今日で20回を数えた古賀志山だがあらためてこの山の魅力を知る。

2015年9月30日(水)
赤川ダム~水場~広場~富士見峠~見晴台~古賀志山~階段で下山~岩下道~聖観音~アルマヤ堂アト~観音岩~岩下道~林道古賀志線

古賀志山を歩くようになって気がついたのは地図に描かれている正規のコースの他に地図にない、いわゆるバリエーションルートがたくさんあることだ。一説によるとそれは100もあるといわれ、バリエーションルート歩きに魅力を求めて古賀志山を訪れるハイカーも多い。

そういう管理人自身、地元日光には山がたくさんあるのに古賀志山に通い詰めるのは、それらのバリエーションルート歩きが楽しいからである。性に合っていると言ってもいい。

とにかく面白い。歩き始めてすぐロープが下がっている岩場と出合うかと思えばルートを組み合わせることで20キロという快適なトレッキングが可能になる。足がすくむような断崖絶壁の上に立つこともできるしもちろん、危険のまったくないルートもある。展望が開けた場所がいくつもあるので歩いていて飽きるということがない。奇岩がたくさんあるのでそれらを巡るのも楽しい(ただし、奇岩廻りは危険が伴うが)。

で、その岩である。
3.5キロメートル四方という狭い山域の中に、山の名前の他に多くの呼称が存在することに驚く。それは道の名前であったり稜線の名前であったり岩の名前であったり洞窟の名前であったり滝の名前であったり神社の名前であったりと、多様である。
中でも岩にそれぞれ名前がついているのは注目に値する。それは岩が昔から今に至るまで、信仰と深くつながっていることを表している。古賀志山は独立峰で麓には多くの人家、昔でいえば村がある。庭先や田畑から見上げるとすぐ目の前に大きな岩が聳えている。それら自然の岩に畏敬の念を込め家族や村の繁栄、五穀豊穣を願ったと考えるのは自然のことと言える。
などと書くと、ずいぶん物知りなんだねと誉められるいや、誤解されるといけないのでタネを明かすと、これらはNPO法人「古賀志山を守ろう会」がWEBサイトで公開している資料の受け売りだ(^^)。管理人のことゆえ解釈の間違いは多々あるとは思うが、、、
資料は以下にアクセスすれば誰でも見ることができる。古賀志山を歩く楽しみを何倍にもしてくれる貴重な資料満載である。
WEBサイト:NPO法人「古賀志山を守ろう会」

で、この資料をなんのために使えばいいのか?
前になんども書いているが古賀志山の登山ルートは公には国土地理院の地図(電子国土WEB)に書かれている、赤川ダムを起点とする1本だけだ。
管理人の目標であるバリエーションルートをひとつ残らず歩き尽くすには、地理院地図だけだと情報不足だ。
map同ウェブサイトで得られる資料のひとつ、「めぐり図」には地理院地図の不足を補うに十分な情報が掲載されている(左)。
古賀志山を特徴づける岩それぞれに名前があって、全体の位置関係を知るのにも大いに役に立つので地理院地図と併用して歩いている。
ただし、概略図なのでお目当ての場所を見つけるにはコンパスは必須である。そして迷子から脱出するためにGPSも忘れない。

話は突然変わるが管理人の地元、日光に鳴虫山がある。標高1100メートルという低山ながら山の隅々にツツジが生育していて、季節になると山全体が花に包まれ一気にハイカーが繰り出す。が、花の季節の他に訪れるハイカーは極端に少ないという、季節変動の大きい山である。

じつはこのマイナーな山に日光を拓いたといわれる高僧、勝道上人とその門弟らが修行のために四季を通して歩いた跡が残されていて、その歴史を検証した一冊の本がある。
以前、このブログで紹介したことがある「日光修験 三峰五禅頂の道」という学術書である。
定年退職後、わずかに残る資料を頼りに6年という長い歳月をかけてすべての修験道を歩き、それを記録した本であるが、著者の苦労が往時の修験者の苦労と重なって見え、歴史とは人の営みそのものなんだと思わせる重厚さがある。
鳴虫山の記述は全体の一部であるがそれまでツツジの季節にしか訪れたことのなかった鳴虫山を昨年来、頻繁に歩くようになったのはこの本の影響が大きい。

で、同じ著者によるもうひとつの学術書がある。出版社も同じ随想社の「古賀志の里 歳時記」という本だ。古賀志山の歴史がこまかく書かれていて参考になる。
管理人はこの2冊の本と出合ったことで山歩きのスタイルの幅が広がり、ピークハントだけが山歩きの醍醐味とは思わなくなった。低山でも魅力的なら足を運ぶようになった。藪こぎも厭わなくなった。それと、昔の人の山にたいする考え方に興味を抱くようになった。山の麓に住む人にとって山は信仰の対象であったことはよく知られていることであるが、そこにどんな歴史があるのかを知りたいと思うようになった。古賀志山山域のなにを対象としてそれにどんな思いを抱いて信仰して いたのかを知りたいと思っている。それを考えるだけでも心が躍る。

※※
古賀志山の山行記録はすべてブログにしてありますが読み返してみると書いた当時、情報不足で地名や場所の間違いが多々あるようです。
それらを修正しようとすればブログを書き換える必要があるのと、古賀志山にたいする管理人の過去の思いを塗り替えることにつながるため、間違いはそのままにしてあります。
冒頭に紹介した資料の入手により情報はより正確なものになりましたので、今後は正しく書き表せるものと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。今日の本題はこれからです(^^)


DSCF3472古賀志山を前に安全祈願。
昨年10月から通い始めて今日で20回目。バリエーションルート歩きも終盤にさしかかった。
すべてのバリエーションルートを歩き終えたら次は気に入ったルートを歩くことにしたい。

DSCF347520回目を記念して初心に戻り今日は正規のルートを歩くことにした。
前を15人ほどのハイカーが歩いているが古賀志山の常連さん達だ。
日時を決めて集まるわけではなくたまたま駐車場で出合って一緒に歩き始めるというケースが多いらしい。
日光では考えられないくらい、地元の人に愛されているのだ。

DSCF3479今月の豪雨で流されてしまった橋は依然としてそのままの状態になっている。幅30センチほどの橋桁が残っているだけだが皆さん、平気で渡っていく。

DSCF3485地理院の地図にある正規のルート、「北コース」。
久しぶりに歩いたのだが沢に沿ったコースであるために先日の豪雨のダメージがあちこちに見られる。
ここは沢が道に並行して流れていたのだが増水で道が沢と化し、流れの向きが変わってしまっている。
集団の右端に人が座っているのがご覧になれると思うが流れを元に戻そうと、石の位置を動かしているところ。地元の人のこのような努力によって古賀志山が守られている。

DSCF3487コース脇には斜面に残地されていた倒木が流れ落ちて堆積している。

DSCF3492難を逃れたユウカギク。

DSCF3493右側の斜面から流れ落ちた土石流でコースが埋まっている。

DSCF3497ツリフネソウ

DSCF3498ヤクシソウ

DSCF3501この先に広場と呼ばれている休憩スペースがあるがそこからの土石流がここまで達している。

DSCF3504ここが広場。
丸太を組み合わせたベンチがあったが消滅し、わずかに丸太1本残るだけという凄まじさだ。中尾根に抜ける道も崩れてしまっている。

20150531_110114広場はこのように地元のハイカーの憩いの場であった(Oさんの提供による)。

DSCF3515古賀志山から北へ延びる尾根との合流点、富士見峠。標識にしたがって行けば15分ほどで古賀志山に着く。

DSCF3520その前にちょっと寄り道。
古賀志山山頂は展望がいいとはいえない。そこで、古賀志山の北東130メートルにある見晴台で眺めを堪能しておく。
岩壁の先端部分が見晴台になっていて展望がいい。ここに見えるベンチの下が鎖場になっていて赤川ダムに通じている。

DSCF3523見晴台の北には高原山が、、、

DSCF3525北西には日光連山が見える。

DSCF3530そして古賀志山山頂。
昼になるとここで昼食を食べる人で賑わう。ほとんどが地元の人だ。
次はめぐり図にある「聖観音」と「観音岩」を探しに行こう。

DSCF3541古賀志山の西は御嶽山と赤岩山に続く稜線になっている。山頂の道標にしたがって西へ下ると真新しい標識が設置されていた。ここを南へ下るのが地理院地図にある正規のルートなので、20回を記念してあらためて歩いてみることにした。

じつはここで驚くべき人物とお遇いした。冒頭に紹介したNPO法人「古賀志山を守ろう会」の理事長であり、管理人が山歩きの参考にしている2冊の学術書の著者である池田正夫さんである。それと同法人のメンバー、Kさんである。
御嶽山から見える山並みをハイカーに紹介するため、山頂に山座同定盤を設置する計画があり、その下見で訪れたそうだ。偶然以上の縁を感じる出会いであったがこれも古賀志山の引力のおかげなのであろう。
5分ほど立ち話をして別れたがお二人は御嶽山へ、管理人はここから階段を下って「聖観音」を目指した。

DSCF3544丸太で組まれた階段を下りると「岩下道」と交わる。昔、参道として使われていたらしい。岩下道を西へ向かう途中、「猪落」への道と「対面岩」への道と出合うがそれらを右に見ながら(初めての人はおそらく見落とす)、藪状の急斜面を降りたところが「聖観音」である。
ここに来てなんとなく前に見たことがあるような気がする、と思って帰宅後、過去の記録を調べてみると6月2日に訪れていた。姿形も場所もすっかり忘れている。
ちなみに聖観音は「せいかんのん」あるいは、「しょうかんのん」と読むそうだ。管理人はこれまで「ひじりかんのん」と読んでいた。

DSCF3546標識が見える位置からだとよくわからないが、近くに寄ると2体の不動明王に守られ、その奥に観音様が祀られている。

めぐり図によればここを北上すると御嶽山に行けるようになっていて管理人、過去に行っているはずなのだがどのように行けばいいのか、すっかり忘れている。
この辺りを地図で見ると大きな岩壁ばかりだ。そうだった、聖観音があるこの岩壁の裏側にも岩壁があり、御嶽山は二つの壁の間を通り抜けていくのだった。忘れたのは歳のせいか? いや、ここは地形がとても複雑なのだよ。

DSCF3549これが岩壁と岩壁の間のルート。地理院地図に描かれている道だ。ただし、一般的な山の道を想像していると期待を裏切られる。ガレ場である。
で、この途中、右手に「観音岩」があって左手に「アルマヤ堂アト」がある、とめぐり図にある。アルマヤ堂も6月に行っているはずだ。
観音岩は右の岩壁のどこかにあるはずなのだが結局、見つかることなくその先のアルマヤ堂に至ってしまった。

DSCF3552ここだ、思い出した。
たしか大きな洞窟のはずだ。

DSCF3554案内板の先に幅5メートルはあろうかという大きな洞窟(岩屋というそうだ)がある。入口から奥は天井に向かって傾斜しているが中に入ることができる。
アルマヤ堂とは木曾御嶽山のピークのひとつ、アルマヤ天を勧請したことからきているそうで、昭和20年代までは洞窟内にお堂があって中に天狗像があったそうだ。
御嶽山も木曾御嶽山を勧請したものだがアルマヤ堂は御嶽山の真下に位置している。

DSCF3561アルマヤ堂の内部。
入口から傾斜を1メートル以上も上がった位置だが頭上はまだ十分、空間がある。この位置から見ると洞窟は中二階といえる構造になっていることに今日、気がついた。写真中央に見える岩盤を境に上も下も洞窟になっていて、下の洞窟になにか祀ってあるが暗くてよく見えない。上の洞窟にはなにもないようだが、自宅に帰って調べてみると天井から霊水が滴り落ちているとのことだ(音は聞こえなかった)。

DSCF3570ここまで来たのだから御嶽山に登ってから帰ろうと思ったところ、ここで山頂の下見を終わった池田さんとKさんと再会した。
「観音岩」は見つからなかったことを報告したところ、池田さん自らが案内してくれるとのこと。管理人の力にも限界があるのでここはありがたく、池田さんのご厚意に甘えることにした。
ここから池田さんの後をついて下る。

DSCF35725枚前の写真の右に見える岩壁、やはりそこに踏み跡があった。が、目を凝らさなくてはわからないほど薄い踏み跡だ。管理人の力で見つからなくて当然だったかも知れない。
池田さんは御年78歳とは思えないほどの身軽さでどんどん登っていく。60歳から修験道の調査を始めたという超人的な体力と精神力は今でも衰えていないように見え、感服する。
観音岩は聖観音がある岩壁の上にあった、というか岩壁の上部を指すようだ。

DSCF3573観音岩の南側は絶壁になっている。
調べると標高420メートル、地面まで20メートルの落差がある。眺めが素晴らしい。次はひとりで来てみよう。

めぐり図にある地名でまだ訪れていないのは残り一カ所「大日山」だけとなった。28日に探して見つからなかったのは、この観音岩を探し出せなかったように、どこかに見落としがあるのかもしれない。
次回は必ず、、、