2025年9月2日(火) 晴れのち曇りのち大雨
厚労省の最新データによると、男が80歳まで生きられる割合は62%であり、管理人の現在の健康状態からすれば80歳になる3年後はおそらく62%の人の中に入っている、つまり寿命は81歳以後になるだろうと漠然と感じている(登山事故や交通事故といった不慮の事故あるいは病気を除いて)。
また、現在75歳の男が今後生きていられる年数は12年となっているから、77歳の管理人であれば余命は10~11年ということになろう。
ということは87~88歳が管理人の寿命かぁ、まだ先のことだなぁ。
まっ、それだけ生きられれば十分すぎるというものだが、問題は寿命の迎えかただ。その年齢になってある日突然、天寿を全うするということは少なく、一般的には病気で入退院を繰り返しながら寿命を迎えたり、体力の衰えで歩くこともままならない日々が続いて、やがては寝たきりの生活を余儀なくされることだ。
脳卒中も嫌だし心臓の病気もいやだ。
どうなることやらわからないが、望ましくはいつかは迎える寿命まで、できるだけ長く健康に生きたい。
管理人であれば88歳で寿命の尽きる前の日まで登山をし、下山したらビールを飲み、翌日の朝、寝床で息絶えていたというのがもっとも幸せな生き方であると思っている。
戦後間もなくの食糧事情が貧しい時代に育った管理人は、子供の頃の栄養状態が良くなかったためか、20代前半まで、体重は50キロ(それ以下だったかも)しかなかった。
当時、体組成計という便利なものがあったならば体脂肪はおそらく10パーセント以下と計測されたはずだが一方で、筋肉もなく、脚も腕も細く、胸板の薄い、実に貧相な体型だった(いまは筋肉はそれなりにあり、お腹周りには脂肪がたっぷり付くまで成長した)。
改善が見られるようになったのは、体力をつけるために通い始めたスポーツジムで身体に負荷をかけるようになってからだ。
面白いように筋肉がつき始め、同時に食欲も出てきて、体重は54キロまで増えた。
その辺りのメカニズムは巷にあふれる健康本やYoutubeにあるとおりだが、肝心なのは意識の改革ではないかと思う。
目的(丈夫な身体にしたい)を設定し、目的を達成するためになにをすべきか目標(体重何キロに、スクワット何回を)を決め、実行(週に数回ジムに通う)する。
毎晩飲んだくれている生活から一転し、品行方正な生活へ向けて180度転換することへの抵抗感はあった。
だが女の子にもてたい、いや違った、丈夫な身体にしたいという一途な思い(意思)と行動(意識)が大切だと考えてジム通いを始め、それが今は登山で疲れない身体づくり、山を楽に登る身体づくりへと発展していった。
葛藤はある。
歳を重ねて、体力の衰えを実感するようになった今、筋トレや有酸素運動をしても筋肉がつかない、心肺能力が高まらない、体脂肪が減らないという、内容に見合った報酬が得られないことへの葛藤である。
現状維持がやっと、なにもしなければますます衰えていくという不安である。
衰えに抗って生きるには、若い頃よりもさらに強い精神力が必要なのだということを実感している。
いつものことながら長い前置きになったが、管理人自身の意思と意識を再確認するために書いた。
さて、今日の登山のこと。
毎年、誕生月以後、3つのルーティンを課しているうちの第1弾、女峰山とその隣の帝釈山往復である。
懸念として、昨年は登山の適期に能登で災害ボランティアをおこなったため、登山はおろか、そのためのトレーニングもできずに年を越え、体力が衰えていることだ。
加えて、ボランティア活動中にやったぎっくり腰の治りが遅く、いまだに痛みを引きずっている。
寒さが遠のいた春以後、時間が取れないときは平坦路10キロのウォーキングや自宅での筋トレ、丸一日時間が取れるときは10~15キロのハイキングをおこなって体力の回復に努めてきたが、女峰山に登るには程遠く、見切り発車。それがもっとも心配だった。
が、軽い装備(今日は全重量5キロに収めた)で登れる時期は今しかなく、これを逃すとさらに厳しい登山を強いられる(注)。
前回(2023年同時期)に比べて体力の衰えは否めないため、途中敗退やむなしの気持ちで2年ぶり25回目の女峰山に望んだ。
ぜひ成功させたい。
メモ(地図アプリのGeographicaで記録した)
・歩行距離:16.4キロ(GPSログをカシミール3Dで処理した値)
・所要時間:12時間23分(写真撮影と休憩を含む)
・累積標高:1880メートル(アップダウンのうち、上昇分の累積)
登山計画書を作成するにあたってヤマレコを利用したが、行程表は次のとおりになった(休憩含まず)。
05:00 霧降高原 – 06:01 小丸山 – 07:33 赤薙山 – 08:30 赤薙奥社跡 – 09:16 一里ヶ曽根 – 10:29 三角点 – 10:36 女峰山 – 11:01 帝釈山 – 11:29 女峰山 – 11:34 三角点 – 12:30 一里ヶ曽根 – 13:07 赤薙奥社跡 – 13:45 赤薙山 – 14:37 小丸山 – 15:12 霧降高原(所要時間:10時間12分)
実績は下記のとおり(休憩含む)。
05:03 霧降高原- 05:33 小丸山(階段途中で7分休憩/雨具装着5分) – 焼石金剛(3分休憩) – 06:42 赤薙山(10分休憩/雨具脱ぐ) – 07:46 赤薙奥社跡(3分休憩) – 08:42 一里ヶ曽根(5分休憩) – 8:55 水場(10分休憩) – 09:59 三角点 – 10:07 女峰山(10分休憩) – 10:58 帝釈山(26分休憩) – 12:04 女峰山 – 12:12 三角点 – 13:11 水場(10分休憩) – 13:34 一里ヶ曽根(10分休憩) – 14:35 赤薙奥社跡(10分休憩) – 15:45 赤薙山 – 16:13 焼石金剛 – 17:00 小丸山(10分休憩) – 17:26 霧降高原(所要時間:12時間23分、うち休憩1時間59分、正味10時間24分)
※休憩が多めだが取らざるを得ない時間だった。
「注」
別の意味で紅葉の季節はなおさら適さない。
平日、休日にかかわらず国道が大渋滞し、日光駅から中禅寺湖まで3~5時間かかるのが普通。女峰山登山口の霧降高原キスゲ平への県道も混む。
キスゲ平からの戻り道は国道で突き当りとなるため、国道の渋滞のあおりを受けて、渋滞必至である。
紅葉時期の管理人の山行は奥日光や霧降高原とは反対方面の山にしている。
5時少し前に車を降りて東に振り向く。
日の出にはまだ少し早い。
登山口となる天空回廊に向かった。
この時間、駐車場はほぼ満車の状態。
登山者の車でないことはこの後すぐにわかる。
スキー場の跡地を利用して設けた霧降高原キスゲ平園地。
1445段の階段がここ1345メートルの登山口から小丸山(1601m)直下まで続いている。
階段の終わりまで一気に登り続けるのは管理人には無理なので、ある工夫をしている。
階段の700段目に差しかかる頃になって振り向くと、ちょうど日の出が始まっていた。
景色は薄ぼんやりしているが太陽ははっきり見えた。
キスゲ平園地はニッコウキスゲの群落がある場所として知られていて、階段とは別に草原の中を歩ける散策路があり、ニッコウキスゲ他の高山植物を楽しみながら上がっていける。
ここはその散策路と階段が交わったところ。
階段はまだ700段以上残っているが、ここから先はスキー場でいえば上級者コースとなり、傾斜がきつくなる。
ここで疲れてしまったのでは後が続かないので、この先は100段ごとに1分の休憩をとりながら登っていくのが管理人流の工夫である(歳とるとなにかと工夫が必要なのだよ)。
ふ~、ようやく登り終えた。
小丸山直下にある標高1582メートルの展望台である。
ここへ来るまでにも展望台がいくつかあるが、やはりここにもっとも人が集まる。
それにしてもまだ朝早いというのに人が多い。
例外なく20代前半の若者だ。
平日のしかもこの時間、日の出を見終わってこれから会社に行くという人などいないだろう。
管理人の記録(写真)によれば4年前はこういった傾向はなく、3年前から始まったようだ。
SNSで広がって、日の出前にやってきて、日の出が終わるとともに散っていく。
したがって観光客が訪れる時間になれば駐車場も空くから害はない、とも言い切れない。
若者が散ったあとに残るのは、捨てられたゴミだから。
階段の700段目、800段目、900段目というように、100段ごとに1分の休憩を入れて30分で小丸山に着いた。休憩は延べ7分だから正味23分、まずは順調な出足だ。
ちなみに、学生はここまでは来ない。
さあ、これから女峰山まで6つのピークを越えていく。
まず始めに、正面に見える赤薙山(2010m)を目指す。
ちなみに、スノーシューツアーでもここまで来ることがあるが、真冬の空気の済んだ日にはスカイツリーや高層ビル群、富士山が見える。
赤薙山の手前、焼石金剛までは緩やか、かつ変化のある傾斜が続いている。
厄介なのは夜露朝露で濡れた笹原を通過しなければならないことである。
道はあるものの、幅30センチほどの細い道に覆いかぶさるようにして笹が生い茂り、いやでも足元が濡れる。
笹原に入る前に雨具のパンツを履いたが、中は大丈夫だったものの、パンツの裾から露が靴に入って靴下を濡らした。
スパッツを着ける習慣のない管理人、毎度のことだった。
標高約1820メートルの焼石金剛に到着。
ここからの展望は良く、日光と南会津の境界にある山並みが見える。
だが、先を急がなくてはならないので休憩は3分にとどめて赤薙山を目指す。
赤薙山が迫ってきた。
笹原はあの急斜面の手前まで続くので雨具はまだ脱ぐことはできない。
日差しが強く、平地では酷暑の予感がするが、ここは涼しい。
雨具の裾はびしょ濡れとなり、露は靴の中へ容赦なく入り込んでくる。
露出した木の根が段差を作り、短足の管理人は太ももを高く持ち上げないと乗り越えられず、体力が奪われていく。
歩き始めて1時間40分。
2年前より10分遅い。
ここまでの休憩時間は変わっていないが、やはり歩く速度が遅くなっているのであろう。
いつものように、ここで日光連山を眺めて先を急ぐことにした。
矢印が女峰山。
直線上に見ても遠いが、ルートは円を描くように大回りしているので、実距離は見た目よりも長くなる。
ちなみに管理人、女峰山に行くときは直前の天気予報で「晴れ」であることを確認してから日程を決める。
苦労の末に山頂に達しても満足感、達成感は得られない。
男体山
赤薙山山頂はコメツガに囲まれていて展望が得られるのはこの場所、鳥居の奥しかない。
写真撮影と展望を楽しんで先へ進んだ。
女峰山への尾根道はこれからが大変になる。
正面は2070mピーク。
手前に赤い実を付けたナナカマドが見える。
女峰山へのルートはところどころにこういった展望が得られるのが魅力である。
だが、赤薙山から30分経過しても男体山が少し大きくなったかなという程度で、女峰山に近づいている気はしない。
歩き始めて2時間44分、2203ピークの赤薙奥社跡に着いた。
前回より16分遅い。
ヤマレコで作成した計画書によると8:30着となっているのでそれよりは早いが、体力の低下を見定めるのは前回との比較なので、前回より16分遅いのはやはり歩く速度が遅くなっているのに違いない。
だが、まだ疲れているとはいえないので写真を撮っただけで歩き始めた。
次の標高点2209をクリアすれば長い平坦路が待っている。
奥社跡から北へ向かって荒れた斜面を下ると標高点2209との鞍部に出て、ここで束の間だが息をつける。
あと一踏ん張り。
これを登ってしまえば一里ヶ曽根まで平坦路が続く。
大きな岩が堆積した「ヤハズ」。
視界がひらける、というほどではないがこれまでの圧迫感はない。
梱包用の青い紐がやたらと目について目障りだ。
おおよそ10メートル間隔で木の枝に結びつけられている。
女峰山へのルートは明瞭かつ分岐もないので地図を見なくても迷うことはない。
したがって赤テープもまばらだ。
なのにこの紐はなんなのだろう。
誰がなんの目的でつけたのかわからないだけに気持ちが悪い。
赤薙山で見た女峰山を米粒に例えるなら、ヤハズから見る女峰山は小豆の大きさになった。
とはいえ、まだまだ遠い。
目障りなこの紐。
取り付けてまだ間もないように見えるが、時の経過とともに繊維がほぐれてとても見苦しくなるのだよな、この紐は。
結び目をほどいて外そうかと思ったものの、しっかり結んであり解くことができない。
それに何らかの目的を持って行政や組織がつけたものであるならば、勝手に外すことはできない。
不快な気分を抱えながら先へ進んだ。
来年になってもまだあるならば、ハサミかカッターで片っ端から外してやろう。
真っ赤な実をつけたナナカマド。
葉が色づくのも間もなくである。
平坦に近い稜線歩きもここ一里ヶ曽根で終わり。
ここから女峰山ルートの核心とも言えるアップダウンにガレ場、ザレ場が始まる。
まずはガレた急斜面を下って水場のある鞍部へ向かう。
持参した水はBCAA(アミノ酸)とミネラル成分のタブレットを溶かした750ミリと、別のボルトに入れた水道水500ミリ。
水道水は非常用(怪我をしたときなど)として持参したもので、歩きながらの給水は750ミリでおこなう。
この斜面の下に水場があるので750ミリのうち、残りの100ミリを一里ヶ曽根で飲んで空にした。
勢いはないもののボトルを満たすには十分な流れだ。
ボトルに満たした水にBCAAとミネラルタブレットを入れた。
広葉樹の中では紅葉の早いナナカマド。
いい色づきになっている。
ピーク2318と次の2463の中間辺りに来ると、ここでようやく女峰山と帝釈山とを結んでいる稜線が見える。
もうそれほど遠くはない。
女峰山(矢印)を右へ追っていくと尖ったピークが見えるが、あれが今日の折り返し点となる帝釈山。
同じ場所からカメラをズームすると山頂の標識(右側の矢印)と神社の祠(左側の矢印)が見える。
登山者はいないようだ。
女峰山までの道程で一カ所だけロープがかかっている岩がある。
その辺りはミヤマダイコンソウとウメバチソウ(この画像)が群生している。
なだらかに見えるが疲れた身体には堪える稜線。
これを乗り越えれば次が女峰山である。
三角点のあるピーク2463が目の前に迫ってきた。
ここまで来れば女峰山頂はあと10分。
足取りは遅いが着実に近づいている。
歩き始めて5時間と5分。
昨年は来ることができなかったので2年ぶり、恋い焦がれた女峰山に無事に到達した。
だが、前回(2023年)より10分遅く、前々回(2022年)より40分も遅かった。
休憩する場所は変わっていないが、体力の回復を待つのに時間がかかったのが原因であろう。
それと歩く速度が遅くなったことを実感する。
次回は2022年レベルに戻したいと思う。
これからあの帝釈山に向かうにあたって腹ごしらえをしておこう。
女峰山との標高差は30メートルに満たないが、小さなピークをいくつか越えるのでそれなりに体力を使う。
急な岩場を後ろ向きになって下り、ガレ場やザレ場を通過するのは女峰山手前と同じで神経を使う。
ミヤマダイコンソウがひとつだけ咲いていた。
時期的にもう終わりなのだ。
その由来はわからないが、専女山と称される岩場。
鎖がついているが使わずに乗り越える。
管理人が向かっている帝釈山を西へ下ると富士見峠に降りられる。
「峠」という言葉から察してわかるのは、そこはかつて交易の場として人々が往来したであろう交差点だということだ。
富士見峠を南へ行くと日光、北へ行くと栗山村に出る。
いずれも人が住む集落のあったところだ。
だから人の往来はあったものと考えられる。
それらの人のうち、信仰の山とされる女峰山に登る人もあったであろう。
だが、女人禁制の時代、女は入山できなかった。
そこでこの大きな岩を女峰山に見立てて、女はこの岩の上に立つことで女峰山に登ったことにする、そんな制度があったのではないかと想像する(登山中、こういう想像で頭が満たされるのは楽しい)。
専女山を乗り越えて進んだ。
花はたぶんキオンだと思うが、数枚の葉は3裂していることから、ハンゴンソウかもわからない。
女峰山から28分、歩き始めてから5時間56分。
念願の帝釈山(2455m)に着いた。
女峰山からの展望もいいが、ここからの展望はさらに素晴らしい。
女峰山で折り返す登山者は多いがここまで足を運ぶ人はいない。
往復1時間はかかるがぜひお勧めしたい。
右から小真名子山(2323m)、大真名子山(2376m)、そして男体山(2486m)。
もしも、もしも管理人に体力が有り余っているならば、ここから小真名子山と大真名子山を経て男体山に登って中宮祠に下る、そんな冒険をしてみたい。
それには今からあと10時間必要だ。
したがってその冒険は1泊2日の行程になる。
大真名子山と男体山との鞍部には避難小屋があるので、そこに泊まって翌日、男体山に登るという行程である。
実際、そんな行程を組んだことがある。
だが6年も前のことなので、体力の衰えたいま、もはや実現は困難だ。
太郎山の奥にそびえる白根山(2578m)をズームで撮ってみた。
威風堂々とした姿は日光の山の最高峰、ここより北に高い山なしと言われるのがよくわかる。
次はいつ来られるかわからない帝釈山。
これが最後になるのかもわからないので、77歳の記念に撮っておく。
体力の回復にはまだ程遠いがそろそろ戻らなくてはならない。
10分の休憩の後、腰を上げ、女峰山へ向かって歩き始めた。
往路から見る女峰山はその全貌を掴み取ることができない。
だが、女峰山を西へ向かって下ったところからだと、地図で見る女峰山そのものを捉えることができる。
三角定規を立てたような細い尾根は切り立っていて、惚れ惚れするほどカッコいい。
日光にこれほど形の良い山があることを嬉しく思う。
ヒメクロマメノキ(あるいはクロマメノキ?)
ブルーベリーの野生種のような。
女峰山直下から標高点2209までアズマシャクナゲが群生している。
花期の頃になると道が花で塞がれてしまうほどだ。
ピーク2318辺り。
ここから水場へ向かって急な斜面を下っていかなければならないと思うと気持ちが萎える。
疲れが溜まっている。
水場に着いてボトルに水を満たす。
午後になって日が陰ったおかげで熱中症にはなっていないが、身体は水を欲しがっている。
ボトルに満たしては飲み、満たしては飲み、最後にキャップを締めて立ち上がった。
一里ヶ曽根へのガレた急斜面を必死で登る。
あと一歩で平坦になる。
登り終えると激しい疲れを感じ、頭を垂れて岩の上に座り込んでしまった。
疲れた、もうこんな登山はやめよう、命を縮めるだけだ。
女峰山は今年限りでやめてこれからは低山歩きに専念しよう、その方が健康にいいだろう。
そんな泣き言が次から次へと出てくる。
息を深く吸い込むと空腹であることに気づいた。
そういえば食べ物を最初に口にしたのが10時過ぎ、それから先は行動食さえ食べずに3時間半も経っていたのだ。
先はまだ長い。
無理をしてでもエネルギーを補給しなければいけない。
ゆっくりと味わいながら食べた。
泣き言を並べ立てたところでどうしようもないので、意を決して岩から立ち上がった。
平坦路を「ヤハズ」まで来ると、ここから奥社跡へ向かって急で荒れた斜面を下り、次に段差の多い急斜面を登っていく。
鞍部へ降り、疲労でボーっとした頭でふらふらと奥社跡へ向かう。
もはや夢遊病者と化した管理人である。
奥社跡
鞍部からわずか10分の道程がひどく長く感じられた。
ここでも岩に座り込む。
這々の体で赤薙山に着いた。
下山まであと1時間半を見ておけばいいので、疲れは極限に達しているものの、気持ちは楽になった。
木の根が露出した赤薙山の急斜面を下ると傾斜は緩やかになる。
いつものことながらこの時間、霧が立ち込める。
8年前のこの時期(2017年9月)、今日と同じく帝釈山からの戻りで霧に巻かれた。
疲れも今日と同じく極限に達していた。
集中力が薄れている上に濃い霧である。
霧の中をひとりで歩く女性の姿を目にした。
山を歩くには不相応なウエアに、ザックも背負っていない。
迷子になってはいけないと思い、追いついたら声をかけようと急ぐものの、距離が縮まらない。
そのうち、霧に隠れて姿が見えなくなった。
その後、天空回廊を下る姿を見たが、やはり霧の中に消えてそれから二度と見なくなった。
なぜか今日も同じことが起こりそうで金縛りにあった。
焼石金剛を左に見て通過。
ここから先はガレ場と笹原とコメツツジの林が交互に現れる。
それらは広大な面積を占め、林の中には長い年月の間に踏み固められたごく細い路が複数、絡み合うようにしてついている。
踏跡のどれを歩いても小丸山に行き着く。
ガレ場の浮き石を踏まないように足元を見ながら慎重に進む。
ガレ場が終わったので前を見ると、霧が立ち込めるコメツツジの林の中に、小岩が堆積したわかりやすい1本の真っ直ぐな道が見えた。
なんだ、小丸山へ行くのにこんなわかりやすい道があったのか、長年歩いていながら知らなかった。
小丸山への新しい道ができたのだ、そうだよな、と早く下山したい一心で自分を納得させた。
いい発見をしたと思って下り始めたそのとき、いやちょっと待てやはりおかしい、と足を踏み出すのを躊躇う自分がいた。
判断力を欠いた頭の片隅に、道に見えるこれは、コメツツジとコメツツジの間の空間ではないのかという、数パーセントの冷静な判断力が残っていた。
もしやこれは幻覚ではと考え ” 消えろ~ ” と大声で叫ぶと道は消えてなくなり、コメツツジの林だけが目の前に残った。
濃い霧によって遠近感、立体感、色彩感を失った木々の間の地面を、疲れ切って判断力が鈍っていた管理人を騙して、道として見せさせたのだ。
やつらの狙いはわかっている。
管理人を小丸山へのルートから外して、中ノ沢へ向かわせようとしたのだ。
危ないところだった。
それからは幻覚に注意、幻覚に注意と呪文を唱えながら霧の中を小丸山へと向かった。
小丸山がはっきり見える場所まで来た。
わずかな距離だったが、さっきはこの画像の右側(南側)へ下ろうとしたのだ。
傾斜は30度もあり、下った先は中ノ沢。
この時間になるとそこからの脱出は困難である。
あぁ恐ろしや、幻覚!
小丸山を過ぎ、天空回廊のトップに着いた。
ポツポツ始まったのはこのときだった。
ベンチに腰を掛け、すぐに取り出せるようにしておいた雨具上下を着込み、大雨に備えた。
階段を下っていくと学生と思しき男女数人とすれ違った。
大雨になることを告げた数分後、予想した通り、大粒の激しい雨に変わった。
疲れ果てながらも無事に下山した。
一度止んだ雨はこの後、再び激しくなった。
車のリアゲートを開けてその下で雨具を脱ぎ、急いで運転席に乗り込んだ。
完全なピストン山行なので帝釈山を真ん中に、左右対称の断面となっている。
アップダウンを繰り返しながら帝釈山へと向かい、同様に下っていく。
この往復とも同じアップダウンが体力を奪っていく。
復路で一里ヶ曽根に達したとき、本来ならばホッと一安心するところだが、この日はまったくその気持ちになれなかった。
この先、まだアップダウンが続くと思うと気力が萎えた。
それほど疲れていたのだと思う。
赤薙山から降りて小丸山に向かって東へ進むべきところを、南に面したコメツツジとコメツヅジの隙間が道に見え、そこへ行きかけたりといった、幻覚に近い感覚に陥ったのも疲れからくるものであろう。
8年前に幻覚を経験したからこそ、今日は幻覚から逃れることができたが、そうでなければ、ないはずの道を下って行ったかもしれない。
そんなわけで、女峰山を経て帝釈山へ行くときは、毎度のことながら疲れ果てて下山する。
山を疲れることなく登る、その方法を模索してすでに20年以上になるが、これといった答が見つからない。
仙人や天狗となって山を自在に駆け巡りたい。
管理人の修行はまだまだ続く。






















