梅雨入り前に快晴の女峰山へガイド登山

2020年6月9日(火) 快晴のち霧

間もなく梅雨入りという時節となり登山は安全性のことからも天気予報を注視しながら日程を決めなくてはならない。
週間予報の精度が上がり、5日前であればほぼ間違いのない天候を発表してくれるのは実にありがたい。
5日(金)に発表された予報によると、8日から10日までの3日間は雨の心配はないらしい。
そこでさっそく、かねてから女峰山のガイド登山を希望されているOさんに、電話で日程を相談し晴天が期待できそうな9日に決定した。

女峰山は距離片道8キロもあり、これは男体山の往復に相当する。
登山口からの標高差は1100メートルを超えなおかつその間、アップダウンが多数あるため、累積標高は2000メートル(※)にもなる。
並大抵の体力では敗退を余儀なくされる、日光の山では屈指の難易度を誇っている。
※計測するGPSによって大きな差異が出る(今回はHOLUX m-241を使用)。

この難易度の高さが挑戦意欲をかき立ててくれ、ゆえに管理人は古稀をすぎてもなお、登り続けているわけだが、その理由として地域は限定されるがこの山に登れるうちは他の大抵の山に苦労せずに登れる、そういった考え方をしていて実際にその通りの結果になっている
また、その日の体調によって登頂までの所要時間が1時間ほど違ってくるのも女峰山の厳しさを象徴している。

Oさんとの最初の電話で74歳と聞き体力面で心配したが、自分の登山人生もそう長くない、体力のあるうちに難易度の高そうな女峰山に挑戦したいと心の内を語ってくれた。
そんな心意気を大いに尊重するとともに、是非とも管理人の手でOさんの希望を叶えてあげたいと思いガイドを引き受けた。

行程表
キスゲ平(5:52)~小丸山(6:41/6:45)~焼石金剛(7:20)~赤薙山(7:56/8:05)~奥社跡(9:06/9:16)~一里ヶ曽根(10:08)~女峰山(11:50/12:25)~一里ヶ曽根(13:36)~奥社跡(14:25/14:35)~焼石金剛(15:52/15:55)~小丸山(16:20)~キスゲ平(16:47)
 ・歩行距離:17.5キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
 ・所要時間:10時間55分(休憩多数)
 ・累積標高:2256メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)

素晴らしい天候に恵まれた。
女峰の神様にとってOさんの来訪は大歓迎らしい。
Oさんが山頂に立つまでこの青空がずっと続いてほしいものだ。

管理人が経営しているペンションから登山口のキスゲ平まで、20分もあれば十分である。
5時20分に出発すれば登山開始予定の6時に余裕で間に合う。
レストハウスに設けられている登山カード入に登山計画を綿密に書いた用紙を投函し、5時52分に天空回廊を上り始めた。
天空回廊は始まりの標高1340メートルから1582メートルの終段まで1445段あり、まずここが難関と言える。
そこで管理人は傾斜がきつくなる700段目まではノンストップで、そこから先は100段ごとに休憩を取りながら上るようにしている。それが体力温存のための最良の方法であることを経験で知っている。


ナルコユリ
天空回廊はニッコウキスゲが群生する元スキー場の斜面に設置されていて、階段の左右にさまざまな高山植物が生育している。
ニッコウキスゲは6月下旬に開花が始まるが、その前後にも多くの高山植物が開花する。


ユキザサ


ベニバナノツクバネウツギ


階段の途中で傾斜が変わっていることにお気づきだろうか?
この元スキー場は一応、初心者コースから上級者コースまであって、粉雪であることも相まってそれなりに人気があった。
しかし、日光市直営であることから設備投資ができず、クアッドリフトやゴンドラが主流のスキー場からどんどん取り残され、赤字経営を余儀なくされ2003年にはスキー場としての幕を下ろすことになった。
その後、リフトはニッコウキスゲの時期だけの運行とし赤字からの脱却を試みたが、赤字解消にはほど遠く、2010年にとうとう廃業という運命を辿るに至った。
日光市は廃業後の利用を検討すべくコンサル会社と相談し、リフト跡に階段を設けるとともに園内に散策路を敷設し歩きながら高山植物が見学できるようにしたのが現在の姿である。
階段は1445段もあるため終段まで行くには苦痛を伴うが、それを目当てに昇る人も多く、人気がある。→リフト運行当時のキスゲ平


ニッコウキスゲの蕾
開花は2週間先とみた。


ベニサラサドウダン

700段目を超えると傾斜は急になる。
Oさんはゆっくりながらも安定した足取りで上ってきている。
女峰山はこれから先が長いのでここは先を歩くガイドのことなど気にせず、マイペースを守るに限る。


サンリンソウ?


小丸山に到着
正面に赤薙山そして赤薙山の右に、女峰山へ向かう稜線といくつかのピークが見える。
地理院地図で見ると女峰山はここから7つ目のピークという、実に長い稜線の先にあることがわかる。
具体的には赤薙山(2010m)、2203m(奥社跡)、P2209、P2295(一里ヶ曽根)、P2318、P2463(三角点)、女峰山(2483m)という順になる。
実際には赤薙山のすぐ先に2077mのピーク、P2318の手前にも2つの小ピークがあるのでアップダウンの繰り返しとなる。
これらのピークを意識しながら歩くのも面白い。


小丸山を過ぎると焼石金剛までウンザリするほどの長いガレ場が続く。
そのほとんどが浮き石なので石に乗らないように気をつけて歩く。


2時間6分で赤薙山に到着。
あとで聞いた話だが、ここまで来られただけでも十分満足だったとOさん。


山頂の鳥居をくぐると女峰山が目視できる。
だが山頂を踏むにはこれからピークを5つ越え、6つ目のピークに達しなくてはならない。
これから先が苦しみどころだ。


男体山


少し休憩したのち、次のピークへ向かった。


バイケイソウ


ヒメイチゲ


ミツバオウレン


赤薙山から奥社跡へのルートは辟易するほどの厳しさで根を上げる。
女峰山はそう簡単には登らせてくれないのだ。
マイペースを保ち、着実に進むOさん。


3時間14分かかって奥社跡に到着。
ここで10分ほど休憩。


奥社跡は2203メートル。
次のピークは2209メートルとその差はわずか6メートルだが、それには50メートル下って56メートル上がる必要がある(実際には地図上のピーク2209への道はなく、ピークを左に巻く)。
ここはその鞍部。
1分とかからず終わってしまう短い平坦路だがホッとするひとときである。


ピーク2209から派生する尾根に乗ると一里ヶ曽根まで日本庭園を思わせる平坦な稜線が続き、そこはアズマシャクナゲの宝庫だ。
残念ながら今日、観たのはこの1株だけで他はまだ蕾だった。
見ごろは1週~2週先になるだろう。


ピーク2209から派生する平坦な稜線もここ一里ヶ曽根で終わり、ここから再びアップダウンの繰り返しが始まる。
女峰山はまだ小さく見えるだけ(中央の大きなピークの右下)。


一里ヶ曽根のガレ場を慎重に下る。


一里ヶ曽根の次のピーク、2318に乗ると、ここで初めて山頂の山名板が目視できるようになる。
ここまで来るともうすぐあの頂に立てるのだという希望が湧いてくる。


右が切れ落ちているザレ場を上って、、、


ロープのある岩場を上がる。
上がりきったら次はザレ場だ。
女峰山では過去に滑落事故はないが、おそらく気の緩む隙がないほど厳しい道程だからであろう。


イワカガミ


ミツバオウレン


女峰山のひとつ手前のピーク(2463m・二等三角点)まで来ると女峰山は目の前だ。
あと10分で山頂に立てる。
ガンバレOさん!


やはりあったか、残雪。
でも登山靴で歩くのに問題ないレベル。


女峰山の神様はOさんをとても快く迎えてくれた。
今日の女峰山は機嫌がいい!!

歩みはゆっくりとはいえ、念願の女峰山に登頂したOさん。
日頃の運動習慣(10日前に桧洞丸に登ったとのことだ)の成果が現れるのがこういうときだ。
喜びの笑顔溢れるOさんである。

管理人はこれで21回目の登頂だが、山行中そして山頂でOさんほどの高齢の登山者と出会ったことがない。60代の頃と比べて体力がガクッと落ち込む70代は体力面はもちろんのこと、精神面でも女峰山は厳しいのだ。
だが、Oさんは違った。
その体力と精神力は管理人自身、大いに見習うべきだと思った。

12時25分まで、十分すぎるほどの休憩をとり体力が回復した頃、下山を始めた。


下山し始めてすぐ、遠くに会津駒ヶ岳とその稜線が見えた。
会津駒ヶ岳は毎年数回、訪れるのを恒例としているが、登山口のある檜枝岐村は一村一集落で成り立ち、県外からの新型コロナ流入に細心の注意を払っている。山開きなど各種イベントを軒並み中止にした施策は理解できる。
そんな折りに県外者が村を訪れるのは歓迎されないだろう。
コロナが終息するまで気長に待つことにしよう。


燧ヶ岳


ピーク2318と一里ヶ曽根との鞍部にある水場。
この日の水量は多くはなかったがペットボトルに満たすには十分だった。


鞍部を一里ヶ曽根に向かって登り返す。
女峰山特有の「午後の霧」が漂い始めた。


奥社跡で10分ほど休憩。


白いイワカガミ(ヤマイワカガミ)


岩場を慎重に上がる。


赤薙山のすぐ手前に分岐があるので山頂を回避するためにキスゲ平方向に。


小丸山が見えてきた。


マイヅルソウ


下山開始から4時間22分、総時間10時間55分かかって無事に下山した。
いやぁ、それにしてもOさんの持久力は半端ではない。賞賛に値する。
これならまだ当分の間、難易度の高い山に登り続けられそうだ。

管理人も今の体力が維持できればあと3・4年は女峰山に登れそうな気がするが、若い人と違って体力を維持するには並大抵の努力では困難だ。
それほどに70歳代の体力維持は難しいと実感している。
Oさんのように御年74歳まで難易度の高い山を登り続けるには徹底した運動習慣と食事管理が求められるというものだが、それには強い精神力が要求される。
Oさんは体力はさることながら、決してめげることのない強い精神力をお持ちなのだろう。
登山開始から下山まで、11時間という長い時間を山の中に身を置くことができたのもその精神力あってのことだ。

一方、管理人のネックはなんといっても精神力だ。
アルコール習慣から抜け出すことができない。
この習慣さえ改めることができれば(いや、それは無理とわかっているが)登山人生をもっと延ばすことができるのにね(笑)


地図読みの問題、初級編
焼石金剛から先、女峰山までピークがいくつあるか数えてみてください。
また、標高が描かれていないピークが3つあります。この地図ではわかりづらいので国土地理院のサイトにアクセスし、それはどこかを探してください。
 →国土地理院地図


帰宅して写真を整理している合間にネットのニュースで知ったのだが、この日の午後、男体山で遭難事故発生との一報があった。
「下山中に疲労で動けなくなった」と、本人(58歳・男性)から消防に救助要請があったそうだ。
防災ヘリで救助されたが幸い怪我はなく入院することなく帰宅した様子。
間もなく75歳になるOさんとの山行を無事に終え、ひと安心した矢先に知った遭難のニュースだが、遭難した男性とOさんとの違いはなんなのかと考えずにはいられなかった。