2021年6月1日(火) 晴れ
前回の山行が4月22日だったから丸ひと月以上も山行から遠ざかっている。
例年であれば天候が安定しているこの時期は福島県の山を歩き回るのを楽しみとしているが、福島県にも栃木県にも緊急事態宣言は出ていないながらも、終息の見込みがまったく立っていないコロナ過において地元の人の感情を察すると、県外者は歓迎されないのではないかとの思いが募り、遠征を遠慮した状態で今日に至っている。
この間、管理人は、人生の終末を見据えて、身の周りの整理に没頭することで山を忘れるように努めていた。
溜まる一方の山とキャンプの道具、それに書籍。何台もの壊れたPCと周辺機器、倉庫や納戸に20数年もしまったままにしている備品などを見るにつけ、これらを整理することなく管理人亡き後に苦労するのは残った家族であることに思いが至り、それは管理人を山から遠ざけるに十分な理由になった。
PCや周辺機器は極限まで分解し、不燃物として処分した。
燃やせる物は徹底的に燃やした。
処分しきれずに困っているのは山道具と書籍だ。
山道具は愛着があるだけに捨てるに捨てられない。
書籍は月2回の資源ゴミ回収の都度、少しずつ処分しているが、管理人がバイク乗りだった頃の雑誌と管理人が働き盛りの頃に愛読した小説とコミック、JAZZ本など数百冊は思い出深いものでもあり、処分するに忍びなく、頭を悩ませている。
山関連の本と商売道具である料理の本も捨てるわけにはいかない。
20代から30代にかけて買い集めたLPレコードも見つかった。プレーヤーなどとっくの昔に処分して今はレコードを聴く機会もないが、これにも若き頃の思い出が詰まっている。
結局、モノへの愛着と執着、未練、過去の思い入れが処分のじゃまをしていて、それらを断ち切れないままズルズルと生を引きずっているわけだ。
こんな状態で人生の終末を迎えるわけにはいかない。
家族に迷惑をかけるわけにはいかない。
完成は終焉の始まりなり、未完は完成の序章なり。
そうだ、身辺整理という志を未完のまま保ち、生きることをもう少し長引かせよう。
そう思うことで気持ちを楽にさせた。
というわけで結局、未完に保つことを理由に、あれだけ没頭していた身辺整理は停滞しているのが現状なのである。
そろそろ山に戻ろうか。
人生の終末とか身辺整理云々を考えるようになったのも登山を自粛するようになったからだ。
気持ちがマイナス方向に振れるようになったのは山から遠ざかっているからであろう。
山に戻れば思考もプラスに働くはずだ。
1ヶ月以上の空白を埋めるにあたり、難易度はそれほど高くなく、といって簡単に終わってしまうような山行ではつまらない。
夏までの間に予定している中禅寺湖一周を視野に入れ、できるだけ長いルートを歩きたいと思う。その前哨戦となるようなルート設定にしたい。
具体的には湯元温泉から歩き始めて刈込湖、涸沼、山王峠を経て光徳温泉に下り、起点となる湯元温泉に歩いて戻る(路線バスを利用するのがノーマル)ことを目標にした。
中禅寺湖は一周ほぼ平坦なので、長い距離を水平移動する運動能力が求められる。
それは登山で必要な上昇、下降する運動とは使う筋肉が異なり、管理人がもっとも苦手とするものだ。
実践を前に、苦手意識を克服するためにもこのルートは中禅寺湖一周の疑似体験として意味あるものと考えた。
結果(GPSはHOLUX m-241を使用した)
・歩行距離:18.0キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:5時間23分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:1122メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)
※写真はCanon IXY650を使って撮ったが多くはピンボケ(特に花の接写が)。
第2いろは坂(上り専用)を上りきって左折し二荒山神社の大鳥居をくぐると国道の左側に公衆トイレがある。
トイレの建物の脇から中禅寺湖の向こうの山並を見るとひときわ先鋭的な山が目に入る。
社山(しゃざん)である。
標高は2千メートルに満たないものの登山口である阿世潟からの標高差550メートルを、山頂まで2キロという短い距離を一気に上るためそれなりの苦労を伴う登山となる。
だが、山頂に近づくにつれて眼下には中禅寺湖が広がりその先には男体山を一望するという恵まれたロケーションの人気のある山である。
同じ場所から振り返ると男体山の雄姿が見える。
今日の山行の起点は湯元温泉。
コロナ前であればこの時期、広い駐車場は修学旅行のバスで賑わうがコロナ禍の今はマイカーしか見かけない。
それでさえ晴天でなおかつ遅い時間にもかかわらずガラガラの状態。
今日の予定ルートは湯元源泉から刈込湖、切込湖、涸沼を経て山王峠に至り、光徳温泉への周回である。
そこまでのルートでバテていれば路線バスを利用して湯元温泉に戻り、意気消沈して車に乗り込むが、そうならないためにも家トレに励んできた。
とはいえ、4月22日を最後に外歩きをしていないため、長い距離を歩くには不安がある。
長丁場になるため身軽に動けるよう軽量化に努めた。
足下はいつものようにローカットシューズだが今日は雨の心配もないので非防水のトレラン用、パンツはランニング用にした(管理人、山を走るわけではなく、状況によって使い分けているに過ぎない)。
源泉に建つ温泉小屋。
小屋の中に温泉が湧き出していて、それをパイプで旅館に供給している。
草津の湯畑と違って観光資源として活用しているわけではないので至って簡素。
刈込湖の登山口は国道120号線にある。
そこへは短い距離ながらも急傾斜を上がって行く。
国道120号線、通称・金精道路脇に立つこの案内板が実質的な登山口となる。
地図にある登山道はここから見える斜面をトラバースするようにして北に向かっている。
ダケカンバの新緑が目に優しい。
歩き始めて30分で小峠に到着。
冬だと積雪の状況次第で1時間以上かかることもあるが、雪のない季節はこんなものだろう。
平坦路が尽きると刈込湖への長い下り階段が始まる。
階段は11基ある。
下るのは楽だが刈込湖から湯元に戻ることを考えると気が萎える。
積雪期はこれら階段の南側に冬道ができるので階段を上ることなく湯元に戻ることができるが、この時期は笹が深くまた、倒木や岩が露出していたりで歩けるものではない。
刈込湖から光徳へ抜けた方がどれほど楽なことか。
最後の階段に差しかかると木々のすき間を通して刈込湖が見えてくる。
木々の緑とは違うし海の青さとも違う、なんとも奥深く、人を魅了する色だ。
歩き始めて1時間で刈込湖に到着した。
正面に山王帽子山と太郎山が見える。
キバナノコマノツメ(黄花の駒の爪)
日本に200種類以上あるとされるスミレで、「スミレ」という名がついていないスミレはこれだけという珍しい(名前が)スミレ。
ハルカラマツ
湖に流入する沢を少し遡るとバイケイソウの群落があり、そこにハルカラマツが数株あった。
まだ蕾すらなく、花が咲くのはまだ2週くらい先といった感じ。
クローバーに似た葉のコミヤマカタバミ。
咲いているのは少なく、ほとんどが蕾だった。
花は探し尽くしたので刈込湖を後にして涸沼へ向かうことにした。
セントウソウ
それにしても今日の写真はピンボケばかり。
軽量化を図るつもりで持ってきたカメラが悪かった。
マクロがまったく使い物にならない。
刈込湖と水路続きの切込湖を過ぎると道は平坦なまま涸沼へと続く。
涸沼へは2時間ちょうどで到着した。
涸沼は一面の笹原で、ここに高山植物が多数生育しているとは思えないほどだ。
立入禁止になっているためその実態はわからない。
10分ほど休憩した後、標高差100メートルの斜面を山王峠へ向かって山道をジグザグに上がって行く。
積雪期はどこが道なのかもわからないため適当な場所を選んで直登せざるを得ないわけだが、それは厳しいったらない。
そこで管理人は冬は旧道を行くことにしている。
ここで山王林道と合流。
登山道と別れて国道を行くとすぐ山王帽子山と太郎山の登山口と出合う。
登山道は国道から離れるように延びている。
登山道の山王峠手前に休憩ポイントがあるので少し休むことにした。
涸沼で休憩したばかりだがこの先、深い樹林帯に突入すると展望なし、日差しなしの中を歩かなくてはならない。休憩するならここしか考えられない。
樹林帯を抜け出すと視界は一気に開けて湯元~光徳周回ルートが終わる。
ここから路線バスで湯元に戻ることができるが、奥日光の春を楽しむためにも徒歩で戻ることにしよう。
途中でバテてしまったらそこからバスで湯元に戻る、そんな緩い気持ちで歩くことにした。
まだ放牧が始まっていない光徳牧場の脇を歩いて光徳沼まで来た。
かつては水が豊かで「沼」そのものだったが、近年は土砂の流入によって川底が上がって水が留まる部分がなくなり、景観がすっかり変わってしまった。→かつての光徳沼
ここからしばらくの間、逆川(さかさがわ)に沿って歩き、国道120号線まで行く。
逆川に沿った道はここで国道に合流する。
このまま国道を湯元まで行くこともできるし、その方が時間の短縮にもなるが、せっかくだから戦場ヶ原に咲く花でも探索しながら大回りしてみよう。
国道を少し戻るとバス停「光徳入口」があり、そこから戦場ヶ原へ入る道がある。
戦場ヶ原の北端を横切ることから「北戦場歩道」と呼んでいる。
花はマイヅルソウ。
静かな湯川の流れ。
昔、諸外国の外交官や大使館員が東京に住んでいた頃、東京の暑さに耐えかねて避暑の場として奥日光をよく訪れていたそうだ。
その時に見た湯川が故郷の光景とだぶって映り、以来、奥日光は彼らの避暑の定番の地となった。
イタリア大使館、イギリス大使館、ベルギー大使館、フランス大使館の別荘が中禅寺湖畔にあることでそれがわかる。
現在、湯川で根付いている釣りは彼らが紳士のたしなみとして故郷で親しんでいたスポーツである。
なお、イタリアとイギリスの大使館別荘は本国による維持管理が困難となり、現在は栃木県の所有物として一般に公開している。
泉門池(いずみやどいけ)のトウゴクミツバツツジ。
泉門池は戦場ヶ原ハイキングの中心にあたり湯元から、小田代ケ原から、赤沼からそして光徳から道が通じていてここで交わる。
木製のテーブルとベンチが数基あり、戦場ヶ原でもっとも人が多く集まる場所である。
だが、コロナ禍の今、ここにいたのは20名ほどと少なくまた、修学旅行生が皆無であることもあって実に静かだった。
写真を撮っただけで湯滝へ向かって進んだ。
観光名所になっている湯滝(ゆだき)。
湯ノ湖を水源としているが、湖の水量が多いためかもの凄い勢いで流れ落ちている。
余談だが東日本を襲った大地震の時、管理人はスノーシューツアーのゴールとなっているここにいて地震に遭った。
ずずん、どど~んという地鳴りの後、地面が揺れ始め、木々も揺れた。建物の中で感じる地震とは違う恐ろしさに身の危険を感じたものだ。
揺れは湯ノ湖の湖底にも及んだのか、流れ落ちる水は湖底の泥を含んで茶色く濁り、これまで見たことのない光景にただ驚くばかりだった。
ヤマハタザオ
湯滝から湯元へ行くには一旦、国道に出なくてはならないが、それには滝に並行した階段を上がって行く必要がある。
ここまですでに15キロ歩いているためその行程は厳しいのひと言だがここは頑張るしかない。
レンゲツツジ
長い階段はここでようやく終わる。
湯滝の始まりもここ。
湯滝と湯ノ湖とは20メートルほどの水路でつながっている。
その水路沿いにも植物が生育していて楽しめる。
これはベニサラサドウダン。
国道と並行した湯ノ湖散策路を湯元温泉に向かって歩くと兎島の入口に差しかかる。
実際には湯ノ湖に突き出た半島だが、そこも植物が多い。
国道に面した部分にある湿原のワタスゲ。
国道に出てからは長い距離の水平移動によって腰骨の横にある大腿筋膜張筋が痛み出し、足を前に出すのが辛かったが、バスに乗ることなく歩き通して湯元温泉に戻ることができた。
近々、中禅寺湖一周を予定しているが、25キロを歩くには今日の調子だとおぼつかない。
山に上る上昇運動と平坦路を歩く水平運動とは使う筋肉が違うため、鍛え方も違ってくる。
古賀志山の18キロは大丈夫でも今日の18キロで筋肉痛になったのは歳のせいだけではあるまい。
さあ、中禅寺湖一周目指して鍛え直しといこう!