女峰山

屋 号
ペンションはじめのいっぽ

開 業
1994年8月1日

所在地
321-1421 栃木県日光市所野1541-2371

電 話
0288-53-2122

経営者名
波多江 定夫

出 生
1948年7月/東京都豊島区生まれ

家 族
妻と子供3人(いずれも成人)

仕 事
・宿泊業全般(接客、調理、仕入れ、清掃、経理、設備保守などなど)。
・自然ガイド(スノーシュー、ハイキング、登山、史跡探訪、読図)

趣 味
あり余る時間と地の利を生かして日光の山登りを楽しんでいます。
若い頃は運動嫌いでひ弱でしたが山に登るようになってからは息切れと筋肉痛を愛せるようになりました。

山歩きは日光に住んでから始めたので他のエリアのことはよく知りませんが、日光の山はけっこう登っていますので聞かれたことには答をもっているつもりです。

2014年10月、日光以外で初となる、宇都宮市の古賀志山に登りました。以来、この山の岩場に魅せられ2015年だけで33回も登りました。
2016年になって福島県境の山に初めて登り、その雄大さに魅せられて足繁く通うようになりました。

ちなみに、お客さんをガイドするとき以外、登山は単独です。
単独行ゆえの危険性は承知していますがそれよりも、ひとりでいられることの自由を大切にしています。

脱サラ人生
長いサラリーマン生活を経て自営の道に入った、いわゆる脱サラ組です。
40代前半までは家庭のことなど省みない会社人間でしたが、知的障害のある長男が起こした事件をきっかけに長男のことをもっと知りたいと思い、45歳のときに会社の制度を利用して一年間休職。長男が働く地域でボランティア活動をしたことが脱サラの直接の動機になります。

ボランティア先として障害者の施設を選びましたが人間関係でいえば会社のように仕事を通して人と接するのではなく、施設では人と接することそのものが仕事であり、緊張感を持続させる精神力を必要とされ、それが私の性に合っていたようです。
ボランティア活動の拠点は当時住んでいた入間郡日高町(現在の埼玉県日高市)にある障害者の施設で、入所生活を送っている障害者の介助や自立援助が主な仕事でした。

休職を終えて会社に復帰してからは仕事への意欲が失せ、それまで誇りにしていた会社のブランドに魅力を感じなくなり、ボランティアとして働いていたときのように人と直接接する仕事をしたい、そんな想いがますます強くなっていきました。
定年まで15年を残し、このまま同じ気持ちで勤めるのは耐えられないと思い退職を決意、会社の自立支援制度を利用して脱サラに至りました。

会社のブランドも役職も社会的地位もなにもかも捨て1994年8月、ノーブランドの、ただのオジサンとしての再出発が始まりました。山にのめり込むようになったのはブランドのしばりから解放された気持ちの余裕からかもわかりません。

ホームページの変遷
1996年にAdobe PageMillを使ってホームページを制作、公開。
その後、Adobe GoLive、Adobe DreamWeaver 、IBMホームページビルダー、BINDを経てWordPressに落ち着きました。
作成ソフトを使いながらもHTMLとCSS、PHPの知識は必須であることから初歩の初歩レベルを学習しています。

運営サイト
・ペンション (https://ippo.jp/
・スノーシュー(https://snowshoe.jp/
・登山ブログ (https://ippo.jp/blog
・手作りハム (https://smokeham.ippo.jp/