安達太良山初日は深田久弥「日本百名山」を考察してみた。

2018年8月20日(月) 晴れ/暑い 行程表  

安達太良山は標高1699.7メートル。今日、予定している登山口との標高差は750メール。2千メートル峰が連なる我が日光の山と比較すれば標高も標高差も、どちらも小さいが、それでも日本百名山のひとつに連なっているのにはなにか理由があるのだろう。

深田は著書「日本百名山」の中でまず、万葉集の引用で書き始めている。
万葉集のような昔の歌集に安達太良山(安太多良山)の名が出ていることに深田は興味を示している。万葉集に出てくる山では最北のものであろうとくくっている。
次に高村光太郎の詩を引用し、感銘をうけた様子が書かれている。
深田もまた、高村光太郎・智恵子夫妻と同じように二本松のとある裏山から安達太良山を遠望し、そのときの気持ちを高村の詩に重ね合わせて感銘したように読める。秋の末と書いているから福島県でいえば11月上旬から11月半ばに訪れたのだろう。
スキー場はまだ営業前、ゲレンデを「狐色に枯れた一枚の大斜面」と表しているから季節は間違いなく晩秋だ。

深田は二本松駅から安達太良山の東山麓にある岳温泉まで車で行って、そこから安達太良山へ向かっている。岳温泉から登山口のある奥岳まで距離がだいぶ離れているが、歩いてとも車でとも書かれていない。どのような手段で向かったのだろう?
現在であれば岳温泉から車道が通じているが当時、登山口へは車で行けるような場所ではなかったのだろうか?
登り始めて深田は勢至平で強い風と寒さを体験している。そこから見上げた鉄山の下にあるくろがね小屋に1泊している。小屋はすでに古びていたらしい。

くろがね小屋は1953年(昭和28年)の開業(Wikipedia)だが、深田が泊まったのは1960年(昭和35年)のこと。まだ築7年しか経っていない。その3年後の1963年(昭和38年)には現在のくろがね小屋に改築されていることから、改築前の小屋は新築当時からそれほど立派な建物ではなかったのかもしれない。
ちなみに現在のくろがね小屋も老朽化のため2019年度に解体、立て直しが予定されているそうだ。ただし、築56年というから立派な建築物だ。

現在の登山口、奥岳登山口からくろがね小屋へは2時間で行けるから、深田がそんな近い小屋に泊まることはないはずだ。やはり、岳温泉から徒歩で登山口へ向かったのではないだろうか。

小屋に泊まった翌朝、深田は鉄山と矢筈森との鞍部から沼ノ平を見下ろしている。三方を岩壁に囲まれた沼ノ平は昔、硫黄の精錬所があったが1900年(明治33年)の噴火によって全壊。70余名もの従業員が亡くなるという大惨事があったことにふれている。
しかし深田が見た沼ノ平は、そのような歴史を知らぬかのような山中の仙境に感じたそうだ。

安達太良山は視界不良で展望がなかったが、山頂を極めた喜びは大きかったようだ。
その後、深田は沼ノ平の火口壁から南西斜面を母成峠へと下っていったが、振り返ると、霧氷となった斜面は見応えのある美しさだったと書いている。

管理人は日本百名山廻りに興味はなく、これまで登ったことのある百名山を数えると白根山と男体山それに会津駒ヶ岳、燧ヶ岳の4座しかない(そういえば富士山は半世紀以上も前に登ったことがある)。
このたび安達太良山に登りたいと思ったのは深田久弥の著書の影響ではなく、管理人が昨年からメンバーになっているFacebook、「福島の山を歩きたい」によるところが大きい。
2016年に登った会津駒ヶ岳の素晴らしさに、福島県の懐の深さに魅了され、もっと他の山にも登ってみたいと思っていたところ「福島の山を歩きたい」の存在を知ってメンバーになったのだが、やはり地元の人が発信する情報は刺激的だ。
投稿を読み進めるうちに行ってみたい山がどんどん増えてきて、体験しないわけにはいかなくなってきた。その第1登(FBのメンバーになってからの)が山形県境に近い一切経山であった。一切経山は日本百名山ではないが「福島の山を歩きたい」では投稿の多い山のひとつである。地元の人の間で「魔女の瞳」として親しまれている五色沼をぜひ見たいと思った→山行記録はこちら

第2登は福島県を象徴する磐梯山か、安達太良山に決めていた。
その順序をどうするかが課題であった。
磐梯山は東西南北に6つの登山口をもつ魅力的な山だが、もっとも時間のかかる登山口で3時間50分。標高差は大きくない。
安達太良山は登山口がさらに多く、なんと8つもある。地形の変化も大きくて、楽しめそうだ。う~ん、迷うな。
こんなときはサイコロで、というようなことは管理人はしない。
もっと明確な動機がなくてはならぬ。

先月、一切経山に登った翌日、安達太良山の東、奥岳登山口の下見をおこなったのだが、下山してきた登山者といいタイミングで出合い、くろがね小屋を経由するルートからの眺望が素晴らしかったと聞いた。
よしっ、一切経山に次ぐ第2登は奥岳登山口からの安達太良山にしよう、とその場で決めた。
なんちゃって、動機にもなんにもなっていないが、なにしろ登山口は8つもあるのだ。経験者の話がもっとも信頼できるというものだ。


行程表
奥岳登山口(6:30)~勢至平分岐(7:35)~くろがね小屋(8:17)~峰の辻(9:01)~安達太良山(9:45)~和尚山(中断)~安達太良山(10:42)~薬師岳展望台(11:48)~奥岳登山口(12:53)
距離:13.9キロ
時間:6時間23分
累積:891メートル

安達太良山登山でもっとも利用者が多い奥岳登山口。
なにしろロープウェイを利用して終点まで行けば、日本百名山の山頂まで徒歩1時間15分で着いてしまうから、そりゃぁ利用者は多いだろう。
冬はあだたら高原スキー場として営業している。駐車は無料。


レストハウスとその隣がロープウェイの発着場。
この時間でもトイレが使えるのは助かる。


これは日帰り温泉施設。
内湯と露天風呂があり露天風呂から見える山並みが登山後の疲れを癒してくれる(実際に下山して利用してみた)。
料金は600円だから安いほうだろう。


さあ、いざ安達太良山へ。
コースは歩きやすそうに見える。


少し進むと道は二手に分かれる。
直進するとくろがね小屋を経由して山頂に行く。
左への道は下山で予定しているロープウェイ山頂駅を経由して安達太良山山頂で合流する。


ほう、こんなのもあるんだ!
歩いてみたい気もするがすでに分岐を進んでいて下山時はこの道を通らない。


コースは馬車道というのと旧道というのが何度か交わりながら上へと進んで行く。
昔は旧道だけだったがあまりにも急なので、荷役馬車が通れるように緩やかな道を設けたのかもしれない。管理人はもちろん、旧道を行く。


地図で見るとこんな感じね。
つづら折りの道が旧道で直線的なのが馬車道、とこの時点ではそう思ったのだが、、、
帰宅してGPSの記録を見るとつづら折りを歩いたつもりが軌跡は直線だった。次回は馬車道を歩いて軌跡を見てみたい。


ふたたび旧道へ。


ここが馬車道と旧道との最後の交点。


道は傾斜がなくなってほぼ平らだ。


ヤマハハコ


リョウブ


勢至平(せいしだいら)
くろがね小屋を経由して安達太良山へ行く道と、その少し南を歩く道とに分岐している。
ここはもちろん、くろがね小屋を経由したい。


コバギボウシ


ツリガネニンジン


アキノキリンソウ


ゴマナかな?


視界が開けて前方に形のいい山が見えてきた。
安達太良山ではなさそうな。鉄山かな?


いわし雲(というのだろうか)の下に早くも紅葉したナナカマドが。

お~、見えたぞ、くろがね小屋が。
そのうしろに控える大きな山は鉄山(てつざん、くろがねやま)だ。
くろがね小屋には温泉があり登山者に人気があるそうだが、その源泉となるのが小屋の後方に見える沢の部分。
源泉は岳温泉まで運ばれているそうだ。


真っ赤な実をつけたオオカメノキ


コースはくろがね小屋の前を通過する。
小屋は木造2階建てで古いが風情ある佇まいだ。
1963年(昭和38年)に改築されて現在に至っているというから、築55年と古い。
老朽化がすすんでいるため来年には取り壊されて新築されるそうだ。それまでに泊まってみたい。
深田久弥はこの建物になる前の、1953年(昭和28年)に建てられた小屋を利用している。


シラタマノキ


実をつけたナナカマド。葉はすでに朱に染まっている。


紅葉したナナカマドをもう一枚。
色が微妙に違っていていい感じ。


小屋を過ぎると傾斜はややきつくなり、同時に砂礫帯に変わる。
火山帯を歩いているという雰囲気たっぷりだ。


コケモモ


道はここでも二手に分かれ、右へ行くと矢筈森を経由して鉄山、遠回りになるが安達太良山へ行く。左が安達太良山への近道だ。
管理人はたくさんある道をなるべく多く歩いてみたいので、矢筈森へ行って牛の背と呼ばれる尾根で安達太良山へ進むことにした。


遮るものなく安達太良山の山頂が視界に入る。
のっぺりした斜面の一部が突き出ている。
その形からあの出っ張りのことを乳首と称しているそうだが、言い得て妙とはこのことだ。
ちなみに深田久弥も著書の中で「乳首」を使っているから、昔からそのように呼ばれていたのだろう。


その牛の背の途中から沼ノ平を見下ろす。
あの薄茶色した底が噴火の跡だ。火口を取り巻く斜面まで硫黄ガスによって白く変色した様は異様ですらある。
イントロで書いたように、昔はここに硫黄の精錬所があったが噴火によって全壊。そればかりでなく、従業員70余名もの命が失われたらしい。
近年では1997年に霧に巻かれた14人パーティーがここに迷い込み、そのうちの4名が硫黄ガスを吸い込んで亡くなるという事故が起きている。


乳首の下に到着した。
ここから見ると単に溶岩塊の堆積のようで乳首には見えない。


アルミのハシゴを上ると、、、


そこが山頂だった。


山頂からの展望は抜群だ。
西には磐梯山が一望できた。
手前のなだらかな斜面は明日のコースに予定している船明神山。


南にこれも魅力的な山容の和尚山。
実はこの後、あの山に向かったのだが、あまりの藪に気力が萎えて引き返してしまった。


和尚山を断念して安達太良山まで戻ってみると、登山者の数がずいぶん増えていた。山頂にも大勢の人がいて、人気のほどがうかがえる。


下山は往きとはコースを変えてロープウェイの山頂駅を経由してゲレンデの中を歩いて登山口まで行くことにした。
往復、別のコースを歩けるのはいいものだ。


道ばたに咲くリンドウ。


アキノキリンソウ


ゴゼンタチバナ


ここがコースであることを示す赤布だが、長い竹竿にくくりつけられて高さは5メートルくらいある。おそらく積雪時の目印なのであろう。


山頂駅近くになると道は木道に変わって歩きやすくなった。


ロープウェイ山頂駅に近い薬師岳展望台。
「この上の空がほんとうの空です」と刻まれた木の柱が立っている。
なるほどねぇ、高村光太郎・智恵子夫妻の心情がわかるような気がしてきた。


いい眺めだ。


ロープウェイがすれ違うタイミングでパチリ。


レストハウスと駐車場が見える(最大ズーム)。


薬師岳という山名板(柱)
ここでちょっと悩んだのは地理院地図に描かれた薬師岳(1322M)は、ここから南東350メートルの位置にあることだ。また、そこへの道は地図に描かれていない。


五葉松平を通過。


道はこの辺りから深い樹林帯となる。
歩きにくくはないがくろがね小屋経由の道の開放感が記憶に鮮明に残っているため、鬱陶しさを感じる。


やがてスキー場のゲレンデの中を歩くようになった。


おっ、アサギマダラ様だ。
どこからやって来たのだろう?


朝、通過した分岐に合流


レストハウスが見えてきた。


駐車場は1/3ほど埋まっていた。
中型バスが3台、下山時にすれ違った団体さんを乗せてきたのであろう。


適度な距離と時間でした。