スノーシューツアーの下見で湯元から光徳へラッセルを楽しんできた。

2021年2月1日(月) 晴れのち曇り

日光は日本海側の気象と太平洋側の気象、両方の影響を受ける地理的な特性を持っているが冬は日本海側の気象の影響を強く受けるため雪が降りやすい、、、というのが数年前までのことであった。

しかし、管理人が感じるところ、気候変動が顕著なためかここ数年は1月や2月でも当たり前のように雨が降り、それまでの雪が気温の上昇と大雨によって一気に解けてなくなるという現象を目の当たりにするようになった。

過去20年のスノーシューツアーは1月初めにスタートして3月いっぱい楽しめたが、昨年も一昨年も2月になってようやくスタートし2月に終わるという、開催日数で言えば10日に満たない短命さであった。
かつてはこの時期、30日はフィールドを歩いていたのが今では遠い過去のように思えてしまうほどだ。

翻って今年は日本海側、北日本上空の強い寒気団の影響により年末から雪に恵まれ、1月早々にはスノーシュー向きのフィールドが整うといった幸運に巡り会った(かつてはこれが当たり前だった)ものの時はコロナ禍と重なって管理人の冬の生活の糧となるスノーシューツアーは不調の極みに達し、久しぶりにたっぷりある雪の恵みに与れない状況にある。

そんな中、コロナ禍においても自然を楽しみたいという声はありそれが唯一管理人の心の励みだが、今年1回目のツアーを開催したのが先月9日であった(ブログにはしていない)。
それから1ヶ月の間が空いたが、今週末に2回目のツアーを迎える予定となった。

電話で相談を受けたところ管理人が主催しているスノーシューツアーでは長距離かつアップダウンの多い湯元~光徳という難易度の高いツアーを希望している。
管理人のスノーシューツアーには初参加、しかも夏山の経験はあるもののスノーシュー経験は少なく、せいぜい1シーズンに1回とのことなので心配だが、このコースのことはホームページでも紹介しているのでその難易度については承知した上での申し込みと受けとめ、ガイドを務めることにした。

管理人の心配はそのことの他にルートが現状どうなっているかということだ。
距離が長いだけに雪の状況次第では難易度が増すこと必至である。
刈込湖を往復する一般向けのツアーは毎年おこなっているが、光徳へ抜けるツアーは管理人が脚力を知り尽くしている常連さんにしかおこなってなく、コロナ禍の今シーズンはもちろん実績がない。そのためルートの状況が不明だ。
初参加で脚力を知る術もない人をガイドするのにぶっつけ本番はあまりにもリスクが大きい。
ここはガイドたる者の責務として下見をしておくべきだろう。

メモ
・歩行距離:9.5キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:5時間37分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:564メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)このブログではお馴染みとなった中禅寺湖越に見る社山。
男体山のように茫洋としてなく小ぶりながら先鋭的で実に見応えがある。


その後、赤沼バス停のトイレに立ち寄って積雪を確認し、湯元に到着した。
赤沼、というより戦場ヶ原は相変わらず積雪は少なく、スノーシューで歩くには食指が動かない。
また、冬は市営駐車場が閉鎖されるため車を置くには赤沼茶屋が無料で提供している店の駐車場を利用することになるが、その駐車場が今年は使えなくなっていることに気がついた。
コロナ禍での対応だと思うが今年は庵滝への氷瀑ツアーもできなくなった。


刈込湖ハイキングの入口となる湯元源泉。
木造の小さな小屋の中が温泉の噴き出し口となっていて湯元の各旅館に源泉を供給している。
遠くは中禅寺湖の旅館へもパイプラインでつながっている。


源泉でスノーシューを着け歩き始めると10分で金精道路の上に出る。
いきなりの急登で乱れた息をここで整え、これからの長丁場に備える。


蓼ノ湖はこの冬の気温の低さ(といっても普通並)の影響で、水の流入部分を除いて広く結氷した。


蓼ノ湖から小峠まで、ダラダラした嫌らしい上りが続く。
途中、休憩を挟んで30分強で到着。歩き始めてからだと約50分。
積雪量は多くはない。


ルートはここで夏道と冬道とに分かれる。
刈込湖を往復する場合は往きに夏道(道標が指す方向)、復りに冬道を辿るのがツアーの定番だが、今日は刈込湖からさらに光徳へ抜けるためどちらか一方しか選べない。
そこで変化に富んだ冬道を楽しむことにした。


同じ場所で見つけたシカの足跡。
シカは脚が細いので深く潜る。
積雪が1メートルもあると胴体が雪の上に接して身動きがとれなくなることがある。
そうなると自分ではどうすることも出来ず餓死あるいは疲労死することになり、昔はそれが個体調整につながっていた。


ドビン沢に差しかかる。
土日の踏跡が残っているがそれほど多くの人が歩いた形跡はない。
それに踏跡の上に新雪が積もり軽快に歩けるとはいえない。


歩き始めて1時間半で刈込湖に到着した。
平日とはいえ無人は珍しい。
さて、今日はここから切込湖、涸沼、旧山王峠を経て光徳へ降りるわけだが、ここからが長い。
幸い踏跡が先まで続いているので負担を軽減するためにも借りることにするが、涸沼から先はルートを外れて今は使われていない廃道を歩く予定だ。
ラッセルは覚悟しなくてはならないだろう。


刈込湖は冬になると湖底から水が湧き出している部分を除いて結氷する。
氷の厚さを測定したことはないが厳冬期なら人が乗っても大丈夫なくらいだ。
刈込湖から先へ行くのに夏道は急斜面のトラバースを強いられ時間をくってしまうため、湖の上を歩く方が時短になる。
とはいえ、闇雲に氷の上に乗るには危険が伴うため、まず氷の質を確認すべきだ。
この日は氷の上に20センチほどの重たい雪が乗っていた。
その雪を除けて氷を露出させポールを突き刺すとカツンという小気味いい音がした。
氷が硬い証拠である。
また、雪の重さは水の1/3程度と言われているから、この場所には1平方メートル当たり約70キログラムの雪が乗っている計算になるわけで、氷はそれに耐えるほどの十分な厚みがあることになる。
人が乗っても大丈夫であることを確信し、歩き始めた。


刈込湖を渡り終えるころになると湖は急に狭まる。
そこは隣の切込湖との水路だ。
同じく切込湖を渡る。
古い踏み跡はまだ続いている。


切込湖を渡り切り夏道に出合うと次の目標地点は涸沼である。
平坦な林間を土日の踏跡を辿って楽することにした。


涸沼を見下ろす地点まで来た。
ここまで来て、さっきまであった踏跡が消えていることに気がついた。
はて、あの踏跡はどこへ行ってしまったのだろう?
新雪に消されてしまったのだろうかそれとも、ルート(夏道)をあえて外して先へ行ったのだろうか?


休憩ポイントのすぐ手前の一角だけ地肌が露出していたので近寄ると、餌を探し求めるシカが雪に埋もれている笹を喰った跡だった。
冬はシカも必死なのだ。


涸沼で行動食のエネルギーバーを口にしただけで先を急いだ。
夏道から逸れてコメツガの林間に入った。
これから先、踏跡は期待できない。


ここは涸沼と山王峠を結ぶ昔の登山道。
この道がいつまで使われていたのか調べたことがあったが分からずじまいだった。
廃道になって久しいことは次の画像でわかると思うが、無雪期であれば倒木や枯れ枝が折り重なって歩けるような状態ではないだろう。いつか無雪期に歩いてみたいものだ。


ここが昔使われていた山王峠。
現在使われている登山道から離れていてまた、地図にも描かれていない。
管理人はここを「旧山王峠」と称している。


往時の道標はそのまま、というよりバラバラになっているが残されていて、いい雰囲気を醸し出している。
ちなみに地図にあるルートから離れているが無雪期でも来れないことはない。
ただし、背丈以上に茂った笹をかき分けながら。


旧山王峠を後にして地図にある登山道を突っ切ると山王林道と出合う。
おっ、道標が新しくなっている。
冬の太郎山へは行ったことはないが、経由する山王帽子山へはなんどか登ったことがある。
雪が深くて撤退したことがあるが無事に登れたこともある。
ここは舗装された林道だが冬は閉鎖されるため光徳温泉からここまで歩き、ここから登るのでそれは厳しいものだ。


日当たりが良いせいか雪が適度に締まり、ウサギの足跡がくっきり付いている。


北から見る男体山。


カーブミラーを利用して自撮り(笑)
涸沼で行動食を口にして以来なにも食べていないので、ここでコンビニの菓子パンを半分食べて帰りのエネルギー源とする。


日光で見るのは珍しいブナの巨木。


この辺りから右脚の付け根が痛み出し、苦痛に耐えながら歩くのを強いられるようになった。
登山のインターバルは短くなったとはいえ病後の運動不足はまだ解消されていない。
昨年末から始めたマイカーの改造はほぼ毎日のように行っていて退屈しないから、山への欲求もなく、それが運動不足を引き起こしている。
右脚が上がらないためスノーシューの上に乗った雪、わずか数百グラムでさえ負担に感じるようになっている。


ゴールとなる光徳園地の四阿が見えてきた。
ここまで来れば体力を完全に消耗しても大丈夫だ。


光徳温泉バス停のあるアストリアホテルには前のバスが発車した10分後に着いた。
歩き始めて5時間20分。
これで今週末のツアーの行動計画が組み立てられる。
次のバスは15時50分の発車なのでそれまでの20分、スノーシューに凍りついた雪を取り除きながらバスを待った。


湯元まで戻ると駐車場に残されたのは管理人の車、1台だけとなっていた。