磐梯山2日目は核心の噴火口廻り。荒々しさに言葉を失う。

2018年9月13日(木) 曇り 行程表  

車の屋根を打つ激しい雨音が気になって、夜中に何度も目が覚めた。
気になったのは今日の天気である。
今日が磐梯山の本命で、核心となる噴火口を歩く予定なのだ。晴れてほしいなどと贅沢は言わないが、せめてこの雨は止んでほしい。

雨が止まなかったら?
せっかく日光からここまで来たのだから雨をついて歩き始める、ということは管理人はしない。
雨の日の山歩きは危険が増す。
濡れた岩や石は滑るし土壌によってはドロドロになってこれも滑る。
さらには遠くの景色が見えないと山歩きの楽しみが損なわれるし、写真も撮れない。地図を見ることもできない。いいことなどひとつもないのだ。

天気予報によると9時になれば雨は止んで晴れ間が出るようだ。それまで待って雨が止まなかったら潔く諦めることにしよう。
日光からここまで、車で5時間。
下見を重ねるうちに移動時間の長さは気にならなくなった。
管理人のように晴れの日を選んで山歩きができる立場の者はなにも雨の日に歩くこともない。出直せばいいのだ。
とカッコつけて書いたのはもちろん、晴れを確信しているからなのである(^^;)


行程表
裏磐梯スキー場登山口(9:05)~噴火壁分岐(9:31)~標高1457(11:14)~弘法清水(11:52/12:00)~磐梯山(12:25/12:57)~中の湯分岐(14:24)~八方台登山口(14:55/15:10)~中の湯分岐(15:39)~銅沼(16:20/16:40)~裏磐梯スキー場登山口(17:05)
歩行距離:15.5キロ
所要時間:8時間
累積標高:1332メートル


登山口で雨が止むのを待っている磐梯山の登山口、裏磐梯スキー場に着いたのは7時前。
車内でかれこれ50分、雨が止むのを待っている。
救いは9時以後の天気予報が晴れマークになっていることだ。あと1時間は待ってみよう。


雨は小止みになった予報通り9時になったら雨は小止みになった。
予報は当たった。
車から降りて支度を始めた。


登山口の裏磐梯スキー場今日は昨日の猪苗代スキー場とは180度反対側にある、裏磐梯スキー場が登山口になる。
昭文社「山と高原地図」での標準時間は昨日は3時間40分だがこのルートだと2時間55分なので、山頂まで45分の短縮、というのはあくまでも標準時間の上の話。
管理人、一度の山行で300枚以上も写真を撮るし、地図と地形を照らし合わせながら歩くので標準時間の2・3割りは余計にかかるのが通例である。
登山を始めるのに9時を回ってしまったのは遅いのだが、雨が止んでくれたのをありがたいと思わなくてはいけない。


磐梯山が頭をだした先ほどまでまったく見えなかった磐梯山が頭をだした。
雲間から青空も見える。


噴火口への分岐歩き始めて30分で道は分岐するがどちらに進んでも磐梯山に行くことができる。つまり周回ルートになっているのだ。
道標にある磐梯山頂に向かえば銅沼(あかぬま)のすぐ脇を通って山頂に達する。銅沼がどのようなところなのかわからないが、今日は磐梯山の核心とも言える噴火口そして、噴火によって山が崩れその跡が残るという噴火壁を先に見ておきたい。


うむ、なにやらいい雰囲気。


シラタマノキシラタマノキ


イタドリイタドリ


前方に見えるのは噴火壁一面の砂礫帯。この辺りから噴火口が始まるようだ。
前方に見えるのは噴火壁だろうか。


シラタマノキ道の両側はすべてシラタマノキ


噴火壁を間近で見る噴火壁を間近で見るようになった。
大きなケーキをナイフで切り取った、その断面を見る感じ。
山が噴火で吹き飛んだ様子がよくわかる。


噴火口は300メートルはある噴火口は300メートルはあるのだろうか、広い。
ここ(昔の小磐梯山)は磐梯山の北に位置し、1888年(明治21年)に大爆発が起こり、ここにあった山全体が吹っ飛んで現在の形になったそうだ。


ふたたび樹林帯に大小の石が堆積した噴火口を歩いて端まで来るとふたたび樹林帯に入る。
ガレ場やザレ場は踏跡がつかないから目印がなければどちらに進んでいいのかわからない。
噴火口には要所要所にマーカーがあって進路を示している。
イエローフォールと呼ばれる氷柱が見られるのはこの近くだろうか?
冬にも来てみたい。


一本道なので迷うことはない樹林帯に入るとすぐこのような道標があるがここは一本道なので迷うことはない。


樹林帯の中の傾斜は30度近い樹林帯の中の傾斜は厳しく、30度近い。
丸太が階段状に置かれているが段差が大きく、短足の管理人は苦労の連続だった。
階段の両側に逆U字をした鉄棒が差し込まれていて、これは身体を支えるのにちょうどいい。
かなり頑丈な作りだが横方向に押したり引いたりすると、時間の経過とともにぐらついてくるので望ましくない。U字部分を上から押しながら上ったり下ったりすれば長持ちするのではないだろうか。


噴火口を見下ろせる場所急傾斜で息が切れたので立ち止まると、そこは先ほど歩いた噴火口を見下ろす場所だった。
昔、あそこに山があったとは信じられない静かな光景が広がっている。
銅沼(あかぬま)と桧原湖がよく見える。
磐梯山の噴火によって流れ出た溶岩は北に向かって流れ、人も家畜も田畑もすべてを飲み込んでしまったらしい。その犠牲の上に広大な高原ができ、川がせき止められて桧原湖や小野川湖、秋元湖、五色沼(いくつかの沼の総称)、他にも小さな池沼がたくさん生まれたという。


標高1457地点急傾斜の樹林帯を抜けると標高1457地点に出る。


測量のための「図根」測量のための「図根」が設置されている。
この辺りから噴火口と噴火壁を見下ろせるようになる。


コウリンタンポポコウリンタンポポ
もともとは帰化植物らしい。


巨大な岩と土の急斜面それにしてもすごい地形だねぇ。
巨大な岩と土の急斜面がずっと続いている。
地形図だと実に複雑に見えるが、こうして実際の地形と対比して見ると地形図が理解できる。


地形図これは前の画像の地形を眺めた位置と方向(矢印)を地形図で表したもの。


エゾシオガマエゾシオガマ


猪苗代登山口への分岐猪苗代登山口への分岐。
ここは昨日も通過した。


クワガタおやまぁ、クワガタ君だ。
色つやがいい。


黄金清水で喉を潤す黄金清水で喉を潤す。


弘法清水小屋弘法清水小屋
昨日はなめこ汁をいただき、記念にピンバッジを買った。
小屋の前には中学生団体の後発組と小学生の団体がいて、小学生の団体はこれから登るところだった。小学生が出発する前に歩き始めた方がいいとの小屋の女将さんの勧めもあって、今日は足早に立ち去ることにした。


山頂への道は険しい山頂への道は険しいが20分で着くから我慢のしどころである。


ゴマナゴマナでしょうね。


ウスユキソウウスユキソウ


ウメバチソウ
花弁が崩れたものもあったがこれはいい形をしている。


山名板がある場所で休憩三角点がある山頂は登山者と中学生で占められていたので、一段下がった山名板がある場所で休憩することにした。
菓子パンをかじり氷を詰めた水筒からマグカップに氷を移し、アイスコーヒーを作って飲む。
なお、小屋は弘法清水小屋に隣接する岡部小屋の出店のようなもので、週末だけ売店として開けるそうだ。


濃いガスのため展望はゼロ濃いガスのため展望はゼロ。
まっ、景色は昨日見ているし、雨にならなかっただけいいか。
ここで単独の女性と出会った。
今朝、雨が止むのを待って管理人とほぼ同じ時間に裏磐梯登山口から登ってきたそうだ。
ここまでの行程で出合うことがなかったのは管理人が噴火口周りで来たのにたいし、女性は銅沼周りで来たからだった。
お互いに写真を撮り10分ほど情報交換。
昨夜は裏磐梯のユースホステルに泊まり、これから翁島登山口に降りて磐越西線の翁島駅まで歩くと言っていた。この天気だと翁島ルートから猪苗代湖は見えないだろうなぁ。


弘法清水の前を裏磐梯へ磐梯山から下り、次に弘法清水の前を裏磐梯へと向かう。


八方台ルートの下見も兼ねた山行裏磐梯登山口と八方台登山口との分岐まで来た。
車は裏磐梯に置いてあるが今日は八方台ルートの下見も兼ねた山行なのでここを左へと進む。
八方台登山口まで下ったら今度は登り返してここまで戻ってくるつもりだ。
ここで昭文社「山と高原地図」に記載の時間の間違いを指摘しておく。
山と高原地図にはこの分岐と弘法清水の区間時間が記載されているが、下り70分にたいして上りは60分と、上りの方が10分早いと記載されている。
管理人はいま、弘法清水からこの道標(中ノ湯分岐)まで標高で315メートル下ってきた。下りに要した時間はちょうど60分だったから、山と高原地図の70分より10分早かった(この間、特に見るものがなかったから)。
ではその反対、315メートルの標高差を上るのに下りと同じ60分かといえば、そんなことはあり得ない。
帰宅してカシミール3Dで計測してみると上り推定時間は90分と計算された。下りよりも上りのほうが時間がかかるのは当然のことだ。

同様に、昨日は猪苗代登山口から赤埴山を経由して磐梯山に登ったのだが、赤埴山の登り口から赤埴山山頂まで10分、同じルートの下りは15分と、ここでも上りよりも下りの方が時間が長く記載されている。

山と高原地図は1/5万の地図にルートや区間時間、見どころや注意事項がびっしり描かれているため便利でもあるがそれらの情報がじゃまして尾根や沢、等高線が見えない。すなわち地形を読むには適していない。
管理人は山と高原地図の他に国土地理院の1/25000地形図を携行(ときには1/12500も)しているので上に書いた間違いに気がついたが、今回のケースで言えば山と高原地図の情報を鵜呑みにすると、「あれっ、1時間歩いたのにまだ着かない!」ということになってしまう。
ちなみに管理人が使ったのは「磐梯・吾妻・安達太良」2017年度版


中の湯道標を左に入ると木道が見え、そこが地図にある中の湯であることを知る。


キオンとゴマナキオンとゴマナ(シロヨメナかも)


中の湯ぜひとも立ち寄ってみたかった中の湯。
この右側に旅館の建物がある。


源泉にひっそりと佇む元旅館中の湯の源泉にひっそりと佇む元旅館。すでに廃墟と化している。
事情に詳しい人の話では経営者が亡くなった後、後継者が現れず、そのまま廃れてしまったのだという。平成5年くらいまで営業していたとのこと。
建物はこの裏に20メートルほど続き、当時は隆盛を極めていたのではないかと思う風情がある。
磐梯山の西には上の湯、中の湯、下の湯という3つの温泉宿があったが1888年の大爆発によって上の湯と下の湯は壊滅し、多数の死者が出たらしい。中の湯だけが残り、営業を続けられたそうだ。下記の参考資料に詳しい。

参考資料
磐梯山ジオパーク


温泉らしき泡が地面からブクブク登山道は旅館の前だけ砂礫帯になっていて、温泉らしき泡が地面からブクブクと吹きだしている。温度は低い。
手ですくって口に含むと酸っぱい。
安達太良山の硫黄川付近を流れる沢と同じ味がした。


道は車が通れるくらい広く、これも事情通の話では、旅館に物資を運ぶために使われていたとのことだ。


気持ちのいい広葉樹林八方台ルートは気持ちのいい広葉樹林だ。
ブナが多い。


登山口が見えてきた登山口が見えてきた。


八方台登山口磐梯山の西側、八方台登山口。
車道を挟んで駐車場がある。


八方台登山口の駐車場八方台登山口の駐車場。
県道64号線の裏磐梯ゴールドラインにあってここから磐梯山まで2時間で行けることから、6つある登山口の中で利用者がもっとも多い。
先月下見に来たときに制服を着た人が5・6人いたので聞いたところ、駐車場に出入りする車の誘導をしているのだとのこと。休日だと朝の4時、5時には満車になることがあるそうだ。
混雑の理由は磐梯山の登山者だけでなく、ここから西へ向かうと猫魔ヶ岳さらにはニッコウキスゲの群落地である雄国沼へ行けるのだ。混まないはずがない。
あずま屋のベンチに座ってバナナを食べ、裏磐梯に降りるためのエネルギー補給とする。


エゾリンドウエゾリンドウ


八方台から登り返して中ノ湯を過ぎるとすぐ、磐梯山と裏磐梯との分岐なのでここを左に折れて下山する。


温泉地でよく見る湯導管温泉地でよく見る湯導管。
源泉から旅館まで温泉を運ぶためのパイプラインだ。おそらく中の湯から裏磐梯の宿に温泉を供給していたのだと思う。
過去形で書いたのは温泉が流れていればその音がするし管に触れるとぬくもりを感じるのだが、それらはまったくないのだ。
途中で崩れていたりで、使われなくなって久しいようだ。


銅沼の説明板山頂で出合った女性が話していた銅沼(あかぬま)に到着。
まずは説明板をじっくり読んで銅沼の成り立ちを頭に入れる(すぐに忘れるからこうして写真に撮っておくと役に立つ)。
ここから赤土の地面の先に沼が見える。それが銅沼なのであろう。


銅沼(あかぬま)お~、きれいだ!
水の流入がないためか透明度は低いが、それがかえっていかにも沼といった風情を醸し出している。
向こう岸の斜面から煙のような白い筋が立ち上っている。
きっと噴煙であろう。水蒸気かもわからない。
その向こうに見える茶色の壁こそ噴火壁と呼ばれ、山体が崩壊した跡に違いない。
銅沼は小磐梯山の噴火によってでき、数種の金属成分を含んだ強酸性の水質だそうだ。


銅沼の水位岩が茶色に変色しているのはここまで水位があったということ。
一時的な水位の上昇だと変色しないはずだから普段の水位がここまで達していることを表している。渇水によって水位が後退しているのは間違いない。


無事に下山歩き始めたのが遅い時間になったため予定よりもだいぶ遅れたが、無事に下山できた。
来月のこの時間であれば辺りは暗くなっていることだろう。
余談だが、管理人が日光を発って登山口の近くに腰を据えたのが11日だから、今日で3日目。その間、風呂に入っていない。
汗をたっぷりかきウエアはその汗を吸い込んで重い。それが昨日と今日、二日続いた。胸元からなんともいえない香り、いや臭いが立ち上ってくる。それと気づかず、熊が近くに潜んでいるのではないかと警戒したほどだ。
会津駒ヶ岳でも安達太良山でも近くに温泉施設があるので積極的に利用したが、磐梯山の近くには日帰り温泉が見つからないのですよ。
着替えは車に入っているがこんな身体で洗濯済みのウエアを身につけるのは躊躇う。今夜もこのまま寝袋に入ることにしよう。
実は昨日、大きな岩をクリアしようとして足を滑らせ、右足の脛を岩にぶつけて4箇所ほど擦りむいてしまったのだ。湯に足をつけるわけにもいかないので入浴を差し控えたというのがホントの話(信じてはもらえないだろうけれど、、、)。



噴火口と噴火壁の様子大爆発によって小磐梯山が吹っ飛んだ後の地形を、カシミール3Dで描画してみた(赤い線はこの二日で管理人が歩いた跡)。
噴火は1888年7月15日のことだから、この地形は130年前にできたもの。
噴火口と噴火壁の様子がよくわかる。