Sさんからのメール

山歩きの楽しさと危険とは表裏一体であるがそれを自覚しているかどうかで準備も装備も、覚悟も決まってくるのではないかと思う。
本格的な高所登山やクライミングであれば当人は死の覚悟をもって望むことであろうが、それ以外の山歩きではどうなんだろう?

人を慎重派かそうでないかで乱暴に分けてしまえば管理人は紛れもなく後者であり、これまで多くのケガを経験している。いずれも危険を顧みない行動の結果なのだが、ケガするごとに身体に変調を来す。
7年前、左足首をひねったときは足を構成する骨の一部が移動して足の形が左右で違ってしまった。以来、長い距離を歩くと足裏が痛くなる。
翌年は右足首を骨折し手術したのだが、手術は身体の一部を切り裂くわけだから血管や神経が切断される。すると、血液の循環が悪くなり痺れや無感覚という症状となって表れる。それにこれも骨の変形と思うが右足を着地する際に小指側に力が入ってしまうし、足首の可動範囲が極端に狭くなっていてどうにも具合が悪い。
2年前は左膝の靱帯が損傷していることがわかったので医者に願い出て手術したところ、それから膝を深く曲げることができなくなってしまった。右足と同じように足首の可動範囲も狭い。
足首の可動範囲が狭いというのはスキー靴を履いて歩くのと同じで、足首が固定されて膝が曲がらないから登りでは膝に力が入らないし下山では足を前に出すと上体まで一緒に動いてしまい、つんのめってしまうことがある。ケガと手術の後遺症はまだまだあるが切りがないのでこのへんで止めておく。

そんな状態で山歩きをしているからいつまたケガをするかわからないという恐怖がある。こうなった責任はすべて自分自身にあるわけで、後悔先に立たずを地でいっているようなものだ。
それと、ケガからの回復には数ヶ月から数年はかかるので、その間の謹慎生活が大きなストレスになったのはいうまでもない。
だから、もう二度とケガはすまい、とこの言葉を反芻しながら慎重に歩くようになった。
無鉄砲転じて、今は慎重派の管理人なのであるw

皆さまも管理人のように両足不自由な身体で山を登る羽目にならないようぜひとも慎重な行動を心がけ、ケガだけは絶対にしないでください、と常習者である管理人が心から訴えます。
健康な身体で山に登りたいと思うなら、「無事これ名馬」ですよ、絶対に!

map1なぜこんなことを長々と書いたかといえば、9日のブログで報告したように、最悪の事態に備えて慎重を期す人であると理解していた知人のSさんが、雪の赤薙山で下山中に滑落したからなのだ。

本人から電話で知らされたときはまさかという思いと、えっ、ちょっとオーバーな冗談なのではないのかという思いが入り交じる一瞬であったが、むろん冗談をいうようなSさんではない。
話を聞くにつれ滑り落ちた距離といい、崖の寸前で止まったことといい、それは紛れもない雪山での滑落事故であった。

ここで赤薙山の地形を地図で説明しておくと正規の登山道の南側に深い谷がある。上の地図にある登山道のどこからでもこの谷に落ちる可能性を秘めた怖い谷だ。見ていると吸い込まれそうになる。本当に怖い。
山頂から下山するときに、もしも間違えてこの谷に入り込んだとすれば1900メートルくらいまではなんとか歩けても(もちろん10本爪、12本爪のアイゼンを着けての話)、その先は30度から50度という急傾斜なので滑ったら最後、樹木もないのでよほどの訓練を積んだ人でなければ自分の技術で止まるのは無理であろうと思う。
傾斜が緩くなる1650~1600メートルまで落ちれば自然に止まると思うが、その落差は200~250メートルもある。この間、為す術もなく滑り落ちるのを、人は精神的に耐えられるのだろうか。

map2Sさんは谷底まで滑落するであろう予感は当然、頭をよぎったはずだ。
滑りながら下に見えた倒木に身体をぶつけて停止し怪我ひとつしなかったのは、そこに倒木があったという運の良さに加えて、滑りながらも体勢を倒木側に移動させるという冷静な行動の結果であるが、とにかく本人のいう最悪の事態は避けられたわけである。

Sさんはしきりに自分のミスを挙げているが、事故は悪い要素が絡み合って起こる。その反対にケガひとつせず生還できたのはいい要素が絡み合ったからに他ならないと管理人は思う。
Sさんは図らずもそれを同時に体験したことになるわけだが、無鉄砲な管理人に大いに役に立つ事例を提供いただいた、と感謝している。などと、Sさんが無事に生還したから言えることだが、怪我でもしていたらとてもこんなことをいう心境にはなれない。

いずれにしてもケガひとつせず下山できたのは喜ばしいことであり、Sさんにはこれからも山歩きを存分に楽しんでいただきたいと思っている。

そのSさんから、9日のブログの補足として事故の経緯と心境を語るメールをいただいたので、ご本人の了解の下、全文をここに紹介する。じつに冷静な分析にSさんの山にたいする真摯な態度と成熟さを感じる。
なお文中、「波多江」とあるのは管理人の本名を指す。

——————————
先週金曜日は最近よく歩いている埼玉県の比企郡の比企三山を周回し、翌土曜日には寝不足のまま鎌倉の建長寺へぶらぶら遊びに行きましたところ、珍しく(4年ぶりに)風邪をひいてしまいました。

赤薙山の道間違え検証のメール有難うございます。
ブログも拝見しました。

2週間での雪溶けの進み具合、写真を見てびっくりしました。

以下、波多江さんの検証して下さった内容への補足です。

自分のミスをひとつずつ申し上げていきます。

第一は下調べの甘さによるミスです。

キスゲ平園地から赤薙山までピストンで歩く計画であり、園地からは稜線がはっきり見えます。登山地図や地形図でも間違えようのない山行となるだろうと、思い込みが私にありました。
下山時に決して道間違えをしてはならないという鉄則をないがしろにした為、重要な目印の下調べが足りませんでした。

波多江さんのブログの通り、赤薙山登り下りともに、樹林帯の進入禁止のロープや道標「赤薙山、女峰山、キスゲ平」の所は通過していません。このポイントよりもやや南側を歩いてしまいました。
(この道標の女峰山を示す方向は赤薙山ピークを巻いて女峰山へ進むものでしょうか)

知らない山域について地元の方にアドバイスをいただく機会はとても貴重です。
ですから、私が前日に波多江さんに赤薙山への山行を伝えた時点で、自分からポイントとなるべき箇所のアドバイスをいただくべきでした。
貴重な機会を自ら逃したことになりますので、これは私のミスです。

第二は気持ちの緩みによるミスです。

当日の雪は緩みかけてやや重いものでした。計画したコースタイムよりも早めに山頂に着いたのですが、想像よりも登りがキツく感じました。
その分、下りは楽チンでした。ザッ、ザッ、とリズミカルに気分良くかなりのスピードで下りました。しかしそれが仇となりました。
道を間違えたあたりから数分でおかしいぞ、と気付きました。自分が進もうとしている30m ほど先に雪庇が突き出してます。雪庇の先は何もありません。ということは崖になっているはず。

それに、樹林帯から痩せ尾根が始まるあたりから、ほぼ正面に丸山が見えるはず。その丸山は視界の左にズレています。正規ルートの痩せ尾根も左側=北側に見えます。

立ち止まり、地形図で確認します。現在地は正規の尾根から例の恐ろしい谷を挟んだ南側です。地形図では雪庇の部分はやはり崖地を表しています。
今まで下って来た斜面を見上げました。とても登り返せるとは思えません。
痩せ尾根に復帰するために300m続く谷の上部を100mほどトラバースし、最後に痩せ尾根まで這い上がるのしかないと判断しました。
「やれやれ、全くもう私のバカッ」と毒突きながら歩きはじめて間もなく2 ~3m 滑り落ちました。両手で雪の斜面をグッと掴み停止しました。ドキッとしましたが、早くトラバースを終えたくて仕方ない気持ちは変わりません。

計画が慎重でも行動に慎重さが欠けていました。

お気楽な気分での下山、正規ルート復帰へのトラバースの選択は気持ちの緩みによるもので、自分の身を危険にさらした一番のミスです。

第三のミスは装備不足です。

残雪期であっても、ピッケルは必須と感じました。更に前歯のあるアイゼンやヘルメットがあれば備えあって憂い無しです。結果、使用する場面がなければそれはそれでいいのです。

最初に滑った所から数分進んだ所で再度横向きで滑り落ちました。さっきとは滑り落ちるスピードが違います。滑りながら、すぐにうつ伏せになり、掴める物はないか斜面を見ます。
右手に枯れ枝が落ちてました。それを掴み雪に突き刺そうとしましたが、脆く崩れて役立ちません。
斜め下は立木のない斜面です。
視線の端に真後ろ方面に横たわってる木が見えます。その先100mほど下には、疎らな立木が見えました。「何としても真後ろに迫ってくる横木にすがらなければ、ずっと下の立木に身体をぶつけて怪我をしてしまう。最悪、立木をすり抜けてもっと下まで落てちしまう、、、」
そう思って脚を広げた瞬間、たいした衝撃もなく横木に踵がきれいに乗る感じで止まりました。
おそらくその木はまだ根を張っており、しかも横たわっていたのでクッションのように衝撃を逃してくれたのだと思います。

(波多江さんのブログでこの木で止まったのでは?と写真がありましたが、違う木のような気もします。もっと細い木でした。横木は雪からそれほど出てはいませんでした。ただし2週間前と雪の量が全く違い、波多江さんの掲載されたどの写真も違う風景のように見えてしまいます。)

すぐに体勢を整え、谷の下を見降ろすと、ザックポケットに入れておいた保温ポットがどこまでも落ちていくのが見えました。恐ろしくて最後までポットの行方を目で追うことは出来ませんでした。山に回収出来ない落とし物をしたことに後ろめたさを感じました。

(波多江さんのブログには私の滑落が30mほどとありましたが、体感的には10mほどです。スマホのログでもそれくらいで、せいぜい15mです。)

気持ちを整え、さてここからどうしたものかと考えました。
笛は常に首にさげているので吹こうかとも思いました。ただ園地まで笛の音が届くとは思えません。

気を取り直して、トラバース続行です。10mほど先に立木が一本だけあるのでそこまで取り敢えず行こう、そこなら視界が開けているので可能性は低いけれど痩せ尾根を歩いている人がいたら見え易いだろう、と。

一歩一歩、慎重に蹴り込み歩き出しました。
波多江さんのブログにあるトラバースしている足跡の写真は私の足跡です。

目標の立木にたどり着き、木に股がってそこでしばしボーッとしてました。自分の辿ってきた足跡と命の恩人の横倒しの木を振り返り感謝し、写真を撮りました。

木に股がりながら、赤薙山の行きに一人だけいた男性の先行者が山頂で10本か12本爪アイゼンを装着し直していたことを思い出していました。山頂でその方のザックの大きさと時間的なことを考えたら女峰山への縦走ではないだろう、ピストンで園地に戻るのに前歯付きのアイゼンとは大袈裟な、とその時私は思いながら先に下山したのでした。

しかし、装備を間違っていたのは私です。6本爪のアイゼンでは登りでも苦労し、ズルズル滑るので蹴りこみながら登った所もあります。
そして本来あってはいけない滑落の場面では、ピッケルがあればもっと早く停止できたはずです。

山ではちょっとした間違えが大事になるので、間違えてはならないのです。しかし、間違えをおかしてしまうのが人間です。
頭脳と引き換えに野生の五感と、動物としての身体能力を失った人間が山に入る時、お金さえ出せば手に入れられる命を守る為の装備が必要です。他人から過剰な装備だと笑われようが良いのです。

事前に防げる装備不足、大きなミスです。山の状態に見合った装備が無いのならその山に入るべきではないのです。

ミスが1つだけなら、事故を防ぐことが出来るかもしれません。遭難事故は重なりあうミスでおきています。山での運の悪さは事前の準備でリカバリー出来ることが多いです。

今回の私の雪上滑落は、運が悪かったのではなく、ミスを重ねたせいです。
ただ、最後に運が良かったので命拾いしました。

トラバース途中の立木でボーッした後の行動再開、次の目標となる立木までは距離があり、しかもその下の谷底まで木が全くありませんでした。
数十mを更に慎重に歩きました。普段はストックは携帯しても使いませんが、この時だけは、しっかり使いました。
もちろん怖さはありましたが、もう滑るまいと気合い充分、疲れも全く感じません。

2本目の目標の立木にたどり着き、痩せ尾根までのルートを決めて、一気に登りつめました。

痩せ尾根に上がって、自分が入り込んだ谷の向こう側を見ました。そこが、思いのほか傾斜がある所だったのでショックを受けました。自分の滑落場所は遠くて見えませんでした。

正規ルートに戻ってから小丸山まで下ると、三人のおじ様たちがのんびりご飯を食べていました。緊張が少し溶け、自分がトラバースしたあたりを見上げました。
そのあたりの谷は、小丸山からはと白い三角形に見えます。小丸山からその白い三角形の写真を撮るのは不謹慎な気持ちがしたので撮りませんでした。

下山したら波多江さんにお電話します、と申し上げて出掛けたので、園地駐車場に着いて、30分ほどしてから波多江さんにお電話した次第です。

チェックアウト時に返却し忘れた部屋の鍵がポケットから出て来て、お返ししに行った所、ご親切にコーヒーを飲ませて下さり、一部始終を聞いて下さいました。

「怪我はなかったの?」と聞かれ、初めてどこも怪我をしていないことに気付きました。強いて言えば左肘に軽い打ち身跡があった程度。

この赤薙山の滑落で大変なご心配をかけてしまい、多少なりとも波多江さんに責任を感じさせたことを申し訳なく思っております。

自己流山歩き一年半の初心者であったことを自覚しなおし、どの山でも入山するときは謙虚でなくてはならないと思い知らされた山行でした。

普段は平日の単独行、それもひと気のない渋い山歩きの好きな私は今後更に慎重に行動することにします。

長々とお読み下さり、有難うございました。

もし、今後の皆様の事故防止等に繋がるのであれば、この私のメールを波多江さんのブログにのせていだだいてもかまいません。(波多江さんのブログにダイレクトにコメントを入れ、皆様にも読んで戴こうと思ったのですが、うまく出来ませんでしたので)

では、日程は未定ですが次回の日光の山行でご一緒できればと思っております。

追記として

滑落の恐怖感を一番感じたのは、滑落中でもなく直後でもなく、帰宅時の高速道路の運転途中でした。
身内の顔が何回も浮かんできました。
山で遭難、自分に万が一の事があったら、残された身内は狂ってしまうだろう、、、と。
もちろん、山岳救助の保険(私の場合は山岳遭難対策制度)には加入しています。
あってはならない万が一が起こってしまった場合、生還できても、そうでなくても、残るのは莫大な捜索費の請求です。
本人がいなくなってしまった場合は、家族にその請求がいきます。本人が亡くなった場合、家族にさらなる苦しみを与えかねません。
個人的には遭難対策の保険は山に入るべきだと思っております。

大袈裟と思われる装備も保険も使わなくて済むならそれはそれで幸いなのです。

楽しく安全な山行のために、この記録をご提供します。