晩秋の尾瀬。花こそないが静けさがなによりもありがたかった。

管理人の福島通いは一昨年(2016年)の9月から始まった。
当初は栃木県に近い、日帰りで登れる山を目指していたがやがて福島県の深部に入り込むようになり、数えると田代山、帝釈山、代倉高山、会津駒ヶ岳、大杉岳、大戸沢岳、三ッ岩岳、燧ヶ岳、一切経山他5座、安達太良山、箕輪山、磐梯山など17座に達している。会津駒ヶ岳は7回も登っているから延べにすると20座を超えた。
登りたい山はまだまだあるが県境よりも奥に位置する山は宿泊しなくてはならないから、気が向いたからといってひょいと出かけるというわけにはいかない。数日先、仕事がないと確信できる日に限るわけだ。それと天候ね。

尾瀬は昨年6月末に燧ヶ岳を下山して尾瀬沼畔でテント泊し、翌日、尾瀬沼を一周したことがある。燧ヶ岳の急登に差しかかるまで、花咲く広大な湿原を歩いたのだがその素晴らしさに声を失った。→昨年の様子
いずれ尾瀬の湿原をすべて歩いてみたい、歩き尽くして尾瀬を極めたい。そんな夢をもつようになったのは管理人の性格からして不自然なことではないだろう。

尾瀬の冬が早いことは10月半ばになると山小屋が閉まることでわかる。遅くても27日の土曜日を最後に半年もの間、すべての山小屋が冬期休業となる。
その前になんとか都合をつけて歩きたい。あの広い湿原の中を。
10月の日光は紅葉の見ごろを迎えて人も車も多くなる季節だ。
宣伝もしていないが我がペンションにも人は訪れる。その合間を見て予定を組むことにしたが問題は異常気象がもたらす不安定な天候だ。雨が嫌いなわけではないが木道は濡れると滑る。ほぼ全線木道が敷かれている尾瀬は気が抜けない。
陽が降り注ぐ湿原の中を、花に囲まれて歩くハイカーの姿を撮った写真を目にすることがあるが、晴天時と雨天時では木道の危険度は正反対なのだ。

よしっ、明日から出かけよう。そう決めたのは16日の晩だった。ありがたいことに予報は晴れマークがついている。
17日は移動日に充てて尾瀬の玄関口、檜枝岐まで行く。18日は本番でその日は山小屋に泊まる。
泊まる場所だが翌日は早めに日光に戻らなくてはならないので帰りの利便性を考えて「見晴」地区に決めた。ただし、山小屋の予約はまだしていない。営業している小屋は6軒中、3軒。どこにするか検討する余裕もないまま檜枝岐に向かって車を走らせた。


2018年10月18日(木) 一日目
御池(8:03)~天神田代(9:23)~三条ノ滝(11:05)~ヨッピ吊橋(13:31)~牛首分岐(14:14)~竜宮十字路(14:56)~見晴(15:27/弥四郎小屋泊)

メモ
・歩行距離:19.9キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:7時間24分(撮影と休憩を含む)
・累積標高:780メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)

檜枝岐村の道の駅で朝を迎えた。
昨夜は満天の星だった。泊まる山小屋は夜になってから決めた。
6時に目覚め、車内でお湯を沸かしてカップうどんの朝食とした。400kcalはあるからこれで3~4時間は大丈夫だ。
檜枝岐から尾瀬の玄関口である御池に向かう国道352号線、通称「沼田街道」のキリンテを過ぎると燧ヶ岳がよく見える場所がある。車を停めてこの2日間で撮る数百枚のうちの1枚目とする。


御池の近くまで来ると林はカエデやミズナラ、シラカバの紅葉、黄葉で彩られていた。


朝8時の御池駐車場(最奥から出入口を眺めている)。
尾瀬ハイキングのピークは過ぎ、車はまばら。
コースはここから3本のルートがとれる。
もっとも人気があるのはシャトルバス(520円)に乗り終点の沼山峠で降りて歩き始めるルート。1時間で尾瀬沼東岸に着く。そこから尾瀬沼を一周したり、尾瀬ヶ原に行くことができる。
次は燧ヶ岳へのルート。群馬県側から入るよりも近い。3本目が今日、管理人が目指そうとしている三条ノ滝を経て尾瀬ヶ原に入るルートである。

参考までに、この駐車場は1回あたり1000円だが2時間までなら無料。軽い散策程度なら駐車場代はいらない。
また、群馬県のように「1日当たり」ではないというのがありがたい。さらには村の観光協会加盟施設に宿泊する場合は無料になるというのもいいシステムである。
管理人のように労力は惜しまないのに、駐車場代と高速代をケチる(笑)性格のヒトにとって福島県はおおらかで、親しみがもてる。
いや、そんなことよりも、金精道路を走れば尾瀬は日光から近いのに、ハイカーを快く迎えようという福島県の努力に敬意を表したい気持ちから、わざわざ遠回りしてここまで来るのだよ。


三条ノ滝を目指すには駐車場の奥まで行って歩き始める。
5分も歩くと三条ノ滝と燧ヶ岳との分岐があるので直進する。
三条ノ滝へのルート(裏燧林道)には7つも8つもの湿原の中を通り抜けるが、花の季節はそれは見事だ。
ちなみに田代とは湿原のことを指して言う。このすぐ先の湿原が御池田代。
昨年8月の様子→こちら


御池田代の次の湿原、姫田代。規模は小さい。


真西に良い形の山が見える。
昭文社「山と高原地図」で確認すると新潟県境の白沢山のように思える。


ルートは湿原ばかりではない。
湿原と湿原の間はガレていたり泥濘だったりと、注意が必要。


西田代
昨年8月に同じルートを辿って三条ノ滝まで行った。
そのときの湿原の様子。こんなにも違う→こちら


湿原と湿原の間はかなりアブナイ場所がある。
なぜアブナイかって?
一見、なんてことのない木道だが滑るのだよ。
とくにこの画像のように濡れていたり落ち葉が乗っている木道は滑りやすい。
注意しながら歩くと身体がこわばって余計に滑る。注意しながらリラックスして歩くというのが木道歩きの基本だ、、、ってそんな器用な真似できるか?(笑)


葉の形が特徴的なコシアブラ。
管理人、今日は濡れた木道が不可避であることを想定し、滑りにくさをウリにしたモンベルのローカットシューズ(品名:クラッグステッパー/「岩場へのアプローチやキャンプで活躍」というキャッチコピー)にした。
ところがこれが後々、災いをもたらせたのである。


裏燧橋を渡る。


尾瀬の紅葉はいまが見ごろらしい。
あちこちで美しい紅葉と出合えた。


この分岐はどちらへ行っても尾瀬ヶ原に行けるが、せっかくだから三条ノ滝を見てから尾瀬ヶ原に行こう。


兎田代


ナナカマド


三条ノ滝は今日のルートでもっとも低い場所にあるため急傾斜と急な階段を下っていく。


見えた。
ゴウゴウという音ともに豪快に流れ落ちる三条ノ滝。
ではこれから滝を間近に見る場所まで、さらに降りてみよう。


ありゃ、通れない!
尾瀬は豪雪地帯ゆえ、人工物は雪の重みで壊れてしまう。
そこで降雪前に外せるものは外して被害を最小限にくい止めようと、関係者が努力している。ここでは階段に設置してある鎖を取り外すそうだ。鎖に雪が付着すると重みで鎖が下方に引っ張られ、その力で階段が損壊してしまうのであろう。
その鎖を外すと通行するのに危険(急勾配の階段なので鎖がないと上れない)なことから通行禁止にしている、と読める。


三条ノ滝を後にして次の湿原、赤田代へ向かう。


三条ノ滝の上流部、平滑ノ滝を見下ろす。
名前の「滑」とはなめらかという意味で、その名の通り緩やかに傾斜した岩盤の上をゆっくりと流れている。


赤田代の入口。
ここには売店と2棟の山小屋そしてトイレ、気象観測所が建っている。


環境省が管轄しているチップ制のトイレ。


管理人が福島県の山を歩くようになってまだ間もないが、尾瀬に限らず、山中にトイレがあることに強く感心している。
そして内部は例外なくきれいだ。
こういった要素は特に女性には必須であろう。


山小屋の「元湯山荘(収容103名)」と「温泉小屋(同180名)」は今年度の営業を終了している。
入口と窓には板をはめ込んで風雪から守っている。
これから先、管理人が見た山小屋の収容人数を書いていくが、出典は東京電力ホールディングスのホームページ。


赤田代。規模は小さい。


近くのカエデがいい色をしている。


ミズゴケ


赤田代から20分ほどで分岐に差しかかる。
直進は今日の宿泊地と決めている「見晴」への最短ルートで、昭文社「山と高原地図」によると15分で着く。
長い距離を歩きたい管理人としてはここを右折して距離を延長したい。ここからヨッピ吊橋を経て牛首へ、そして竜宮を通って見晴というルートを選んだ。
15分で行けるところをあえて2時間40分かけて歩くのである。


進路は西。
正面に雄大な至仏山が見える。


コハウチワカエデ(たぶん)


東電小屋(収容90名)に差しかかる。
名前の通り、東京電力が経営する山小屋である。
余談だが東電小屋の「東電」という名称は東京電力の略称ではなく、東京電力の前身の「東京電燈」を略したものだそうだ。
ちなみにこの小屋は東電関係者のための保養施設ではなく一般向けに営業している。


古い木道のつけ替え工事が行われていて真新しい木道の上を歩く。
木道には東電の所有物であることを示す焼き印が押されている。
興味を持ったので帰宅して調べたところ、尾瀬国立公園全体の約4割の土地を東電という一企業が所有しているとのことだ。
東電は原発事故とその後の対応がまずくて落ちるところまで落ちてしまったが、東電による尾瀬の自然保護活動は昭和30年代後半から衰えることなく続いているとのことだ。
管理人が経営するペンションも原発事故によって多大な損失を被ったが、尾瀬の自然保護に熱心に取り組んでいる点に限っては東電の努力を評価したい。


東電小屋を過ぎて10分ほどでヨッピ川にかかる吊り橋を渡る。


吊橋を渡るとまたすぐ分岐。
左(南)へ折れると竜宮十字路へ行くが、ここでも距離を延ばしたいので直進して牛首へと向かう。


ここは池塘が多い。
振り返って燧ヶ岳をパチリ。


池塘に浮かぶ丸い葉っぱ。
尾瀬湿原にはほとんど見分けのつかない2種類の浮き草があってオゼコウホネとヒツジグサのどちらかだそうだ。
花が咲いている時期であれば白花のヒツジグサに対してオゼコウホネは黄色なので見分けられるが、葉っぱだけだと見分けはむづかしいらしい。
ただし仔細に観察するとある特徴があるのでどちらかわかるとのことだ。
ヒツジグサは葉脈が放射状に広がっているのに対してオゼコウホネは葉脈が主脈から平行に出ているそうだ。それと数からいうとヒツジグサの方が圧倒的に多いとも説明されている。
これなどヒツジグサであろう。


牛首分岐に到着。
三叉路になっていて右へ行くと至仏山の登山口になっている山ノ鼻へ、左は竜宮十字路を経て見晴へ行く。
計画では山ノ鼻まで行って折り返して見晴へ行くことを考えていたのだが、先ほどから足の違和感が気になって落ち着かない。左足の裏がヒリヒリするのだ。
ちなみに山ノ鼻と見晴の間の木道が尾瀬ヶ原のメインストリート的存在で、ミズバショウから始まる花の季節になるとハイカーで渋滞するらしい。


早く小屋に着いて足を休ませたい。
そんな気持ちがますます強くなってきた。
これは足裏のマメの痛みだ。足を木道に着けるたびに痛みが走る。
考えられる原因はクツを普段あまり履かないものに替えたことと、平坦路が長くそのたびに足裏全体で着地するため摩擦が大きいことだ。これ以外に考えつく原因はない。
いずれにしても小屋に着いたら靴下を脱いで見てみよう。


遮るもののない湿原は遠くがよく見える。
木道の先に小さく、建物が見える。
おそらく竜宮十字路にある山小屋であろう。


「竜宮現象入口(伏流点)」なる妙に興味をそそる表示があった。
ここは当然、行って確かめるべきだ。
※画像は見終わってから撮ったので矢印が反転している。


すぐ先に小さな池塘があってそこに3方向から水が流れ込んでいる。
しかし不思議なのは水の出口がないのだ。
流入した水は溢れることなく、水位が変わらない。
なるほど、流れ込んだ水は地下水脈に吸い込まれていくらしい。


先ほど小さく見えた建物は「竜宮小屋」であった。
いい佇まいをしている。まだ営業しているらしく灯りがついている。
収容80名と尾瀬の山小屋の中では規模は小さい。
とはいえ、一般の旅館と比べたら大きい方だ。


次は今夜の宿営地「見晴」に向かう。
この頃になるとマメの痛みで左足を引きずるようにして歩かなくてはならなくなっている。
車にはいつも履いている登山靴があるのに、今日に限って別のクツを履いてきた。平坦で長い木道を歩くのであえてそうしたのだが、完全に裏目に出てしまった。
そういえば最近では2年前の5月にマメをつくっている。その前は2014年だ。いずれも平坦路を25キロ以上、歩いたときにつくった。クツはランニングシューズと軽ハイキング用だった。
今回も同じパターンなので足とクツとの相性が悪いとしか言いようがない。早急に解決しなければならない大きな課題だ。


ホッ、着いた。
弥四郎小屋である。
明治21年、弥四郎少年14歳のときに入山し、昭和7年に自らの手で小屋を建てたのが弥四郎小屋の始まりだそうだ。その後、増築を重ねて現在250名という尾瀬で最大規模の山小屋になった。
ここ見晴地区の山小屋は6軒。そのうち冬期休業に入った宿が3軒、営業しているのが3軒。最初に電話をしたのが弥四郎小屋だった。電話での対応は良かった。


通された部屋は4畳半の個室だった。
畳が小さいため一般住宅の4畳半よりも狭いがひとりで寝るには十分すぎるほどの広さである。ふたりで申し込んだ場合もこの部屋になり、ピーク時にひとりで申し込むと相部屋になる。


GPSで今日の歩行距離を確認すると18.6キロを示していた。かなり歩いたのだ。
さっそく靴下を脱ぎ、足裏を見ると人差指と中指の付け根から下が赤くなっているのが確認できた。マメの一歩手前の状態だ。

売店で買った缶ビール(450円)を一気に飲み干し、別館にある風呂で疲れを癒す。
ひとつの浴室を時間を区切って男女交代制(混雑時はふたつの浴室を男女別に使うらしい)で使う。湯は管理人にはぬるく、もっと長い時間、浸かっていたかったが、交代の時間が迫ってきた。明日、マメの具合が良くなったら檜枝岐の温泉に浸かって帰ろう。
なお、石けんとシャンプーの使用はできない。これは尾瀬の山小屋すべてに共通している。
風呂から上がって念のため明日に備えて絆創膏を二重に貼ってクッションの代わりとした。それでもかかとだけで歩かなくてはならないほど痛む。

食堂ではひとつのテーブルを4組・6人で囲んでの夕飯になった。
ひと組は中国から帰化して22年になるというMさん夫妻。もうひと組はIさんとIさんの20代カップル。もうひと組はなんと、尾瀬に40年も通っているという60代半ばの男性でNさん。弥四郎小屋の常連で主のような人だ。
6人の中心になってくれたのがNさんで、他5名の縁を取り持つようにきめ細かな配慮をしてくれてありがたかった。


2018年10月19日(金) 曇り 二日目
見晴(7:00)~沼尻(9:08)~尾瀬沼東岸(10:16)~沼山峠(11:53)~(バス)~御池(12:26)

メモ
・歩行距離:13キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:4時間53分(沼山峠まで。撮影と休憩を含む)
・累積標高:721メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)山小屋の朝食時間は早い。6時半には食べ終わったので出発することにした。
左足のマメの痛みは治まっている。このままの状態で歩き通せればいいなと願う。


先ほども書いたが見晴地区には6軒の山小屋がある。
今後の参考にするため6軒すべて、せめて外観だけでもと思い、見て回ることにした。
弥四郎小屋のすぐ隣、「ひのえまた小屋」はまだ営業していた。収容は100名。


その向かいの「尾瀬小屋」は冬期休業に入っていた。同185名。


「原の小屋」も休業。同173名。

尾瀬沼東岸の「長蔵小屋」と同じ経営の「第二長蔵小屋」。同94名。


4軒、見終わると林間の中に入った。
んっ、5軒しかなかったぞ!
もう1軒を探すため木道を歩いていると分岐が見つかったので本線から外れて歩いていくと、、、


なんだ、ここにある。「燧小屋」だ。
5軒の小屋を回り込むようにして歩いたところにあった。同99名。


燧小屋に隣接して環境省管轄のトイレと、、、


同じく休憩所。
入口脇に流し台がある。


トイレと休憩所に挟まれた木道を歩いて行くと、そこは広場になっていた。テント場だ。
テントは100張、可能だそうだ。
環境省の委託で燧小屋が受付を代行しているが予約は当日でいいらしい。ピーク時でもテントが張れないということはないのだろう。
昨年は燧ヶ岳を下山して尾瀬沼東岸でテント泊したが、ここは水場もトイレも近いし広々していて気持ちよさそう。
来年はここでテント泊、、、という考えも浮かんだが、昨年はあまりの荷物の重さに身体が保たず、疲労困憊した。荷物の工夫を根底からやり直さなくては体力が衰えた管理人にはムリだ。でもやりたい(笑)


足裏に絆創膏を貼りその上に靴下を二枚重ねて履いたのがよかったのか、歩き始めて40分たったが今のところマメの痛みを感じることなく、順調に歩けている。


カエデが積もった木道。


尾瀬は本当に水が豊かだ。
流れを何本、わたったことか。


尾瀬沼へのルートはいまが紅葉の盛り。
いい時期に来たと思う。


水が豊かな土地には苔が生育する。
これはシッポゴケ。


白砂田代(地理院地図だと白砂湿原)。
この辺りまで来てなんだか右足の裏がジンジンしてきた。
これもマメの痛みらしい。昨日は左足、今日は右足、なんつ~こったぁ。


ほどなく沼尻に到着。
このルートで最初に尾瀬沼と接する地点である。
ここを右へ行ってさらに右に折れると三平峠に行く。


分岐を右へ行くとすぐ、小屋が建っていた。
昨年は尾瀬沼東岸から南岸を歩いてここにやって来た。
そのときはこの小屋はなかった。いや、それまであったのだが2015年に火事で全焼し基礎しか残っていなかったのだ。→昨年の沼尻
それがこのように立派に復活し、再びハイカーの役に立つようになったわけだ。
季節になるとあのテラスの上にはきっと椅子が置かれるのだろう。売店にはハイカーの喉を潤す飲物があるはずだ。ビールもある、絶対!!
テラスの椅子に深く腰をかけて目の前に広がる尾瀬沼を眺めながら飲むビール、美味くないはずがない。来年を待とう。
でもビールを飲むためにはもう1泊しなくてはならない。今回は1泊だったが来年は2泊3日の旅にしよう。


尾瀬沼は広いが木道にもっとも近く、同じ高さになるのがこの沼尻である。


沼尻から燧ヶ岳に登るルート。
4本あるルートでもっとも距離が短く、もっとも時間がかかるのがこれ!


薄曇りの尾瀬沼。いいねぇ!


ここは浅湖(あざみ)湿原というべきか大江湿原というべきか、その区切りがよくわからない。
昨日から今日にかけて歩いた湿原は、湿原と湿原の間に林間があって湿原それぞれに名称がついていたが、ここは切れ目なく続いているので朝湖湿原と大江湿原との境はよくわからなかった。


ここはニッコウキスゲの群落で有名な大江湿原。
この先で木道はつきあたり、左へ行くと御池へのシャトルバスが出る沼山峠、右へ行くと長蔵小屋へ行く。


沼山峠へ行くにはここを左に折れる。
右へ折れると200メートル先に長蔵小屋と環境省のビジターセンターがある。


尾瀬沼東岸にひっそりと佇む(と、この画像からはそう見えるが)、長蔵小屋。
尾瀬開拓の祖、平野長蔵氏が初代の小屋を建てその後、現在の建物になったのは1934年(昭和9年)とされている。尾瀬ハイカー憧れの山小屋である。
きっと薪ストーブを使っているのであろう、煙突から煙が立ち上っていてまだ営業していることをうかがわせる。収容は268名と弥四郎小屋よりも大きい。


長蔵小屋の前には環境省のビジターセンターが。
このビジターセンターは日本の高度経済成長期まっただ中の1964年(昭和39年)に完成し、現在に至っている。築54年と古いが、当時は高度成長期でもあり多額の資金を投入して建てたのであろう、建物はしっかりしているように見える。
古い話だが30数年前、我が家の末っ子が3歳くらいのときに家族で尾瀬沼を一周したことがあり、その際にここに立ち寄った記憶がある。


そのビジターセンターだが耐震性の不足や老朽化を理由に現在、隣接する国有地で新築工事をおこなっている。大型の重機が動いていた。
現場のフェンスの向こうに見えるのは長蔵小屋の玄関側で現場は長蔵小屋前のカラマツ林を伐採して更地にした場所。ここへは車が入れないため資材はヘリコプターで運び入れる。大型の重機は分解してヘリで運んできたそうだ。
先ほど、尾瀬沼の畔にひっそりと佇む「長蔵小屋」と書いたが、工事が始まってからの長蔵小屋は発生する音と震動、そして景観の悪さに泣いているみたいだ。完成するまであと2年、我慢しなければならないのだ。
調べると、ビジターセンターの建て替えについては異論があるらしい。
現在のビジターセンターは古いとはいえ、基礎も建物もしっかりしているので耐震性に弱いのであれば補強すれば済むのに、なぜわざわざカラマツ林を伐採すなわち景観を壊してまで別の場所に建てる必要があるのか、他の建物でもやっているように補強では耐震性が保証できないのか、さらにはいまの場所を使っての立て替えではだめなのかというものだ。
古いものを直しながら長く使い続ける、そのほうが尾瀬の自然に似合っている、と管理人も思う。
2年後つまりオリンピックの開催に合わせて完成させるようなので、勘ぐればハイカーというよりは観光目当ての客を当て込んでいるのかもわからない。
工事は長蔵小屋の経営と長蔵小屋を利用するハイカーに多大な影響を与えるであろうことに同情しつつも、”あの問題”さえ起こさなければ違う展開になっていたかもしれないと思うと、つくづく残念な気持ちになる。

尾瀬の自然保護に心血を注いできた平野家が、まさか自然保護に逆行するようなことを起こすとは、、、
それは2002年に発生したゴミの不法投棄問題のことである。


檜枝岐村村営の尾瀬沼ヒュッテ(収容150名)。
昨年は燧ヶ岳を下山後、このヒュッテが管理する野営場でテント泊したが、疲れを癒すためにここで入浴しようとしたらテント泊者はだめだと断られた苦い経験がある。日帰り入浴可と宣伝しているのにだ
檜枝岐村には愛着があるのであえて苦情は呈していないが、二度三度と重なった場合は申し入れよう。


足を休めるのでもなく食事をするのでもなく、ぶらぶらしたたけで尾瀬沼を後にして沼山峠へ向かった。右足のマメの痛みが激しくて一刻も早くバスに乗りたかった。


進行左の小高い丘の上に平野長蔵氏とその家族の墓があるので立ち寄ってみた。


小淵沢田代への分岐。
右へ折れると湿原を一周して尾瀬沼に戻ることができる。


尾瀬沼東岸から沼山峠への道は全線木道が敷かれ歩きやすい。


とはいえ、木道は傾斜しているので雨の日など反対方向から来る場合はきっと滑るだろう。マメの痛みはピークとなった。


沼山峠の休憩所が見えたときは救われた思いがした。


この時間は下山するには早いし入山するには遅いという中途半端さなのでハイカーの姿は少なく、3名しかいなかった。


沼山峠と御池を結んでいるシャトルバス。
30~40分に1本の運行なので待ち時間が短くて便利。


1泊2日の尾瀬の旅を終えて感じたのは、季節を選べば尾瀬は静かで、のんびり歩けるんだなぁということだった。この時期の尾瀬は見るべき花はないがハイカーが少なくて静かでいい。
昨年そして今回、歩いたルートは全体の半分に過ぎないので、すべてのルートを歩き尽くすためにもあと数年は通ってみたい。もちろん、季節を変えながら歩いてもみたい。

その季節だが、雪解けが進む5月になるとミズバショウが開花し、以後、次から次へと花が咲き始まる。
ハイカーが繰り出すのもその頃からである。一度の山行で数百枚の写真を撮る管理人はそれらハイカーに混じって歩くのは困難だ。迷惑になる。
是が非でも写真を撮りながらゆっくり歩きたいが、そんなことができるのかどうか?

尾瀬を歩くのに先だって調べてわかったことは、ハイカーの60%は鳩待峠(群馬県側)から入山、20%が御池(福島県側)からバスで沼山峠(福島県側)まで移動して入山していることだ。
管理人がこれまで利用したことのある御池から徒歩で入山するハイカーは全体の5%に満たないことがわかっている。
御池からだと燧ヶ岳あるいは三条ノ滝を経て尾瀬ヶ原を目指すことになるわけだが、両者合わせても全体の5%に満たない。これは花がピークを迎える6月・7月でもかわっていない。絶対数は増えるが。
昨年は6月末に御池から燧ヶ岳に登って翌日、尾瀬沼を一周。8月は同じく御池から三条ノ滝を往復したが、いずれも拍子抜けするほど空いていてデータを裏付ける結果となっている。→出典:関東地方環境事務所・平成29年度尾瀬国立公園入山者数について

狙い目は御池から三条ノ滝を経て尾瀬ヶ原に向かうルートだ。
尾瀬ヶ原に入ったら今回、管理人が歩いたメインストリート(牛首~竜宮~見晴)の北に位置するルートを歩くのがいい。これなら花の季節でも混むことはない(たぶんね)。
そして花が終わって空いた頃を見計らって、至仏山や燧ヶ岳を眺めながらメインストリートを歩けばいいだろう。
よっし、来年はこれで行こう!!

その際は積極的に山小屋を利用するつもりだが、数年で20数軒ある山小屋すべてに泊まるというのはどうだろうか?
古稀を迎えて老い先短い管理人には壮大な夢となりそうだが、新たな目標に向かって歩むのもいいだろう。
福島県北部の山にも登りたいし尾瀬を歩き尽くしたい。こうして日光の山から遠のくばかりの管理人なのである。

それにしても反省すべきは不覚にも両足にマメをつくってしまい、苦痛に耐えながら歩かなくてはならなかったことだ。
根本的な原因は加齢に伴って足裏のアーチが減少している上に、距離が長いとはいえ平坦路だからと甘く見て、普段あまり履かないクツで歩いたために足裏が強い摩擦にさらされたのであろうと思う。マメを作らない工夫をこれからの課題としよう。