古賀志山で御来光。その後、新年初歩きで鞍掛山へ。

2020年1月3日(金) 快晴/マイナス5度

古賀志山に足繁く通うになったのは2015年からだ。
前の年の10月に初めて訪れたとき、低山ながら岩場があったり展望が良かったり、聞くと地図に描かれていない道が100本以上ある、と心躍る印象をもって帰ってきた。
日光にそのような山はなく、ピークを目指して帰ってくると一日仕事になってしまうほどだから、半日あれば存分に楽しめる古賀志山はとても魅力的に思えた。

2015年に33回訪れたのは100本以上あるという地図にない道すなわち、バリエーションルートをすべて歩き尽くすことを目標(※)にしたからだ。
1本のバリエーションルートを歩いているとやがて必ず、別のバリエーションルートに分岐し、それがさらに分岐するという複雑怪奇さ。近くで人の声は聞こえるが姿を認めることはできない、それは管理人と同じ道を前後して歩いているのではなく、林や沢を挟んだ別の道だからなのだ。
上空から俯瞰すれば、木や石で仕切られた小さな箱庭の中を大勢の人が行き交っているように見えるのではないだろうか。


ほとんどの道を歩いたつもりになっていたが、いまだに未踏の道を発見したりで今日現在もこの目標は達成できていない。

関東平野が一望できる展望の良さは古賀志山に通い始めて間もなく気づいた。
周りに山のない、独立峰ゆえのメリットで、遠くは富士山、都心の高層ビルとスカイツリー、栃木県内は東西南北をパノラマに収めることができ、これでも高尾山よりも低い山なのかと思わせるほどだ。

古賀志山(広義には古賀志山山域)を歩きながらどこか、日の出が見られる場所はないかと探すと、実におあつらえ向きの場所がいくつか見つかった。
2016年正月、レジャー業にありながら稼ぎ時の正月が休みという不本意な日があって、せっかくの休みを無駄にしないよう古賀志山に行ってみることにした。

「猪落=ししおとし」という、東面が開けた岩稜帯がその場所であった。
期待に違わず、遮るものなく東から昇る朝陽をとらえることができた。
山頂よりも低いこの標高でこんなにも素晴らしい日の出を拝むことができるなんて、古賀志山は岩場やバリエーションルート歩きだけでなく、日の出まで楽しめるいい山であることを再認識した次第だ。

それから4年後の今日、図らずも今年も休みに当たってしまった。
積極的な宣伝をしないから他の宿と比べると宿泊客は少ないのは当然だとしても、家族を養う立場にある管理人としては正月くらいは、いや待て、世間の休みくらいは身を入れて仕事をしなくては、とそんなことを考える間もないまま今日の日の出ポイントはどこにしようかという検討を始めていた。


古賀志山はこれまで70数回歩き、すべて記事にしています。
興味があれば右上の検索窓に「古賀志山」と打ち込んで結果をご覧ください。

間もなく陽が昇る6時過ぎたころ、古賀志山に最短距離で行ける南登山道入口に車を置いて歩き始めた。
ヘッドランプを必要としたが6時半にはランプなしでもかろうじて歩けるくらい明るくなった。
場所は4年前と同じ、猪落でもいいのだが、より多くの場所の日の出を見ておきたいと思い、今日は南登山道から分かれ、古賀志山に直登する岩コースで山頂へ向かった。
なんども歩いたことのあるルートだが2・3箇所のポイントから東を覗き、良さそうな場所を決めておいた。
着いて10分ほど待つと東の空が濃い朱色に染まってきた。
ちょうど鹿島灘の方向だ。
海の上にはすでに太陽が昇っているのであろう。


おぉ、お出ましになった!


太陽が顔を出したまばゆいばかりの陽光に目を細めた。
太陽はわずか数分で雲間から空へと向かっていった。


筑波山がくっきり朱色の空に浮かび上がる筑波山(ズームで)。
立ち去りがたいが今日は先が長いのでこの光景を目に焼き付けて再び歩き始めた。


富士山が見えた場所を変えると真南からほんの少し西にうっすらとだが富士山が見えた。


都心の高層ビル群真南に蜃気楼のように見えるのは都心の高層ビル群だろう。
カメラには収まらなかったがスカイツリーも見えた。
言うことなしの正月三日である。


古賀志山山頂まだ日差しが届かない古賀志山。
せっかくの休業日だからここで終わりにはしない。
今日はこれから古賀志山を北上して、日光市との境界線上を東に歩いて鞍掛山へ行き、それから駐車地に戻るルートを組んだ。


暑いのでウエアを脱ぐ歩き始めたときは指先がかじかむくらい寒かったが日の出とともに気温はぐんぐん上がって汗ばむほどになった。
富士見峠で中間着の上に来ていたフリースを脱ぎ、下半身の防寒のために履いていた雨具を脱いだ。


伐採地古賀志山を北上すると地元の人が「伐採地」と呼んでいる桧の元植林地、ピーク559と呼んでいる「班根石山」、弁当岩と呼んでいる「弁天岩」といった休憩の好適地を通過する。
ここはその伐採地。
管理人が古賀志山に通い始めた頃は伐採跡が痛々しかったが、その後、幼樹が植えられて成長に至っている。
しかし、悪意ある何者かの手によって成長中の20数本の幼樹の先端が折られるという、あってはならない事件が起きた。
本来、真っ直ぐ育って初めて木材としての価値が出る桧だが、画像のように、折られた部分が枝分かれしてしまい、1本の木とは言えない無残な樹勢になってしまった。


日光連山がよく見える伐採地は西の方角が開けていて日光連山がよく見える。


班根石山次は通称ピーク559(正式名:班根石山)。
ここは北から南に開けていて展望がいい。
広いので地元の人の憩いの場になっている。


筑波山方面を眺める筑波山方面を眺める。
ここも日の出を見るにはいいだろう。
ただし、ここまで来るには6時前に歩き始めなければならないしヘッドランプの灯りでは頼りない。


日光連山が見える振り返ると日光連山が見える。
日の出に赤く染まった日光連山は見応えがあるだろうなぁと思う。
次は弁天岩へ。ピーク559から数分で着く。
ただし、岩の基部まで。


正面に巨大な岩ピーク559をあとにして歩くと道は途切れ、正面に高さ5メートルほどの巨大な岩が立ちはだかる。弁天岩である。
上から鎖が下がってはいるが大きさに圧倒されて上がるのを躊躇うほどだ。
古賀志山の岩場の多くには「古賀志山守ろう会」によってしっかりした鎖が取り付けられ年に一度、そのメンテナンスがおこなわれているが、この岩は地元の有志がつけた古い鎖のままとなっている。


弁当岩鎖を使わず両手両足で這い上がって岩の上の乗り、西へ少し歩くと広場と出合う。
そこは視界が開け、日光連山が遮るものなく目に入ってくる。
素晴らしい眺めである。
ここは広くて平らなので日光連山を眺めながら休憩するにはもってこいだ。
地元の人がここで弁当を広げるのが常のことになったことから、弁天岩が転じて「弁当岩」と呼ばれるようになったのも納得できる。

ちなみに今日の進路はこの先ではない。
岩を降り、元の道に戻ることにしよう。


さきほど、ピーク559からの道は弁天岩で途切れると書いたが、道はある。
あるが、両足を揃えるとそれだけで路幅いっぱいになってしまう。
右は崖になっていてこれはもはや道とは言えまい。
なお、先ほどの弁天岩は日光市に属し、これからしばらくの間、日光市との境界線上を歩く。


手岡分岐手岡分岐。
手岡とは日光市に属する地名で、「ちょうか」と読む。
手岡分岐はここが馬蹄形コースとの分岐点であることから識別のために管理人が勝手に付けた名前で、鞍掛山は直進するが馬蹄形コースに入るにはここを鋭角に左に入る。見落としてはならない重要なポイントである。


ヤブコウジ冬枯れで広葉樹の葉がすべて落ち、寂しくなった林の中で緑を見ると心が和む。
これはヤブコウジ。


朝食視界が開けたのでひと休みしてコンビニで買ってきたパンを食べることにした。
今朝は4時半にカップうどんを食べて出てきたが5時間経過して腹が減っていた。


猪倉峠を通過猪倉峠を通過。
かつては鬱蒼とした桧林だったが伐採されて明るくなった。
なお、伐採した桧を搬出するための道が数本あるので登山道と間違えないように。整備された道が搬出路で、足下の悪い道が登山道である。


「リョウブ」の木管理人がこのルートを歩く際の目印にしている大きな「リョウブ」の木。
目印を見つけるとなぜか安心する。
以前は根元から分裂して数本あったが腐ったためなのか伐採されて生きている幹だけとなった。


落ち葉が厚く堆積した道カサカサ鳴らしながら落ち葉が厚く堆積した道を快適に歩く。
と、平坦路だからそんな風に言えるが、これが急な下りだとズルズル滑って尻もちをつく。


シゲト山「シゲト山(470m)」を通過。
日光連山が一望できる。
今日のルートはここがもっとも北に位置する。


鞍掛山ふ~、ようやくここまで来た。
思えば辛いアップダウンの連続だった。
さて、ここから古賀志山に向かうが、途中の林道まで下りが続くので息がつける。


快適な平坦路を歩く快適な平坦路を歩く。


大岩地図にはないが「大岩」。
展望が素晴らしい。


大岩の上から筑波山を眺める。
ここで地元に人と出会ったのでしばらくの間、お喋りして別れた。


大岩の上から筑波山ここはルートではないのでご安心を(笑)
藪になっていてシュンランの群落地。


鞍掛神社の鳥居鞍掛神社の鳥居まで降りると林道と出合う。


鳥居をくぐって林道鳥居をくぐって林道を横切ると、長倉山までの長く、辛い上りが待っている。


長倉山360メートルの小ピーク、長倉山。
山名板はあるが地理院地図に山名はない。
長い上りで疲れたので腰を下ろして5分ほど休んだ。
これから今日、最大の難関である天狗鳥家(てんぐのとや)・コブシ岩を下らなくてはならない。
上るのも大変な岩だから下りは一層、難しい。


狂い咲きのヤマツツジ。
このエリアではよく見かける。


狂い咲きのヤマツツジ長倉山から登山口へ降りる道はあるが(ただし、地図にはない)、あえて危険なコブシ岩を降りることにしたのは訳あってのことで、実は駐車地に戻るための近道なのだ。


急斜面コブシ岩を降りると次に落ち葉が堆積した急斜面を立木につかまりながらへっぴり腰で下る。
この急斜面とこの上の岩場は、かつてはロープがあったが、山の中にロープや鎖があることに反感を抱く変わった人がいて、ことごとく撤去して回っている。本人の自己満足にすぎないと管理人は思うのだが、他人の土地(古賀志山山域の半分は民有地)なのにもかかわらず平然とモノを撤去、持ち去っている。


無事に赤川の畔に降りることができた。
あまりの緊張感のために疲れ果てたが、ここに来て一安心。
あとはアスファルト道路を歩いて2キロ先の駐車地に戻るだけだ。


疲れてゴールイン2キロのアスファルト道路とはいえ、傾斜がついているので登山靴で上っていくのは辛かった。
下着は汗をたっぷり溜め込んでベタベタだ。
この時間なら2時半前には家に着く。
まだ早いが風呂に入って疲れを癒そう。
そして次の課題をクリアするためにデータを整理しよう。
次回は馬蹄形ルートと今日の鞍掛山ルートを一気にやるつもりなのである(体調がよければの話)。


青線が今日歩いた鞍掛山ルートで赤線は馬蹄形ルート。
古賀志山と手岡分岐を結ぶ道が共通している。
鞍掛山ルートは距離が長いため古賀志山や御嶽山ほど人は多くないが、展望がいいので知っている人はこのルートを好んで歩くようだ。
それに比べて馬蹄形ルートは鬱蒼とした林の中を歩くのと、尾根の分岐がたくさんあって道がわかりにくいため鞍掛山ルートよりもさらに歩く人が少ない。
両者を組み合わせたルートだと距離は20キロに達し、よほど体調がよくなければできない。
管理人は2016年、17年、18年と続けてそれをやったことがあるが、体調はよかったものの疲労困憊して下山した。
なにしろ累積標高が2000メートルあるから女峰山に匹敵する。
ただし、小刻みなアップダウンの連続だから疲れは女峰山を上回る。それに距離は4キロも長いし。
昨年は体力の衰えから自重したが今年はなんとかして体力を取り戻し、この大仕事に挑みたいというのが新年を迎えての抱負(小人らしくささやかな)である。
そのためにはアルコールも断つ覚悟、んなぁことするわけないな(笑)。

最後に、遅くなりましたが今年もこんな調子でブログを書いていきます。
読者におかれましては長舌に呆れながら読んでいることと察しますが、引き続いてご愛読くださいますよう、よろしくお願いいたします。

参考
馬蹄形ルートと鞍掛山ルートの比較(数値はかなりおおざっぱ)。
上の図だと鞍掛山ルートの方が距離が長く見えるが、これはスタート地点をどこにするかで違ってきます。
所要時間は亀足の管理人のなので一般の方は2・3割少な目に見ておくといいでしょう。
なお、両者を組み合わせたルートの場合、古賀志山~手岡分岐の間が重複するので、数値を足しただけだと多めに出ます。
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