歩いたり15キロ。景色も楽しめた太平山山域周回コース(ガイドツアー)

2024年11月29日(金) 晴れ

最初のギックリ腰は9月に能登半島でおこなったボランティア活動の9日目であった。

解体が決まっている建物から家具や家電、仏壇といった重量物をトラックに積み込む作業の日々で、身体が疲弊していたのであろう、最終日にとうとうやってしまった。
依頼者宅の床に散らばった災害ゴミを分別しているときだった。
ほんの少し先にあるゴミを拾おうと思って右手を伸ばした瞬間、腰の左に形容しがたい痛みが走った。
伸ばした手を元に戻すこともできず、そのままの姿勢で数秒間、固まっていた。

ギックリ腰はその後、10月末にも続けて2回起こり、周期が短くなっていることからこれで管理人の登山人生は終わるのかという危機感を抱くほどだった。
痛みに耐えかねて病院に駆け込んだのは3回目のギックリ腰をやった3日後の11月2日だった。

レントゲンに写った我が背骨は椎間板が潰れており、潰れた椎間板が神経を圧迫し、それが痛みの原因であろうというのが医師の説明だった。
椎間板の潰れ方が激しいと常に神経を圧迫し、臀部や足の痺れ、100メートルも歩けないといった酷い症状になるそうだが、まだそこまで進行はしていないようだ。
処置はなく、医師からリハビリを勧められた。

椎間板は加齢に伴ってすり減ったり潰れたりしていき、それを再生することは医学では困難と聞き、一時はショックと絶望感にいっそのこと山道具をすべて処分してごく普通の老人になっておとなしく暮らそうかと思うほどだった。

痛み止めの薬と湿布を処方しようかと言われたものの、痛み止めは胃を荒らすし湿布は肌がかぶれるからと断り、どうせここまで落ちたのであれば人生ゼロからやり直そうと考え、病院を出たのであった。

レントゲンやMRIの結果を基に診断する現代の医療では、画像がすべてを決定づけることになる。
であるとするなら、医師の診断が信用できないからといって病院を替えても椎間板が若いころの健康な状態に戻らない限り、同じ診断を下されることになる。
医師の言うとおりであれば管理人は生涯、腰痛という爆弾をかかえて生きていかなくてはならないというわけだ。
それは耐えられない。

椎間板がいきなり潰れることはないはずだ。
長い年月をかけて少しずつ少しずつすり減っていき、そこに偶々、なにか重い負荷のかかる作業(管理人の場合、ボランティア活動)をしたことで、脊柱周辺で神経に触れるなんらかの力が作用したと考えるのが正しいのではないか、そう思うようにした。
レントゲンの結果、ヘルニアではないことがわかったので治る見込みはありそうだと自己判断し、医師の勧めによるリハビリを受け入れた次第だ。

リハビリに通った効果は得られた。
リハビリ担当の理学療法士の話で腑に落ちることが多々あったのだ。
傷む側の背筋に腫れがあること、背筋の柔軟性が失われていること、骨盤が前傾していることなどだ。
病院でおこなったことはわずかだったが、理学療法士の話は役に立った。
朝晩、自宅でもストレッチをおこなうことで背筋とハムストリングスの柔軟性を高めるようにした。
骨盤と股関節がスムーズに動くよう、ストレッチに独自の動作を取り入れた。
その後、背筋を強化するための海老反り動作もおこなっている。
山に登るための体力作りはこれまでおこなってきたつもりだが、これからは柔軟性を高めるストレッチも積極的におこなっていこうと決めた。

3回目のギックリ腰から3週間を経ておこなった今月22日の山行(太平山)では、リハビリとストレッチの効果であろう、腰の痛みはほとんどなく、元の健康体と同じ感覚で歩くことができた。

ストレッチの効果は大いにあるようだ。
病院でのリハビリは今週を最後に、終わりにしよう。
重量物を持ち上げることに不安はあるが、骨盤回りの筋肉を強化することでそれに耐えられる身体にしていこう。

今日、29日は登山のガイドを引き受けることになっている。
相手は今年1月におこなったスノーシューツアーの参加者Yさんである。
まだ現役の大学生だが、休学して働きながらマイカーで全国を旅している好青年である。
日没が早いこの頃、登山の開始時刻を早くするためにも、場所は交通の便を考えて太平山を提案した。

太平山は古賀志山と同じようにコースがたくさんあって、そのときに応じて歩く距離を自在に可変できる良さがある。
20代前半のYさんであれば、そこそこの距離でなければ満足できないであろう、そう考えて太平山山域の大外を歩く、推定15キロのコースを設定した(最下段に地図を掲載)。
昨年から足繁く通うようになった管理人も、そのコースはまだ歩いたことがない。

腰の痛みもさることながら、それよりも心配なのは長距離歩きで発症する右膝の腸脛靭帯炎である。
はたして15キロの山歩きに管理人の身体が耐えられるのか、心配は尽きないが、やってみなければわからない。
いざとなったらYさんに手を引いてもらって歩こう、そんな考えが頭をよぎった。

メモ(記録にはGeographicaを使用した)
・歩行距離:15.2キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:6時間29分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:1285メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)

Yさんとの待ち合わせは太平山神社の参道入口にした。
旅の途中のYさんの前日の宿泊場所を管理人は知らないが、ここなら近いと考えた。
鳥居をくぐると参道は長い階段(1000段あるそうだ)に変わり、神社まで続く。
階段の両側はアジサイが植栽されその季節は多くの参拝者で賑わうそうだ。


途中、休むことはしなかったがゆっくり歩いても20分で神社に着いた。
一般の参拝者に交じって七五三を祝う家族の姿もあった。


眺めはいい。
市街地の向こうに筑波山が望める。


太平山神社の右脇の斜面を登っていくと20分ほどで冨士浅間神社と出合う。
ここが太平山で間違いではないが、地理院地図は等高線が閉じた場所を太平山山頂としている。
その場所とは、、、
ここから見ると浅間神社の裏が少し盛り上がって見えるが、そこが等高線の閉じた場所すなわち、山頂である。


太平山からの急斜面を下ると晃石山へ続く稜線に合流し、さらに進むと展望が開ける場所が2ヶ所ある。
ここは1番目の展望地。
太平山神社と同じく南西に向かって開けた絶好の場所である。
管理人、ここを幾度か通過しているが、ここに人がいなかったことはない。
立ち止まって展望を楽しむ価値のある場所なのである。


太平山山域にピークはいくつもあるが地理院地図に名前が描かれているのは太平山と馬不入山(うまいらずさん)、そしてこの晃石山(てるいしさん)の3座となっている。
3座の中で標高がもっとも高いのはここ。
山名板に見通し図があって日光連山が描かれている。
果たして今日はどうだろうか?


お~、今日はくっきりとよく見えますな~。
ここから初めて見る日光連山にうっとり感動する管理人である。


今日の行程は長い。
先を急がなくては日没になってしまう。


地理院地図に名前のない青入山(あおいりやま)に到着した。
ここからの前方(岩舟方面だと思う)の眺めも良いのだ。


続いて馬不入山(345m)。
ここには2ヶ所の展望地がある。
正面を右へ下った場所である。


第一展望地からの眺め。
多くの車が走っているのが見え、おそらく東北道の岩舟ジャンクション辺りだと思う。


馬不入山から下山を始めたが、ここまで全行程の半分に満たない距離である。
残りの距離の多くは舗装道路を歩くのでそこで体力の回復が図れる。
今日の行程では太平山神社の駐車場に戻る手前、大中寺から再び急斜面を登らなくてはならない。
そのためにも身体を休めるのは必須なので舗装路歩きはちょうどいい。


車が頻繁に往来する「ぶどう通り」に降り立った。
大中寺への舗装路歩きの始まりである。


左に見える看板を入るのが今日の行程路。
山のすそ野を通る舗装路だが車が入ってくることはない。


小ぶりながら素朴な清水寺(せいすいじ)の参拝に向かうYさん。


清水寺の境内はとても広く、庭園が美しい。


清水寺の前を通るあじさいロードを次は大中寺へ向かう。


単調な舗装路をYさんと会話しながら歩いて大中寺まで来た。
木々の葉が落ちて寂しいがここは紅梅と白梅が同時に咲き、またシダレザクラも見ることができる。
時間が迫ってきた。
だが、日没前には駐車場に着けそうだ。


馬不入山を下りてここまで舗装路を歩いてきた。
だが、ここから太平山神社下の駐車場へ行くにはもう少し頑張る必要がある。
距離は短いながら結構な急斜面を登っていかなければならないのだ。


舗装路歩きで回復した体力を使い果たして再び舗装路へ。
ここまで来ればもうなにも心配することはない。


三大名物を提供する茶店が並ぶ謙信平に来たが、茶店は店終いしていた。
日没前の陽射しに輝くモミジが美しい。
展望だけを楽しんで駐車場に向かった。


謙信平からの都心の眺め。
高層ビル群に混じってスカイツリーも見えた。


太平山神社の参道入口まで下り、Yさんとのツアーは終わった。



15キロという行程は、若くまた、日頃からスポーツをしているYさんには手頃な、いや、むしろ物足りない距離だったかもしれない。
が、今の管理人には力を出し切った感がある。
だからこそ、終わってからの気持ちはとても爽やかだった。

ボランティア活動に費やした40日という、山歩きの空白を取り戻すのは大変なことだったが、きょう歩いてみて、腰の痛みも膝の痛みもなく、疲れはしたが無事に下山できたことでわずかながら自信を取り戻せたかのように思える。

地元、日光の山はこれから冬の厳しさが訪れる。
安易な気持ちで登るわけには行かない。
太平山や三毳山のような、管理人の身体に優しい山がもっと身近にあれば日参するのに、とつくづく思う。
それは到底無理なことだから、鹿沼市の山と合わせて月に二度か三度は通うつもりでいる。

最後に、Yさんへ
この度は私の拙いガイドツアーに付き合ってくれてありがとう。
Yさんにとって充実したツアーになっていれば私も嬉しく思います。
旅はまだ続くことでしょう。
その土地土地で出合う人とのふれ合いは、Yさんの人間性をきっと豊かなものにしてくれることでしょう。
どうか元気で旅を続けてください。

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