2021年9月13日(月) 晴れ
12日の24時に解除されるはずだった栃木県の緊急事態宣言はコロナへの感染が収まらないことから30日まで延長されることになった。
これだけ緊急事態宣言が度重なると通年緊急事態宣言に等しく、平常日の方が少ない。
そこで数少ない平常日を「非緊急事態宣言」発令期間としてはどうか。
緊急事態宣言中、国民には一切の外出を禁止し、街角には武装した警察官や自衛官が立って目を光らせる。週に一度は買い物に限定して外出を許可する。
その代わり行政は、ワクチンを今の5倍の速度で打ちまくるとともに個人や企業に対して年収相応の経済対策をおこなっていくのだ。
財源はもちろん、これまで国民から巻きあげ、蓄えてきた血税である。国にとって痛くも痒くもない。
一年のうち数日しかない「非緊急事態宣言」中は長きに及ぶ自宅軟禁生活で疲れた国民への外出禁止を解き、大いに羽を伸ばすことを促すようにするのがコロナ対策としてはいい。
そんな冗談のようなことが近い将来現実化するのではないかと、今のコロナ対策を見ていると管理人はホントにそう思ってしまう。
今の国の政治そのものが小学生の学芸会のノリあるいは冗談でやっているようなものだしね。
いや、小学生の方が真剣に取り組んでるか?
さてさて、予定していた行動を緊急事態宣言延長という予期せぬことで変更するには無理がある。
自粛はあくまでも自らの意志で行う、というのが管理人の考え方である。
どうしても行ってみたい場所がある。
上高地である。
上高地へは昔、まだマイカーが通行できた時代に二度か三度、行ったことがある。
とはいえ、当時はまだ登山など眼中になかったので、もしかすると北陸や能登へ観光に行く途中で立ち寄ったのかもしれない。
覚えているのは梓川の河原に車を乗り入れて夜を明かしたことと、釜トンネルの暗さと天井から滴り落ちる浸出水とガタガタ道そして、とんでもないほどの急勾配。
平湯峠にバイクを停めて撮った写真がアルバムにあるから、2輪でも行ったことがあるのだと思う。
なぜ今、思いついたように上高地なのかと言えば、若いころ行ったことのある地を偲ぶ旅とでもいうか、要するに年寄り特有の懐古の情が上高地へ行けと急かせるのである。
なにしろ、新しい出来事はすぐに忘れてしまうくせに古いことは次から次へと思い出し、懐かしさに胸を熱くする傾向が最近とみに強くなっている管理人なのである。
あ~、いや、今回はただ懐古の情だけで上高地を訪れるわけではない。
せっかく行くのであれば日本を代表する山岳地帯、北アルプスの登山口としての上高地を意識して歩いてみたいと思っている。
年齢から考えれば遅きに失する感のある北アルプス登山、その玄関口となる上高地へ、いそげ~。
結果(GPSはGARMIN 30J、GPSウォッチInstinct、GPSロガーm-241を使用した)
・歩行距離:14.94キロ(GARMIN Instinctのログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:5時間26分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:299メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)
昔と違って上高地へはマイカーでは行けなくなっている。
自然保護と渋滞対策を目的に1975(昭和50)年に夏季のみ、1996(平成8)年には通年、通行禁止となった。
代替え手段として国道158号線の沢渡(さわんど)にマイカー専用の駐車場ができ、そこからシャトルバスが運行するようになった。
画像はその沢渡駐車場バスターミナル。
管理人は前夜、沢渡駐車場に隣接する足湯公園駐車場に車を駐めて夜を明かし、早朝歩いてここまで来た。
ここを始発とするバスが満車で乗れないと当然だが車を駐めた足湯公園駐車場からも乗れない。
歩いて来たとはいっても沢渡駐車場とは4分しか離れていない。
安全のためにもバスの始発駅まで歩いて来たというわけ。
なぜわざわざ隣の駐車場に駐めたかというと、ここ沢渡駐車場は夜間はトイレが使えないことがわかったからだ。
家にいようが車中泊をしようがアルコールなしでは食事が喉を通らない管理人にとって、深夜にトイレは欠かせない。
トイレが使えない駐車場では車中泊ができないのだよ。
6時始発のバスにはまだ間があるので駐車場内にあるインフォメーションセンターを見学(前の画像の左の建物)。
始発の10分前になって券売機のシャッターが開いた。
沢渡駐車場から上高地までの往復(少し安くなる)、2400円を支払って乗車券を手に入れた。
乗車券は7日間有効なので北アルプスを縦走する余裕はあるようだ。
大型バスは詰めれば60人は乗れそうだがコロナ対策で半分の人数で出発した。
それにしても夏を過ぎ、紅葉にはまだ早い平日なのに人が多い。
すべてが登山やハイキングが目的ではなく、観光で訪れる人もいる。
ちなみにこの時点で管理人は、夏でもザックに入れている薄手のダウンを着ている。
バスに乗った人の多くは大正池か終点の上高地(河童橋)で下りるが、管理人は大正池のひとつ手前「太兵衛平」で下りた。
インフォメーションセンターにいた係員から、このすぐ近くに昭和の初めに造られた砂防ダム「釜ヶ淵堰堤」があると聞き、ぜひ見たかったのだ。
砂防ダムであれば梓川にかかる堰堤であろうと思って探したが、しかし見つからなかった。
砂防ダムの事務所を示す道標があったのでそこを訪ねたが、時間が早すぎたのか無人だった。
帰宅して調べたところ、砂防ダムはバス停から1300メートル下流にかかっていることがわかった。管理人の聞き違いだったようだ。見学は次の機会にしよう。
梓川の左岸に沿って車道を歩いて行くと前方に穂高連峰が見えてきた。
ただし、ここからだと遠すぎて山名の特定ができない。
河童橋まで行けばわかるだろう。
バス停の大正池まで来た。
大正池すなわち梓川へはこの脇を下りていく。
この道標が指す方へ歩いて行けばいい。
おぉ、梓川が見えますなぁ。
きれいな水の色をしている。
左に見える構造物は「大正池ホテル」の一部。
大正池はあっけないくらい、近くにあった。
池と言うよりは梓川の流れの一部と言っていいくらい、管理人が思い描いた大正池とは姿形が異なる。
管理人が最後に訪れてから半世紀もの歳月によってその間、土砂の流入で川底が浅くなり景観が変化したのだろうか?
ちなみに前方に見えるこんもりした山は焼岳。
大正池は焼岳の噴火によって梓川がせき止められてできたそうだ。
大正池の河原に佇む女性。
3千メートル級の山が連なるすぐ近くに、コートにスニーカーという街着姿の女性がいてもなんら違和感のない光景、それが上高地を特徴づけているように思える。
梓川に沿って河童橋へ向かう、整備の行き届いた遊歩道を歩いて行く。
遊歩道から少し外れて河原に近づくと先ほど見た焼岳が実にいい感じで目に飛び込んできた。
焼岳は北峰(2444m)と南峰(2455m)で成り立つが南峰への登山は危険なため禁止されているらしい。
ここから見る限り、管理人でも登れそうな感じだが果たしてどうなんだろう、帰宅したらガイドブックで調べてみよう。
遊歩道は完全に平坦で、まるで戦場ヶ原か小田代ヶ原を歩いているような錯覚に囚われる。
田代池分岐まで来たのでちょっと立ち寄ってみよう。
ここも大正池と同じように流れの一部としか見ることができない。
説明板によると昔はもっと大きく、水深も深かったそうだが土砂の流入によって池と言うよりは流れの一部になってしまったらしい。
水はここから三方に分かれて流れている。
遊歩道はここで梓川に沿ったコースと林間を歩くコースに分岐するが川沿いのコースは通行止めになっていた。増水が理由らしい。
林間を抜けると一気に広くなり、そこは中ノ瀬園地だった。
休憩所がある。
トイレがあったので入ってみたが、観光客も利用するからであろう掃除が行き届いてきれいだった。
前方に大きな建物が見える。
河童橋ライブカメラの映像を提供している五千尺ホテルであろう。
ということは建物の手前に見えるのが河童橋かも。
バスを降りてなんども寄り道しながら、2時間で河童橋に着いた。
眼前に穂高連峰が広がっている。
う~む、我が家から眺める赤薙山から女峰山へかけての稜線と似てる(んなわけないか・笑)
激しいアップダウンを繰り返す稜線はとても荒々しいが、全体としてみると実に美しい。
この景色見たさに観光で訪れる人も多いのだろうな。
実際、登山とは無縁であるような人も多くいた。
あぁ、そうそう。
ここへ来るまでに管理人は50年前、梓川の河原に車を乗り入れて夜を明かしたことのある場所を探しながら歩いた。
しかし、管理人の記憶にある河原は見つからなかった。
それも50年の歳月によって地形が変わったからかも知れない。
河童橋の袂から焼岳を眺める。
今日これからの予定だが、明神まで行って折り返し、ここまで戻ってバスに乗るつもりだ。
時間はたっぷりあるのでバスに乗る前にもう一度、穂高連峰を眺めたい。
河童橋に隣接して整備の行き届いた小梨平キャンプ場がある。
シャトルバスに乗って終点の「上高地バスターミナル」で降り、10分も歩けばこんな快適な場所で穂高連峰を眺めながらテント泊ができる。
こんな素晴らしい場所、文句のつけようがないというもんだ。
今日見た数少ない花、サラシナショウマ。
小梨平キャンプ場から先、道はほんのわずかに傾斜が付き、折り返し点の明神にたどり着いた。
ここに日本近代登山の父と言われたウォルター・ウエストン卿の案内人を務めた上條嘉門次が建てた小屋(今は登山者向けの山小屋)があって、増改築を重ねてはいるがまだ当時の面影があるらしく、それを見たかった(画像の建物は別物)。
歩き始める前に着たダウンは気温の上昇でこの少し前に脱いだ。
ひとつ前の画像の建物は「明神館」。
クラシックなホテルを思わせる佇まいだ。
このすぐ先の左にもきれいなトイレがあった。
明神館を右に見ながら梓川に向かって歩いて行くと梓川にかかる吊り橋がある。
明神橋と名がついている。
明神岳はすぐ目の前だ。
目指す嘉門次小屋はこの橋を渡った先にある。
明神橋を渡って梓川の対岸(右岸)に行くと別の遊歩道がある。遊歩道から外れて枝道に入ると穂高神社奥宮の木製の大きな鳥居がある。
この奥に嘉門次小屋、奥宮、明神池がある。
先に見つかったのが嘉門次小屋だった。
小屋へのアプローチにテーブルが並んでいて外来者に食事を提供できるようになっている。
明神池(池も神社の一部)の拝観料として500円支払って奥へ進んだ。
明神岳の麓に静かに佇む明神池。
一之池と二之池とふたつある。
嘉門次小屋全景。
先ほど見た明神館とは異にしてこちらは昔ながらの山小屋の雰囲気が漂っていた。
梓川の右岸に沿って河童橋に向かって歩いて行く。
余談だが明神で折りかえして梓川の右岸を河童橋に向かって歩いたが、すれ違うハイカー10人のうち8人は遊歩道の左側を歩いていた。
これは木道も例外ではなく、管理人はそのたびに木道を右から左へ移動して、相手側を空けるようにした。
それも面倒になったので途中からは管理人も左側を歩くことにした。
上高地ルールなのかも知れない。
時折、木々の間から焼岳が望める。
河童橋まで戻って来た。
振り向くと奥穂高岳を真ん中に、左に西穂高岳、右に明神岳と3千メートル前後の山の連なりが一望できる。
なんと素晴らしい光景だろう。
赤薙山から女峰山へ続く稜線も美しいが、それをはるかに凌駕する美しさと稜線の長さだ。
あのどれかひとつでもいいから可能であれば登ってみたい、そんな誘惑に駆られる美しさである。
右岸から見る河童橋とその奥のビジターセンター。
左岸から見る河童橋と穂高連峰。
飽くことのない穂高連峰だがそろそろ去らなければならない時間だ。
今日はこのあと、別の目的地に向かわなくてはならない。
山名を特定しやすいように、河童橋からの眺めを地図ソフト、カシミール3Dを使って描画してみた。
河童橋に別れを告げて上高地バスターミナルに着いた。
10分も待たずにバスが発車した。
朝は始発駅の沢渡駐車場からバスに乗ったが帰りは車を駐めた足湯公園駐車場で降り、次の目的地に向かって車を走らせた。
ちなみに駐車代金は1泊2日で1400円だった。
1日700円という設定なので日付が変わると700円追加となる。
したがって仮に23時59分に入庫するとわずか1分で700円追加になって1400円支払うことになる、という計算。
あぁ、それからここは名前の通り足湯が備えてある。
就寝前のひととき、足を温めるといいかもだ。
河童橋の少し先、小梨平キャンプ場までほとんど平坦。
田代池は地図に描かれているほど大きくはなく(縮んだため)、見応えはない。
キャンプ場から先はほんのわずかだが傾斜がつく。
帰りは明神から梓川の右岸に沿って下ってきたが個人的嗜好としては梓川左岸の方が良かった。
8月の長雨の退屈しのぎに昭文社「山と高原地図」を購入し、今回のハイキングの計画を組んだ。
すると上高地バスターミナルから歩き始めて明神、徳沢、横尾を経て6時間10分で涸沢に着くと計算できた。
その涸沢からは3時間40分で3千メートルを超える奥穂高岳に登れる。
食事を提供する山小屋もあって宿泊には困らないらしい。
と、地図を眺めているとそれだけで登山をしてるような気分に、いや実践したくなってしまう。
それは実に危険な考えだ(笑)
山を歩く際に記録を採るのはとても大切なことだと管理人は考えている。
そのためにも登山にGPSは不可欠だと考え、登山を始めて間もなくGPSを購入した。
初めての山に登る場合、地図のコースを参考にして事前にGPSにルートをインプットしておけば道迷いを防ぐことができるし万一、道に迷った場合でも正しい道に戻るのが簡単にできるのもGPSの大きな機能である。
上高地を歩くのにわざわざGPS?
それはたしかだが、この場合は記録を採るためである。
なんのための記録かと言えば、歩行距離や各ポイントごとの高度や通過時刻、所要時間、コース全体の累積標高などを後から知るためである。
要するに登山をより楽しく、思い出深いものとするためである。
一度の山行で200枚以上、多いときは400枚もの写真を撮るのも管理人にとっては同じ意味を持つ。
今回、管理人は画像に映っている5つのGPSを上高地ハイキングのために持参した。
左からGARMIN Instinct(GPSウォッチ)、GARMIN e-Trex30J(ハンディGPS)、地図ソフトをインストールしたiPhone7、同じくAndroidOne、e-Trex30Jの下がHOLUX m-241(GPSロガー)である。
当初、この5機種すべてを使って記録を採ろうと考えていたが、地図ソフト(Geographica)を立ち上げた途端にAndroidOneがクラッシュして歩き始める前から脱落。
iPhoneとGeographicaの相性は良く信頼できるので、今日iPhoneは電話機専用にした。
残る3機種で記録したわけだが、e-Trex30Jは重いこともあって装備の軽量化を目指している管理人としては出来るだけ使いたくない。
が、GPSとしてもっとも正確で信頼性が高いのがe-Trexなので、他2機種と比較するために今日は使うことにした。
e-Trexの下のm-241は記録に特化した機器で、GARMINやGeographicaみたいなナビゲーション機能はない。だが、小型軽量なので出番は多い(ただし、GPSの精度は他に劣る)。
さて、今日初めて山で使うのがGARMIN Instinct(ガーミン インスティンクト)というGPSウォッチである。
GARMINの機器で腕にはめて使うタイプはこれまで数機種発売されているが、山で本格的に使える機種はなかった(管理人の調べでは)。
それが昨年になって、e-Trexに匹敵する機能をもつGPSウォッチとして登場したのである。
新しもの好きという病のある管理人は入念な調べの上で購入を決意した(決して衝動買いではない)。
GARMIN Instinctは多機能ではあるがスマートウォッチとは一線を画している。スマートウォッチみたいにタッチパネルではないから直感的な操作はできず、リングの周りに配置された5つのボタンを駆使(苦使?)して機能を切り替える。
取説を読みながら操作するのだが意味がわからず、自宅でなんどもなんども操作を繰り返し、ようやく山で使える方法を習得し今日の山行に臨んだ。
GPSの精度の善し悪しを判断するには歩いたログをPCに取り込んで地図上に描かれる軌跡を見るのがベストだが、Instinctはe-Trexとほぼ同じ軌跡を描いた。
この小ささと軽さでe-Trexと同等の性能を持つとは、GARMINの進化はすごいものがある。
お値段もe-Trex並ですが(笑)
※Instinctのボデーには社外品のシリコンカバーを取り付けてあるため写真写りが悪くなってしまった。
GPSが取得したのログをカシミール3Dで処理をして地理院地図上に描いて比較すると3機種は微妙に違っていることが分かる。
青線が管理人がもっとも信頼を置くGARMIN e-Tex30Jで、それにもっとも近いのがGARMIN Instinct(赤線)。
m-241は今や時代遅れのGPSセンサーを使っているためe-Tex30Jからかなり離れた軌跡(茶色)を描いている。
このことからInstinctの精度の良さがわかるというものだ。
もっとも、実際の登山で上空が開けているような登山道を歩く場合だとこれほどの精度の違いはナビゲーション上まったく問題ない。
とはいえ、谷間や深い樹林帯など、GPSの電波が届きにくいような場所に入り込むと、GPSの性能差が顕著に表れるからナビゲーションでは注意を要する。
駐車場の前を走る国道158号線を中ノ湯温泉方向に走ると上高地の入口、釜トンネルと出合う。
朝、シャトルバスはこのトンネルを抜けて上高地へ向かった。
昔、マイカーで上高地に行けた頃、このトンネルはまだなくて、左に見える四角い穴(昔は丸い穴だった)を入っていった。
新しいトンネルができてから昔の釜トンネルは封鎖され、今は人も通行できない。
ちなみにここには係員がいてバスやタクシー、工事用など指定された車両以外の車が進入するのを監視している。上高地からの最終バスが抜けるとゲートを閉める。
いやぁ、それにしても懐かしいなぁ!!
昔の釜トンネルはいま、どうなってるんだろう?
時期を決めて旧釜トンネルを開放(人だけでも)すれば上高地ファンに喜ばれそうな気がするが、、、
YouTubeにこんなのが見つかった。
貴重な動画です(管理人が車で走ったのはこれよりも前のような気が、、)。
https://www.youtube.com/watch?v=hB–oc11eOI&t=1s
いきなり朝焼けの海の写真である(笑)
ここから先は上高地ハイキングの記事とはまったく関係ない。
上高地を離れた後、管理人は次ぎの目的地である能登へ向かった。
長野県から岐阜県に入り、さらに富山県を縦断して石川県の北端まで足を延ばそうとしているのである。
石川県に入り和倉から、昔、家族でキャンプしたことのある能登島に渡り、道の駅で車中泊した翌朝すなわち今、これから能登半島の先端に位置する赤崎海岸へと車を走らせているところだ。
赤崎海岸など、おそらく地元に住む人でなければその名前を知る人はないだろう。
しかし、管理人が東京に住んでいた頃、そこに3回は確実に、おぼろげな記憶では4回訪れている。
能登半島でも知名度のない赤崎海岸になぜ、と問われても、管理人に答はない。
能登半島を一周すべく海岸線に沿って走っているうちに偶然見つけ、そこが気に入ったからというのが答と言えば答だろう。
3回とも同じ旅館に泊まった。
2回は独身の頃に、3回目は家庭を持ってから。
おぼろげな記憶としては、初めての時はバイクで行ったのかもしれない。
冒頭で、平湯峠で撮ったバイクの写真があると書いたが、おそらく同じ旅行だったのだと思う。
それを数えると独身時代に3回、家庭を持ってから1回、都合4回ということになる。
管理人、気に入った山はなんども繰り返し登る傾向があるが、そういう性癖は若い頃からあったことが赤崎海岸を3・4回訪れたことで示される。
まっ、そんなことはどうでもいいが、今回の旅行で赤崎海岸を訪れる気になったのは、これも冒頭に書いたとおり、年寄りの懐古の情が管理人を突き動かしている。
もっとも、日光から7時間かけて沢渡まで来て、帰りも同じ道を7時間かけて日光へというのはどう考えても無駄で効率が悪い。
7時間もかけて同じ道を走って帰るのならいっそのこと別の場所に行った方がいい、そんな気持ちが働いたのも事実である。
赤崎海岸に砂浜はなく、全体が岩礁である。
岩礁の上に小さな無人の灯台が建っている。
こういう素朴さが好きなんだなぁ!
灯台と反対側に進んでいくと「松島」という岩礁の小さな島があり、橋を伝って渡れるようになっている。
松島の前に管理人が泊まった旅館があるはずだが、なにしろ最後に泊まってから45年は経つ。
今もまだ存在するのかどうかはわからない。
その旅館はあった。
ただし、壁は崩れ落ち、床は抜け、窓ガラスは割れ、草木に被われた廃屋として。
しかし、管理人が22歳から27歳の頃に通った旅館が、たとえ廃屋になっていたとしても現存していたとは驚きだった。
こうして海側から見るとどの部屋に泊まったのかを鮮明に思い出し、懐かしさに胸が熱くなる思いがした。
屋根が崩れ落ちて見えないが浴室の場所や木が茂って隠れてしまったが休憩用のテラスの場所もちゃんと覚えている。
夜が更けると窓側の部屋からは沖合で漁をする船の漁り火が見えた。
写真は「松島」に渡って撮ったもの。
間近から撮った写真だと建物の損傷が激しすぎてブログへの掲載が躊躇われた。
赤崎海岸を離れて往路と同じ道で富山市へ戻り、今度は日本海に沿って糸魚川市能生(のう)の道の駅までやって来た画像は翌朝撮ったもの)
時間が午後3時を過ぎていたので車中泊ができる場所探しはここまでと思った。
駐車場は国道沿いの他に、国道から30メートルほど入った岸壁(この場所)にもあり、岸壁側の駐車場は国道を走る車の音が届かない。また、トラックが出入りできないようになっているので深夜、トラックのエンジン音に悩まされることがない。
なによりもありがたかったのは敷地内に24時間営業ではないがセブンイレブンが併設されていて、食料品の調達に困らなかったことだ。
唯一、心配だったのはもしも、もしも日本海のどこかで震度7クラスの地震が発生したら、ここは津波に襲われてひとたまりもないということ。
前日、ここに着いて明るいうちに下調べをしたところ逃げ場などないことがわかった。
余計な心配なのかもわからないが、今の日本はどこでどんな災害が発生するか予測できない状況にある。
自分が今いる場所で大きな災害が起こりうる、そんな心構えが必要であると思う。
道の駅を発って日光に戻ることにしたが今日はずっと山道を走り続けることになる。
昼メシを食べる店があるとは限らないので昨夜、道の駅のセブンイレブンで食料を少し多めに購入しておいた。
車中泊用に購入したAC・DC共用の冷凍冷蔵庫(切り替えはできない)が役に立った。
日光へは糸魚川市から最長距離になるルートを設定した。
糸魚川市から上越市、十日町市、魚沼市を通り抜けて福島県に入り、尾瀬御池を経て日光までひた走るというものだ。
福島県境を流れる只見川に沿って走っていると平ヶ岳の登山口が見つかった。
管理人が目指したい未踏の山のひとつだが、案内板には登り6時間半(しかも軽装備で)とある。
実現の可能性は薄いとみた。
平ヶ岳登山口を南下していると前方に見覚えのある山が見えてきた。
燧ヶ岳である。
檜枝岐村を抜けて日光市に入り信号待ちをしているときに見た我がエブリイが示す燃費計はカタログ値の19キロを超え、リッター20.5キロを示していた(ただし、道は下り一方)。
こうして上高地ハイキングを含めた3泊4日、1125キロの車中泊の旅が終わった。
エブリイは極めて好調だった。
手作りのベッドは快眠できたが欲を言えばもう少し家のベッドの寝心地に近づけたい。
次のロングドライブはコロナが完全に終息した折りに予定している、管理人の姓のルーツを探る北九州への10泊(おそらくそれ以上にはなる)の旅である。