私見/偏見の最近のブログ記事

10日におこなわれる栃木県議選。我が日光市選挙区からは定員2人に対して4人の候補者がたっている。候補者の誰がどのような主張をしているのか、自粛ムードの広がりで日光市は広報車の巡回はおろか候補者による遊説もされないためまったくわからない。
唯一、新聞に挟まれていた候補者の一覧を頼りに昨日、期日前投票を済ませてきたところだが帰ってきてあらためてネットで候補者のプロフィールを調べてみたら、私が投じた一票が実は自民党推薦の候補者であることがわかり我を疑ってしまった。まっ、しょうがない。とても選挙などという雰囲気ではなかったし、皆、似たり寄ったりの主張だから誰が当選しても県政が大きく変わることはない。

それはさておき、私の関心は栃木県議選よりも同じ日におこなわれる東京都知事選の方が強い。私に投票権があるわけではないため参加することはできないが、関心だけは人一倍強く持っているつもりだ。もちろん、他の候補者が出そろうのを待って名乗りを上げた石原慎太郎にたいして、有権者である東京都民がどのような判定を下すのか関心だ。
大地震と大津波、そして原発事故という三重苦にあえぐ被災地そして被災者に天罰と言い放ち、チェルノブイリに匹敵する事故を起こした福島原発を前に、それでもなお原発推進論者であり続ける石原慎太郎を都民はどのように見ているのか、それを私は都知事選で見極めたい。

「問題は石原慎太郎知事にあるのではない」・・週刊金曜日・4月8日号の本多勝一氏による「貧困なる精神」の見出しだ。是非お読みいただきたい。

この男から権力を取り去ったら残るのは小心さだけであろう。
この男が意識して言葉を出す際の癖でまぶたを盛んに閉じては開く動作の繰り返しは、この男の小心さを物語っているように私には見える。
この男、石原慎太郎は差別発言で一時的には話題になるものの、差別発言を咎める人がいないのをいいことに差別発言はエスカレートするばかりでとどまることを知らない。

東日本を襲った大震災で数千人もの死者と被災者を出し、海外からも多大な支援を得るに至るほどの大災害にもかかわらず、この男はこの不幸を前にして、天罰と言い放ったのだ。日本人のアイデンティティ(私の理解では日本人を支配するものの意)は我欲だからこの地震による津波を利用して我欲を洗い落とす必要があるのだと、まるで他人事、はるか上空の安全が保証された場所から、被災者を見下すようにいうのだ。
しかも、新聞やテレビなど見られるはずもない被災者には自分の発言が届かないことを確信してのタイミングという、実に卑劣な方法でだ。ここにこの男の権力を持った小心者としての姿が表れている。
この男がもしも、被災された人たちにたいして天罰だと心底から言い切る信念があるならば、実際に被災地まで出かけ、すでに遺体となった人たちの前で、避難生活をしている人たちの前で、報道陣に言い切ったのと同じことを言ってみればいい。

震源地から数百キロ離れた地域の人々でさえ、今度の震災による被害を自分のことのように深く悲しみ、何をすることもできない自分を責める人がたくさんいるという現実こそ、日本人のアイデンティティではないのか。
この男、石原慎太郎は戦前の生まれながら裕福な家庭に育ち、他人の不幸や悲しみと出会うことなく作家になったのであろう、自身の生涯の悲しみは弟、石原裕次郎を失ったことくらいしか経験していないのであろう。いや、しかし、そのような人生を送っている人はこの男の他にも数え切れないほど多くいるはずだ。
であれば、この男個人の矮小さといえる。

この男がもつ根っからの差別意識と侮蔑意識は直すすべはないが、差別意識からくる発言を封じることはできる。それはこの男から、権力というこの男がもっとも信奉する力を削ぐことだと思う。小心者から武器を取り上げればもうなにも言えなくなる。東京都の最高権力者であるこの男から、この男がもってはいけない権力を削いでしまえば、この男はもうなにも言えなくなるはずだ。

石原慎太郎は他の候補に遅れたが再度、都知事選に出馬する意向を示したそうだ。松沢某、東国原某、渡辺某、小池某と先に出馬を決めた顔ぶれを見て、これなら勝てるという確信を深めたのであろう。あと4年、権力を持てるという我欲が出馬を決めたのであろう。
石原慎太郎の我欲をこそ津波で洗い落とす必要がある。その津波となるのは都民であり、ブロガーであり、ジャーナリストであろう。

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