那須岳山麓の三斗小屋宿跡を目指すも増水で川を渡れず、撤退。

2019年10月21日(月) 曇り

台風15号に続いて19号が猛威を奮って大きな被害をもたらせ、間髪をいれずに今度は20号(22日に熱帯低気圧)と21号というダブル台風が日本に接近中との予報である。
15号と19号によって被災された地域の方にはお気の毒としか言いようがなく、接近中のダブル台風が追い打ちをかけるかも知れない。自然の仕打ちとはなんとも酷い。

今年の冬は雪が降らず、その後も長梅雨と局地的な豪雨、今までとは異なる進路を通る台風など、もしかするとこれからはそれが当たり前になってしまうのではないかと思えるほどの異常な天候である。
管理人は天気のいい日を選んで登山ができるという、比較的恵まれた立場にあるが、今年はだめだ。1~2週の間に晴れの日はせいぜい一日だけなので、登山の計画が立てづらい。雨の日の登山は危険が増すから管理人はできるだけ避けている。したがって登山が可能な日が少なくなる。
今週は早くも台風20号と21号による影響が出始めていて、週間予報に晴れマークはない。

今月は1日に近場の山、霧降高原丸山に登ったが、わけあってアスファルトの県道を12キロ、登山道は4キロ歩いただけで登山とは言えない歩きであった。
それから3週間、空いてしまった。

悪天候もさることながら台風で大きな被害を出した地域は隣の鹿沼市や県南の栃木市、佐野市、足利市におよび、日光市でも国道より低い場所では床上浸水に遭っている。亡くなった人が数名いる。ニュースで惨状を知るにつけ、出かける気持ちになれなかったというのが正直なところだ。

とはいえ、このままでは管理人自身、気持ちが消耗してしまう。
管理人にとって登山は生活のエネルギーそのものである。
被災地の一日も早い復旧を願いつつ、管理人自身の気持ちを立ち直らせるためにもそろそろ登山を再開したい。

昨年の10月2日、那須岳(茶臼岳、朝日岳、三本槍岳、南月山、黒尾谷岳の5峰の総称。呼び名は那須連峰でもいい)を周回した際に見た紅葉が忘れられない。→こちら
昨年よりも3週間遅いが今年は紅葉が遅れている。
盛りとは言えないが断片は見ることが出来るであろう。
気持ちを切り替えるには紅葉がふさわしい。

次の計画を立てて望んだ。
那須岳は広範囲を歩いているつもりだが未踏の場所もいくつか残っている。
今日はそのうちのひとつ、三斗小屋宿跡(※)を目標に設定し、それから先のルートで紅葉を楽しむつもりだ。
三斗小屋宿跡を訪れる人は少ないらしいが、ここに石仏や常夜灯など往時を偲ぶ姿があるという。是非、見てみたい。
三斗小屋宿跡(さんどごやじゅくあと)

行程表(計画)
沼原(8:00)~(麦飯坂)~三斗小屋宿跡(9:30)~三斗小屋温泉(10:50)~朝日岳(12:50/13:00)~峰の茶屋跡(13:40)~牛ヶ首(14:05/14:15)~姥ヶ平下(14:55)~沼原(16:05)
 

同じ県内にありながら那須岳へ行くには時間がかかる。
雨降る自宅を5時45分に出てコンビニと道の駅に立ち寄ったら2時間強かかった。あと30分費やせば檜枝岐(福島県)まで行ける。
那須岳の登山口は峠の茶屋がメインだが、高速道路が使えるのともっとも人気のある茶臼岳に短時間で登れることから利用者が多く、駐車場は早くに満車になってしまう。
だが、那須岳の南に位置するここ沼原(ぬまっぱら)は車でのアクセスが悪いのと茶臼岳まで時間がかかるため利用者は少なく、知る人ぞ知るという穴場である。駐車場は広く、満車になることはない。
昨日の雨で足元が濡れることを想定して雨具を着、その上にスパッツを装着しているうちに直前まで立ち込めていた濃い霧が晴れた。


沼原調整池に沿って歩いていくと三斗小屋温泉への近道があるがそれを過ぎて沼原湿原に向かう。


石積みの階段を降りていくと湿原を一周する木道と出合うのでここを右へ行く。


ここにも三斗小屋温泉への分岐があるが左へ、湿原の北端に向かって進んで行く。
再び霧が出てきたが展望のない樹林帯なので差し支えない。むしろ幻想的な雰囲気が楽しめる。


湿原北端の折り返し点まで来てここに三斗小屋宿跡への道がある。
管理人、このルートは初めて。


路幅は広く、なかなか快適。


これはシカのヌタ場だな。
ミズナラの落ち葉がきれいだ。


これはなんなのだろうね?
両手を合わせた石仏は首をやや斜めに傾け、空を見上げているようにも見える。
顔は柔和でオジサンっぽい。


すぐ近くに朽ちかけた道標が。
支柱の右の板には「三斗小屋宿」と刻まれている。
「跡」という文字はないから、まだ宿が残っていた当時のものなのかも。


再び霧が立ち込め始め幻想的な雰囲気が味わえる。
人の気配はおろか踏跡さえなく廃道といった感じ。


道を塞ぐ倒木。
葉っぱがついているので台風によるものだろうか。


このような歩きやすい道もあるのだが、倒木と抉られて泥濘んでいたりの繰り返しだ。


朽ちた倒木。
数十年以上にわたって処理されず放置されているようだ。


地理院地図によるとこのルートは「麦飯坂」と表記されていて、300年以上もの歴史があるそうだ。当時は会津(福島県)と氏家(栃木県)を結ぶ主要な道で戊辰戦争の際は会津軍(旧幕府軍)と新政府軍との間で激戦があったと記録されている。


このルートは沢が多い。
このやや大きな沢を渡る前にも3本の細い沢を越えた。


丸太橋から下を見下ろすと「湯川」が激しく流れている。
台風による大雨のせいか、水量が多く、岩にぶつかっては水しぶきをあげている。
地図で見ると登山道はあの川を渡って三斗小屋宿跡に行くとある。
そのためにもどこかに橋がかかっているはずだ。


お~、なかなかいい眺め、、、


湯川の河原に降り立ったが橋らしきものは見当たらない。
いや、あった。
川岸に板で組んだ橋のはしっこが見える(画像の日付の上辺り)。


う~む、この台風による増水で流出したのかそれとももっと前からこんな状態になっていたのか定かではないが、渡渉する頼みの綱というか橋は断たれた。


橋は岩と岩の間に載せるだけの簡素なもので、基礎はないから増水するといとも簡単に流れてしまう。
ただし、下流にまで行ってしまわないように片側にロープを取り付け、そのロープを立木や岩に固定してその場にとどまるような工夫がされている。それがこの状態。
元の位置に戻すには数名の人員が必要であろう。しかも冷たい水に浸かっての作業になるからこの時期にはやらないはずだ。
当面の間、このルートは利用できないとみていいだろう。


さ~て、橋がないとなると渡渉は難しいぞ。
岩の上に乗って渡渉点を探したが岩と岩の間は1メートルもある。
助走もつけずに1メートル離れた岩に飛び移るのは至難の業である。
うまいこと届いたとしても相手は濡れた岩だ。それに平ではない。靴が岩に触れた途端に足が滑り、流れに巻き込まれて大怪我は必至、いやそんなことでは済まないであろう。


少し上流を探したが安全に渡れそうな場所はなかった。
ジャンプして着地した瞬間に濡れた岩で靴が滑り顔面を岩に叩きつけて悶絶、そのまま流れに吸い込まれ、いくつもの岩にぶつかっていくうちに絶命し数カ月後にはるか下流の深山湖に流れ着いて白骨体で発見される、というストーリーが管理人の頭の中に出来上がっていった。
そのような想像力を働かせないと山での遭難を防ぐことはできない。
慎重すぎるくらいがちょうどいい。
グループ登山だとメンバー間に実力差があるため、このような状況ではリーダーの判断が重要になってくる。
管理人は単独主義だが、こういう場合はグループで行動するリーダーになったつもりで、もうひとりの管理人をグループのメンバー、それも足腰の弱った老人と見なして客観性をもたせるといい。
この状況でここにいる老人に渡渉させるのは無理であろうというのが、リーダー役の管理人の結論であった。


さて、どうしたものか。
靴を脱ぎ、ズボンを脱いで流れに腰まで浸かって渡ろうという覚悟があれば渡れないことはない。しかし、川底が見えるほどの透明度の水は冷たいはずだ。川幅は3メートルほどだが流れは急だし気温は低い。体が凍えるほどの体験をしなければならない。年老いた管理人にそんな覚悟はない。
渡渉点を探して20分ほど右往左往した後、撤退を決めた。
同じ道を戻るのは気乗りしないが仕方がない。


座るのに適当な倒木があった。
ここで昼メシとしよう。


セブンの弁当が最近のお気に入り。
469kcalと、山でのエネルギー補給にちょうどいい。
ちなみに今日の朝食は5時前だったから6時間経過している。
運動量はそれほど多くないのでこれまで朝食に食べたうどんで十分足りた。


朝見たオジサン顔の石仏を通過。


ほどなく沼原湿原に到着。
時間は余りあるほどあるので湿原を歩くことにした。


小規模ながら植物の種類は豊富で紅葉にはちょうどいい時期だった。


台風の大雨でできた池。
沼原湿原らしい雰囲気が出てます。


駐車場は朝よりも車が多くなっているが余地はまだ十分にあった。


三斗小屋宿跡へは予定ルートを左回りに、三斗小屋温泉を経由しても行くことが出来る。
そのルートも沢を渡るが湯川の支流でなおかつ、沢の始まり部分なので水量はそれほど多くないと思える。
また、渡渉地点は三斗小屋温泉の近くなので、渡渉できなくても三斗小屋温泉まで戻って別ルートで帰ればいい。
次回はそのルートにするかあるいは渇水期まで待って行くかの選択になる。