毎年10月は古賀志山記念日、というわけで今年は馬蹄形ルートを。

2022年10月20日(木) 晴

10月下旬の日光は、紅葉の見ごろを迎えて奥日光へ向かう国道が大渋滞する。
タクシーのドライバーの話によると、この時期、日光駅前から中禅寺湖まで5時間はかかるとのことだ。普段なら30分とはかからない距離がである。
タクシードライバーは仕事柄、やむを得ないこととは思うが、そんな日に奥日光の山へでも行こうものなら登山口に着くのが午後になり、下山は夜。それがこの時節の日光の実態である。

管理人が登山に明け暮れていた8年前、どうしても山に登りたいが奥日光の山は避けたい、道路が空いていてそれでいて面白い山はないかと探し当てたのが古賀志山だった。
場所は宇都宮市だが管理人が住む日光からそう遠くはない。
自宅から湯元温泉に行くよりも5キロほど近い。
ネットの情報によると、ノーマルルートの他にバリエーションルートというのが多数あって、その数およそ100本以上あるという。
鎖やロープがかかっている岩もたくさんあって、バリエーションルートを歩く場合はそれらを避けることができないらしい。

なるほど、それは面白い。挑戦の甲斐がある。と、そのときは思わなかった。
そのとき思ったのは道路の渋滞に悩まされることなく山に行くことができさえすればいい、ということだった(この思いはいまでも変わっていない)。
そうして古賀志山に初めて登ったのが、忘れもしない2014年の10月27日だった。

忘れていないのは日付だけではない。
古賀志山から東へ延びている平坦な尾根は、地元の人が東稜見晴と呼んでいる丸太のベンチが設置された展望地で終わる(※)。
突端の大きな岩の上に立つと、宇都宮市街地が一望できさらに、遠く筑波山が見える。
手ですくえそうなほど間近に見える宇都宮市街地、これが低山特有の眺めなのであろう、そんな印象を持った。
足下が切れ落ちたその岩から下を覗き込むと踏跡らしいものが見えた。
周囲を見回すと岩の切れ目に踏跡があったので辿っていくと、そこは数メートルもありそうな垂直の壁の上だった。
壁には錆びた鎖がかかっていて、そこも100本以上あるとされるバリエーションルートのひとつであることを察した。
鎖の支点まで進んで身を乗り出して下を覗くと足がすくんだ。
いくらバリエーションルートとはいえこれを降りるのは命がけだ、その場で引き返したのはもちろんだった。
強烈な印象として残ったのは言うまでもない。

初めての古賀志山における強烈かつ衝撃的な印象は、誘引作用として管理人を100回以上も古賀志山に通わせることになったのである。

そこで10月を「古賀志山記念日」と称し、初心を忘れないように毎年10月になると必ず訪れるようになった。

初めて古賀志山に登ったときのブログ
→その際に参考にした宇都宮市森林公園のホームページ

※尾根はそこで終わっているわけではない。管理人が立った大きな岩の先は切れ落ちているが、地理院地図には等高線の間隔は狭いが尾根として描かれている。
そしてそこもバリエーションルートとして使われている。

メモ(ログ採取はGeographicaを使用した)
・歩行距離:14.7キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:7時間2分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:1725メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)

今朝は女峰山に登る宿泊客をキスゲ平まで送り、そのまま森林公園駐車場まで来たため早く着いた。
歩き始めるとすぐ、古賀志山を正面から眺めることができる赤川ダムの堰堤に着く。
快晴無風、湖面に映る逆さ古賀志が美しい、、、と思いきや、
いつもとなにかが違う。
違いはすぐにわかった。
水が涸れて赤川ダムの湖底が剥き出しになっているのだ。
渇水なのかそれともあえて水を抜いたのか、原因はわからない。
満水時の赤川ダム


赤川ダムのシンボル、大きな枝垂れ桜から見たダム湖底。
まるで巨大な造成地の様相。


今日は久しぶりに馬蹄形ルートを歩くつもりなので登山口は古賀志山のスタンダードルートである北登山道のすぐ手前、東稜ルート登山口にした。
往復、同じルートを歩かず周回できる。


通常、古賀志山へは北登山道で富士見峠まで行き、それから山頂を目指すが、コースにメリハリがないのと展望がまったくないため、管理人は東稜ルートを好んで歩く。
傾斜は厳しいが明るい林間を歩けるのが気に入っている。


左から来る東南稜と合流すると岩場が始まる。
古賀志山の大きくて急な岩場には鎖が設置されていて安全に上り下りできるが、管理人はそれら鎖を使わないよう決めている。
その方が岩場の技術向上につながると思ってのことだ。


岩場が終わって東稜見晴の上に立ち、景色を眺める。
東稜見晴からは宇都宮市街地、高原山(鶏頂山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の総称)、日光連山(木の枝越しに)が一望できる。


東稜見晴から古賀志山へは5分ほどで行き来できる。
昼になると地元の人でいっぱいになる山頂だがまだ誰もいない。


お次は御嶽山へ。
大きな岩をふたつ乗り越え、最後にハシゴを上がる。


御嶽山山頂。
立派なピークだがどうしたわけか地理院地図に山名はおろか標高さえ描かれていない。
地理院地図には御嶽山の手前に鳥居記号が描かれていてあたかもそこが御嶽山のように見えるが、違う。
鳥居記号の場所に実際に赤い鳥居があるが、御嶽山とはまったく別物。


展望が期待できない古賀志山山頂に比べて御嶽山からの展望は素晴らしく、西面が180度に渡って開けている。
この景色見たさに古賀志山ではなくここへ来る人が多いが、この時間は管理人ひとりだけ。
ちなみに、多くの人はここまで来て折りかえすが古賀志山主稜線の醍醐味はここから始まる。


馬蹄形ルートは古賀志山から西へ向かう古賀志山主稜線を進んで行く。
鎖がかかった大きな岩がいくつか出てくるがそれらを回避するのは不可能で、いやでも乗り越えなくてはならない。
これは地元の人が「カミソリ岩」と呼んでいる5メートルほどの足場のしっかりした上りやすい岩。


地理院地図に標高点546と描かれている中岩。
南面の展望がいい。


ミヤマママコナ


10月の花、コウヤボウキが咲いていた。
今月3日にこの花を探して鞍掛ルートを歩いたときは見つからず、今年は今日が初対面である。


ご神体の二尊岩。
古賀志山山域には古来から地元の人が信仰の対象にしている岩がたくさんあり、それぞれに正式な名前がつけられている。
これもそのひとつ。


これでもルートか、と思うほど厳しい場所がある。
もちろん、これでもルートである(笑)。
名称は古賀志山主稜線という。


主稜線の終わりに近い赤岩山に着いたが展望はないのでサッと通過。
この手前に今は使われていないパラグライダーの離陸場があり、そこからの展望がいい。


ここにもコウヤボウキが、、、


主稜線最後のピーク、北ノ峰。
ここから日光市との境界線上を走る林道内倉線へ向かって急降下する。


しばらくの間、展望がないのでここでしっかりと目に焼き付ける。
ここから見えるのは男体山から始まる日光連山のすべてと白根山、錫ヶ岳、皇海山など。


北ノ峰からの傾斜が緩むと次は方向感覚を失うほど鬱蒼とした桧林の斜面に入る。


その桧林の中の目標物がこのプレハブの作業小屋。
これを見つけることができないと馬蹄形ルート歩きは失敗に終わる。


桧林を抜け出して林道に降りると咲いたばかりのセンブリと出会った。


次の林道へ向けて魔界への道を。


林道内倉線に合流。
ここからしばらくの間、日光市内の山の中を歩く。
日光市内の山とはいっても管理は宇都宮市がおこなっているし、環境は古賀志山山域そのものなので日光市内を歩いているという感覚はまったくない。
進路はここを直進する。


地元の人が設置した道標が見つかったら矢印に従って右へ。


このルートは傾斜が厳しいが開放感があって管理人のお気に入りだ。


腰掛岩
どうしたらこのような形の岩になるのか、実に不思議。


ピーク444の鳥屋山(とややま)を通過。


アキノキリンソウが3株。


おやっ、いつの間に見知らぬ鉄塔(238号)に来てしまった。
馬蹄形ルートではよくある道間違いで、分岐を道なりに進むとそれは違う道ということだ。
数年前であればGPSに表示される地図を見ながら注意深く歩いたものだが、最近は馬蹄形ルートに慣れたつもりで緊張感に欠け、分岐を道なりに進んだ結果だった。
6分のロス。


ウンザリするほど長い急斜面を上り詰め古賀志山中央稜(※)と北尾根が合流する地点、手岡分岐(※)に着いた。
道なりに左へ行くと鞍掛山、古賀志山に戻るには右へ行く。
本来なら体力測定を兼ねて鞍掛山への道を行くところだが時間がかかる。
2時には下山して仕事場で今日の宿泊客を待つ必要がある。
それと気になることがある。
もはや管理人の持病として定着したかのように思える、傾斜を下る際に右膝の外側が痛む腸脛靭帯炎の兆候が出てきた。
しばらく態(なり)を潜めていたので安心していたのだが山行回数が減りその分、座り仕事が増えたのが原因だと思うが下肢、特に大臀筋と腸脛靭帯が硬化し、それが元で膝の屈曲を繰り返しているうちに腸脛靭帯の膝部分が炎症を起こす厄介な症状である。
痛みが始まると現場での対処は困難で、歩き方を変えて痛みを和らげるほかにない。
ではどうやって歩くかというと、先に痛む側(右)の足を膝を曲げずに着地して、同じ場所に左足を着く。
こうすると右膝を曲げないで歩くことができ、痛みは出ない。
ただし、両脚を交互に進めるのではないため同じ距離を歩くにも倍の時間がかかってしまう。
ここから先の下りではそんな歩き方をした。

※中央稜も手岡分岐も、場所を識別するために管理人が勝手に付けた名称であり、地理院地図にはもちろんのことNPO法人「古賀志山を守ろう会」が発行する詳細図にもない。


ピーク559へ向かう中央稜は危険箇所がある。
幅30センチにも満たない道(といっていいのかどうか分からないが)などその典型である。
踏み外したら大怪我必至。


時間が迫ってきたのでピーク559へは寄らずに急ぎ、富士見峠へ降りた。
直進すると古賀志山だが、山頂は朝寄ったのでここを左へと下る。


赤川ダムは涸れているのに水場からは伏流水が勢いよく流れていた(水源が異なるが)。


芝山橋のゲート。


ちょっと見では分からないが、本来なら柵の向こうは水をたたえた赤川ダム。
今は湖底が剥き出しになっている。



山行の記録を採るのに最近は画像の3機種を携行している。
左からGARMIN Instinct(GPSウォッチ)、Geographica(地図アプリ)、GNS3000(GPSロガー)。
GARMINは歩こうとするルートをアップロードしておけばナビゲーションが可能だが実用的ではない、GNS3000はログ採取に特化したGPSでナビゲーションは不可、ナビゲーションとログ採取を同時におこなおうとするならスマホ用の地図アプリGeographica(iPhoneSE2)が便利。

地図アプリがこの世に出る前まではGARMINのハンディGPS(eTrex30Jを所有)を使っていたがGeographicaと出会ってからというものeTrex30Jは使わなくなった。
内蔵地図の違いと画面サイズによる視認性の違いでGeographicaの方が圧倒的に優位であることがわかったからである。
Geographicaのインストール先はiPhoneSE2(iPhone7にも)なのでGPS精度は申し分ない(ただし、電池の保ちは断然eTrex30J)

ログは機器に内蔵されているGPSの精度他で決まるため3者違いがある。
それが下の画像である。


それぞれの機種のログをカシミール3Dで処理したものを並べてみた。
同じルートを歩いたにもかかわらず、結果は三者三様であることが分かる。
どれが正しいのかはわからない。
結果が異なるのはGPS精度の他にログの採取間隔(時間の)と機器内部でのログの処理方法の違いが大きな理由であろう。

ログの採取間隔だが、Instinctは一定ではなく状況に応じて機器が自動的に決める。Geographicaは最小の5秒に手動で設定、GNS3000は1秒に固定されている。
受信する衛星はInstinctとGNS3000がGPS(米国)、みちびき(日本)、GLONASS(露)、ガリレオ(EU)で、iPhoneSE2は不明(GPSとみちびきには対応しているらしい)。
管理人は同じ山を繰り返し歩くため次の山行のために距離と累積標高を重んじるが、これだけ違いがあるとどれを参考にしたらいいのか迷う。

管理人としてはGARMIN(ハンディ機)を長年使ってきた経験から、同じメーカーのInstinctのログを利用したいところだが、歩いた感覚としては数値が小さく出るようだ。
過去に採ったログ(GARMIN e-Trex30J)と比べるとGeographicaが実態にもっとも近い感じだ。
GNS3000は実態と大きくかけ離れているように思える。

結論として、ログの数値をこのように比較してもあまり意味はなく、どれに信頼を置くかを利用者が自分で決めることが大切である。
なお、3機種が記録したログを地理院地図上に軌跡として再現(2つ前の画像)してみると差は見られない。
このことから内蔵されているGPS受信機の精度差はないと見ていい。
距離や累積標高といった数値の違いは各機器におけるログの取得間隔と内部処理の違いによるものと見るべきであろう。

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