復帰初戦は鳴虫山の激バリルートで膝が鳴く

2020年10月30日(金) 秋晴れ

帯状疱疹による神経の痛みに苦しみながらも病院による適切な治療を受けたおかげで今月半ばには痛みは薄まったが、1ヶ月半にわたる謹慎生活中は読書と惰眠に明け暮れたせいか、窓から見る外の明るさにも以前のように気持ちが動かされることはなく、建物から外へ出るのは敷地にパイプ製の椅子を組み立てて秋の陽射しを全身に受けるときだけ。
不思議と山への渇望はなく、これが齢七十二の老人の普通の生活ではあるまいかと感心し、そろそろ山歩きを卒業して老人らしい安穏な生活を求めてはどうかという思いに駆られたりもした。

思えば頻繁な山行と朝6時からの筋トレ、そして4~5時間という慢性的な睡眠不足によって知らず知らずのうちに疲れが浸透していったのであろう、丈夫さが売りだったはずの我が身に異変が訪れたのは9月初めだった。
背中に直径10センチの範囲で赤い発疹を多数見つけたものの、それはダニに喰われたものと信じて疑わなかったのが間違いの元であった。

発疹は一向に収まる気配を見せないばかりか、背中から胸にかけて広い範囲に鈍い痛みを伴い、ときに心臓を裏側から強い力で押されているような痛みを感じるようになった。
さすがにこれはヤバイと思い、かかりつけの内科に受診したところ、帯状疱疹らしいが内科としてはよくわからないとの見立てで皮膚科への受診を勧められ、実際に皮膚科に行ったのは発疹の発見から3週間後の25日という初動のまずさであった。

幸い、近くに皮膚科の医院があることがわかり通うようになってからは痛みは次第に薄らいでいき、今月半ばにはほぼ解消したが、問題は安穏な生活を求めようとする管理人の気持ちをどうやって高めていくかであった。
まずは軽いウォーキングから始めようか早朝ジムをやめて昼間にしようかハイキングは平坦な小田代ケ原や戦場ヶ原にすべきだろうかとの思いが錯綜し、気持ちは沈んだままであった。

そんな折り、古くからの常連客であるWさんから、一緒にどう? という誘いを受けたのは27日であった。
Wさんは今から14・15年前に管理人が経営しているペンションに来て以来、毎年数回は日光を訪れるほど、日光の山に魅せられた一人で、しかも地図に道がない裏ルート、すなわちバリエーションルートばかりを歩く変人いや、探究心旺盛な人で、特に鳴虫山のバリエーションルートに精通している。
こと鳴虫山のバリエーションルートの知識と経験に関してはWさんの右に出る者はいないだろう。

Wさんがペンションに通い始めた頃、景気の落ち込みは現在ほど酷くはなく、管理人も忙しく働き廻っていたが、Wさんが来る日に限って他に宿泊者がいないという不思議な現象が起きることから、管理人はWさんのことを密かに貧乏神、疫病神と呼んでいた時期が合った。
が、それも今では昔のこと。
宣伝をホームページに限定してからのペンションの売り上げは、かつての1/3にまで減ったが、代わりに得られたのは管理人自身の自由時間である。
2015年からの山行回数の多さがそれを物語っているが、その中にはWさんと一緒に歩いたことが多く含まれている。

さて、今回はWさんが得意とする鳴虫山に誘われたわけだが、病後の管理人には手頃な山であることと、2ヶ月にわたった穏頓生活から抜けだし、元の暴走老人に戻るためのファーストステップとしてWさんからのお誘いを断る理由など何もない。
喜んで同行することにした。
とはいえ、Wさんのことだから地図の通りに歩くことなど考えられない。
きっととんでもないバリエーションルートを歩かされるという予感があった。

メモ
・歩行距離:9.8キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:5時間55分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:1003メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)

鳴虫山は登山口まで日光駅から徒歩で行ける手軽さから春には多くの人が訪れる。
実は鳴虫山はツツジが咲く山として人気が高いのである。
5月になるとシロヤシオやアカヤシオ、ヤマツツジにカタクリが咲き、それは見事だ。
しかし、花の見頃が終わると登山者はパタッと途絶え、静かな山に様変わりする。
登山者の数が激変するのもこの山の特徴と言える。
車の右に写っている人物がWさん。


鳴虫山の起点は地図には記載がないが一枚目の画像の志度淵川堰堤がいい。
山頂の手前、P1058への近道であり、途中、岩窟の中に観音様が鎮座する岩屋観音に寄ることが出来る。
ただし、近道とは距離のことであって時間が短縮できるわけではない。


なんともはや。
Wさん、初っぱなからとんでもない急斜面に取り付いた。
斜度45度はあるだろう、両手を使わなければ登れないほどだ。


急斜面はなおも続く。
管理人は果たしてどこへ連れて行かれるのだろうか?
方向から察するとP1058へ向かっているのだが、管理人がこれまで歩いた経験のあるルートとはまったく違う。


次は小沢が滝となって落ちている3メートルほどの岩を下った。



5センチほどある見事なスギゴケ。


大岩を左に巻いて先へ進むがここは一体、どこなんだ?


ここも急だが二足歩行が可能だった。


ここで志度淵川堰堤からP1058に直登するバリエーションルートと交わった。
ここはバリエーションルートでも歩きやすいことから、ここまでの間は激バリエーションルートといえるだろう。


標高が千メートル近くになると木々の紅葉が見られるようになった。



 

 

 

アカヤシオが咲く頃の鳴虫山(4月下旬から5月上旬)。
この他にシロヤシオ、トウゴクミツバツツジ、ヤマツツジ、カタクリなどが時間をずらして咲く。


ピーク1058に達し、地図にある登山道と交わる。
鳴虫山山頂へは緩やかなアップダウンを繰り返して間もなくである。


いいですな~、紅葉と黄葉のコラボレーション。


ほどなく山頂に到着。
我々の他に人はいない。
管理人、ここ数年は福島県遠征に忙しくて地元の山に登ることがなくなってしまった。
記録によると鳴虫山は3年半ぶりということになる。


鳴虫山は北面のみに展望が開けていて、日光連山のうち女峰山と赤薙山だけが木々に邪魔されずに見ることができる。
欲を言えばこれらの木々を少し整理してもらうことで男体山から始まる連山の展望を楽しみたいものだが、日光市はほんのわずかな登山者のためにそんなことはしないだろう。
いや、これは冗談で書いているのではなく、このまま放置すればこのわずかだが展望のきく山頂がやがては360度、木々に覆われてしまい、「展望が得られない山頂をもつ山」としてガイドブックに紹介されるようになるであろう。


山頂で昼食にした後、地図にある登山道にしたがって合峰へと向かった。


落ち葉が堆積した快適な尾根道を歩く。


ピーク1084の合峰。
ここからは地図の通りに憾満ケ淵(かんまんがふち)に下るルートがあるが、Wさんのことだから地図の通りには歩くまい、きっと。


ということで銭澤不動尊への道を採った。
火事から守るという謂れのある不動尊である。


このルートは枝尾根が多いので迷い込まないよう、GPSに映る現在地と行き先とを見比べながら歩く。
この辺りから管理人の膝はギシギシと悲鳴をあげるようになった。
太ももはプルプルと痙攣の兆候を見せている。
やはり2ヶ月にわたるブランクは堪える。


修験の跡とされる「化星宿」の金剛堂。夏と冬の修行の場になっていたらしい。
なお、化星宿の化星は“かせい“、“きせい“、“きしょう“、宿は“しゅく“、“やど“などと呼び名が定まっておらず管理人にもどれが正しいのかわかっていない。


ここで銭澤不動尊への枝尾根に入る。


昨年ともっと前の落ち葉に今年の落ち葉が重なって、歩くとカサカサという小気味よい音がする。


ここで枝尾根と別れて右へ沢に入る。


水を含んだ斜面に落ち葉が堆積していて滑る。
ロープをしっかりつかんで下っていく。


傾斜が緩やかになると間もなく銭澤不動尊である。


銭澤不動尊全景。
大きな岩の上に町を俯瞰するように建っている。
周りには不動明王像や常夜灯が建物を守るように配置してある。


銭澤不動尊を後にこれから町中へ。


大谷川に掛かる古い橋を渡る。


「神橋」まで来ると駐車地はすぐである。
管理人の脚は膝痛に加えてふくらはぎがパンパンになり、歩くのが苦痛となった。
まっ、でも、2ヶ月もの間、歩くと言えばPCの前からトイレや食堂を往復するくらいのもので運動とはかけ離れた生活を送っていただけに、今日の山歩きは復帰初戦として妥当なものだろう。
隠遁生活から抜け出す機会を作ってくれたWさんには感謝の言葉しかない。