2025年2月9日(日)
日本海側を襲った大寒波の影響は日光へもおよび、2月に入ると大量の雪をもたらせた。
暖冬の予報で今年も雪は少ないだろうと諦めていたところへの大雪である。
そして寒い。
10年前の日光に戻った感がある。
さてきょうは、常連さんとのスノーシューツアーである。
雪が深いことは一昨日7日のツアーで確かめていたので苦戦を予想した。
だが、苦戦は現地に着く前からすでに始まっていた、、、
山岳地帯の日光で暮らすには4駆車が不可欠で、管理人はこれまでずっと4駆車を乗り継いできた。
だが、最後に乗ったセレナがエンジントラブルに見舞われて急遽、乗り換える必要が生じ、じっくり探す余裕もないまま購入したのが中古のFF車であった。
日光に移り住んで初めて乗るFF車の実力がわからない。
はたしていろは坂を問題なく登れるものなのだろうか、それが心配だった。
この日、湯元へ向かう途中、東照宮前の信号で停止し、発進しようとしたときに一瞬だが前輪が空転した。
ほんのわずかな傾斜だったのでまさかとは思ったが、この空転に焦りを感じた。
行きつけの病院の駐車場に車を乗り入れて、ゴム製のタイヤチェーンを装着することにした。
練習がてら我が家のアスファルトの駐車場での取り付けはおこなっているが、いざ雪道で取り付けるとなると勝手が違う。
道路に積もった雪とここまで走ってくるまでにタイヤ回りに付着した雪がじゃまをして、練習時のように簡単にはいかないのである。
ありがたいことにお客さんがスコップを手にして雪を取り除いてくれ、大きな時間のロスなくチェーンの取り付けが終わった。
しかし、なんですね、その乗り心地の悪さといったらありませんな。
雪道であれば気にならないが乾燥路では砂利道を走っているようなゴツゴツした乗り心地と擦過音で不快感を禁じ得ない。
お客さんには大きな迷惑であったことだろう。
湯元温泉の駐車場に車を置いて、早くもここでスノーシューを履くことになった。
いつもならスノーシューとポールは手に持って金精沢の入口まで10分歩き、そこで初めて装着するのだが、この日はアスファルトの駐車場にも雪がたっぷり積もり、スノーシューのフィールドと化していたのである。
マイナス8度という低温に加えて雪が降り続いているこの日、フィールドには誰も入っていないだろうと予想し、歩き始めから苦戦する覚悟を決めていた。
ところが予想に反し、先行者によるものと見られる新しいトレースがあった。
こういう場合はもちろん、そのトレースの上を歩く。
そしてあとから若い男性が我々に追いつき、6名での雪中行軍になったのである。
トレースを付けてくれたのは若い男女2人組だった。
休憩しているところに出合って礼を述べ、今度は我々が先行することにした。
2月の寒波の影響で断続的に降っている雪はトレースのないところだとスノーシューを履いていてさえ膝下に達する。
深く潜ったスノーシューの上には雪が載るため、そこから足を抜くのは大きな力を強いられる。
数年ぶりのラッセルに体力の衰えた管理人は辟易するがツアー参加者のHさんは楽しそうに先行してくれた。
降ったばかりの雪は木々の枝や葉を飾って美しく、幻想的ですらあった。
金精沢には金精山とその周囲の山から崩れ落ちてくる土砂や水が温泉街に入り込まないようにするための砂防堰堤がいくつかある。
スノーシューで歩く場合、沢の左岸を登って広場状の堰堤で折り返し、今度は右岸を降りるルートが推奨されている。
ただし、それだけだと距離が短すぎて短時間で終わってしまう。
そこで管理人は2002年に折り返し点からさらに金精山に近づくルートを開拓し、ほとんどの場合、そのルートを辿るようにしている。
だが、きょうの積雪量を見てそれは無理であると判断した。
わずかな時間、ラッセルを共にした他の3人(ツアー客ではない)は推奨ルートを湯元温泉に向かって降りていき、折り返し点に残されたのは管理人とHさん夫妻の3人だけとなった。
折り返し点から金精山に向かって進むには20度以上もある斜面を登らなければならず、この雪でそれは無理だ。
それと積もったばかりの雪は雪崩の危険がある。
堰堤で折り返して推奨ルートを降りたのはもちろんである。
7日の刈込湖往復時よりも雪はさらに積もった。
画像の倒木は根元の径が50センチ以上もあるダケカンバ。
その上に積もった雪の高さを見れば、今年がどれほど多くの雪だったかがわかるというもの。
近年の暖冬少雪から一転し、豪雪となったわけだが、一昔前は奥日光ではこれが当たり前の光景であった。
久しぶりに体験するラッセルに疲れはしたものの、お客さんには喜んでいただき、良い一日となった。