金剛堂を探して修験道を徘徊した記録(10月6日の続き)。

2023年10月11日(水) 晴後曇り

先週6日、鹿沼側から登る地蔵岳を楽しんだ後、ついでとばかり、本(※)を読んだかすかな記憶を頼りに修験時代の古い金剛堂を探しに行ったのだが、道不明瞭により断念せざるを得ない結果となった。→こちら
帰宅して調べ直したところ、金剛堂がある場所は管理人が探そうとした場所とはまったく違っていることがわかった。見当違いも甚だしい結果に終わったのである。
やはり、事のついでになにかを成そうというのが間違いの元であって、その日なにをしたいのかという目的、目標を決めた上で臨まないといけないことを身を持って体験したわけである。

そんなわけで今度は本を読み返して金剛堂の場所を頭にたたき込んで今日、慎重に、入念に、丹念に探したものの結局、探し物を見つけることはできなかった。
まっ、金剛堂がなくなってしまうわけではなし、いつか必ず見つけることを誓っての帰宅となったわけだが、金剛堂の代わりにふたつの収穫があったのでそれを書き留めておくために当記事を書くことにした。
※随想社・池田正夫著「日光修験・三峰五禅頂の道」

当記事は第1ラウンドと第2ラウンドの2部構成となっている。
第1ラウンドは地蔵岳から下山した「ついで」に探そうと思って不明瞭な道に踏み込んでしまった、その道を詰めて行ったもの。
しかし詰めて行ったものの、金剛堂がある場所とはまったく違う道であった。

第2ラウンドは金剛堂がある場所(あくまでも推定)は日光市と鹿沼市との境界上(これが修験道)であることがわかったので、探し歩いたその記事である。

まず今日予定しているルートの説明を。
先週6日に地蔵岳登山口から地蔵岳をピストンし、帰りに地蔵岳登山口へは戻らず、登山道の延長上を歩いて金剛堂を探した。
しかし、地理院地図にしたがって歩いたものの途中で道が不明瞭となり、深追いは禁物と考えて地蔵岳登山口に向かって引き返した。

帰宅して調べたら、地理院地図に描かれた道は金剛堂がある場所とはまったく違っていることがわかり、下調べの不十分さを露呈した結果となったのである。

そこで、今日は金剛堂を探すのはもちろんだが、その前に地理院地図に描かれた道を歩いて巴ノ宿へ行く計画を組んだ。
これが第1ラウンドである。


県道58号線の地蔵岳登山口(道標は夕日岳登山口となっている)を起点に歩き始めた。


大天狗ノ大神まで平坦な林道歩きとなる。


今が盛りのトリカブト(実際にはナンタイブシが正しいようだ)。


日光市と鹿沼市との境界になる行者沼。
ここから境界線上に南へ、巴ノ宿までが修験道になっている。
第1ラウンドは修験の道ではなく、地理院地図に描かれた登山道で巴ノ宿まで行くのが目標。


大天狗ノ大神の鳥居をくぐり右へ行くのが地蔵岳へのルート。
今日は左(南)へ行く。


歩きやすそうな道だが踏跡がない。


この辺りは6日に歩いた。


おっ、ぬた場だ。
シカやイノシシが身体についた寄生虫を振り落とすために寝そべったりする場所である。


6日に歩いたときは金剛堂のある場所はこの道ではないと神に告げられて、確かこの辺りで引き返したと思う。


とてもわかりにくいが地理院地図だとこの辺りが分岐となっている。
右へ斜面を上って行くと足尾駅に行く。
巴ノ宿へ行くには左へ下っていく。



ここが地理院地図のT字路。
右は始め足尾駅へ行く道と並行しているが次第に離れ、同じ足尾だが「内の篭(うちのこもり)」という場所へ行く。
巴ノ宿へ行くにはここも左へ。


足下に紫色の花の群落が見えた。
目を凝らすとトリカブトだった。


踏跡はわかりづらいものの色あせたリボンがあるので、ここは廃道に等しいが間違いなく登山道であることを示している。


巴ノ宿はコンパスが示す東に位置している。


それにしても実にわかりづらい。
現在地を確認するのにスマホの地図アプリが役立つ。


ここにもトリカブトの群落が、、、


ここで道は突き当たり、正面に小高いピークが見える。
道は左右どちらへも行けるが地理院地図だと左への道は描かれていない。
方角から判断してもここは右へ行くべきである。


道はまたしても不明瞭になったのでスマホに示された地理院地図の道に沿って忠実に歩いて行く。


道出現


道はまたもなくなり、スマホを見つめる管理人である。


車道が見えた。
巴ノ宿近くを走る県道58号線であろう。


無事に県道の巴ノ宿入口に降り立つことができた。
さて、これから車を置いた地蔵岳登山口まで県道を歩いて行こう。


車道上にドングリ(たぶんミズナラの)が落ちていたのでものは試しと囓ってみた。
実は固く、苦くて不味い。
すぐに吐き出した。
林に住む小動物やクマはこういったものを常食としているのだろうが、とても真似はできない。
食べる工夫は何かないか、調べてみよう。


第1ラウンドは無事に終了した。
昼に近いので車の中で腹ごしらえをして第2ラウンドに備えよう。



第2ラウンド
冒頭に紹介した書籍によると金剛堂は巴ノ宿の西側に広がる丘陵にあると記されている。
当然のことながら金剛堂は修験道上になければおかしい。
修験道は日光市と鹿沼市との境界上にあると見なせば、金剛堂は赤丸の辺りであろうと推測する。
第2ラウンドは管理人未体験の修験道歩きと赤丸内にあるはずの金剛堂を探すのが目的である。


金剛堂を探し回って徘徊した様子がGPSの軌跡でわかる。
しかし、金剛堂は見つからなかった。
巴ノ宿の西側でなおかつ日光市と鹿沼市との境界上に金剛堂があるとすれば見つかるはずなのだが、どうしたことだろう。
本の著者に尋ねれば親切に教えてもらえるはずだが、それをするのを管理人は潔しとは考えない。
あらかじめ答のわかっている謎解きなどおもしろくはないだろう。
頭をフル回転させて答を見つけるのがゲームの醍醐味なのである。
近いうちにもう一度、探しに行こう。


腹ごしらえを終えて金剛堂探しに向けてスタートした。


なんだか雲行きが怪しくなってきたなぁ。
降らなければいいのだが、、、


第1ラウンドと同じく行者沼まで行き、日光市と鹿沼市との境界上に沿って忠実に歩いて行く。


これは境界であることを示す杭のようだ。
しばらくの間、この杭が続いていた。


地理院地図に道は描かれていないが踏跡が見られる。
ここを修験道と知っていて歩く人がいるのだろうか?


踏跡はあったりなかったりで判然としない。


県道58号線が見えてきた。
金剛堂があるとされる巴ノ宿の西側までやって来たのだ。
歩速を弛めてこの辺りを入念に探すことにしよう。


ヒントはミズナラの古木だそうだが、見つからない


探し、探しまくる。


修験道からかなり外れているが探す。


ここは日光市と鹿沼市との境界上だが、水が実に豊かだ。
地域特性としては日光ではなく、鹿沼の特性を表している。


石が積み上げられたところに来た。
明らかに人の手によるものだ。
炭焼きの跡なのだろうか?
思わぬ発見に拍手!


これでもないな、、、


丹念に探したつもりだが、金剛堂はとうとう見つからなかった。
次の機会に出直すとして巴ノ宿から再び林の中に入り、往路とは少し違う場所を歩いて車の置き場に戻ることにした。
一旦、車道に出ると明確な踏跡があったので入ってみることにした。
ここを入ると往路で歩いた道にぶつかるはずだ。


おっ、これは!
往路で歩いたはずなのに見る角度の違いでそのときは気がつかなかったが、大きな檜に木札がたくさんかかっていた。
今でも行者が礼拝している場所になっているのだ。


よく見ると檜の根元に首が欠けた石の像が鎮座している。
本によるとここは鹿沼と足尾とを結ぶ「足尾道」と修験道とが交差する部分と書いてあり、石の像はお地蔵さんだそうだ。
金剛堂は発見できなかったので得した気分になった。


行者沼に戻ってきた。
とりあえず今日はここまでとし、金剛堂探しは次回のお楽しみとしよう。


この辺りも間もなく紅葉が始まるのだろう。
広葉樹が多いのでその美しさが想像できる。
紅葉は11月になってからだろうが、次回は金剛堂探しと紅葉を一緒に楽しむつもりだ。

 

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