安達太良山を侮るな! 沼尻ルートは危険の宝庫で楽しめる(^^;)

2018年8月21日(火) 晴れ/今日も暑い

昨日に続いて安達太良山だ。

日光の山のように自宅から1時間で行けるなら連登するにも自宅から往復するのだが、なにしろ車での移動に4~5時間もかかるから、前泊あるいは後泊が必須となる。
であれば次の日も登って帰る、そんなパターンが福島県の山に登るようになって定着した。

今回は猪苗代湖に近い道の駅を拠点にして(つまり車中泊で)安達太良山を二日続けて登る計画を組んだ。今日はその二日目だ。
昨日は安達太良山の東側、奥岳登山口から山頂を目指し、下山はスキー場のリフトに沿って降りてくる周回コースにしたが、正直言って下りのルートはつまらなかった。
樹林帯の中を歩くので展望がいいとは言えなかった。ロープウェイを利用して登ってくる登山者があまりにも多く、細い道でのすれ違いに難儀することがあった。開放感がないのが管理人の性に合わなかったようだ。
ただし、往きで利用した、くろがね小屋の前を通るルートは広くて展望抜群だった。往復同じルートでもよかったかなと、いまは思っている。

さて、今日は昨日とは180度、位置を替えて安達太良山の西側、沼尻登山口からのルートである。このルートも昨日と同じように往きと帰りを別にする周回ルートが選べる。危険箇所や難所がいくつかあるらしいので楽しみにしている管理人なのだが、はたしてどうなるのやら。


行程表
沼尻登山口(6:50)~船大明神(9:26)~安達太良山(10:20/10:40)~鉄山(11:21)~鉄山避難小屋(11:33/11:45)~箕輪山ピストン(12:28/12:48)~鉄山避難小屋(13:34/13:45)~胎内岩(14:10)~沼尻登山口(16:10)
歩行距離:17.5キロ(沿面距離が加味されている)
所要時間:9時間26分(休憩や撮影時間を含む)
累積標高:1248メートル(アップダウンのうち、上りの標高の累積値)
※踏跡不明瞭で進路不明の地点4ヶ所あり(最後に地図で説明)。


安達太良山西側にある沼尻登山口。
沼尻スキー場のリフト終点が登山口になっていてここに大きな駐車場がある。
登山道はここから2本あり、周回ルートを歩けるようになっている。
画像中央に見えるのが昭文社「山と高原地図」の実線として描かれているルートで、この左に破線で描かれたルートがある。
今日は実線ルートで安達太良山を目指し、登頂後は沼ノ平を周回した後に破線ルートで戻る計画を組んだ。


登山口に建っている慰霊碑。
先月10日に下見でここを訪れたときにこの慰霊碑を見ている。そのときは特に気をとめることなく、写真を撮ることもせずに帰宅したが、安達太良山の情報を調べる過程で、1997年に4名もの登山者が亡くなるという大規模な遭難があったことを知った(後述)。


登山届けを入れるポストに自宅で作成しておいた届け出書を投函し、歩き始める。


なかなか感じのいい登山道。
この時間ですでに気温が上がっているが樹林帯の中はさすがに涼しい。


ホツツジが見ごろを迎えていた。


ところどころ樹林帯が開け、前方に山並みが見える。


これも満開のリョウブ。


進行左(北)の谷間に木造の建物と幾本かの筋が見えるところに差しかかった。
目を凝らして「筋」を見つめると木道のように見えるし、登山道のようにも見える。
昭文社「山と高原地図」を見ると湯の花の採取場らしいが人の姿が見えるわけでなく、なにやら廃墟といった感じ。
でもあのような雰囲気、怖いもの見たさとでもいうかとても魅力がある。あそこへ降りることはできるのだろうか?


シラタマノキ


振り返ると遠方に湖が見えたのでズームを最大にして撮っておいた。
方角から察して裏磐梯の秋元湖のようだ。
自宅に帰って地図と照合してみると方角、形から秋元湖に間違いなかった。


ゴゼンタチバナの実


立ち止まって振り返ると磐梯山の特徴的な姿が見える。


アキノキリンソウ


これは実になったマイヅルソウ


前方左に白濁した水を溜めた沼のようなものが見えてきた。
あれが地図にある沼ノ平であろう。
白いのは水だけではなく周りの山肌もだ。
硫黄成分によって変色したのだと思うがなんとも異様な光景である。


同じく左前方、沼ノ平の先になだらか、というよりは平らな大地状の山が見える。
地理院地図から察すると鉄山のようだ。

次に見えたのが安達太良山だ(ズーム)。
あの安達太良山へは画像右に見える岩壁に乗って進むように地理院地図に描かれている。


管理人は今、障子ヶ岩という岩壁の上にいる。
長さ約2000メートルにもおよぶ巨大かつ長大な岩壁である。
1400メートルで一旦途切れるが、またすぐ今度は600メートの岩壁が続く。


岩壁の上につけられた道はほとんど平らだし低木が生えていて、よほど際まで寄らなければ岩壁の上を歩いているという感じはしない。
しかし、こうやって際まで行くと谷が丸見えとなり、足がすくむ。落差は数10メートルといったところ。


シラタマノキはルート上のどこででも見られた。


振り返ってここまでの道のりを確認。
あの岩(障子ヶ岩)の上を歩いてここまで来たわけだ。


同じ場所から今度はズームで撮ってみた。
う~ん、怖いねぇ!


シラネニンジン


ヤマハハコ


沼ノ平にだいぶ近づいた。
ここまで来てわかったのは遠くから見て白濁した沼に見えたのは実際には水ではなく、砂地(火山礫)だったのだ。
安達太良山は今も活動している火山群で、火口のひとつである沼ノ平は1996年9月に噴火。その際に硫黄性の有毒ガスが発生したことでそれまでここを横切る登山道があったが以後、立入禁止となった。
冒頭の慰霊碑は翌97年9月、安達太良山を目指していた14人のパーティーが霧で視界不良となり、間違って立入禁止の沼ノ平に踏み込んでしまい、4人が亡くなった事故の当事者を慰霊するものである。
管理人は今、ここにいても硫黄臭は感じない。
硫黄ガスは空気よりも重いのでおそらく下方に滞留しているのだろと思う。ふたたび噴火が起こってガスが吹き出すことを考えると足早に立ち去ることが望ましい。とはいえ、この異様な光景につい魅入ってしまい、なんども立ち止まった。


赤いイタドリ
ベニイタドリあるいはメイゲツソウというらしい。


障子ヶ岩はここで一旦、途切れて前方にこれは間違いなく水だが、白濁した沼が出現した。
ただし、地理院地図にも昭文社「山と高原地図」にもこの沼は描かれていない。


沼の先に進むと障子ヶ岩の続きが見える。
登山道はこれまでと同じようにあの岩の上にある、と地図で読める。
しかし、そこへ行く道が見つからない。
ここに踏跡があるが数メートル先で途切れている。きっと管理人と同じく道を探して踏み込んだ人がいるのだろう。しかし、ここではない。
少し沼の方へ戻って全体を俯瞰することにした。


花が終わりドライフラワーになったイワシモツケ


おぉ、これが岩の上に通じる道らしいぞ。
とはいえ、土壌が火山礫のため踏跡はできにくく、ここもはっきりしていない。


遠方に磐梯山が見える(ズーム)。
来月はあの山の頂に立つ予定だ。


岩壁の基部に来ることができた。
さて、岩の上に出るにはどうすればいいんでしょうか?


開いたリンドウに頭を突っ込んでせっせと花粉を集めるクマンバチ。
足の先に花粉を蓄えているのがわかる。


おっ、岩の上に行くルートが見つかったぞ。
沼から20分もかかってしまったがこれで先が見えた。


ふたたび障子ヶ岩の上に立つと沼ノ平がさらによく見える。
火口に立看のような構造物がふたつある。思いっきりズームして液晶画面に映すと、太陽光パネルとその下に袋に包まれた物体が見える。
おそらく噴火の前兆をとらえるための測定器であろうと思う。


岩壁の上を歩くのはここまで。
ここから先は岩が細く歩けるような状況ではない。
横倒しとなった石の祠があってこれが昭文社「山と高原地図」にある船大明神であることをうかがわせる。
それにしても山の中の神社なのに「船」という文字が使われているのはなぜだろう?
このすぐ近くには船明神山というのもある。
賽銭に百円玉を捧げてこれまでの無事への感謝とこれからの安全を願い、先へ進む。
道はこの1メートル下に続いていた。


船大明神を過ぎると猪苗代町から郡山市に替わる。
安達太良山はすぐ目の前に見えるが、実際には直角三角形の2辺を歩くようになっていて、その距離が3キロとある。
昭文社「山と高原地図」によると所要時間は35分だ。
しかし、これはおかしい。
3キロを35分で歩くには時速6キロという、猛スピードで歩かなくてはならない。平らなアスファルト道路であればそれは可能だがここは踏ん張りの利かない火山礫で傾斜もある。そんな速度で歩けるわけがない。本当は3kmなのではなく「1.3km」となっていたのが風化して消えてしまったのではないか。いずれにしても検証に値する。
この分岐の先に地図に道は描かれてないが船明神山(1667M)が見える。なだらかな山頂に2基の構造物が見えるので安達太良山に行く前に寄って確かめることにした。


ここが船明神山山頂。
これは先ほど沼ノ平で見た火山性微動を観測するのと同じ地震計。気象庁の管理になっている。


船明神山と安達太良山との直線距離は750メートル。
肉眼でも人の姿が見える(画像はズーム)。


砂礫の下り斜面をズルズルと滑りながら平坦路まで来ると、地面から20センチくらいの高さにブルーベリー似の実をつけた植物が群生しているのが見つかった。


実は完熟しているらしく、地面にたくさん落ちている。成っている実に手で触れるとポロッと取れた。
美味そうに見えるが鳥や小動物のエサにはならないのだろうか?
鳥や小動物のつもりになって管理人が口にしてみた。
甘酸っぱくて味はブルーベリーそのものだった。
帰宅して図鑑で調べたところヒメクロマメノキというブルーベリーの仲間だということがわかった。


いまはリンドウが盛りだ。
踏んづけないように避けながら歩かなくてはならない。


すぐ目の前に特異な形をした安達太良山の山頂が迫ってきた。
あの出っ張りは「乳首」と呼ばれ親しまれているそうだ。


とお~ちょ~!
昨日に続いて二度目の安達太良山なのである。
標高1699.7メートル。祠の下に二等三角点がある。
標高こそ日光の山に比べれば低いが山頂までの変化に富んだルートは面白く、とても楽しめた。特に今日利用した沼尻登山口ルートは二度三度と歩いてみたい魅力がある。
それと山頂に至るルートからそして、山頂からの展望が実に素晴らしい。日光にこれほど展望のいい山があったら毎日でも登りたいくらいだ。
天気がいい日であれば変化に富んだルートと展望が楽しめるし、曇天で展望がなければスリル満点のルートが楽しめる、いい山だ。
近いうちに再訪すること間違いなし。


先ほど歩いて来た船明神山とその向こうには磐梯山が見える。


「乳首」を東側に降りると広い山腹になり、ここも山頂であることを示す木柱が立っている。


ではこれから次の目的地、鉄山に向かうことにしたい。
あっ、そうだ。
ここで先ほど疑問に思った、安達太良山3キロの表示だが、自宅に帰って調べたら1.375キロと計算された(※)。これなら標準時間を35分としてもおかしくはない。時速2.8キロくらいだからごく自然であろう。
ちなみに管理人は花の写真を撮ったりブルーベリーを食味しながらのんびり歩いて38分かかった。
※PC用の地図ソフト「カシミール3D」を使った。


沼ノ平は安達太良山の西を歩く分にはどこからでも見渡せる。


正面に鉄山をとらえた。
途中まではいま歩いて来た道を戻ることになる。


角度を変えて沼ノ平。
まるで雪山かと思わせるような白く変色した山肌。
これも沼ノ平から噴出する硫黄ガスの影響らしい。


鉄山と奥岳登山口とを分ける矢筈森まで来ると昨日、歩いたルートがよく見える。
建物はくろがね小屋だ。


鉄山直下の岩稜帯を慎重に歩く。


鉄山の山頂を示すケルン。
近づいて見ると安達太良神社と刻まれた石板が積まれていた。
しかし鉄山を示す山名板の類はどこにも見あたらない。でもここでいいんでしょう。


四等三角点がある。
管理人がもっている地理院地図にも昭文社「山と高原地図」にもこの三角点の記載はない。
帰宅して国土地理院のオンライン地図で確認すると記載されているので、最近のバージョンアップで三角点が追加されたのかもわからない。


ここで沼ノ平を周回するルートの半分は終わり、ここからは沼尻登山口への帰り道となる。
次に目標とするのは箕輪山との分岐となる鉄山避難小屋である。


避難小屋全景。
赤い開き戸が遠方からでもよく目だつ。


避難小屋特有、ほんのわずかに湿気臭がするものの中はとてもきれい。ゴミひとつ落ちていない。
これで福島県内の避難小屋は、・鉄山、・酸ヶ平、・谷地平、・田代山と見たがどれも例外なく清潔で、利用者のマナーの良さが伝わってくる。それと、登山者を快く迎え入れようとする市町村の対応(手入れなど)もいいのだと思う。


いつ起こるともわからない噴火に備えてのものであろう、ヘルメットが常備されている。


避難小屋からの眺めもいい。
北の方向を見ると箕輪山(1718M)のなだらかな山容が見える。
こことの標高差はわずか42メートルしかない。
平坦な道がずっと続き最後に42メートル上るだけ、そのように見える。
計画には箕輪山を入れていないのだが、箕輪山を目の前にして、このまま下山してしまっては罪のように思えてきた。
時間はまだ早い、往復1時間半の寄り道だ。行ってみよう!


躊躇った挙げ句に歩き始めたのはいいが、10分も歩くとなんか様子がおかしいことに気づく。
真っ平らに見えた道なのに下り始めたのだ。しかもかなり急だ。
避難小屋からは平らにしか見えなかったが、そこに死角があった。一旦、下って登り返すことで箕輪山に着くのである。
その落差は85メートル下って次に135メートルも上る、ということが帰宅後のデータ整理でわかった。


避難小屋と箕輪山の鞍部に奥岳登山口の北、塩沢登山口に行くルートがある。
ここがその分岐だが注意書きを読むと植生保護のため下草刈りは廃止したとある。
平成12年から下草刈りをしていないということなら今はすでに藪になっているはず。魅力のある藪道であれば歩いてみたい気がするのだが、、、


この上すぐが山頂らしい雰囲気。


ここが箕輪山山頂、標高1728メートル。
地図によるとここから東へ200メートル行くと三角点があることになっているが道はない。


ここからの眺めもご多分にもれず素晴らしい。
南面に鉄山と安達太良山が見える。
今日の昼メシはここに決めた。


展望を楽しみながらのんびり食べ、戻ることにした。
箕輪山山頂からは安達太良山の北西にある横向温泉や野地温泉に降りるルートもあって安達太良山山域の多彩な面を浮き彫りにしている。いつかはこれらのルートから安達太良山を目指してみたいと思う。


鉄山避難小屋へ戻りここから計画書にあるルートで下山する。
なんだか名残惜しい。


前方にウサギの耳のような構造物が見える。
あれは一体、なんなんだろう。


飛行機あるいはヘリコプターのプロペラを使ったモニュメントのようだ。
「石楠花の塔」と刻んだプレートが取り付けられている。
気になったので帰宅後、ネットで調べたところその意味が理解できた。
1958(昭和33)年12月10日に自衛隊の航空機が消息不明となり、17日に箕輪山近くの山腹に墜落しているのが発見されたが、搭乗者2名はすでに亡くなっていたらしい。
プロペラは実際の遭難機のもので、搭乗者の慰霊とともに道迷いが多いこの場所での道しるべの目的で建立したそうだ。
前もってわかっていれば手を合わせたのに失礼なことをしてしまった。


石楠花の塔のすぐそばにはここが測量の基準点であることを示す「図根」が設置されている。三角点だけだと測量が不正確になるような場所だと、補足する目的でこのような「図根」を設置するらしい。


クライマー発見。
この辺りから往きと同じように岩壁の上を歩くようになる。


花盛りのリンドウはまだ続く。


岩壁の際にルートが見える。
こうして見ると怖いですね~。


ここで道は途切れてどちらへ行っていいのかわからなくなる。
前方は低木の林で踏跡はない。
振り返るといま来た道とその脇に大きな岩が見える。しかし道はない。
さあ、どうしたものかとしばらく思案。
よく見るとこの岩の先に白と赤のペイントが塗られていて、そこがルートだとわかる。
のぞき込むと2メートルほど下が道になっている。
しかし、2メートルの落差の垂直壁をどうやって降りろというのだ?
古賀志山の経験で岩は上るよりも下るのが難しいことを知っている。手足を引っかける凹凸が見えないからだ。
そもそもこんな危険な岩が正規のルートであるはずがない。そうだとすれば事故多発である。
さらに子細に点検するとなんと抜け穴があるではないか。
そういえば昭文社「山と高原地図」に胎内岩くぐりという記載があったな、ここがそうなのか。


ここが抜け穴。
前の画像はこの上に立って撮ったものでまさか足下にこんな抜け穴があるとは思いもしなかった。
高さ60センチほどの抜け穴はザックを背負ったままだと通れないため、ザックを下ろして寝そべるようにして抜け出した。やれやれ!


胎内岩くぐりを無事に済ますと朝見た、例の廃墟を東側から見るようになる。
ぜひともあそこへ行きたい!


踏跡は下りに転じ、沼ノ平からは遠ざかっていく。
先ほど見た「雪山」を仰ぎ見るような位置になった。


ルートは火山特有の火山礫だ。
足が踏ん張れないし滑る。
腰を落として重心を下げ、慎重に歩くしかない。


ロープが張られてここから先はルートではないことがわかる。
ではどちらへ行けばいいのか?
そもそも火山礫は土と違って踏跡がつきにくい。
ここでもルートを探すのに右往左往すること5分、ルートは管理人の後斜めについていることを発見。いやはや!


振り返ると斜面を横切るようにうっすらと踏跡がついている。
自分の後ろに向かって踏跡があるなんて想像もできなかったが、これでなんとか先へ進める。


細い流れと出合った。
沢の底は茶色に変色し、流れの中に鉄分が含まれていることがわかる。


ここは昔、鉄山へ行くルートになっていたところ。
前述したように霧でルートを見失った登山者4名が亡くなっていて注意喚起の立看が立っている。


沢は数本、確認できた。
水は無色透明で無臭。とてもきれいだ。
山の伏流水なので菌はないはず。
しかし、口に含んだとたん、クエン酸を溶かした水のようにかなり酸っぱい味がして飲み込むことはできなかった。
きっと伏流しながら土壌中の硫黄成分を吸収するのであろう、数カ所で試してみたが同じ味がした。


道はあの廃墟に近づいていく。
怖いな~、でもわくわくする(笑)


斜面を形成する大小の石だが本来の石の色と違って、みな白っぽい。これも硫黄ガスによって変色したのであろう。


こんな場所でも植物は育つとみえリンドウが咲いていた。


往きで眼下に見た建物だ。
表へ回ってみたが人の気配はしない。


登山道を示す立看を見てほっとする。
その向こうには流し素麺をするような木の樋が下方に向かって延びている。
さてと立看に従えば往きで歩いたこの場所を見下ろすところへ行けるはずなのだ。


ははぁ、これが上から覗いたときに見た「筋」のひとつだな。正体は立派な木道だった。


木道の下を白濁した川が流れている。
完全に硫黄成分を含んだ色だ。
川はそのまんま、「硫黄川」という名だ。


木道をさらに進むと大きな木の升があり、パイプが差し込まれていて温泉水が流れ込んでいる。かなりの勢いだ。
触れると熱い。60度くらいはありそうだ。


升にはやはり木でできた樋がつながっていて、温泉水がごうごうという音とともに流れている。
この温泉水は沼尻登山口下方の中ノ澤温泉に供給されているようだ。
ちなみに、前の画像の枡と樋が開放になっているのは温泉に含まれている硫黄分を空中に放出させる理由かららしい。


木の樋は太い塩ビ管に替わって下方に向かっている。
その塩ビ管を跨ぐようにして木の橋のようなのがかけられていて、木の橋の先(画像左)が正規のルートになっているらしい。
しかし、ルートは見つからずここまで来て諦めることにした。
本音を言うと管理人としてはパイプを跨ぐルートではなく、昭文社「山と高原地図」の破線ルート(難易度が高い)を歩きたかったので、正しいルートを真剣に探したとはいえない。実際にはあるのだろう。
建物まで戻って破線ルートで沼尻登山口へ進むことにした。


建物前のパイプラインと平行するルート。
パイプラインの途中から大量の温泉水がその下を流れる川へ放流されている。


こんなところも通るぞ!


ここは山側に踏跡がついている。


やがて駐車場。
この車は別人のだが、、、


朝は管理人の車1台だけだったがこの時間は2台。
それまでの間に何台の車が入ってきたのか知る由もないが、安達太良山の手前まで誰ひとり会わなかったことから、このルートはあまり利用されていないのではないかと思う。
考えればその通りで、奥岳登山口からであればロープウェイが使え、降車して1時間ちょっとで日本百名山の山頂に立てるのだ。3時間以上もかかるルートの利用者は少なくて当然のように思える。


結構な距離と時間だったが昨日の安達太良山を東から登るルートに比べると、こちらの方が断然面白いと感じた。
岩場やザレ場、ガレ場はあるしルートが不明瞭で右往左往すること4回あったが、いずれも冷静であれば問題はない。むしろ、それらを楽しむことができるのがこのルートの面白さであろう。
日光からの移動時間は長いがそれを上回る楽しさを与えてくれたのが今日の安達太良山であった。感謝している。
※GPSで記録された距離は16.9キロだが、これを「カシミール3D」で沿面距離を加味して処理すると3パーセントほど増える。管理人はそれを歩いた距離としている。



ルート不明瞭な部分、4カ所をまとめてみた。
二度目三度目ならまったく問題なく歩けるようなところばかりだが、初めてだと管理人と同じ経験をすると思う。ましてや深い霧でルートが見えなければ道迷い必至だ。お役に立てれば幸いです。


磐梯山の登山口下見
翌22日は自宅に帰るだけなので時間はたっぷりある。
そこで次に予定している磐梯山の登山口の下見に充てた。

ここは東西南北にある登山口の猪苗代スキー場。猪苗代登山口である。
正面、中央に見えるのが磐梯山でここからだと3時間35分とお手頃。


次はロープウェイを利用すれば山頂まで1時間40分で登れてしまうという翁島登山口。
ただし、ロープウェイを降りてからの傾斜は厳しいらしい。


ここも翁島登山口だがロープウェイを利用しない場合の登山口である。
ここからだと2時間50分で登れるが傾斜はかなり厳しいらしい。


4つ目はもっとも登山者が多いとされる八方台登山口。
ロープウェイを利用しないルートとしてはここがもっとも短くて、2時間で登れる。
管理人がここに着いたのは8時20分だったが、平日だというのに駐車場は残り5台分しかなかった。人気のほどがうかがえる。