことができる。
岩の基部に「猿岩」と書かれた地名板が設置されている。これも守ろう会によるものである。
画像は今年1月に撮ったものだが冬枯れで葉が落ちた木々のすき間から地名板がよく見える。

古賀志山山域は地元の人にとって昔から信仰の対象にされ、大切にされてきた。山域には奇岩があちこちで見られ、それらひとつひとつが信仰の対象物として名前がついている。
しかし一般登山者に知られることなく、俗称で言い伝えられるようになっていてたとえば、不動岩、マラ岩、子マラ岩、カミソリ岩、モアイ像、団子岩、弁当岩などといった名称がネットに散見されるに及んで、整備が必要との観点から、守ろう会によって昔から呼ばれている正しい名称の山名板や地名板が設置されてきた。「猿岩」もそのひとつである。


古賀志山主稜線は古賀志山~御嶽山~中岩~赤岩山~北ノ峰を結ぶ岩を含んだ尾根。
猿岩は赤岩山の西、主稜線から少し外れた場所にある。ただし、そこへ導く道標はないので地図とコンパスを頼りに探すしかない。
このことからも猿岩の所在をよく知っている人物の仕業に間違いないと見当をつけるのが正しいと思う。この人物にとって猿岩は、訪れる人はいないし眺めがいいので憩いの場所なのかもしれない。そこに地名板が設置されたり管理人のような地元外のものが来たりするのを、自分の領域を侵されるような気がするのかもしれない、と心情に理解を示すもののそれと器物の損壊とは別物であり許せることではない。


これは今日撮ったもの。
葉が茂っているため地名板の存在を見落としたが、大きな問題があることに写真を撮ったときは気がつかなかった。


異変に気がついたのは猿岩のトップに上るつもりで近づいたときだ。見慣れた地名板がないのだ。
地中に埋め込まれた柱が折られて、地名板ごとなくなっている。
古賀志山は国と宇都宮市(栃木県)そして、個人の所有物であり、そこに構造物を設置するには所有者の同意が必要だ。地名板を設置するにあたって、NPO法人である守ろう会は正規の手続きを経ているはずである。
それを損壊するのは明かな犯罪であろう。

先ほども書いたが、当人は子供のころから古賀志山に慣れ親しみ、古賀志山を “おら(俺)が山“ と考えているのではないかと思う。古賀志山に精通していることから、地名板などなくても縦横無尽に歩き回ることができるし、難易度の高い岩場をロープ、鎖を使わずに上り下りする技術をもっていることが考えられる。
そのような高度な能力をもちながら、精神的に鬱屈していることから、他の登山者を古賀志山に寄せ付けないあるいは排除しようという心理が働いてロープの切断や鎖の取り外し、地名板の損壊という行為に及んでいるのではないか、そう思わざるを得ない。
やり方が陰湿で執拗である。
高度な能力を他の登山者に役立つように使えばいいのに、と管理人は考えるのだが当人の性格上、そのような前向きな思考はできないのであろう。

古賀志山は3.5キロ四方という狭い山域が特徴である。そこに多くの登山者がやって来る。その中で繰り返される行為は言ってみれば、衆人環視の下での行為といえる。犯人はどこかで必ず姿を見られるはずだ。
管理人はブログを使って気づいたことを読者に知らせるようにしている。それが犯人への警告であり行為をやりづらくすることに結びつくのではないかと思っている。
実はこのブログでもっとも多く読まれているのが古賀志山に関する記事なのだ。ブログの読者はこのブログで提起した問題に関心をもって古賀志山を訪れていることと管理人は確信している。
ちなみに、管理人は古賀志山を守ろう会の会員ではないし同会となんら利害関係をもたない、古賀志山を楽しむ利用者のひとりに過ぎない。

今月4回目の檜枝岐からの入山で台倉高山を目指す。強風に泣いたが花の季節の感触が得られた。

2016年10月27日(木) 強風 今にも降りそうな曇り空、ときどき晴れ間のぞく

馬坂峠(09:20)~P2033三段田代(10:13)~台倉高山(11:10/11:20)~昼食(11:30/11:45)~馬坂峠(13:10)

今月4回目となる福島県檜枝岐村からの入山だ。
今日は降った雨を太平洋と日本海に分ける分水嶺にある山、3座目の台倉高山を目指すことにした。

今月7日、馬坂峠から帝釈山に登る際に同じ場所に台倉高山の登山口があることがわかり、ではせっかくの分水嶺の山だから10月中に登っておこうと思った。
なぜ10月中でなければならないかといえば、登山口がある檜枝岐は豪雪地帯ゆえに11月になるといつ雪が降ってもおかしくないからだ。山は2時間で登れるから11月の雪なら備えさえしていれば問題はないが、登山口まで自宅から車で3時間半もかかるから、路面に雪が積もればこれが2・3割り増しとなり、登山どころではなくなってしまう。
それでなくても登山に4時間、車での移動に7時間というのは尋常ではない。登山よりも運転に疲れるような過酷なことは避けたいところだが、分水嶺にある山という魅力にあらがうことができず、運転による疲れを覚悟の上で臨むのである。

7日に登った帝釈山は山頂からの眺めが素晴らしかった。ほぼ360度の展望があり我が日光連山が一望できたし、百名山・会津駒ヶ岳に2週続けて登るきっかけを作ってくれた。この辺のところは7日のブログに詳しく→こちら

7日に帝釈山に登った以後は12日に会津駒ヶ岳、19日も会津駒ヶ岳そして今日は台倉高山と、今月は4週続けて檜枝岐からの登山になるわけだが、なにしろ自宅からの移動距離130キロ、3時間半もかかるからこういう場合は気力が萎えないうちに一気呵成にやるに限る。

その台倉高山ってどんな山なんだろう。
ガイドブックを読むと「台倉高山山頂は10数名が休める広さで、360度の大展望が広がる。白根山など日光方面の山や、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳など会津の山々が見渡せる」(随想社・栃木の山150より)とある。それに檜枝岐に登山口を持つ帝釈山や田代山、会津駒ヶ岳と同じように、湿原もあると書いてある。大いに期待できそうである。

なお、今日の台倉高山をもってとりあえず檜枝岐遠征は終わりとし、来年の花の季節になったら再開しようと考えている。


8:13
自宅から2時間53分、117キロメートル。檜枝岐村内を走る国道352号線に馬坂峠へ向かう林道の入口がある。
馬坂峠へ向かってしばらくの間は旅館や民宿が立ち並ぶ道を走るがそれもすぐ終わる。


林道は3キロほどでオフロードに変わりここから12キロ弱、砂利道を走る。
アスファルト道路であれば15分ほどで馬坂峠に到着するところだが、この案内にある所要時間は前回7日に走ったときに概ね正しいことを確認している。なんてったって20キロ以上の速度を出せないんだから。


ここはわだちもなく走りやすい方。そのうち段差が出てくるわ、大小の石は転がっているわ、片側が谷になるわ、落石の跡があるわでその手の走りがお好きな人向き(^^)



8:58
上に紹介した動画のように走ってきて馬坂峠に着いた。車のトリップメーターは自宅から131キロメートルを示している。檜枝岐からここまで、同乗者がいれば車酔いを起こしたかもしれない。
20台ほどのスペースに先着車は1台もない。
それもそうだよな、花はとっくに終わっているし紅葉も終わっている。晴れてはいるが風が強いので登山向きの天候ではないもの。
中央に見える建物はチップ制のトイレだが入口は閉ざされ使えない。7日に帝釈山に登ったときは開いていた。このことからもこの時期はすでにシーズンが終わっていると思った方がいいようだ。
ちなみにここまでの道は雪が降っても除雪されないので、冬から雪解けまでの間の交通手段はない。これは実に怖いことだ。
もしも登山中に天気が急変して短時間に20センチもの雪が降ったりすれば(山ではよくあること)この道は走行困難になる。人は歩いて檜枝岐まで行けばいい(といっても15キロもあるが)が車は雪解けまで数ヶ月もの間、雪に埋もれたままとなる。
そんな目に遭わないためにも馬坂峠からの登山は10月で終わらせるべきだ。


こちらは帝釈山の登山口。ここから1時間もかからずに登れる。
入山者数を調査するカウンターが設置されている。


9:20
こちらがこれから目指す台倉高山の登山口。昭文社「山と高原地図」によると山頂まで2時間とある。
帝釈山側から見ると案内板もないし柱は1本だけとずいぶんと地味だ。それに暗い。魔界の道へ誘われているような錯覚を起こす。
が、それはもちろん、光の当たり具合のせい(^^)
でわでわ、出発しましょう。


初めから階段が敷設された急傾斜。シラビソの樹林帯を登る。


おっ、水場だ。
きれいな沢水が流れ落ちている。といってもここで湧いているのではなく、沢の途中に岩の段差があり、あたかも湧いてるように見えるだけ。


9:52
「ぬた場」というのは見たことがあるが「休み場」というのは初めて聞く。
見回したがぬた場はないし、う~ん、なんなんだろう?


急傾斜はまだ続く。今度はシラビソの根が露出していて滑りやすい。
ガイドブックによればこの辺り一面、オサバグサという植物が開花して見事だそうだ。


草地に変わり湿原が近いことを思わせる。


10:13
「三段田代」に到着。
田代とは湿原のことで、それが段々畑のように三段になっているらしい。が、滑りそうな木道に気をとられ、確かめる余裕はなかった。
ちなみに地理院地図に三段田代という表記はなく、同じ場所が2033Mのピークになっている。


視界が開けた。あれが山頂だな。
ここからだと標高で50メートルくらい登るのだろうか。


藪にはなっていないがかなりこみ入った笹の間を歩く。傾斜は緩んでいる。


11:11
歩き始めて1時間50分、休憩しながらも山と高原地図に記載の所要時間とほぼ同じ時間で山頂に着いた。
気温は5度くらいだろうか、ここまで中間着の上に保温用のジャケットを着て歩いたが風が強かったため、汗はかかなかった。
なんども書いてくどいようだが、ここが栃木県(ちなみに日光市)と福島県の県境で、降った雨を太平洋と日本海に分ける分水嶺になっている。山名を示す柱より手前に降った雨は太平洋に、柱の向こう側に降った雨は日本海に流れていく。なんとも壮大でロマンがあるではないか。
そういう意識で山を登るのも楽しくていい。


山頂が雲に被われているがおそらく燧ヶ岳。


白根山に、、、


女峰山。


これは会津駒ヶ岳であろう。
左のすそ野がキリンテで平坦な部分が大津岐峠から駒ノ小屋に続く稜線。中央に見えるピークが山頂、その右は大戸沢岳に続く稜線だと思う。
風が強いので山頂での昼食は諦めて下山することにした。どこか途中で風を避けられる場所があればそこで食べよう。


昼食の場所が見つかったので腹を満たした後、6ミリ径の麻縄を靴に巻いた。
濡れた木道や落ち葉が堆積した下りの道を歩く際の滑り止めにするために用意してきた。
チェーンスパイクは木道を傷つけるので使えない。


12:22
三段田代を通過。


台倉高山の階段はステップの幅が広いし土がえぐられていないので歩きやすい。


木道や階段から開放され、ひと安心。間もなく登山口に着くはず。


登りでは気がつかなかったがゴゼンタチバナの群落。いい色に染まっている。


木々の切れ間から帝釈山が見える。


馬坂峠のトイレが見えてきた。


13:10
登り始めて3時間50分で下山。
天候が良ければもっとゆっくりしたいところだが今回は花の季節の下見と考えてこれで良しとする。
車は朝と同じく管理人だけ。


同じ登山口から別方面にふたつの山を登れる。
余裕があったら台倉高山と帝釈山へ、とガイドブックにはあったが、帰りも3時間半の運転をすることを思うととてもそんな気持ちになれないというのが正直なところだ。


コースの断面を見ると傾斜は三段田代までで、そこから山頂までは緩やかなアップダウンはあるものの、ほぼ平坦といっていい。この地形を遠方から見ると台形に見えることから山名が付いたのではないかと推測するが、管理人が全体像を見たのは会津駒ヶ岳からの下りでであった。たしかに踏み台のように見えたから管理人の推測は間違いではないだろう。

それにしても疲れたなぁ、家に帰ったらぐったりだった。
日帰りで往復7時間の運転はやはり無理がある。もう若くないんだし、こんな登山をしていたら自ら寿命を縮めるようなものだ。お花畑の中を写真を撮りながらノンビリ歩くのが管理人が本当に求めているスタイルなんだが、管理人にそういう日は訪れることがあるんだろうか?

2登目の百名山・会津駒ヶ岳はキリンテから登って滝沢へ下るロングコース。中門岳の大展望に圧倒される。

2016年10月19日(水) 晴れ

キリンテ登山口(6:45)~大津岐峠(9:27/9:45)~駒ノ小屋(11:10/11:26)~会津駒ヶ岳(11:38/11:45)~中門岳(12:20/12:33)~駒ノ小屋(13:23/13:30)~滝沢登山口(15:29)
※距 離:19キロメートル(GPSログより)
※時 間:8時間44分(1時間の休憩を含む)

会津駒ヶ岳から中門岳へ向かう雄大な稜線

今月7日、栃木県と福島県の県境にある馬坂峠から帝釈山に登った帰りに檜枝岐の国道を通過中、旅館や民宿が集まる一角に、会津駒ヶ岳(以下、会津駒)の登山口があるのを見つけた。あれれっ、帝釈山よりも近いところに会津駒の登山口があるんだと驚いて、5日後の12日、さっそく登ってみた→こちら

そして今日、2週続けて会津駒に登ることにしたわけだがこの辺、管理人の性格とでもいうか、初登でなにか気にかかることがあるとそれを次回、次々回、、、さらに次の機会にと同じ山に通ってこの目で確認してみないことには気持ちが治まらないのだ。アタシって偏執的なのかしら?

会津駒初登でなにが気になったかといえば、山頂から中門岳(ちゅうもんだけ)に向かって実になだらかな稜線が延び、そこは池塘が点在する広大な湿原になっているらしい。その湿原は初夏になるとさまざまな植物の花で賑わいを見せ、それは見事だそうだ。
さらには管理人が見つけた登山口(滝沢登山口)の他にもキリンテという登山口があって、往復、別のルートを歩くことができ、そうすると20キロほどの長いトレッキングが可能という、まさに管理人好みのルート設定ができそうだということが地図とガイドブックでわかった。
12日は会津駒まで行ったところで天候が急変したため、やむを得ず下山。中門岳を諦めた経緯がある。
それだけに次は中門岳までの稜線と、キリンテと会津駒を結ぶ稜線を歩いてみたいという思いが強くなった。

そんなことを考えていたところに、解決しなくてはならないふたつの大きな問題にぶつかった。
登山口と下山口を別にすると下山後、車を置いた登山口まで戻る必要がある。それは当然のこととして、問題はその手段だ。
登山口と下山口はそれぞれ国道沿いにある。バスが運行しているが日に数本しかないことがわかった。登山口と下山口との距離は約5キロ、徒歩で1時間以上かかる。登山靴でアスファルト道路を5キロも歩くのは勘弁してほしい。
そこでこの問題を解決するための手段として、登山口と下山口の間を自転車で移動しようと考えた。
自転車をキリンテにデポし、車は滝沢登山口の駐車場に置いて歩き始め、キリンテに下山して自転車で滝沢登山口に戻るというものだ。

ただし、この反対はだめだ。致命的な疲れとなって現れる。
なぜなら滝沢登山口からキリンテに向かって上り坂になっているからだ。20キロも歩いて最後に上り坂を自転車で走ろうものなら疲れ果て、帰りは居眠り運転必至だ。

もうひとつの問題は12日は日帰りだったのだが、登山に要する時間が短かったのが救いとなった。下山後は檜枝岐から自宅まで3時間の運転だったが、なんとか無事に自宅に帰り着いた。しかし今度はそうはいかない。
推定20キロ、歩行9~10時間としてその上に往復6時間もの車の運転が加わる。年老いた管理人にそれを日帰りでおこなえというのはいくらなんでも無理がある。
前の日に宿泊して翌日、朝早く登り始める、それが答だ。それしか問題を解決する方法はない。

解決方法が決まれば行動は早い。
折りたたみ自転車、一人用のテントと寝袋、自炊道具他、野営道具一式を車に積み込んで出発に備えた。
檜枝岐を通る国道に面して清潔なトイレを備えた駐車場があるので、そこで一晩明かす予定だ。テントは気温が下がるのを想定し、車内に張るつもりで持参する。
国道は尾瀬御池で行き止まりになるので、駐車場前を走る車は少ない。夜間は皆無とみた。静かな環境で十分な睡眠が約束される、そんな考えであった。

そこまで準備を進めたところでふと、別の案件が頭をよぎった。
会津駒に登るのにどのガイドブックを見ても滝沢登山口を推奨していて下山も同じルート。
キリンテを登山口にする場合は距離が長くなるので山小屋に泊まって翌日、下山することを推奨している。キリンテは駐車場が数台分しかないこともその理由らしいが、大きな理由はルートの厳しさらしい。もしもキリンテを利用する場合は下りのみだそうだ。
昭文社「山と高原地図」に書かれている所要時間を比較すると、滝沢登山口から会津駒山頂へは3時間20分が標準らしいがキリンテからだと5時間かかる。だからガイドブックは小屋泊まりを推奨しているわけだ。たしかに山歩きでの1時間40分の差は大きい。疲労度に大きな違いが出てくるものねぇ。

であるならば、ガイドブックと反対のルートすなわち、キリンテから登ってみたい、と偏屈な管理人は考えるのである。山小屋も利用しない。
山と高原地図で所要時間を計算すると、キリンテから登り始めて会津駒を経て中門岳を往復し、滝沢登山口に下る場合の標準時間は9時間、もちろん休憩は含まない。前泊したとしてもこれに自宅までの運転に3時間は必要だ。しかも夜間の慣れない道を。
なかなかの苦行である。苦しいだろうなぁ、辛いだろうなぁ、と思う。
この苦行を想像するとなんだかとても可笑しくなって、我ながら笑い出してしまう。
汝、苦痛を愛し、苦痛を友として生きよ!
ぜひともキリンテから登ってみたい。その方法はないものか。下山後の移動手段さえ確保できればそれが可能になるのだ。そうすれば苦痛を味わいながら歩くことができる(笑)

会津駒の登山情報をネットで探していたところ、登山口まで車で送迎してくれる宿が数件みつかった。もしもキリンテまで送ってくれるのなら管理人の望みが叶う。
滝沢登山口に近い「こまどり」という民宿に管理人の計画を伝えたところ、滝沢登山口に管理人の車を置いた後、キリンテまで宿の車で送ってくれることになった。
その上、ありがたいことに、朝食は5時半に用意してくれるそうだ。9時間の山行計画を遂行するには早い朝食は願ってもないことだ。この2点が決め手となった。予約は宿泊当日というタイミングの悪さだったが電話の応対は快かった。
尾瀬檜枝岐温泉 会津駒ヶ岳登山口 そばと山人料理 尾瀬の宿 こまどり

これでキリンテから登って滝沢登山口に下りてくる計画は準備万端整った。
夕食は6時なので翌朝5時半の朝食まで、十分な睡眠時間が確保できる。
自宅からここまで運転した疲れを宿の温泉で癒し、ぐっすり寝て明日の山行に備えよう。
そして今夜はアルコールを慎もう、、、、


6:45
国道352号線にあるキリンテ登山口。
滝沢登山口の駐車場に車を置いた後、ここまで宿のご主人に送っていただいた。
国道からすぐに登り始めることができるのは便利この上ない。
ちなみに、この道をさらに進んでいくと尾瀬御池で行き止まりになる。袋小路の道なので尾瀬ハイキングのトップシーズン以外、それほど混雑はないそうだ。
それにしても頭が重い。右こめかみの辺りがズキンと痛む。胃も重い。昨夜はアルコールを慎もうと考えながら銚子を2本空けてしまった。山行前夜に飲み過ぎという節操のなさだ。大丈夫かね、今日は長丁場だというのに。


始めは杉がこみ入った林だったが、杉林はすぐに終わって明るい広葉樹林に変わった。ブナが多い。黄葉真っ盛りだ。


直径1メートルはあろうかという大きなブナ。


コハウチワカエデの紅葉。


黄葉しているのはブナとミズナラ、赤いのはカエデ類。


笹がきれいに刈られていて手入れの良さがわかる。


んっ、傾斜が変わったぞ。かなりきつい。
救いはこの先に空が見えること。こういう地形になった場合、この先がピークだったり見晴らしのいい峠であることが期待できる。


9:27
急傾斜を登りきるといきなり視界が開け、そこは大津岐峠だった。
人がいるが登山者ではなさそうだ。
やはりこのルートは長い。ここまで2時間42分かかった。
滝沢登山口からだと会津駒の山頂に立っている時間だ。


聞くと、倒れた道標を元の位置に戻すための作業をおこなっているとのことだ。
そういえば先ほどから上空をヘリが行き来していたがこの作業をおこなうために資材や発電機、人を運んでいたらしい。


ヤッホ~、大津岐峠からの展望は素晴らしい。
南南西に燧ヶ岳が一望できる。燧ヶ岳の右に見えるのは至仏山だろうか。


これから向かう方向には木道を挟んでなだらかな草原が広がり、その向こうには会津駒を中央にして、右へ大戸沢岳への稜線が、左に中門岳への稜線が見える。これからあの山を越えてさらに左へ続く稜線を歩いて中門岳まで。
う~ん、なんて素晴らしい眺めなんだ。日光では得られない絶景!!
日光から檜枝岐に引っ越したい(笑)


草原に見えたのは湿原だった。
標高1900メートルの高層湿原だ。


肉眼でも駒ノ小屋の存在がわかるほど会津駒に近づいた。
先を見ると草原はこの辺りで終わり、一度、林の中に入るようだ。
いや~、素晴らしいねぇ、この稜線。
登山者の多くは滝沢登山口から会津駒へのルートを歩くらしいが、この稜線を歩かないのはもったいない気がする。


なだらかに見えても実際にその中に入ってみないとなにが待ち受けているかわからないものだ。
樹林帯の中にはこんな仕掛けがあって楽しませてくれる(笑)


管理人好みのガレ場まで用意してくれている。


11:10
樹林帯から駒ノ小屋が見えた。
ここがキリンテからのルートの終着点だ。
このすぐ先で滝沢登山口からのルートと交わる。
キリンテから登り始めてここまで、大津岐峠での休憩を含んで4時間25分。山と高原地図に書かれている標準時間が4時間40分なのでまずまずといったところ。


この時期は係員が常駐する山小屋として営業している。
利用者は多いらしい。
管理人、花が終わった時期だから標準時間を下回っているが、花の季節だったら立ち止まって観察したり写真を撮るため標準時間を大きく上回る。そうなると今日、歩くルートの日帰りは厳しい。
いずれこの小屋を起点に2・3日、滞在して花をゆっくり楽しみたいものだ。


駒ノ小屋のすぐ下には駒ノ大池があり、そこから眺める会津駒ヶ岳がいい。
管理人が今いる場所には木製のテーブルとベンチがあって休憩できる。今、そのベンチに腰かけて写真を撮っているところだ。
気温は15度。暑くもなく寒くもなく長居をするにはちょうどいいが、これからあの会津駒ヶ岳に登り、さらに中門岳まで足を延ばす予定だ。あまりゆっくりしていられない。
それにしてもあれだな、この景色を目の前に、さっと通り過ぎてしまうのはもったいない。ベンチに腰をかけ、缶ビール片手に、時間無制限でこの景色を眺めるのが会津駒にもっとも似合うのかもしれない。そのために駒ノ小屋が存在するようなものだ。次は是非、そうしよう。
でその時期だが、やはり花の季節だろう。6月半ばから8月にかけてだろうか。来年の予定に組み入れておこう。でも混み合うだろうな。


会津駒ヶ岳に向かって歩くと木道が分岐する。
ここを右へ急登すると会津駒ヶ岳の山頂、直進すると中門岳へ行く。


11:38
歩き始めて4時間55分。大津岐峠からだと駒ノ小屋での16分の休憩を含んで1時間53分。
先週に続いて百名山・会津駒ヶ岳に立つ。先客8名。


会津駒山頂から中門岳(画像右端)に向かってなだらかな稜線がずっと続いている。
実に雄大な光景にうっとりする。大津岐峠からの稜線も素晴らしいがここも実にいい。
大津岐峠から駒ノ小屋に至る稜線も、会津駒から中門岳に至る稜線も管理人が夢に見る理想の稜線だ。いつかはこのような稜線の上を歩いてみたいと思っていたが、それがいま現実のものとなって目の前にある。


ここも大小の池塘が点在する。
池塘の数からいえば鬼怒沼を凌いでいる。それに広大だ。
夏はここがお花畑になるという。


遠方に見えるピークは三岩岳だろうか?


道標が立つ大きな池に着いた。
近づいてみると「中門岳」とある。ただし、中門岳(ちゅうもんだけ)という明確なピークがあるわけではなく、この辺り一帯を指す、と道標に書かれている。


12:38
道標の先、木道はまだ続いていたので、木道の外れまで行ってみるとそこに最後の池塘があった。
地図を見るとここが標高がもっとも高く、2060メートルになっていて地図には中門岳と描いてある。
ここでふと疑問がわいた。
鬼怒沼は標高2000メートルにあって日本でもっとも標高の高い湿原だという。会津駒から中門岳に至るいくつもの池塘が点在するこの草原が湿原であるならば、こここそ鬼怒沼よりも標高の高い高層湿原ということになる。ここを湿原とは呼ばないのであろうか?


木道の最終地点で菓子パンをかじり昼ご飯とする。
帰りも同じ木道を会津駒に向かって進むが景観が異なるので飽きることはない。


燧ヶ岳が見える。


ここからも燧ヶ岳が、、、
燧ヶ岳は中門岳から会津駒に戻る木道からずっと見えるのだ。


13:14
会津駒への分岐まで来た。
ここは会津駒の側道になっていて会津駒の山頂を迂回して駒ノ小屋に行くことができる。


13:24
前方に駒ノ小屋が見えてきた。


駒ノ小屋直下の湿原を抜けると樹林帯に入る。
あとは滝沢登山口に向かってひたすら下る。


コハウチワカエデ
下りルートの紅葉も見事。


かなりバテ気味なので黄葉した木々の種類まで特定するに至らず、ただただこの美しさを呆然と眺めていた。


15:29
滝沢登山口
ふ~、2登目にしてキリンテから会津駒へ、会津駒から中門岳を往復そして下山は滝沢登山口という20キロに渡るロングコースを無事に歩き終えた。しかも二日酔いの身体で(笑)


15:36
滝沢登山口の駐車場に着いた。
ここは今朝、6時半にはすでに満車になっていた。
駐車場は登山口にもっとも近いこの場所と、ここから下がった国道寄りに3ヶ所ある。
管理人はこの次に登山口に近い場所に車を置いた。


先週12日は滝沢登山口から駒ノ小屋を経て会津駒ヶ岳を往復した。このコースの見所は駒ノ小屋の下に広がる草原であろう。樹林帯から抜け出すといきなり視界が開けてハッとするような光景が広がっている。
花はすべて咲き終わっていたが初夏にはたくさんの花で彩られるだろうことが想像できる。
ただし、登山口から草原に至るまでは眺めのない樹林帯を歩くので面白みはない。

今日はキリンテ登山口から大津岐峠を経て会津駒ヶ岳、さらには中門岳を往復して滝沢登山口へ下りた。
大津岐峠から会津駒ヶ岳そして会津駒ヶ岳から中門岳へと延びる稜線はなだらかかつ雄大で、実に気持ちよく歩けた。これぞ会津駒ヶ岳の醍醐味、魅力といえるのではないだろうか。もちろん、初夏には花も期待できそうだ。

その花のことだが、登山コースで花を見つけるとじっと魅入ってしまい足が先に進まない。写真をたくさん撮るので時間がかかる。
今日は休憩を含んで8時間44分を要したが花の季節であれば10時間をはるかに超えるであろうと思う。そう考えると会津駒をたっぷり楽しむには宿泊が必須である。初日は大津岐峠から駒ノ小屋に至る草原の花を観察、次の日は駒ノ小屋から中門岳に至る花を観察という具合に、2泊3日の行程を考える必要がありそうだ。ただし、2泊とも駒ノ小屋にだ。
初日に駒ノ小屋まで行くのに6時間はみておきたいので、自宅からの移動を考慮すると今回と同じように檜枝岐で前泊したい。う~ん、そうすると3泊4日になるな。いくら仕事が暇だからとはいえ、4日も留守できるのかね。でも実現に向けて計画だけは組んでおきたい。


昨夜お世話になった会津駒登山口のすぐ近くにある民宿「こまどり」。
翌日はここに車を置き宿の車でキリンテに送ってもらうつもりでいた。
管理人の計画を話したところ、車2台で出発し滝沢登山口の駐車場に管理人の車を置いてキリンテまで送ってくれることになった。
もしもここに車を置いてキリンテから登り始めた場合、下山時は滝沢登山口からここまで1.8キロのアスファルト道路を歩かなくてはならない。滝沢登山口の駐車場に車を置けるのは願ってもないことなのだ。こまどりさんのご配慮に感謝。


こまどりさんの夕食。
天ぷら、山菜、イワナの塩焼きなど9品に自家製果実酒。これに裁ち蕎麦とご飯、味噌汁がつく。
十分すぎる量だ。それに野菜類が多いのはありがたい。
問題はだね、管理人にはこれらすべてが酒の肴に見えてしまうことだ。
ふだんなら山行前のアルコールは控え目にしているのだが、これだけのご馳走を前にして大いに迷った。
起床まで10時間はある。ぐっすり眠るためにも血流をよくしておくことが大切だ。先月ひいた風邪がまだ治らないので身体を芯から温めたい。
諸事情を踏まえ、銚子1本注文し飲む。しかし、小鉢や小皿に盛られた料理がなかなかなくならない。すべてを食べるにはもう1本必要だと判断した。こうして1本が2本となり、ふらつく足で階段を上がっていった。

百名山・会津駒ヶ岳。想像以上の厳しさに中門岳を諦めてとっとと退散(笑)

2016年10月12日(水) 晴れのち曇り

駐車場(8:05)~滝沢登山口(8:08)~水場分岐(9:18/9:20)~駒ノ小屋(10:28/10:30)~中門岳分岐(10:38)~山頂(10:46/10:55)~駒ノ小屋(11:07/11:30)~水場分岐(12:20)~水場(12:24/12:34)~滝沢登山口(13:31)~駐車場(13:34)

帝釈山から眺めた会津駒ヶ岳

今年になって突然、栃木県北部の山に目覚めた。
日光市の山は群馬県に近い方に数多くあってその代表となるのが白根山であり皇海山といった日本百名山である。他にも錫ヶ岳といった手強い山もあれば、展望抜群の前白根山、厳しい上りの金精山といった個性的な山々が顔を揃えている。そしてこれらは群馬県境あるいはその近くにある。

管理人が住む日光市そのものが県北なのだが目覚めたのは群馬県境ではなく、福島県境にある山である。
昔訪れたことのある鬼怒沼を再訪してみたいと思って計画を組み始めたところ、鬼怒沼山というとても美しい名前の山が目にとまり、鬼怒沼山はまだ群馬県境なのだがその稜線を追っていくと栃木県と群馬県、福島県にまたがる黒岩山がある。3つの県にまたがる山、これはとても気になる。

栃木県は福島県とも接しているのかと今さらながら思うのだが日光市、なかでも合併前の旧日光市に住んでいる管理人には旧日光市の山だけで事足りていて、合併後の日光市にとくに、福島県境の山など遠すぎて意識外のことだったのだ。

黒岩山がある福島県境をさらに北東へ辿っていくと台倉高山、帝釈山、田代山など2千メートル超えあるいは2千メートルに近い山が連なっている。さらに調べていくとこれらの山は、降った雨を太平洋と日本海に分ける分水嶺となっていて管理人の好奇心を嫌でも高めるのだ。
百名山にはなんら興味はない管理人だが分水嶺の山とか、峠から登り始める山などという言葉には強く惹かれる。
これらの山に是非とも登ってみたくなった。

先月15日と今月7日にそれぞれ登山口を変えて帝釈山と田代山を縦走(というほど大した距離ではなく、その間わずか4キロ)したのだが、田代山を経て帝釈山に至るのとその反対とでは登山口に至る車でのアクセスがまるで違ってくる。
田代山であれば登山口まで自宅から50キロ強なのにたいして、帝釈山だと登山口まで130キロメートル、3時間半も車を走らさなくてはならない。登山口は6キロしか離れていないのにだ。

この理由は帝釈山に登るには尾瀬の玄関口といわれる檜枝岐に入らなくてはならないからだ。檜枝岐へは国道121号線、通称会津西街道を会津田島へ北上しそれから352号線を西へ向かって走り、次に檜枝岐に向かって南下するという、四角形の三辺を走ることになる。これが長距離、長時間になる理由である。
ただし、メリットもある。登山口の馬坂峠から帝釈山まで1時間もかからずに登れてしまうことだ。それに惹かれて帝釈山と田代山に登ったのが今月7日であった。結果は37分だった。
9月15日の記録(帝釈山を栃木県から登る)
10月7日の記録(帝釈山を檜枝岐から登る)

地図を眺めていてわかったことがある。
帝釈山の登山口、猿倉峠に行くには檜枝岐の町中(正しくは檜枝岐村なのだが)を通り抜け、次に林道をひた走るのだが、ずっと手前の国道沿いに百名山・会津駒ヶ岳の登山口があるのだ。
ほう、会津駒ヶ岳(以下、会津駒)の登山口って、こんな便利なところにあるんだと思った。
地図によると登山口から山頂まで5.4キロ、3時間はかからないみたいだ。分水嶺から遠ざかるがぜひ登ってみたい。

実は昨夜の予定では、今日は帝釈山と同じ登山口から分水嶺の台倉高山に登るつもりであった。そうすればこれで帝釈山と田代山に台倉高山が分水嶺の山として管理人の山行記録に加わる。
会津駒は分水嶺から10キロ以上も離れていて完全に福島県の山だが、台倉高山の登山口へ向かってオフロードを走っている間に会津駒の中腹まで行けてしまう。それほど登山口に恵まれている。
よし、こうしよう。
第1目標を台倉高山にして、もしも会津駒の駐車場が空いていればその時点で目標を切り替えて会津駒を目指そう。

先月7日、帝釈山を下山後、後学のためにと訪れた会津駒の駐車場は平日にもかかわらず満車であった。さすが百名山と言わざるを得ない。
はたして何時に満車になるのか、それが気がかりだった。
近県から日帰りで来る人もいることを考えると朝6時に満車になるとは思えない。とはいえ午後になれば天候が急変する2千メートル峰ゆえに、午後一には下山を始めなくてはならない。登山に3時間かかるとして、逆算すると皆さん、遅くても8時には歩き始めるであろう。
自宅からの移動時間に3時間はかかるが8時までに駐車場に到着できれば、駐車できる可能性は高いと見た。

会津駒の登山口となる滝沢口の駐車場へは7時45分に着いた。読みが当たってまだ4・5台分の余地があった。そこで今日は台倉高山転じて、百名山・会津駒ヶ岳を歩くことにした。

7日に帝釈山の山頂から眺めた会津駒の右手に、なだらかで魅力的な稜線が続いているのを見た。
帰って地図で調べると、会津駒東方の大戸沢岳に向かって延びる1.7キロの長い稜線であることがわかった。あの魅力的な稜線を歩きたいものだ。ただし、地理院地図に道は描かれていない。
実際に歩けるのは会津駒ヶ岳の北にあって隠れて見えないが、大戸沢岳と同じような稜線が続いている中門岳のようだ。とりあえず会津駒まで試しに歩いて、そのときの状況次第で中門岳への稜線に挑戦しよう。
上空は晴れわたり絶好の登山日和だ。時間をかけて楽しみたい。


8:05
国道352号線にある滝沢登山口の案内板にしたがって山道を5分ほど走ると道は行き止まりになりそこが駐車場になっている。
7時45分に着いた時点でご覧の通り。
駐車場は手前になるほど幅が狭くなり、道路にはみ出す。隣の車と並列に駐められるのはここまでだ。
管理人はこの下に道路と並行になるようにして駐めた。


8:08
道の行き止まり(車止め)から3分ほど歩くと斜面を上がる階段があり、ここが実質的な登山口になる。


明るい樹林帯の中の登山道だが展望はない。


なかなか厳しい上りですぞ!!


コハウチワカエデらしき紅葉したカエデ。


これはミズナラらしき色合い。ブナかもな。


9:18
地理院地図には描かれていないが水場があるようだ。
帰りに寄ってみよう。


登るにつれて雲行きが怪しくなってきた。
向こうに見えるなだらかな山が目指す会津駒だと思うが重たそうな雲が覆っている。


ときおり視界が開け南方に位置する白根山がのぞく。


方角から判断して会津駒から東へ延びている稜線だと思う。
大きく見えるのがピーク2098だろうか。するとその右の下がったあたりが大戸沢岳かな。


それにしてもこの登山道は傾斜がきつい。
階段が多いことでそれがわかる。
まるで男体山でも登っているかのように傾斜が変わらない。


傾斜がやや緩み駒ノ小屋に近づいたことを思わせる。


樹林帯から抜け出てようやく視界が開けた。
前方になだらかな稜線が広がっている。米粒ほどだが建物が見える。
あれが駒ノ小屋であろう。


ズームアップしてみると2棟の建物が確認できた。


イワショウブだろうなぁ?


ゴヨウツツジかな?


小屋を目指して木道を歩く、いや、歩くと言うよりは傾斜のついた木道を上っていく。
遠くから見るとなだらかで気持ちのよさそうな斜面だと思ったが、結構、厳しい。ふくらはぎがパンパンになる。


木道はこんな感じ。
傾斜がついている上に段差がある。
雨に濡れると下りはきっと滑るだろう。


10:28
ふ~、歩き始めて2時間23分。ようやく駒ノ小屋の休憩所に着いた。
このすぐ右に池があってとても落ち着ける場所だ。


これが駒ノ大池。
とてもいい雰囲気だ。疲れが吹き飛ぶ。
向こうに見える小高い丘のようなのが会津駒。水面に映る姿もいい。
あと700メートル。山頂に着いたら景色を眺めながらゆっくり昼メシといこう。


10:39
池を取り巻く木道のどちらからでもいいので会津駒へ向かって進む。
木道はここで分岐し直進すると中門岳。会津駒山頂は右に入る。


泣きが入るほどの傾斜だ。
前方が開けているので山頂はすぐなのかな?


10:46
歩き始めて2時間40分、ようやく木道から解放され山頂に着いた。
燧ヶ岳がよく見える。
ここまで休憩といえば暑かったのでジャケットを脱いだときと写真を撮るときだけ。ここで昼食としたいが風が冷たい。
いっそのことこれから中門岳まで足を延ばしてそこで昼食、と考えたのだが上空は鉛色の雲が垂れ込め、今にも降りそうだ。
中門岳は往復1時間半だが、それまで雨が降らずにいてくれるかどうか、微妙なところだ。
まっその~、今日は中門岳の下見と考えてここまで来れたのだから、これで良しとしようではないか。と、目標を簡単に引っ込める管理人なのである。
風が強いし寒いし、雨が降れば木道は濡れて滑るはずだし雨が雪に変わったら車を動かせない。下山したらもうひとつの登山口、キリンテを見に行かなければならないし、、、目標を引っ込める理由が次から次へと出てきた(笑)
要は雨が降る前に潔く撤退するのが山の掟なのだ。ここまでのきつい上りでバテたからではないのだよ、と自分に言い聞かせる。


一等三角点らしい。


日光連山がよく見える。日光方面の天候は悪くないようだ。


駒ノ大池まで戻って小屋をバックにパチリ。いいですなぁ、この感じ。
往きは小屋の屋根が見えるところで方向を右に変え、池のほとりを歩いて会津駒へと向かった。


11:07
2棟の建物は山小屋とトイレだった。
オンシーズン中は係員が常駐していて予約で泊まれるらしい。
管理人が汗をかきながら登っていると下ってくる人とすれ違い、管理人が下っていると登ってくる人とすれ違った。それぞれこの小屋を利用した人、する人らしい。それほどこの小屋を利用する登山者が多いということだろうか。

山小屋に隣接するトイレ。
ここも有料制。そして清潔。
山頂あるいは山頂の近くにトイレがあるのはその山を身近なものにする。百名山だからトイレがあるのは当たり前?
いや、そんなことはない。
我が日光は百名山が3座、他に2千メートル峰がいくつもあるが、山頂にトイレのある山などない。山以外に多くの観光資源をもつ日光だからこそのお粗末さといえるが、豊かな自然を多くの人に利用してもらうための、トイレは基本だと思っている。などと関係者の前でこういう話をすると、日光は国立公園だから構造物はNGだとか維持管理するためには莫大な費用がかかるといった、決まり切った答えが返ってくる(と、管理人の想像)。


左前方の草地のようなところが一面、白く見える。
肉眼では見えないし10倍のズームでもこれが限界。
雪なんだろうかそれとも霜?


12:20
水場への分岐。
往きはスルーしたので水場に寄ってみることにした。


12:24
急な下り斜面を下りること数分、水場はこんな感じ。
流れは細いが高さがあるのでペットボトルに注ぐにはいいかもわからない。
ただ場所が登山口寄りなので、往きは不要だし帰りは少し我慢すれば国道で飲物が買えるから活用は登山者それぞれかも。


我が日光でも紅葉が始まっているはずだが混雑を嫌ってまだ観ていない。
ここは色づきが良くないがこんなものなのか、それとも天候不順の影響なのだろうか。


13:31
無事に登山口の階段へ。
このときになって雨がポツポツ始まった。


13:35
駐車場に戻る。
こんな時間に下山してしまうなんて古賀志山でもなかったことだ(^^)
管理人が駐めたのは路肩だがここも区割りされていて5・6台、駐めることができる。この先にもこのような場所がある。
車に乗り込むと雨はかなり激しくなった。山頂で折り返した判断は間違ってなかったようだ。


今日は滝沢登山口から会津駒を往復したのだが、次は会津駒の北にある中門岳を目指したい。
その次は滝沢登山口から登ってキリンテに下り、さらに滝沢登山口へ戻るという会津駒をぐるっと一周するコースを歩いてみたい。
ネックとなるのは自宅から3時間という移動時間だ。これを解消しなければならない。
今日も睡眠3時間という最悪の状態で檜枝岐まで車を走らせたが、睡眠不足は登山に必要な気力と体力を奪いとる。
国道に沿って宿はたくさんあるので睡眠不足は解消できるにしても、次なる問題は滝沢登山口とキリンテを結ぶ国道をどのように移動するかだ。5キロものアスファルト道路を徒歩で移動するのは避けたい。タクシーはもちろんない。バスは一日に4・5本だという。
う~ん、あと数回、現地に通って調査しなければ解決できない問題に思える。
こと山に関しては課題が積もる一方で、本業に身が入らないから困る。


今日のコースを断面にしたのが上の図。
一方的に登って一方的に下るというのは男体山に似て、息をつける場所がないのが難点だ。
救いは駒ノ小屋にさしかかる辺りから視界が開け、雄大な稜線が望めることと、駒ノ大池の美しさだろうか。それでも登りの厳しさに変わりはないが、、、


下山後、滝沢登山口から5キロ尾瀬側にあるキリンテ登山口に行った。
ここは登山道が国道に直結しているので便利だが、駐車場がないのでどうしても滝沢登山口を選んでしまう。
どうすればこの登山口を利用できるのかが課題だ。


キリンテ登山口からの帰路、国道沿の「ミニ尾瀬公園」に立ち寄った。
国道に面して大きな駐車場があり、国道を挟んだ向かい側に施設がある。


檜枝岐川を渡ると管理棟がある。尾瀬に咲く植物などの実物が見られるそうだ。
今日は帰りを急ぐので立ち寄らなかったが、別棟には尾瀬とゆかりのある著名人の作品が展示されているらしい。
詳しいことはこちら


駐車場のトイレを覗いてみた。
なんと公共施設なのにシャワートイレだ。
いまでこそデパートやスーパー、ホームセンターでは当たり前になっているが、ここは公共の駐車場しかも、村営の施設だ。驚くほかに言葉がない。

滝沢登山口から登り会津駒ヶ岳を一周してキリンテ登山口に下りたいと考えているのだが問題は下山後の交通だ。
もしもこの駐車場を上手く利用すれば実現可能かもしれない、とふと思った。
キリンテ登山口に自転車をデポした後、車で滝沢登山口に行って登り始め、キリンテ登山口に下りてくる。今度は自転車をこいで車を置いた滝沢登山口に戻るという方法だ。その反対だと国道が上り坂になっているので自転車は厳しい。
ではこの駐車場はなんのために利用するのか? トイレが清潔なので車中泊するためである。あっ、そう考えると麓の旅館に泊まって同じ方法を採ればいいわけか(^^)


会津駒ヶ岳は言わずと知れた日本百名山である。
深田久弥は昭和11年(1936年)6月にひとりで訪れている。深田久弥33歳のときだ(※)。
国道(当時はどうだったか?)から登山口に通じる橋のたもとに遭難碑が立っているのを深田久弥は目にしている。その碑には大正15年(1926年)の10月19日、霧で道を見失い、おまけに季節外れの雪で2名が疲労凍死したとの記述がある。
深田もまた、登頂後、大津岐峠を経て下山する途中で沢に迷い込み、悪戦苦闘の末に檜枝岐に着いたと書いている。
その頃はまだ登山道は今ほど整備されていなかっただろうから、霧が出たり雪が積もったりすれば見失ってしまうことが容易に想像できる。

『・・・立木も疎らになり、前面に目のさめるような景色が現れた。会津駒ヶ岳の全容である。どこが最高点か察しかねるような長大な山が伸びていて、それがおびただしい残雪で輝いている。会津駒を天馬の疾駆するさまに見たのはその時である。写真を二枚つなぎ合わせても、その全容を収めかねた』、『頂上は、私が今までに得た多くの頂上の中でも、もっとも素晴らしい一つであった。どちらを向いても山ばかり、その山々を名指すことで一時間は素早くすぎた。六月半ばの快晴の日、ただ一人この山に在るという幸福感が私を恍惚とさせた・・・』・・・深田久弥「日本百名山」より。

深田が得た会津駒ヶ岳の雄大さがもたらす感動を、管理人も味わった。
駒ノ小屋までは厳しかったが、下から見上げる駒ノ小屋の斜面はとても素晴らしい。
幸福感が深田を恍惚とさせ、下山で道を見失わせたというのも本当のことのように思える。
樹林帯の切れ目から垣間見える会津駒から大戸沢岳へ延びる雄大な尾根、会津駒を映す駒ノ大池の姿は目に焼きつくほどに美しい。若き深田が恍惚とする気持ちが手に取るようにわかる。

管理人68歳の秋に日本百名山の会津駒ヶ岳に登る。
登山中に亡なった深田久弥の享年と同じ齢に達した管理人である。

※深田久弥選集「百名山紀行」によると、昭和10年(1935年)の誤りであろうとの注釈が付いている。