古賀志山奇岩めぐり、九つなんとかクリアしたが最後は日没に。

2015年11月4日(水) 快晴、気温20度、距離11キロ、累積標高1797メートル
南駐車場~瀧神社~岩下道~カニの横這い(+縦這い?)~背中当山~カニの縦這い~①中岩~②二尊岩~赤岩山~北ノ峰~③籠岩~④猿岩~⑤天狗岩~⑥馬頭岩~大日山~⑦雨乞岩~⑧観音岩~⑨対面岩(日没)~岩下道~瀧神社~南駐車場

mapNPO法人「古賀志山を守ろう会」が公開している古賀志山山域の地名などを図式した「めぐり図」は、古賀志山と御嶽山、赤岩山を結ぶ稜線の南側に位置する尾根や岩の位置関係が整理されていて、古賀志山山域を歩くのにとても役に立つ。

そのめぐり図には「山名板」として3カ所、「説明板」が3カ所、地名板」が18カ所そしてそれらを巡るためのルートが描かれている。管理人はめぐり図の存在を知った9月から、それらすべてを見て回ることを目標に古賀志山山域を歩き回ったというか、それらを探してさまよい歩いてきた。
なにしろめぐり図は概略なのでそれぞれの位置関係を地理院地図に当てはめ、歩けそうな尾根や沢を試行錯誤するわけだから、まさに彷徨い歩くいや、さ迷い歩くといった具合だ。

自宅から1時間で行くことができる地の利を利用して、週2・3回の古賀志詣での結果、10月22日にめぐり図のすべてを見て回ることができた。さあ次はこれまで歩いたルートの中で管理人が気に入った、易しいルートを選んで歩くことを残り少ない人生の楽しみとしよう、一度はそう考えた。
でも、それでいいんだろうか。なんか目標を見失ったようで、それって管理人の性格に合わない気がする。どうせ生い先短いんだからテンションMAXで行こう、そんな気持ちにさせてくれたのがそれまで暖かな空気に霞んでいた、管理人の地元日光連山が秋の深まりとともにその姿を現すようになったからだ。
あぁ、遠くから眺める日光連山もいいもんだなぁ、この冬は古賀志山から冠雪の連山を眺めたいものだ。そのためにはこれからもとっておきのポイントを探し歩くことにしよう。危険を冒して立った岩の上には大パノラマが広がっているかもわからないじゃないか。

ということで、日だまりのテラスでのんびりお茶をすするような山歩きはまだ先にして、体が無理できるうちに思いっきり歩き回ろう、膝がガクガク震えるような怖い思い出を冥土の土産に持っていこう、ヘトヘトになるまで歩いて終わったら冷たいビールを飲もう、って山ではこういう人がもっとも危ないのだが、、、ケガによる長い空白から復帰して元気を取り戻した管理人のテンションかなり上がっているのである(^^)

さて、古賀志山山域には名前で呼ばれている岩がたくさんある。めぐり図にある、地元で信仰の対象にされていて正式名が付いている九つの岩の他に、反省岩に弁天岩、弁天岩転じて弁当岩、二枚岩、大岩というのがふたつ、番号で呼ばれている岩が複数、腰掛岩、軍艦岩さらには小マラ岩なんて名前のついているものまで数えると、20以上あるのではないだろうか。岩だけで!

岩は自然の成せるわざとでもいうか、それぞれ実に個性的な姿形をしている。その数もさることながら、それぞれの岩にたいして姿形を形容する面白おかしい名前がついていることに、古来から現在に至るまでこの山がいかに地元の人に親しまれてきたのかがわかるというものだ。

今日の管理人の目標は20以上ある中で、めぐり図にある九つの岩を一日ですべて見て回ることだ。これまで日を変えて九つ訪れたが、それらを一日ですべて歩いてみようと考えたのだ。九つの岩は古賀志山と御嶽山、赤岩山を結ぶ稜線の中央、中岩(地形図のピーク546)を境に東と西に距離が離れて存在している。だから東側と西側、それぞれを一日かけて歩くのが正しい歩き方というものなのだが、それをなんとか一日でやってみたい。古賀志山は挑戦意欲をかき立ててくれる山なのである。
そして、
・なるべく同じルートを通らない
・できれば未踏のルートを探して歩くこと
・できれば一筆書きで歩くこと
という3つの条件を盛り込み、挑戦意欲をさらに鼓舞することにした。
ただし、軟弱な管理人ゆえ目標を達成できないことを視野にいれ、なるべくとか、できればとやらでちゃんと逃げ場を設けたのがポイントだ(^^)

※※
当ブログの古賀志山に関する記事に出てくるさまざまな名称や説明の根拠は、池田正夫著「古賀志の里 歳時記」に多くを頼っていますが、管理人の読み間違いや理解不足により間違いがあろうかと思います。
もしお気づきのことがありましたらご教示いただければ幸いです。

※※
古賀志山に関してはGPSの軌跡は掲載しない方針なので、興味がある方は「古賀志山を守ろう会」が公開しているめぐり図を始めとする各種の貴重な資料と、当記事の説明を参考に、ご自身の力量でルートを設定してみてください。


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昨夜は寝床で今日の順路について頭を巡らせたのだが、最善となるルートが見つからないまま酔いに任せて寝てしまった。
だが、同じルートを通らない、未踏のルートを歩く、一筆書きに歩くという条件にはなるべく、できるだけ沿うつもりだ。
起点を瀧神社とするので車は宇都宮市営南駐車場に置き、瀧神社への最短ルートにした。
駐車場からアスファルト道を北上すると数分で分岐に出る。右へ行くと長い山道を走り車は行き止まりとなる。分岐を左へ入ると県道70号線と並行し、やがて交わる。
山道へのアスファルト道を数分歩くと右カーブになるので左への分岐を入る。アスファルト道は3つの祠を祀った場所で行き止まりとなる。ここまで歩き始めて10分。
祠は古賀志山神社と御嶽山神社、湯殿山神社でここを右へ折れると登山道になり瀧神社に至る。
が、現在使われている登山道は地理院地図に描かれた道とは少しずれていることがGPSの軌跡でわかる。地図上の道はこの3つの祠の裏側を北上するように描かれている。池田正夫著「古賀志の里 歳時記」によれば祠の裏側を北上して瀧神社に至る道は「西ノ沢通」、現在の登山道は「馬場通」とある。
地理院地図の道はおそらく「西ノ沢通」のことであろう。いずれ廃道になった「西ノ沢通」を利用して瀧神社まで行ってみたいものだ。

DSCF4689滝コースへの道標にしたがって管理人にはすっかりお馴染みとなった、瀧神社へと向かう。
道標は「瀧神社 雄滝」となっているが、雄滝は男瀧の間違い。と、いまでこそ正しい名称で呼べるようになったが管理人自身つい最近まで、男瀧のことを雄滝と書いたり不動の滝といっていた。

DSCF4695歩くこと10分で男瀧に達する。道標には不動の滝となっているが雄滝と同じ滝を示していていずれも男瀧の間違い。
また、御嶽山方向を示す御岳というのも間違い。と、管理人、最近とみに厳格になってきたが昔からの固有名詞は正しく書きたいと思う。

DSCF4696休日、平日にかかわらずロッククライミングを楽しむ人で賑わう岩壁。横に数十メートルという長さがあって難易度によって分けられている。
瀧神社はこの右の洞窟の中にある。

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これが瀧神社。
西暦1108年からの長い歴史を刻むが場所が三回にわたって移され、この洞窟内に収められたのは1816年、、、と説明板に書かれている。
道標の雄滝、不動滝とあるのはこの神社の左脇を落ちる男瀧を指している。

DSCF4698これが男瀧。
岩壁の上から水が落ちてくる。落差10メートルほどだが渇水期の今、流れは弱い。源流は雨乞岩であることを管理人は前に確認したことがある。

DSCF4699瀧神社右上の木の根元、小さな窪みに石柱が建っている。
これは「御崎(みさき?)」という拝所なのだそうだ。神が宿る場所らしい。

DSCF4704神社が収まる洞窟の奥に入るとそこにも二つの石柱があり、ひとつは「御寷(おかまど?)」で写真の石柱は「御穴(おあな?)不動」。これらも拝所だそうだ。
そうそう、これまで書いてきた瀧神社にまつわる説明はすべて池田正夫著「古賀志の里 歳時記」をつまみ食いしたものである。

DSCF4705御穴不動の左脇に妙な形をした石像を見つけた。同書で調べると、一体のみだが狛犬だそうだ。とすればこれは阿吽の「阿」のほうか。
鳴虫山の狛犬は阿吽の猪像だがここのも耳が小さくて猪に見える。獅子のようにも見える。

DSCF4708のんびり観察している場合ではない。先を急がなくてはならないので最後に瀧神社の側面を観察。
扉を除く三方と軒下の四面に彫刻が施されている。小さいながらも立派な神社だ。

DSCF4715神社前の道、岩下道を西へ進んでいくと分岐するので右へ入る。
実は今月1日に中岩からカニの縦這い、カニの横這いを怖い思いをしながら降りてきたが、慣れるために今度は登ってみようというわけだ。
登るのはこれで二度目。

DSCF4716分岐を右に入るとすぐ目の前に大きな岩壁が立ちはだかる。
この岩の下部を横に這うようにして歩くことからカニの横這いと呼ばれているらしい。
ただし、長さは5メートルほどでロープがつけられているので末端まで達するのは容易。問題はその後の縦這いだ。

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カニの横這い。
足場はしっかりしている。末端も見える。

DSCF4722横這いが終わると間髪入れず、縦這いが待っている。あの木が見える場所まで鎖もロープもない岩をよじ登らなければならない。

DSCF4724途中、振り返ると雲海の上に筑波山が見えた。

DSCF4725縦這いはまだ続く。

DSCF4732靴が滑っても体がずり落ちないように、岩に打ち込まれたハーケンを利用してカラビナとスリングで体を結ぶ。少し上がってはその上のハーケンにカラビナを付け替える、それの繰り返しで登っていく。
ちなみにここを初めて登った6月は、鎖があるとの情報を得て何も用意せずに臨んだ結果、滑落→重傷→レスキューに救出される→新聞のニュースに、そんな連想が頭をよぎった。
今日はそのときの教訓を生かしたつもり。

DSCF4736最後は鎖がかかった岩を登り背中当山に達する。
古賀志山の岩はその構造も傾斜もさまざまでこの岩は登りやすい方。
ただし、傾斜がどれほど緩くてもそこから落ちれば体重に重力が加わり、大ケガは避けられない。
安全に上り下りするには岩上りの技術以前に、心の冷静さが求められる。

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中岩から張り出した尾根の末端になる背中当山。カニの横這いからわずか300メートルに過ぎないが、ここまで30分以上を費やす難事業であったw

DSCF4743背中当山からはしばし、やせ尾根を歩くがここからの眺めは素晴らしい。

DSCF4746岩めぐりの最初の岩、「中岩」が見えてきた。
御嶽山と赤岩山を結ぶ稜線のちょうど中間地点だ。
かなり高度差があるが岩上りで高度をかせぐようになっている。

DSCF4750中岩直下の岩場。ここを登ることで高度を上げる。
鎖があるとはいえ傾斜は急。そして、長さは10メートルはある。
古賀志山山域ではもっとも厳しい岩ではないだろうか。

DSCF4753両手で鎖をしっかり握り、岩に凹凸があればそこに靴のつま先を引っかけ、凹凸がない部分は靴底全体を岩に押しつけるようにして登っていく。
がに股かつ、大股開きというあられもない格好ではあるが靴底全体を岩に押しつけようとすればこうならざるを得ない。女性でもこの格好は免れないはずだw

DSCF4754お~、かなり登りましたなぁ。
などと感心している場合ではない。
もしもここで鎖から手を離すとどうなるか、と考えた方がいい。
まずあの出っ張りにぶつかってバウンドし、次はあの突起にぶつかり、最後に地面に叩きつけられること間違いなし、と頭にしっかりたたき込むべきだ。

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稜線上のひとつのピーク、「中岩」に着いた。
ここまで苦労してようやく、今日の奇岩めぐり第一番目の岩だ。眺めがいい。
そのはずで標高は500メートルを超えているので、これから行く赤岩山よりも高い。
ネットの情報ではここを「三本松」と称しているのが散見されるが三本松という道標は見あたらない。大きな桧が岩のすぐ脇に数本ある。桧を松と見間違えて命名したのかなどと邪推してしまうが、まさかなぁ。

DSCF4762さあ、縦這いが終わってここまで来れば安心、とはいえない。なにしろ一筆書きをするために未踏のルートを歩かなくてはならないので、どこに危険が潜んでいるのかは未知だ。気を引き締めよう。
座るのにもってこいの平らな岩に腰掛けて景色を眺めながらパンをかじり、甘めの缶コーヒーをひと口。う~、このままずっとここにいたい気分。

DSCF4777気持ちが落ち着いたところで奇岩めぐり二番目の「二尊岩」へ向かうことにする。
稜線は細く踏み外すと滑落の心配はあるが、この展望は魅力だ。やや望遠だが日光連山が見える。
南南西の方角に富士山が見えているのだが、遠すぎてカメラに収まらず。

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二番目の「二尊岩」。
中岩と赤岩山の中間に位置している。

DSCF4783このふたつの岩をセットで二尊岩と名付けたのだと思うが古来、岩や洞窟、滝、大木などは畏怖するものとして崇められてきたので、このふたつの岩にも神が宿っていると思われたのであろう。
管理人に信仰心はまったくないのだがこのような自然の造形は好きである。この辺りに火山はないらしいがどのような作用でこのような形ができあがったのか、自然の神秘を想像するのは楽しい。

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赤岩山山頂着。
この西に三つの岩すなわち、天狗岩、猿岩、籠岩がある。さあ、どんな順番で回ろうか?
昨夜、寝床で考えたのだが妙案が浮かばず、出たとこ勝負ということにした。すでに訪れている岩なのだが一筆書きで回ろうとするには考えに考え抜かなければならない。
その作業に疲れてしまい、結論を放り出した格好だ。

DSCF4792なんの考えもなしにとりあえず、もっとも遠い籠岩に行くことにした。籠岩は稜線の末端の北ノ峰を100メートルほど南西に下ったところにある。

DSCF4793北ノ峰は古賀志山から西へ続く稜線の最西端に位置し、四等三角点(地形図のピーク432.7)を有する。
北ノ峰という名称も古くから住む地元の住民によってつけられたものと思うが、なぜ稜線の最西端なのに「北」と付けるのかを疑問に思っていた。
ここから見下ろすと古賀志山、御嶽山、中岩、赤岩山といった他のピークと比べて古賀志の里がもっとも近くに見える。
麓から見上げるともっとも近い峰(山頂)で真北に位置してることから「北」という字を充てたのではないだろうか、そんな想像を巡らすのが古賀志山に通い始めてからの管理人の楽しみとなった。

DSCF4797北ノ峰から尾根が二つに分岐する。
南西の尾根を下ると籠岩に至る。

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三番目の籠岩に到着。
実はここに至るルートの途中に「猿岩」があったのだが、あえて後回しにして籠岩まで来た。
赤岩山~籠岩間は往復、同じルートを歩かざるを得ない、だから猿岩は赤岩山に戻る途中で寄ればいいや、そんな考えでいた。
ところが、北ノ峰近くまで来てみると南斜面には下草も生えてなく、稜線上を赤岩山に戻ることなく天狗岩までトラバースできそうなのだ。つまり、より一筆書きに近いルートを辿れることになる。ただし、先に猿岩に立ち寄っていればの話。その猿岩をスルーしてしまった。
それでは猿岩はどうすればいいのか、それが課題となった。
南斜面をトラバースして天狗岩に行くのは決定事項とし、一筆書きをするためにも天狗岩の直前で進路を北に変えて猿岩へ行くことにしてみた。天狗岩は猿岩の次にしよう。なんとも強引な一筆書きだ(^^)

籠岩から天狗岩へ稜線下の南斜面を天狗岩に向かって東へトラバース。

DSCF4813前方には壁が聳えているが壁の下はなんとか歩けそうだ。

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壁に近寄ると洞窟が見え、中に石の祠が祀ってある。
が、名前を表すものはない。脇に回ってみると明治二十二年六月八日と刻まれている。
場所は猿岩の下辺りらしい。
う~ん、初めて見る祠。なんという名前なのだろう。知りたい。
そういえば先月22日に「雷電様」を見つけたと書いたら古賀志山を守ろう会理事長の池田さんから電話で、それはもしかすると「風神」が祀られている祠ではないだろうか、とご教示いただいた。
だとすれば、これが本当の「雷電様」ということになりそうだ。帰って調べなくては。
それにしてもよくぞこんな山深い場所に、と思うが地図で確認すると県道の北に位置しその距離680メートル。犬の鳴き声が聞こえるし電車が走る音もすぐ近くに聞こえる。古賀志の住民にとって崇拝する上でもっとも身近な場所なのであろうか。

DSCF4822壁はずっと続いているが、「雷電様」の少し先から見上げると20メートルくらい上に青空が広がっている。これまで深い桧林の中を歩いていたので空の青さに気がつかなかった。
おそらくこの壁の最上部が猿岩であろう。

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天狗岩が目視できるところまで行き、進路を北へ変えて「猿岩」に到着した。今日、四番目となる岩だ。

DSCF4831岩の上に登るとここも他の岩と同じように素晴らしい展望に恵まれている。
ここも去りがたい気分にさせてくれる眺めなのだ。

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猿岩の次は五番目の天狗岩。
赤岩山直下をトラバースすると見つかる。

DSCF4841続いて六番目となる「馬頭岩」だ。天狗岩からほんの数分。
ただし、これは始まり部分でタンク岩と呼んでいるそうだ。本体はもっと西にある。
怖いがこの岩を乗り越えなければ先へ進めないので勇気を出して岩に乗り移る。

DSCF4847タンク岩から向こう側の猿岩を見上げる。
下部の林辺りが先ほど見た、雷電様の洞窟であろう。

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地名板は馬頭岩の西の外れにある。中岩の西側にある岩はこの馬頭岩が最後だ。
次は中岩の東にある三つの岩、雨乞岩、観音岩、対面岩を巡る。
ここから先のルートだが、赤岩山に戻って朝歩いた稜線を中岩まで行くのがもっとも楽なのだが、それだと一筆書きにはならない。

馬頭岩から大日堂へ一筆書きを目指すために地図を子細に眺め、馬頭岩から大日窟へトラバースできないものかと考えてみた。だめならその時点で稜線に乗ればいいや。
と歩き始めたらこんな藪になった。でも密度は薄いので歩けそう。

DSCF4859ん、藪が踏み跡に変わった。このまま大日窟まで続いてくれていればありがたい。
先ほど見た雷電様(たぶん)に参拝するには麓からのルートがあるはずだが、これがそうなのだろうか。

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ひょ~、狙い通り大日堂に出た。大日窟とは目と鼻の先だ。
それにしても時刻は間もなく午後3時。ここまでのんびりし過ぎたので最後の岩を見るには日没になりそうな気配だ。

DSCF4870大日堂を北へ回り込んで大日窟に至り、大日窟を登ると今度は鬱蒼とした桧林となる。
ここを右へ斜面を上ると大日山だ。

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これで3回目となる大日山。
ずっと薄暗い林の中を歩いてきたので光が眩しい。
これから雨乞岩を目指すことに。

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朝一で歩いた背中当山と中岩を結ぶ稜線を横切り、雨乞岩へと急ぐ。一筆書はここでクロスするが今日のルート設定だとやむを得ない。

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紆余屈折があってようやく七番目の雨乞岩に到着。
これで三度目だが、最短距離で来れたのは一度だけ。
始めは踏み跡を辿って歩くのだがいつの間にか踏み跡がない場所に導かれるという、じつに不思議な場所なのだ。
適当に歩いた結果という結論も成り立つが、ここはやはり、人を遠ざける何かが潜んでいると考えたい。その方が楽しいでしょ(^^)

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御嶽山から下る滝コースを横切り、急斜面を登りきって八番目の観音岩に到着。
陽が傾いて夕日に近い。
残るはあとひとつ、対面岩だけとなった。
ここからだと岩下道に降りてヒカリゴケの岩を登る、というのが順当なルートだ。

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観音岩を後に岩下道に降りるつもりだったがここへ来て欲が出た。
九番目の対面岩、通称モアイ像は上から見下ろしながら降りてきて、最後に見上げるというのがもっとも味がある。モアイ像の横顔の変化が見られるからだ。
そのためには古賀志山大神に出て下るのがいい。古賀志山大神へはこの岩をクリアすれば到達するはずだ。と、心の中の悪魔が囁いている。
岩下道へ下るのを止めて、垂直に近い岩をロープを頼りに岩の中段まで来たがここから先、ロープがない。それに上段まで3メートルもありこれ以上はとても登れそうにない。

しばらく考えた挙げ句、古賀志山大神を経由するのは諦めることにした。とはいうものの、ここまで登るのでさえ必死の思いをしたのに今度は降りなければならない。しかもこの時間にだ。
それに岩には凹凸がなく上りだからかろうじて登れたのであって下るのは無理そうだ。
ロープ末端から地面まで2メートルはある。飛び降りるにしても着地した衝撃で骨折は免れない。地面は狭く、勢いでその下の崖下に落ちるかもわからない。太い桧があるが手を伸ばしても届く距離ではない。

進退窮まるとはまさにこのことを言うのであろう。恐怖が襲ってきた。いったいどうすればいいのだろう。なすすべなくロープにつかまったまま時間が過ぎる。
落ち着け落ち着け、冷静に冷静にと繰り返し言葉にすることで鼓動が収まってきた。足の震えも止まった。
チャンスは今しかない。次に再び恐怖に襲われたら最後だ。
ロープの末端をしっかり握り、左足で岩の凹凸を探る。岩はオーバーハングしているので足下が見えないのだ。靴が岩のわずかな突起をとらえた。次は右足だ。ロープを持つ手を両手から右手1本にし、体を斜めにして右足で岩をまさぐる。右足も小さな突起をとらえた。左手もかろうじて岩の突起をつかむことができた。
しかし、いま、バランスが取れているこの状態で右手をロープから放すとどうなるかはわかりきっている。またしても行き詰まる。腕も足も疲れてきた。

左足を一度、突起から離し別の場所をまさぐったところ、もっとしっかりした突起に触れた。体は斜めになったままだが安定した。右手をロープから離して岩の突起を探すのに差し支えないようだ。といっても右手を離せる時間はほんの一瞬だ。右手が突起をとらえ、これで両手両足が岩をつかんでいる。
地面まであと50センチ、これなら飛び降りても大丈夫のように思えるが体が斜めになったまま飛び降りるのは止めた方がいい。もっと地面に近づいた方が安全だ。右足が別の突起をとらえた。左足が地面に触れた。

DSCF4909恐怖が覚めやらぬ間に最後の岩へ急がなくてならない。すでに陽は落ちて辺りは薄暗い。
ザックからヘッドランプを取りだして装着。
先ほどの岩から降りると次はこんなロープがかかっているところへ出た。もしかするとこのロープの先が岩下道であろう。暗くて地面は見えないが迷わず降りることにした。

DSCF4923ロープは長く、降りきるのにかなり長い時間かかったように思えるが、暗くて見えない地面に向かって降りたからであろう。それと気持ちが焦っているからだ。
無事に岩下道に降りることができ対面岩への登り口となるヒカリゴケまで来た。
ヘッドランプの灯りにヒカリゴケが光る。なんとか人心地がついた。ここを北へ上れば対面岩だ。

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ガレ場を登ると九番目の対面岩(モアイ像)だ。対面岩と書かれた案内板に近づくにはさらに登らなければならないし今にも崩れそうな壁際の道を歩かなくてはならない。
先ほども死ぬ思いをした。そこまで危険を冒して近づくこともないであろう。死ぬ思いをするのは一日に一度で十分だ。ズームで撮ってお終い。これで岩めぐりが終わる。

DSCF4914かろうじて空が見える中にモアイ像が浮かび上がっている。
そうだ、夕日が当たるモアイ像もいいだろうなぁ、次はもう30分早く来てみよう。などと考えたのは帰宅してこのブログを書いているときだ。現場ではそんな余裕などまったくなかったw

DSCF4925再び岩下道に出て瀧神社へ向かう。
漆黒の闇の中、ヘッドランプの灯りがありがたい。

DSCF4930瀧神社近く。無事に戻れたことを感謝して聖観音に手を合わせる。

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ここでも手を合わせた。
かくして九つの奇岩めぐりは幕を閉じた。
思えば辛い一日であった。最後の最後になって登ってはならない岩に強引に手を出したのは大失敗であった。
古賀志山に通い始めて最大の恐怖を味わった。無事に帰れたことだけでも古賀志の神様たちに感謝しなければならない。


日没となってしまったが九つの岩すべてを歩き終え、ホッとしている。
帰宅して風呂で汗を流す間も下半身に浮遊感がある。これは長距離を歩いたあとなどに感じる症状だ。ベッドに横になってもまだ山を歩いている足の感覚が残る。それだけ疲れが激しかったということであろう。

疲れた原因はやはり、観音岩から古賀志山大神へ向かうつもりで挑んだ岩にあるのは明らかだ。管理人の技術力では無理があった。その無理を強引に乗り切ろうとしたのはまずかった。

歩き終えてGPSのログを地図上に投影してみると今日の重要課題のひとつ、一筆書きは特定の岩を除けばまずまずで、一・五筆書きといったところか。
海の桟橋の先端にあるような岩は同じルートを往復しなければならず、それはやむを得なかった。籠岩と観音岩である。
猿岩、天狗岩、馬頭岩はかろうじて別のルートで対処できた。往きと帰りでルートが交差する箇所があったがオマケとしよう。軌跡を見て、次回は交差しないよう工夫できそうだ。

それにしても奥が深い、古賀志山は。
わずか3.5キロ四方という狭い範囲に収まってしまうほどの箱庭のような山域にもかかわらず、いろんな楽しみ方ができるのが古賀志山最大の魅力であろう。日光で同じような楽しみを味わえるのは鳴虫山くらいのものだ。

管理人が経営するペンションのお客さんに宇都宮在住のOさんという山女子がいる。古賀志山ひと筋にこれまで50回以上、歩いている。当初、なんでそんな低い山に飽きもせず通い詰めるのかと不思議に思ったが、Oさんの影響を受け管理人自身、古賀志山に通うようになってからというもの、Oさんの気持ちが手に取るようにわかってきた。

奥日光の2千メートル級の山にはない、独特の個性が古賀志山にはあるということだ。
歩き始めてすぐ花と出会い、花は山頂まで途切れることなく続く。休み休み歩いても2時間で登頂でき、山頂からの眺めが素晴らしい。縦走路はスリルを味わいたい人や岩場を経験したい人に向いている。厳しいが歩き甲斐があるし、なんといっても一度覚えたら病みつきとなる大展望が待っていてくれる。
これほどの魅力を持つ山があるのに、わざわざ2千メートル級の山に登る必要などない。あっ、いえ、管理人は日光の2千メートル級の山もよく登ってはいるのですが。

ハイカーの8割は地元の人で占め、山全体が家庭的な暖かい空気に包まれている。人は総じて親切で、管理人のような部外者を歓迎する優しさが感じられる。うるさい熊鈴の音もしない。修学旅行の団体もいない。
これ以上、書くのはやめておこう。きりがない。

今年3月31日から数えて今日で25回になった。探求したいことはまだまだあるので年内に30回は達しそうだ。Oさんと肩を並べる日が来るのもそう遠いことではない気がする。