2024年10月29日(火) 曇り
高齢になるとちょっとした怪我をきっかけに、体力が急に衰えたり、転倒しやすくなったり、歩けなくなってしまうことがある。そうなると元の身体に戻すのは困難を極める。
管理人は紛れもなくそういう年代になった。
いまブログを書きながら、登山ができなくなったら人生終わりだなぁ、お客さんとのツアーができなくなったら寂しくなるなぁ、などと思考はマイナスへマイナスへと突き進んでいる。
これには理由がある。
9月におこなった能登半島地震のボランティア活動で、二十数年ぶりにギックリ腰をやった。災害ゴミを分別するのにヤンキー座りで作業中、数十センチ先にあるゴミを拾おうとして手を延ばした瞬間だった。
幸いにも活動の最終日だったので皆に迷惑をかけずに済んだが、重量物を運搬するのがボランティア活動の中心だったため、脊柱そして腰にかなり大きなダメージをうけていたのではないかと思う。
ボランティア活動を終えても腰の痛みはなかなか治らず、先月22日はチェーンソーのエンジンをかけるときにもグキッとなった。
そして今日、ズボンを履き替えようとして今年三度目のギックリ腰をやった。
三毳山に行く予定を立て、あと5分もあれば出発できるというタイミングだった。
周期が短くなってきていることから察し、管理人の腰痛は慢性化しつつあるようだ。
その三毳山を初めて訪れたのは昨年の3月だった。
管理人がまだペンションを開業する前、サラリーマンだったころから付き合いのあるNさんとその知人のMさん、Oさんを案内したときだった。
管理人、それまで三毳山がどこにあるのかさえ知らなかったのだが、新聞に三毳山にカタクリの群落があり、咲き始めたことが取りあげられていて、初めてその存在を知ったのである。
新聞の記事になるくらいだからそれなりの大きさの群落なのであろう、そんな興味から知人3人を伴って訪れた次第だ。
三毳山は県南の栃木市にあり、標高は管理人が好んで行く古賀志山(583m)よりもさらに低く、229mしかない。
日光の山に夢中になっていたころの管理人であれば、登るに値しない山、そう思ったはずである。
なのだが、古賀志山(583m)の面白さを知ってからというもの、山は高さだけが魅力ではないことを知り、古賀志山の他にもおもしろそうな低山を探しては登るようになった。
それが三毳山と同じ栃木市の太平山であった。
地元の人が開拓したバリエーションルートがたくさんあって、それらを地図を読みながら潰していく楽しさが味わえる。
三毳山は太平山に比べるとバリエーションルートは少なく、魅力にやや欠けるものの、コースを組み合わせれば10キロほどの行程になるので、故障をかかえて歩く自信をなくしている管理人には距離、傾斜ともちょうどいいのである。
目的は先月29日に古賀志山で発症した右足の腸脛靭帯炎の様子をみるためであった。
腸脛靭帯炎は管理人の持病のようなもので、10年以上前から年に数回の割で経験している。
慣れっこになっているとはいえ、発症すると歩く気持ちが失せるほど、膝が鋭い痛みに襲われる。
古賀志山のような岩場の多い山だったり、階段状の段差が続くルートだと膝を深く曲げる動作が必要で、そうすると8キロ前後辺りから前兆が始まる。
膝の外側の骨の出っ張りとその上に重なっている腸脛靭帯が、膝の曲げ伸ばしで擦り合い靱帯に炎症が起きるのである。
山行中に発症すると治まることはなく、痛みに耐えながら下山しなくてはならないから厄介である。
原因はわかっている。
15年前、右くるぶし(正確には腓骨)を骨折し手術した後、右足を着地する際に小指側に力が入ってしまうのである。
右足の小指側と親指側で地面を踏む力が均等でなく、小指側に力が入っているわけだが、そうすると地面に対して脚が垂直ではなく、膝が外側へ出っ張る格好になるため腸脛靭帯との摩擦が左脚より大きくなる。
摩擦が過大になり炎症が激しくなると膝の外側が痛み出す、それが腸脛靭帯炎発症の過程である。
そこで対策として、右足を着地する際に意識して親指側で着くようにしているが、痛みが喉元を過ぎると忘れるというたとえの通り、気がつくと小指側に力が入っている。
親指側で着地するという意識が根付いていないのである。
そもそも足の着き方を意識しながら歩かなければならないとなれば、本来向けるべき意識の方向が違ってくる。
なんとかして意識を根付かせたい、そんな思いをすでに10年以上、持ち続けている。
意識せずに足底全体でバランス良く地面に足が着けるようになりたい。
足底が均等に着く感覚を身体に覚え込まさなくてはならない。
まっ、そんなことどこででもできるわけだが、いつもの平坦なウォーキングコースでは効果が期待できそうにない。
登山中に発症する痛みは登山で治す。ただし、身の危険のない場所で。
そんなわけで今日のリハビリは三毳山で、と決めて着替えのため登山用のズボンに右足を入れようと中腰の姿勢になったそのとき、腰の左側に激痛が走り、動けなくなった。
う~ん、腸脛靭帯炎の確認をするための山行のはずだったのに、出発間際になってギックリ腰とは笑い話にもならない。
さあどうしよう。
今日の山行ばかりか、高齢のオマエには登山などもうムリなんだよ、と天の声が聞こえる。
待て、そんな声に惑わされてはいけない、という管理人の声が天の声と交錯し、しばし葛藤があった。
ギックリ腰が慢性化したらしたで対応の方法はあるだろう、腸脛靭帯炎のように。
そう思うことにして葛藤から抜け出すことにした。
幸いなことに身体は動くようだ。
重たい物を持ち上げるときの中腰の姿勢とお辞儀をするときのような上半身前傾の姿勢をとると痛むことがわかった。
山を歩くのにこの2つの姿勢をとることはあまりない。
もしも中腰や前傾を必要とするときは、下っ腹に思いっきり力を入れて腰を守ろう。
そんなわけで腰痛という現実と、腸脛靭帯炎という爆弾をかかえて三毳山を目指すことにした。
三毳山を歩くには東西南北4ヶ所の登山口のどれかを利用する。
管理人の三毳山の経験はまだ浅く、これまで利用したのは北登山口と東登山口の2ヶ所。
そして今日もまた東登山口である。
ちなみに南口は道の駅「みかも」、西口は佐野SA出口に隣接しているため混雑を心配してまだ利用したことがないのだ。
今日の予定は三毳山の大外を左へぐるっと回る約10キロの道程で、アスファルト道路(公園の管理道路)が半分を占める。
まず、駐車場から「とちぎ花センター」脇を歩いて三毳山を目指す。
とちぎ花センターにぶつかるとアスファルト道路に変わり、西に向かう。
右に案内板が見えたら右へ入る。
が、実は右へ行く道は地理院地図には描かれていない。
案内板右手前に「栃木JIMINIE俱楽部 自然の家みかも」が建てられたのに伴い、地理院地図にある道は施設の建設によって建物の下に隠れ、代わりに画像の道が敷設された(たぶん)。
このルートは今年3月にお客さんと歩いているがこの分岐は記憶にない。
お客さんと/話しながら歩いていたので見逃したのかもしれない。
地理院地図を見ると三毳山山頂から東南に向かって緩やかな尾根が張り出していて、ハッキリした道になっている。
低山特有のバリエーションルートだろうから、ここは当然右へ行く。
先ほどの分岐から16分で三毳山山頂。
標高わずか229メートルという立派な低山である。
とはいえ、登山口からの標高差は200メートルあるから簡単とは言い切れない、低山特有の面白さがある。
ところでGPSに表示される現在地は地理院地図の三毳山に間違いないのだが、山名板は青竜ヶ岳となっている。
地理院地図を子細に眺めると、三毳山塊にはピークが4つある。
そのうち、標高がもっとも高い青竜ヶ岳を三毳山山頂と称しているようだ。
さて、今日は三毳山を周回するのに可能な限り、大外にルートを取りたいと思っている。
スマホの地図アプリ、Geographicaに表示されている地理院地図には山頂から真西に向かって西登山口に下りる道が描かれている。
スマホの画面にある赤い線がそれである。
3月に来たときに探したが見つからなかったので今日はもう少し丹念に探してみようと思う。
地理院地図に描かれている道はいま管理人がいる場所から始まっている。
だが、山頂の西斜面に道はなかった。
低山だから道があれば必ず歩く人がいるはずだが、踏跡さえ見えない。
ということはすでに廃道になって数十年、経過しているのかもしれない。
地理院地図は最新版でも廃道になって久しい道が改訂されないまま残っていることがある。
おそらく西へ下る登山道もその類なのであろう。
場所を少しずつ移動しながら20分ほど探したが、見つからないので諦めることにした。
道はここで分岐する。
3月はたしか道なりに左に行ったはずだ。
スマホの地図アプリが示す分岐はもう少し先だが、これだけハッキリした道であればやはり地理院地図に描かれた分岐が現在はこの場所になっているのであろう。
だとすれば西登山口に行くには分岐を右に行くべきだ。
整備の行き届いた道は階段に変わり、前方にアスファルト道路が見えるようになった。
公園の管理道路と交わる。
今日の予定ルートはここを左へ行くが、初めてきた場所でもあるので、後々のためにハーブ園そして西口の駐車場を確かめておこう。
お客さんを案内するためにも事前に知っておくことが大切なのである。
ほう、なるほどねぇ。
ハーブ園の中を散策できるようになっているんだ。
さすがに県南、我が日光に比べれば気候が温暖なのだろう。
ちょうど昼時になったので、万葉庭園にある池のほとりで昼メシを食べることにした。
四阿に入ると大きな鯉が泳ぐ池とその向こうの庭園を眺めることができ、とてもいい雰囲気が味わえる。
時間に追われて先を急ぐ山行と違って、今日はピクニック気分だ。
味わって食べることができた。
万葉庭園を外れて管理道路をわんぱく広場への分岐へ向かうが、地図だと分岐はここではなく、もう少し先なのである。そしてこの分岐は地理院地図に描かれていない。
う~ん、でも方向は同じだし、案内板にもここがわんぱく広場への道と書いてあるから間違いないのであろう。
標高130メートルのピークになっていて「黒立岩」の案内板が立っている。
上杉謙信にゆかりのある場所と案内板に書かれている。
そういえばすぐ近くにある太平山には謙信平という場所がある。この辺一帯は戦場になっていたらしい。
間もなく管理道路と交わり、そこに13番の四阿がある。
わんぱく広場、ゴールの東登山口へは四阿から先、ずっと管理道路を歩く。
普段なら子どもたちで賑わっているはずのわんぱく広場が妙に静かだと思ったら、きょう火曜日は定休日だった。
画像の下から来て5番の四阿で四差路になる。
画像左の道は山頂広場へ、右へ行くと道の駅「みかも」、画像の奥への道が東登山口へ行く。
キツネノカミソリとカタクリが群生する、太田和群生地という名の場所への分岐。
スタート地点の東登山口に着き、これで三毳山公園大外周回が終わった。
10キロは歩いたようだが、その6~7割は管理道路という、膝や腰に不具合のある管理人に優しいルートであった。
目標通り、10キロ歩いた。
親指側で着地する、それが管理人の場合、足底全体で地面に着くことになるので、それを意識しながら歩いたが、普段使わない筋肉を動員したためか右足のふくらはぎに筋肉痛を感じた。
まっでも、結果として腸脛靭帯炎にならず、よかったのではないかと思う。
問題は今日の歩き方の定着にある。
親指側での着地を意識せずにおこなえるようにならなければ定着したとはいえない。
腰の痛みは平坦路を歩いている限り、感じなかった。
だが、段差を下りる際、右足でも左足でもドンと着くと痛むことがあった。
重心を後ろに保ったまま静かに着地するように心がけよう。
今日のザックは6キロだったが背負う荷物を増やしたり、ザックを背から下ろしたり背負ったりする回数が増えると痛みだすであろう。
これからも腰に負担がかからないように荷物の軽量化に努めよう。
などなど、思うことがたくさんあった三毳山大外周回であった。