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女峰山の下見で赤薙山へ。女峰山は雪が楽しめそう。

2017年4月28日(金)

今年の女峰山初登をいつにするか考えている。
昨年は極端な暖冬少雪であったため4月早々に登ることができたが、今年の積雪量は例年並み、というよりは3月になって大量の雪が降ったためにこの時期になってもなお、山々には雪がたくさん残っている。
膝まで潜ってしまうほどの雪だと女峰山を日帰りでやるには無理がある。といってスノーシューで登れるような安全な山ではない。
チェーンスパイクとピッケルあるいはアイゼンとピッケルで歩けるようになる日が来るのを待っている次第だ。
6月になれば雪もほぼ消えてなくなるが、どうしても雪のあるうちに登っておきたい。このすき間を狙うタイミングを計るのがとてもむずかしい。毎年のように悩み、そして苦しむだよ。楽しくもあるのだが、、、、

判断の基準になるのは赤薙山あたりだ。
赤薙山山頂まで雪がまったくなければその先、赤薙奥社までの稜線で雪が登場する。この間がもっとも危険な箇所だ。赤薙奥社まで行っても雪がなければ、あとは女峰山までの稜線上の日陰と女峰山直下の雪に気をつければいい。

明日からゴールデンウイークで本業が忙しくなる。
このところ毎日が山日和だったがゴールデンウイークはそうはいかない。
これを頑張らなくては家族3人路頭に迷うことになる。山歩きを犠牲にしてでも本業に精を出さなくてはならない(悲)

ということでゴールデンウイーク前の一日を有意義に過ごすためにも、気になっている女峰山の状況を確認してみようと思う。


雪が消えたキスゲ平の斜面は高山植物の開花を待つのみとなった。
でわでわ、1445段の階段をば、、、


赤薙山と丸山への分岐となる小丸山へは25分で着いた。
今日は朝食も昼食を採らずに歩くつもりで荷物の軽量化に努めたので身が軽い。できることなら女峰山もこのペースで登れるといい。でもそうはいかない。


焼石金剛まで来ると赤薙山が目の前に迫ってくる。
手前はコメツツジ。ツツジの中までは1センチにも満たない小さい花で開花は7月。


女峰山への分岐(別にここを右へ行く必要はない)まで来ると雪はだいぶ多くなってくる。


赤薙山直下はまだ50センチほどあるが幸いしっかり締まっているので潜ることはなかった。


今日はローカットのトレッキングシューズにスパッツなし。身軽に歩けるようにトレッキングポールも使わない。


歩き始めて1時間12分か、いいぞ。いや、早すぎだ。
こんなペースだと本番の女峰山はバテてしまう。通常の装備ならここまで2時間はかけたい。


赤薙山からの展望は鳥居の奥の一箇所しかない。
だがそこからは女峰山がよく見える。
ここから見ると雪はまだたっぷり残っている。ルート上で数十センチ、日陰や吹き溜まりは膝まで潜るかもわからない。
装備として必要なのはチェーンスパイクまたはアイゼンのどちらかにピッケルは必須、スノーシューもあった方がいいかもしれない。一里ヶ曽根の水場は雪に埋もれているはずだから、水の補給は無理だろう。う~ん、やはり重装備になりそうだ。となれば下山は日没になりそうな感じ。


山頂ではスポーツドリンクを一口飲んだだけで下山することにした。滞在時間は5分。
早く帰って明日からの仕事に備えよう。


小丸山。


階段トップから下を眺める。
幸いなことに上ってくる人はいない。
一気に駆け下ることにした。
階段の700段目まで下ったところで上ってくるハイカーと出合い10分ほど立ち話となった。聞くと東照宮の先に住む地元の人であった。


700段まで下りると開いたばかりのカタクリと出合った。
まだ数株だ。今年は遅い。


赤薙山往復、2時間20分。
身の軽さもあって満足のゆく歩きだった。

横根高原(鹿沼市)探索。広大な自然林はツツジの宝庫らしい。

2017年4月24日(月)

今月20日のブログに日光市と境界線を接した横根高原(鹿沼市)に、東京ドーム23ヶ分に相当する面積に太陽光発電が設置されると書いた→こちら
管理人は長い間、日光の山を歩いているが横根高原のことなど地図でその存在を知っている程度で、行ったこともなければ歩いたこともないというほど、意識の外であった。知人からの説明で初めて、ことの重大さに気づいた次第だ。

太陽光や風力、川の流れなど自然エネルギーを利用した発電には大いに賛成するが、問題はその規模の大きさであろうと思う。
建物の屋根を利用したり休耕地の一部を利用するなど自然を壊さず、景観を損なわないで電気を生み出すというのが自然エネルギー発電の前提であろう。
東京ドーム23ヶ分に相当する自然林を切り拓いてまで発電する必然性が管理人には理解できない。

太陽光をパネルに当てるには、草木が1本も生えないよう設置後の維持管理が欠かせない。そのためには強力な除草剤を大量に散布するのは必至である。
除草剤は地下に浸透し拡散するからパネルを設置した場所だけにとどまらず、広い範囲に影響をもたらせるはずだ。パネルがある場所だけでなく、横根高原全体の死地化が問題となる。

横根高原を予定地とする太陽光発電はその規模から、自然環境を守ることと相反するものであり、管理人は反対の立場をとっている。
反対の気持ちを強くもって活動するにはまず現場を知らなくてはいけない、そんな思いから去る16日にはドライブがてら全体を把握したが今日は現地の探索を目的に歩いてみることにした。


横根高原の入口、粕尾峠。17万枚もの太陽光発電パネルが設置される予定がある。
ミズナラ他、林を守る役割を果たす広葉樹林だ。


前日光ハイランドロッジは県営牧場内にあり、開放感たっぷり。この駐車場が井戸湿原と横根高原ハイキングの拠点となる。
遠くに皇海山(茶色の構造物の先の三角形の山)がよく見える。


まず最初の目的地、井戸湿原へ向かう。
どこを見ても柵が張り巡らされているがこれらは放牧している牛が逃げ出さないようにするためのもの。


牧柵に沿った整備された道を歩く。


うひょ~、振り返ると日光連山が一望だ。


コース上にはこのような案内板がいくつかあるが、どれも非常にわかりにくい。
理由は一般的な地図と違って「北」が定まっていないからだ。
この案内板は地図の上が東になっていることが地理院地図と見比べてわかった。


案内板には書かれていない分岐。
ここは井戸湿原に行ってみることに。


お~、シロヤシオだ。
この辺の標高は1300メートル前後なので開花は5月半ばかな?


行く手をシカ避けネットがふさぐ。
湿原に成育する植物をシカの害から防ぐためのもので、進むには扉に相当する部分を手で開ける。


井戸湿原の入口に佇む四阿(あずまや)。
昔はここに湿原荘という建物があったそうな。


ここを降りたところが井戸湿原らしい。


規模は小さいながら情緒漂う井戸湿原。
木道が走る南北に100メートルほど、東西に500メートルほどの広さをもつ中層湿原で昭和45年に天然記念物に指定されたそうだ。


木道を渡りきると分岐があって直進すると「象の鼻」、左は「五段の滝」となっている。
この道標によると象の鼻はあたかも井戸湿原の南に位置しているかのように思ってしまうが、実際には右へ大きく回り込み、井戸湿原よりもハイランドロッジに近い位置にあることが地理院地図でわかる。
その象の鼻は帰りに寄ることにして五段の滝へ行ってみることにした。


これはバイケイソウかな?


尾根(右の斜面)のすぐ下についている道を東へと進む。


ここが五段の滝なのだが肝心の滝が見つからない。


強いていえばこれがそうか?
堆積した岩を伝って水が流れ落ちている。


さて次は岩海(がんかい)が見られる場所を探しに、道標にある「入粟野・日瓢鉱山」方面に進んでみることにした。
しかし、進むほどに沢から遠ざかるばかりで岩海らしき景観と出合わない。このまま進むと林道に出てしまいかねないので諦めて戻ることにした。


アカヤシオ。
ゴールデンウイークあたりに開花かな?


ナナカマドがあるから紅葉も見事だろうと思う。


別の道から井戸湿原を見下ろす。


ノリウツギ


見晴台という草地に出た。
関東平野が一望できるとある。


前方は木々に遮られ、道標にあるような眺めはない。すぐに退散して元の道に戻ることに。


お次は象の鼻を目指そう。



仏岩という名の大きな岩。
修験僧がつけた名だそうだ。
岩の基部に小さな祠がある。


象の鼻展望台からの眺めは雄大で、ほぼ180度開けている。
展望台にある山
座同定版に倣ってパノラマで撮った写真に山名を入れてみた。
ちなみに象の鼻というのはここにある岩の名前で、象の鼻の形に似ていることから名がついたそうだ。


今日は時間がたっぷりあるのでマルタイの「山の棒ラーメン」で久しぶりに本格的なランチでも(笑)
一般的な袋麺だと形状が四角なので丸鍋に収まらないが、マルタイ製のはスパゲティと同じように棒状なのでそこそこ深さがあれば調理できる。
マルタイの棒ラーメンはコシがあって麺がやや粘るのが特徴。


象の鼻をあとに今来た道を少し戻ってから分岐を別の道に入るとここへ出た。
先ほど通った分岐路だ。右は井戸湿原、左はハイランド。これから横根山に行くので道を横切って林の中へ向かう。


ヤマツツジだが至る所で目にした。


横根山への道は歩きやすい。


あそこが山頂らしいな。


標高1373メートル、二等三角点がある。
山頂は狭く、眺めもいいとはいえない。


「方寒山」とあるのがハイランドロッジの方角。


ここもツツジの宝庫。


下山はここで終わって朝、横断した牧道と出合う。ここまで来れば駐車場は近い。
で、今日は探索が目的なので行き帰り、できるだけ違う道を歩きたい。
ここには朝通った丸太で組んだ新しい階段と古い階段が並行している。どうせ駐車場で交わるはずだから帰りは古い階段を歩いてみよう。


マユミの木


ズミもある。


この道はほとんど使われていないらしい。
丸太の階段は土が流されて空洞になり、朽ちるに任せている。


おっと、牧柵に出てしまった。
よく見ると道は柵に沿って右に続いている。その行く先が方寒山だ。
ロッジと駐車場は目の前に見えるのだが道がない。


柵に沿って左へ回り込んでようやく駐車場に到着。
横根高原の探索はこれで終わりにして、帰りに日光修験の跡が残る巴の宿に寄ってみよう。



番外
横根高原の北に室町時代、日光を舞台に四季を通して盛んに修験がおこなわれその跡が残っている。
巴の宿は厳冬期にひと月にわたって修験がおこなわれた場所でだが、今は車のアクセスもよく、その跡をだれもが容易に見ることができる。
日光修験、巴の宿について詳しいことは随想社・池田正夫著「日光修験 三峰五禅頂の道」でどうぞ。

巴の宿は県道58号線の古峯ヶ原高原入口辺り(標高1144)に車を置き、古峯ヶ原湿原に沿って南下したところにある。


現在は古峯神社の禊(みそぎ)所として使われている、と案内板の説明にある。
鳥居の奥が広場になっていることから、そこに建物があって修行僧の寝食の場にしていたのではないだろうか。


広場の隅。御神木と思われる大木の脇に石の祠があった。


流れの畔に立つ獅子に抱かれた観音様。

高原山5座目の明神岳を果たしたが計画の甘さで大失態。

2017年4月5日(水)

7:50/大鳥居~8:19/枯木沼~9:18/弁天沼~10:36/明神岳分岐~12:47/明神岳~13:08/展望台(昼食)~14:01/P1640~14:15/ゲレンデ下降~14:35/管理道路~15:08/有料道路~15:47/大鳥居

計画では明神岳ピストンの予定だった。
7:30/大鳥居~8:20/枯木沼~9:10/弁天沼~9:50/明神岳分岐~11:30/明神岳~11:45/ゴンドラ駅(昼食)~13:50/明神岳~14:10/御岳山~14:30/弁天沼~15:10/枯木沼分岐~15:40/大鳥居

スノーシューツアーの定番コース、霧降高原丸山へ向かって歩いて行くとまず八平ヶ原で、次に丸山の尾根から高原山がよく見える。
高原山は鶏頂山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の総称で日光市に属する鶏頂山から始まり、東へ右回りに釈迦ヶ岳、中岳、西平岳へと尾根が続き、外輪山の様相を呈している。尾根に立って見下ろすとそこは深さ700メートルもある噴火口に見えるから、これら4峰は外輪山に間違いないのであろう。
4峰とも標高1700メートルを超えるが1794.9メートルの釈迦ヶ岳が主峰といえそうだ。実際に八平ヶ原から遠くに見る釈迦ヶ岳は中岳と西平岳を従えて堂々とした山容を見せている。
釈迦ヶ岳は日光市、塩谷町、那須塩原市にまたがり、登山道も釈迦ヶ岳に収束されている。このことから見て、釈迦ヶ岳主峰説に間違いはないであろう。と、管理人は独自のというか、勝手な説を唱えている(笑)遠くに見えるあの山の頂に立ってみたい。
これは山歩きをたしなむ人、共通の思いであり、誰も否定できないはずだ。
昨年3月、主峰・釈迦ヶ岳を目指した。
しかし、せっかく尾根続きの4峰だ。釈迦ヶ岳だけで終わらせるのはもったいない。4峰縦走をやってみようと考えた。9時間かかって駐車場に着いたときは足がふらつく始末であった。雪は少なかったとはいえノートレースの雪の上を自分でルートを考えながら歩かなくてはならなかったし、釈迦ヶ岳から西平岳へ向かうルートは隠れて見えない危険箇所がいくつかあった。距離も長かった。だが、疲れ果てはしたが達成感も大きかった。
高原山9時間の死闘→こちら

釈迦ヶ岳の頂にもう一度。2日後の31日、今度は矢板市・学校平からのルートで登ったのだが、前回とは趣が異なり、このルートは15キロのトレッキングが楽しめることがわかり大きな収穫となった。
こちら

鶏頂山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の4峰を総称して高原山と呼ぶのは先ほど書いた通りだが、鶏頂山と釈迦ヶ岳を結んでいる尾根の中間に位置する御岳山から北へ向かって延びる尾根があって、御岳山の2キロ先に明神岳がある。さらには明神岳の北東1.3キロの位置に前黒山がある。明神岳はハンターマウンテンスキー場の母体となっている山だ(画像参照:明神岳と前黒山の間の斜面が白く見えるのがスキー場)。
この2峰を高原山に含めていいのかどうか管理人にはわからないが、高原山と尾根でつながっているから同じ山域であることは明らかである。
ならば次の目標は明神岳と前黒山と決め、6峰完登をやってみたい。

問題はルートである。
明神岳はハンターマウンテンスキー場の最上部に位置し、車道からの距離は2.6キロと短い。しかし、地図に道は描かれていない。そこで昨年、4峰を歩いたときのように、鶏頂山の東の麓、大鳥居を起点に地図に描かれているルートで御岳山に出て、そこから尾根伝いに北上する方法を考えた。
地図で見る限り、最初の下りと明神岳直下の登りが厳しそうだがその間は緩やかなアップダウンと読める。だが、歩き始めてからの距離が片道推定6キロ強と長いのがいやな材料だ。
昨年の実績では御岳山までの4キロを2時間半かかっているから、大鳥居から御岳山の往復8キロだと4時間が消費される。残りの2キロに果たしてどれほどの時間がかかるのか。無雪期であれば1時間、浅い残雪だと1.5時間と見ておけばいいのだが、雪が深いと2時間は見ておく必要がある。すなわち、大ざっぱには次のような計画だ。

大鳥居~4.0キロ/2時間半~御岳山~2.3キロ/1時間半から2時間~明神岳=計6.3キロ/4時間から4時間半
もちろん、これは片道なので、往復だと帰りの御岳山からの長い下りを減算して7~8時間といったところ。まっ、いつものことながら10時間以内ならば良しとして、実行に移すことにした。


鶏頂山の登山口はふたつある。
いずれも日塩有料道路に面していて日光に近い方の赤鳥居の建つ登山口と、そこから800メートル先の元鶏頂山スキー場だ。両者並行し枯木沼で交わるからどちらから歩き始めても時間のロスはない。
昨年は元スキー場から歩き始めたので今回は赤鳥居にしようと考えたのだが道路脇の駐車場にはまだ雪がごっそり積もっていて使えず、昨年と同じように元スキー場を出発点とした。
なお、昨年はこの大鳥居を車でくぐって大駐車場まで入れたが、今年はご覧の通りだ。道路脇の待避所に車を置いて歩き始めた。先着車が1台駐まっていた。
ちなみに、ここから歩き始める場合は鳥居をくぐると遠回りになる。鳥居の反対、鳥居に背を向けて歩くのが正解。



元スキー場のロッジ脇が登山口で信仰対象の山らしく、案内板には登拝口と書いてある。この奥に見える林に向かって歩いて行く。



雪は締まっているので始めはチェーンスパイクで歩いてみよう。
深くなったらスノーシュー、アイスバーンの急な斜面に出合ったらアイゼンにピッケルをと、今日は冬道具満載で歩き始めた。ザックの重さは12キロほどになっている。



この斜面など荒れてもいないのでスキー場のゲレンデとしてまだ十分に使えそうだ。
踏跡がいくつか確認できるが真新しいのがある。先着車の持ち主かもわからない。


振り返ると展望が開けていた。
おそらく会津の山並みだと思うがあまりにも遠くて山名は特定できず。


これはゲレンデなのか登山道なのかわからないが広く歩きやすい。


歩き始めて30分。枯木沼入口に到着した。
鳥居の先は湿地帯になっている。
昨年は池塘が見られたし木道も露出していたが今年はまだ厚い雪に被われている→昨年3月29日の枯木沼


枯木沼を抜けた辺りから雪が深くなり、ここでチェーンスパイクからスノーシューに履き替えることにした。



おそらくリフト券売り場だったのであろう朽ちた小屋。
1961年にオープンしたらしいが当時、日本は好景気に沸いていたはずだ。
バブル景気崩壊後、数年は営業を続けたが隣接する大規模かつ近代的なスキー場に規模、設備とも勝てず、2000年に閉鎖されたという。


弁天沼
雪のない季節の状況は知らないが質素な鳥居に石碑、鐵の鐘楼、祠などがあり、ずいぶんと神々しい雰囲気が漂っている。


地名から察してどこかに沼でもあるのだろうことを想定し、念のため地図にある道の通りに歩くことにする。
道を外して沼にどぼん、などといった事態にならないようにするためだ(笑)


弁天沼からはこれ以上スノーシューで歩くのに適したフィールドはないというほど、平坦で広い林が広がっている。周りを見回しながらのんびり歩いているうちに傾斜が変わった。


傾斜がきつくなった先が鶏頂山と釈迦ヶ岳を結ぶ稜線だ。
ここを右へ行くと鶏頂山、左が釈迦ヶ岳。
先行者の踏跡はここから鶏頂山へ向かっている。管理人は釈迦ヶ岳方面に向かう。


分岐から釈迦ヶ岳へのルートの積雪は多くない。
それが返って足を遅くした。
傾斜がきつくまた、木々がこみ入っているのでスノーシューがじゃまになった。といってアイゼンあるいはチェーンスパイクに履き替えようという気持ちにもなれなかったのは、先を急ごうという焦りがあったのかもしれない。


尾根の南側は切り立っていて大きな雪庇が張り出している。木がある場所までなら大丈夫と思って近づくと雪のブロックもろとも数百メートル落下する。なにしろ足は地面の上ではなく雪の上にあるのだから。


ピーク1690。このすぐ手前が御岳山。
ここで道は釈迦ヶ岳方面と明神岳方面に分岐する。
昨年はここを直進して釈迦ヶ岳へと向かった。800メートル先、1時間弱で釈迦ヶ岳に着いた。
今日は明神岳方面へ北上するが未踏ルートであるため時間が読みづらいところだ。
地図を見ると分岐から明神岳に向かって市境線が続いているのだが、この分岐は市境線よりやや東に位置していることがあとからわかった。ただし、明神岳へ向かうのになんら差し支えはない。
まずはいきなり30度もある急斜面を下ることになった。斜面は広く、尾根にはなっていないため、とにかく北へ向かって下ることにする。


ピーク1690からの急な下りをクリアすると、そこは広い雪原が広がっていた。
今いる位置が市境線の上らしいことがGPSが示す緯度経度でわかった。
市境線の次の変曲点に向かってコンパスを合わせる。


なんとなく尾根らしくなってきた。
それにしても広くていい尾根だ。


ふたたびだだっ広い雪原と化す。


ミズナラの古木。


急斜面への進入を防止するロープがある。
明らかに人が歩いている証。


ヤシオツツジに違いない。


見上げると木の構造物が見えた。
見晴らし台なのだろうか。
傾斜も急になったしここは明神岳直下と思われる。


明神岳への道を示す道標の脇をすり抜けると、、、、


先ほどの見晴らし台よりも大きい構造物が見えた。
ここから左へ杭が一定間隔で並んでいる。雪の下は木道らしい。
一応、順当に杭に沿って歩いてみた。だが、杭は明神岳を巻いて敷設されていることがわかった。


見当をつけて杭から外れて斜面を上がったところ、そこが明神岳山頂だった。
木々に囲まれて視界はない。山名板は明神岳西峰山頂、標高は1640メートルとある。
おかしい。
GPSで現在地を確認するとここは地理院地図にある1627メートルの明神岳に間違いない。しかしなぜか、山名板は1640メートルになっている。それに地理院地図には西峰という記載はない。
地図を見るとこの北北東にもうひとつのピークがある。そこの標高が1640メートルだ。
この山名板にある標高1640メートルとは、もうひとつ先のピークを表していることは明らかだ。山名板の制作ミスであろう。


山頂をあとにさらに北へ向かって歩いてみると、ふたつの展望台があることを示す道標があった。
右つまり、いま来た道を戻ったところに日光連山を眺める展望台があるらしい。ということはさきほどの大きな構造物がそうなのか?
今日の目的は高原山そして明神岳から振り返って日光連山を眺めることにある。
時間のロスはやむを得ないが先ほどの構造物すなわち、展望台に戻ろう。


丸太の杭に沿って戻り、展望台にやってきた。


展望台に立って眺めると高原山がすぐ目の前に見える。いい眺めだ。
ここからだと丸山から眺める山の位置関係が逆転し、左が釈迦ヶ岳、すぐ右の小さなピークが中岳、西平岳は釈迦ヶ岳に隠れて見えない。
その右のこんもりしたのが御岳山でその右のきれいな三角形を描いているのが鶏頂山である。


高原山の右が日光連山のはずなのだが今日はかすんで見えない。
おそらく気温が高まるこれからの季節はかすんでしまうのだろう。

今日は思いの外、時間をくってしまった。
計画だと明神岳山頂に11時半に着く予定だった。
歩き始めが計画よりも20分遅くなったことにくわえて雪が深かったこと、さらには御岳山からのルートが広すぎてわかりづらかったことなどが理由である。
これから昼メシを食べて、いま来たルートを辿って戻るとすれば日没の可能性もある。高原山5座目は終わったのだから欲張らず、時間をかけて探索してみたいと思う。
帰りはスキー場のゴンドラで下山すればいい。同じルートを戻って日没を迎えるよりもその方が安全だ。
そう思ったら気持ちに余裕が出た。山頂を隅々まで歩いて次の目標とする前黒山の参考にしよう。


ゴンドラで帰ることに決めたことで時間は気にしなくてもよくなった。
展望台を降り、さきほどの明神岳山頂を通りすぎ、道標にあった関東平野展望台までやって来た。ここが地図にあるもうひとつのピークで標高は1640メートル。祠のある明神岳よりも高い。

山名板が立木にくくりつけてあった。
山名板は明神岳となっているがここは地理院地図に山名が描かれていない。
地理院地図にある明神岳は先ほどの祠のある場所、正確には北緯36度55分14.10秒、東経139度46分18.60秒の場所なのであり、ここではない。

察するに、祠のある場所が明神岳「西峰」となっているので、そこは本当の明神岳ではないと考えた取り付け主は、西峰よりも標高が高いこの場所を本当の明神岳だと思い込んで山名板を取り付けた、そう考えると合点がいく。
ただし、それは地理院地図が間違っていることを前提とした場合だ。はたして地理院地図が間違っているのかどうか、それは管理人にはわからない。

いずれにしても地理院地図のピーク1627が山名板だと1640になっていたり、地図にない場所が明神岳になっていたり、とてもややこしく不自然な感じがした。


さらにおかしいのは同じ場所に別の山名板があって、それには標高1627とあることだ。ここは地図で明らかなように標高1640メートルなのである。
同じ場所に標高1640メートルと1627メートルの山名板が並んでいることの違和感。こうなるともう、基本となる地理院地図の記載を無視した自己主張争い、山名板取り付け争いというほかに言いようがない。
山の所有者の許可なく山名板を取り付けることの是非は別問題として、山名板を取り付けるのなら地形図を読む能力を身につけてからにしてほしいと願う。
地理院地図にも間違い、というよりも長い間、更新されないことによる現状との不一致が散見されるが、山名板のつけ間違いはおおかた、取り付ける側の地形図の誤読あるいは無視に原因があるようだ。このようなデタラメは登山者を惑わすだけだ。


山頂をあとにして、ご覧の通り管理人はいま、スキー場のゲレンデ内を歩いて下っている。
山頂からゴンドラ乗り場まで行ってみると、4月になって運行を終了したことがわかった。
リフトはまだ動いているが下りでは利用できないことは知っている。リフトの係員に相談したところ、ゲレンデの端なら歩いてもかまわないとのことだった。
ゲレンデの端、まさにこの部分を下っていたところ、パトロール員に咎められ、丁重ながらも厳しく注意された。リフトの係員よりも権限が強いはずなので素直に従うことにした。
が、ここから明神岳に登り返して同じルートで帰ることなどとてもできそうにない。パトロール員監視の下、このまま降りることを許してくれた。
山姿の男がゲレンデを降りていく様は周りには奇異に映ったであろう。それを許したスキー場は利用者に非難されるかもわからない。大げさかもわからないが、それくらいの感性は管理人にもある。
シーズン終了間際の平日ということもあって例外扱いをしてくれたものと考え、自分の不甲斐なさを恥ながら下っていった。
ゴンドラで降りることなど計画外であったため、当然ながら運行期間は調べていない。その迂闊さに気持ちが萎えた。
のんびりと昼メシなど食べず、山頂で余計な探索などせず、山名板になど気を取られずにいたならば同じルートで戻れたはずだ。計画の変更が災いをもたらせた。思考はどんどんマイナス側に振れていく。気持ちはますます萎えていく。


最後のリフト降り場の手前にスキー場の管理道路があって、そこから有料道路に出るようにとの指示があった。


ようやく有料道路に出られたが管理道路はやけに長く感じられた。
ここから大鳥居までどれくらいの距離なんだろう。そんなことを思いながら重い足を運んだ。


ハンターマウンテンスキー場より一足早くシーズンを終えたエーデルワイススキー場。


管理道路から歩き始めて5キロ、1時間10分かかってようやくスタート地点の大鳥居まで戻った。実に長い道のりだった。


昨年、初めて歩いたとき、大鳥居から弁天沼を抜けて鶏頂山と釈迦ヶ岳を結ぶ稜線に出るまでの間の雪原の素晴らしさに感嘆した。
今日も昨年と同じルートを辿ったわけだが、この雪原こそスノーシューで歩くのに相応しいことを確信した。
稜線に出るまで約2時間、往復4時間ならツアーに最適である。ルートがわかりづらいという難点はあるが、これはなんどか通うことで克服できる。
明るく開放的で変化に富んだ景色。危険な場所はなくまた、読図の練習にもってこいのフィールドの広さはきっとお客さんに満足してもらえることだろう。問題は日光から遠いということ、これさえ解消できれば頻繁に利用したい。

7回目の馬蹄形は腸脛靭帯炎発症で杖つきながら下山(涙)。

2017年3月29日(水)

最後のスノーシューツアーから10日ぶり、アップダウンの激しいスノーシューツアーから数えると3週間ぶり、雪のない地面の上を歩くのは2ヶ月ぶり、古賀志山も2ヶ月ぶり。この間、デスクワークばかり、夜は飲んでばかり。
とくればなにか悪いことが起こりそうな、嫌な予感が頭をかすめる(笑)

歳とともに身体の変調を前もってわかるようになったのは成長の証なのだろうか。どれくらいの日数、運動をしないでいると身体に変調を来すかがわかる。
管理人の場合、最低でも週に一度はそこそこアップダウンのある山を歩かないと下半身の筋が固まってしまい、次に歩くと太ももの痙攣や膝の外側の痛みを引き起こす。
致命的なのは膝の外側の痛みでこれはのちに腸脛靭帯炎という病名であることがわかったのだが、歩いている途中、曲げた膝を伸ばすときに痛む。一度発症すると下山まで痛みをこらえながら歩かなくてはならならず、これは辛い。

長い間、同じ姿勢でデスクワークを続けているときなど、大臀筋や大腿筋膜張筋が緊張しそれらとつながっている腸脛靭帯が引っ張られて柔軟性がなくなり、膝関節とのすき間が狭くなるのが原因といわれている。
その状態で膝の曲げ伸ばしを数千回繰り返すと、腸脛靭帯が膝関節とこすれて炎症を起こして痛みとなる、というのが腸脛靭帯炎だそうだ。
ただし、膝の曲げ伸ばしが数千回とはいっても、ウォーキングだと膝の曲げ角度が小さいので、炎症には至らないらしい。

だから、大臀筋と大腿筋膜張筋の緊張を解きほぐしてあげる必要上、デスクワークはほどほどに、仕事をほっぽり出して山を歩くのが腸脛靭帯炎を発症させない秘訣ということになる。これが長い時間をかけて習得した管理人の結論である。
今月は本業とそれにまつわる雑用が特別に多かったが、月末になって一段落つき、これから繁忙期を迎えるまで山歩きに没頭できそうだ。天気予報を見つめ、狙った日が晴れとわかれば即、行動。そんな日々となりそうだ。



宇都宮市立森林公園・赤川ダムの堰堤から眺める古賀志山全景。ふたこぶの左が古賀志山で右は東稜見晴台。
新緑の時期を迎えると湖面に映る古賀志山も緑になって実に美しい光景となる。


赤川ダムに並行するアスファルト道路を歩いて行くと赤川にかかる芝山橋と出合う。


橋を渡ると赤川に沿った道と斜面の道に分かれる。
今日は地理院地図にある正規の道を行く(少しだけ)ので、川に沿って歩いて行く。
斜面を登る道は東稜コースといって岩場を経由して東稜見晴台そして古賀志山に至る。


川沿いの道はこんな感じ。
このまま5分ほど進むと地図にある北コースとぶつかる。


古賀志山に至る北コースにぶつかるとカタクリの小群落が見られる。
花どころかまだ蕾さえない。


荒れた北コースを10分ほど歩くと憩いの場、水場である。
伏流水だと思うがとても美味しい水が飲める。
昨年気づいたが、土中に差し込まれた塩ビ管のうち、左側は涸れている。水脈が変わったのかもしれない。


北コースは一昨年の水害で土砂が堆積して荒れている。
沢を渡り、、、


水場のすぐ先にこんな案内板を見つけた。
昨年11月末に歩いたときはなかったので今年になって設置されたのだと思う。
左に古賀志山山頂となっているが、地理院地図の正規ルートは直進するようになっている。
管理人の今日の目的のひとつはカタクリの開花状況を調べることにあった。そこで正規のルートではなく、案内板にある「お花畑」に行くことにする。


カタクリの群落。
ほとんどが葉っぱだけ。


丹念に見ていくとようやく蕾があった。
蕾はまだ堅く、開くにはあと数日、必要とするみたいだ。


さらに堅い蕾。
柄が伸びて蕾が下を向いてようやく咲く体制が整う。


カタクリの群落地をすぎると道が分岐している地点に来た。
北へ向かう明瞭な道と南へ向かう不明瞭な尾根道である。
足は自然と不明瞭な道へと向かった。


ん~?
古賀志山の岩場はこれまでずいぶん経験しているがここは見覚えがないような。
もしかするとこのルートは初めて歩くのだろうか?
それにしても厳しそうだ。


 

おっ、ロープがあった。


ロープはたしか4本だったか、ようやく岩から解放されて平坦になった。


人の姿が見える。
東稜見晴台に違いない。
しかし、この位置から見晴台を見上げるのは初めてだ。やはり、ここまでのルートは未踏だったのだ。


いつも見慣れている見晴台からの宇都宮市街。
あいにくの天気だが晴れていれば筑波山が見える。


見晴台の突端にルート図がある。
初めての人にはとても理解できないと思うので見晴台に来る地元の人に尋ねてみるといい。
「24」と書かれた黄色のプレートはNPO法人「古賀志山を守ろう会」が今年になって取り付けた現在地番号。
事故が発生した場合などこの番号を警察と消防に通報すれば場所が特定され、すみやかに対応されるらしい。→こちらに詳しい

古賀志山を守ろう会によればプレートは1~27まであり、このようにルート図や案内板につけられているものもあれば、立木につけられているものもあるとのことだ。


27日の悪天候は日光の南40キロの古賀志山山域にも雪をもたらせたようだ。積雪は3センチに達している。


久しぶりに古賀志山の山頂に立った。1月6日以来だ。
昼時には早いのでお孫さんを連れたご婦人と年配夫婦がくつろいでいるだけ。


先を急ぐので古賀志山をさっと通過して御嶽山へと向かう。
ここは昨年3月、滑落事故でハイカーが亡くなった岩場。岩を避けて巻道を歩く方が無難。


古賀志山は展望が良くないが御嶽山は東から北まで見通せるから管理人はこちらの方が好き。
日光連山を眺めながら菓子パンでエネルギー補給だ。


これから先、急な下りになるので大事を取ってチェーンスパイクを装着しスリップに備える。


正式名称ではないが、地元の人からカミソリ岩と呼ばれている高さ5メートルほどの岩場。
有志が設置した古い鎖とロープの他に、古賀志山を守ろう会の手により新しい鎖が取り付けられている。
ここは鎖もロープも使わずに登ってみる。


アップダウンを繰り返しながら中岩に到着。ここも展望がいい。


中岩から、多気山を通して宇都宮市街を望む。


二尊岩を通過。
大きな岩がふたつ並んでいて、地蔵菩薩と不動明王に見立てて崇められたことから名がついたそうだ。
先月、ここで年配男性が滑落して死に至ったとのニュースがあった。
二尊岩について詳しい説明があります→こちら


古賀志山から続く主稜線も2/3に達した。
初めての岩場を命がけでよじ登ったためか、ここまで3時間半近くかかってしまった。
まずは今日2回目のエネルギー補給。菓子パンとコロッケを腹に入れた。


主稜線最後のピーク、北ノ峰(433メートル)。四等三角点がある。


馬蹄形ルートは北ノ峰から急に厳しくなる。
これまでのアップダウンとは比べものにならないほどだ。
ルートがわかりづらいのも主稜線とは異なる。
遠く、白根山を眺めてしばし休憩。


急降下の途中で1番を見つけた。
めったに人が歩かない馬蹄形ルートにも現在地番号がつけられている。
いずれ1番から27番まで、日帰り完全踏破をやってみよう(笑)


画像左上から来て急な岩場を下る。


急降下を終えるとこのようなプレートが見つかる。
左に垂直の大きな岩が続いていて途中の岩窟に無縫塔と呼ばれる坊さんの墓が祀られている。
馬蹄形はこのプレートを正面に見て、緩やかな斜面を下っていく。不明瞭な踏跡を丹念に追いながら、次にプレハブ小屋を探すのがポイントである。


踏跡は目を凝らさなければ見えないほどうっすら付いているだけ。


おっ、ミツマタだ。


馬蹄形のランドマークともいえるプレハブ小屋を発見。
しかし、これからまだ大変なのだ。
ざっと説明すると、小屋の裏側に回り込んで左に曲がり、大きな檜が見つかったら右へ曲がる。次に林道を渡って藪に入り、土砂が堆積した沢(工事中)を渡って再び林道に出たら横断し、腰掛岩への道を進む。となるわけだが、実際はそれほど簡単ではない。


1本目の林道は伐採作業の現場と化し、前回とは様相がガラッと変わっていた。


ピーク444の中腹が崩落し、土砂が堆積した沢を渡る。
あちこちで工事車両が動いているので注意。


2本目の林道を渡ってお次は腰掛岩への道だ。
ここに見える道は途中で途切れるので、茂みの間から尾根を探す。3本ある尾根のどれかを高みへと登っていく。3本の尾根は腰掛岩で収束する。


こんな雰囲気になると間もなく腰掛岩。


地理院地図を見ればわかるが腰掛岩はピーク444から南西に下る尾根の、岩記号の一番外れの部分。
下から登ってくる場合、尾根のどこかに出るはずなので、尾根をピーク444とは反対方向(西)に下っていくと腰掛岩に出合う。


腰掛岩で進路を東に変えて10分ほど歩くとピーク444だ。
傾斜は緩やかで丘状のピークに石の祠がある。道標はない。


なんとまぁ、ヤマツツジが蕾をつけている。


これはタヌキの糞ですね。
一度にこれだけ多くの糞をするわけではなく、いわゆる溜め糞。タヌキのトイレですな。


尾根は途中で途絶え、そこにロープが下がっている。
尾根はロープで下りて一段下がったところにつながっている。
目指すは正面の三角形へ。


上の画像の三角形に達してからあとが難しい。
今日初めて、地図とコンパスを取りだした。
馬蹄形を歩くのは今日で7回目だが、ここらは地形が複雑で、小ピークから派生する尾根がいくつもあってわかりづらい。今日も一箇所、地図を見ながら右往左往。遭難するかと思った(笑)


延々と続く急斜面を登り終えてようやく手岡分岐に着いた。
ここは日光市手岡(ちょうか)に属しているので識別のために管理人が勝手に付けた名である。ちなみに腰掛岩からここまで、完全に日光市に属している。
足は重くストックに頼るようになったのもこの手前からだった。
このときの足への負担がこの先で腸脛靭帯炎の痛みとなって表れた。
道はここで古賀志山(右)と鞍掛山(左)に分かれる。あわよくば鞍掛山を廻って20キロ歩こうとも思ったが、膝の痛みに耐えかねて古賀志山へと向かった。


古賀志山へ南下する途中、ピーク559手前に分岐がある。
直進すると5分でピーク559、右へ下ると古賀志山へ行く。


痛む膝を杖をついてかばう。
管理人愛用の杖はT型グリップのもので、長さはピッケルに合わせて70センチにしてある。一般的なストックはグリップを横から握るために腕の力が発揮できないが、T型グリップは上から握るため腕の力が地面に対して直接加わる。30度を超えるような斜面には効果的だ。


夕暮れが近づいてきた。
振り向くと二股山(鹿沼市)の空が薄い朱色に染まっている。
12月だったらこの時間、すでに日没になっているが、陽が延びていることを実感した。


富士見峠。
直進すると古賀志山だが疲れもピークに達しているので、ここから北コースで降りることにした。


傾斜が緩んで膝への負担も軽くなり、痛みも和らぐ。


地元の人の憩いの場として使われている、通称「広場」。
当然ながらこの時間、だれもいない。


ふ~、歩き始めて8時間、ようやく戻れた。今日はとっても厳しかっただよ。


読図ができない人に馬蹄形ルートはお勧めできませんが、危険を最小に抑えることを目的に地図と注意事項を掲載しておきます。黒枠が間違いやすい場所。
また、危険な岩場が数カ所ありますが巻道もないので細心の注意が必要です。危険だと思ったら引き返すこと、それがもっとも賞賛に値することだと思います。

雪の山王帽子山と赤薙奥社へ。Tさんの要望はそれは過酷なものであった。

日光駅を起点にいくつものスノーシューのフィールドを有し、そればかりか冬でも安全に登ることのできる2千メートル峰もある、それが冬の日光を際立たせる魅力ではないかと思っている。

管理人が日光をスノーシューのフィールドとして利用を始めたのは1998年のこと。翌99年には商業ツアーとして確立し、現在に至っているわけだがその間、延べ2000名ほどの人が管理人が主催するスノーシューツアーに参加してくれた。
そのごく一部、ほんのひとにぎりではあるがリピート、そして常連に至ってくれているのがありがたい。

管理人も高齢者群に属するようになりこの先、あと何年ガイドを続けられるかわからない。今の体力、脚力が維持できるならばあと2シーズンは務まるだろうが、以後はわからない。
そこで以後は参加者を常連客に限定して、管理人も楽しめる有意義な時間を過ごしたい。いわば冥土の土産になるような楽しく、充実したツアーにしたいのだ(お客さんを冥土に連れて行くつもりはありませんのでご安心ください)。

スノーシューのガイドとしての終末を、常連客だけを対象に、いっしょに管理人も楽しめるツアーができればベストである。ときにはお弁当を担いでピクニック気分で(チーズフォンデュパーティーのように)、ときには重装備で冬山へ挑むというように、相手に応じてスタイルを変え、難易度を変える。ガイドと客という垣根を取り払い、体調が悪いときは健脚の常連さんに管理人がガイドされるというのもありだ。それが管理人の終末にふさわしいスタイルではないかと思っている。

ピクニックにするか冬山登山にするかは常連さんの脚力と精神力次第ということになるが、後者の最右翼として、2012年から毎年ツアーに参加しているTさんを挙げる。脚力が群を抜いている。たぐいまれな脚力の持ち主といって過言ではない。
なにしろ同時に歩き始めて10分もすれば、管理人と100メートルもの差がついてしまうくらいだ。管理人、足が遅いのは自認しているが、それにしても恐ろしいほどの速さだ。
その上で特筆できるのは、強靱な精神力をもっていることだ。
危険と隣り合わせで挑むスキューバダイビングの長い経験が山でも生きているのであろう。
終末の管理人をガイドしてくれる常連さんとしてTさんほど適役の人はいない。
そんなTさんからの今回のリクエストは2日間、ガッツリ歩きたい、というものであった。

管理人に100メートルもの差をつけてしまうTさんの“ガッツリ“とはどんなレベルなのか、これまでの付き合いでおおよそのことは想像できる。
つまり、距離が長くなおかつ高低差が大きいこと。端的に言えばスノーシューによるハイキングなどではなく、雪山登山だ。
Tさん、冬の丸山にも赤薙山にも登っているし、満足してもらえる山は他にどこがある?

そういえば2年前の3月、山王帽子山に挑戦したときはあまりの雪の多さにラッセルの連続そして、ふだんなら頭上にあるはずの木の枝が目の前に立ちはだかり、時間ばかりくって途中で断念したことがあった。再挑戦してはどうだろうかという考えが浮かんだ。
しかしだな、今回は2日間のツアーだ。初日に山王帽子山に登ったとした場合、では2日目の候補はどこにすればいいかという問題が浮上する。Tさんのことだからもっと難易度の高い山へなどと言い出しかねない。
いや、待てよ。初日は丸山か赤薙山でお茶を濁して2日目に山王帽子山という方法もあるな。しかし、そんな子どもだましが通用するTさんではない。う~ん、答が見つからない。
いや、それどころではない。2日続けての冬山登山など管理人の身体が耐えられそうにない。管理人の考えは右へ左へと揺れ動く。

まっ、山王帽子山とてそれほど易しい山ではないから、初日でTさんを疲れさせれば、「あぁ、身体中が痛くてダメよ、アタシ。明日はもっと簡単な山にして」、と弱音を吐くかもわからない。そうすれば管理人のもくろみ通りだ。よしっ、この手で行こう!


2017年3月6日(月)
光徳駐車場~太郎山登山口~山王帽子山~太郎山登山口~山王峠~旧山王峠~光徳駐車場

11:14
光徳駐車場をスタートして山王林道の太郎山登山口に到着。
ここまでスノーシューで歩いてきた。
9:35の出発だったから1時間40分というゆったりペースだ。
一般客のツアーとは違うルートを歩いたのも時間がかかった理由。
ちなみに道標は「太郎山」となっているが太郎山へ行くには山王帽子山が経由地になる。
今日はその山王帽子山を目的地としている。


山王帽子山山頂へはコメツガの深い樹林帯を歩く。
コメツガは常緑樹なので林内は陽が差さず、雪は固く締まっている。
このような状況ではスノーシューよりもチェーンスパイクの方が効率がいい。


ここからはスノーシューをザックにくくりつけて歩くが、今日は管理人が所有するスノーシューの中でもっとも軽いタイプを選んだ。むかし、イワタニが輸入販売した「TUBBS」社製で小型ながら靴のサイズを選ばない優れものだ。ただし現在は入手困難なレアものである。


山頂近くに展望が開けた場所があり、西からやや南寄りに白根山が望める。空が青ければ見栄えがするんですが。


12:39
登山口から1時間25分で無事に山頂に到達。標高は2077メートルだから赤薙山より67メートル高いが、冬でも安全に登れる山の筆頭だ。ただし、今年のように雪が少なければ。
さて、ここでランチといきたいところだが風が強く、冷たい。
早々に退散して樹林帯に潜り込んでランチとした。


山頂からの男体山の眺め。
山頂の向こう側が二荒山神社の登山口で右の裾野に戦場ヶ原が広がっている。


14:05
無雪期ならば山王帽子山だけで終わりとせず、太郎山とセットで登るべきだが、冬は厳しい。
足早に下山して山王峠を横切って、、、


むかし、登山道に利用されていた旧山王峠へ。
現在とは別のルートで涸沼とを結んでいたらしいことが朽ちた道標に刻まれた文字からわかる。
こういう風情、郷愁をそそられて好きだなぁ。
いつ頃まで使われていたルートなのか知りたいのだが、資料らしきものはない。
ちなみに夏は背丈ほどの笹に阻まれてこれを探すのは大変な仕事だ。
場所は秘密にしておく。山王峠とそれほど離れていないからどうかご自分で。


帰りは地図にある登山道で光徳駐車場へ向かう。
今夜のペンションの宿泊者はTさんひとりだけ。帰りの時間を気にすることはないのでアストリアホテルの温泉で疲れを癒して帰路についた。



2017年3月7日(火)
キスゲ平(8:23)~小丸山(9:09)~焼石金剛(9:46/9:50)~赤薙山(10:26/10:40)~奥社(11:34/12:14)~赤薙山(13:00)~焼石金剛(13:09)~丸山鞍部(13:40)~小丸山(13:48)~キスゲ平(14:14)

※登山計画書に記載したタイムスケジュール
キスゲ平(8:30)~小丸山(9:15)~焼石金剛(9:50)~赤薙山(10:35)~奥社(11:55/12:15)~赤薙山(13:35)~焼石金剛(14:15)~小丸山(14:50)~キスゲ平(16:00)

昨日、山王帽子山を降りたTさん、根を上げたかと淡い期待はしたのだが、それほど甘くはなかった。
管理人:「かなりの傾斜でしたね、疲れたでしょ?」
Tさん:「2年前の豪雪に比べたら楽に歩けてとっても楽しめました」
管理人:「ははは、そうですか。緊張してたからそう感じるんですよ。疲れはあとから出てくるもんです」
Tさん:「ううん、ようやくエンジンがかかったところなの。もっと歩けそう」
管理人:「いやぁ、あんまり無理をするもんじゃありません。寝てるときに足が痙ったりしますよ。あれは痛いですよ~」
2日目は軽くすまそうと、“疲れ“という暗示をTさんに植え付けようと必死になっている管理人なのであるw

さあ困ったぞ。
初日で疲れさせて2日目は軽いコースをという管理人のもくろみはすっかり外れてTさん、元気そのものである。まるで疲れを知らない子どものように元気なのだ。
こうなったら山王帽子山を凌ぐ厳しい山へ案内するしかTさんを満足させる方法はないとみた。

8:23
2日目はここをスタート地点にした。
おなじみのキスゲ平である。
目指すは赤薙山のひとつ先のピーク、赤薙神社・奥社跡だ。地理院地図に奥社跡という明記はなく、ピーク2203となっている場所だ。
奥社跡は女峰山への中間点に当たるが、仮に女峰山を目指そうとした場合は奥社跡までが厳しい。キスゲ平からの標高差は850メートルもあり、これは全体の70パーセントにもなる。達成感はあるし自信がつくことは確実だ。今日はそこを目指すことにする。


キスゲ平は元スキー場を園地としたもの。
ここはスキー場の上級者コース部分だ。傾斜は30度ほどある。
今日は全行程をチェーンスパイクで歩こうと考えている。もちろんスノーシューはザックにくくりつけてある。


9:09
標高1601メートルの小丸山へは46分で着いた。
正面に見えるピークが赤薙山(2010M)で奥社跡はそのふたつ右のピーク。


小丸山から先はだだっ広い尾根が続く。道は複数つけられているがこの時期、当然ながら雪に隠れて見えない。赤薙山を正面に見ながら上へ上へと向かっていけば道迷いの心配はないし安全上の問題もない。
管理人と先を行くTさんとの差は広がるばかりだ。画像はズームしたものなので実際はもっと離れている。
お~い、待ってくれ~。ガイドを置いてかないでくれ~(笑)


進行右を見るといつも登っている丸山と、その向こうに高原山(鶏頂山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の総称)が見える。ここは標高1700メートル台だが雄大な景色が広がる。


9:46
標高1810メートルの焼石金剛。
小丸山と赤薙山を結ぶ稜線からの眺めはいいが標高が上がるにつれて視野はさらに広がる。
奥日光に魅力的な山は多いが2千メートル未満でこれだけの眺めが得られる山はない。


眺めのいい稜線も終わりに近づき、次に谷底まで300メートルというやせ尾根を通過する。
左が中ノ沢への斜面。ここは右に見える樹林帯に沿って歩くのが正解。


やせ尾根から中ノ沢をのぞき込む。
怖いっすねぇ。
雪庇を踏み抜いたら滑り落ち、冷たい水が流れる沢にぽっちゃん、などという生やさしいものではないはずだ。なにしろ沢まで300メートルを一気に滑り落ちるのだ。雪の上とはいっても凹凸があるからそのたびにバウンドして雪面にたたきつけられ、そのうちに意識をなくす。身体はなんども回転し、腕や足はねじ曲がり、無残な姿で収容されるというのが滑落遭難らしい(幸いなことにここでの事故はありません)。


10:12
女峰山と赤薙山を分ける分岐路。
女峰山へ行く場合も赤薙山方面に行った方がいい。
斜面が崩落している場所があるし、あまり歩かれていないため笹藪化している場所がある。雪のあるこの時期なら危険性はもっと高いはずだ。


10:26
赤薙山に到着。スタートして2時間03分だった。
積雪期でこのタイムはまずまずだろう。これもTさんに引っ張られたのが理由。


赤薙山山頂からのビューポイントは鳥居の奥の一箇所のみ。
女峰山がよく見える。来月になれば雪が少なくなるからあの頂へでも。
それでは、これからが今日の核心部分なので先を急ぐとしよう。Tさんにとって未知の領域へと。


赤薙山山頂を過ぎるといきなりこのような場所と出くわす。
尾根は切り立っている。尾根のトップは岩なのですぐ下についている道を行く。


11:34
唐突と思われるかもわからないが、着いた。
ここが奥社跡だ。
Tさんのペースが速すぎてこの間、写真を撮る余裕がなかった(^^;)
スタートして3時間11分は早い。
昨年4月、雪がもっと少ない時期に管理人がソロで歩いたときは3時間25分かかったから、やはりTさんのペースだ。
ちなみに地図を見ればわかると思うが、女峰山への道のりで厳しい場所はここまでで、ここから先は緩やかな稜線歩きとなる。行程の半分がここで終わるのであとは女峰山を眺めながらゆっくり歩けばいい。
それにしても相変わらず風が強い。のんびりとランチなどとはいかない。樹林帯に潜って食べたのは昨日と同じ。


目的は達したのでTさんは満足そうだ。
でもここは岩尾根、気を抜かずに帰ろう。


振り向くと女峰山が吹雪いているように見える。


Tさん曰く、ここが一番怖かったという岩場。


12:54
二度目の赤薙山通過。


山頂直下は傾斜が急なのでスリル満点なのである。
尾根さえ間違えなければ危険はないから積極的に行こう。


13:12
やせ尾根を通過するTさん。


13:19
続いて焼石金剛を通過。
さて、ここから小丸山へ向かって下るかそれとも、冒険するか?
Tさんの答はもちろん後者だ。


冒険コースにはこんな魅力的な斜面が待っている。ここを降りない手はないだろう。
ただし、商売上の観点からルートは秘密(笑)


適度に締まった雪は快適なのだ。
スノーシューにすべきかとも思ったが履き替えるのも面倒に思え、チェーンスパイクのまま下る。


降りた先は丸山の鞍部。
ここからは地図にあるルートで小丸山へ。


13:50
鞍部から登り返して小丸山に着いた。
ここでもう一度、冒険を!
だが先ほどと同じくルートは秘密だ(ケチ・笑)。
20分かけてスタート地点に戻った。


赤薙山までは山頂直下のやせ尾根に気をつければ安全ですが、赤薙山から奥社跡までは切り立った尾根や片側急斜面があります。
また、3月初旬なのに奥社跡まで行けたのは雪が少ないことが理由。例年並みの積雪だと残雪を楽しめるのは4月後半以後です。くれぐれもご注意ください。

鹿沼市の岩山。事故が多くて悲しすぎる。

2017年2月15日(水)

またしても岩山(328メートル)で事故が起こった。
しかも今回は死亡事故だ。
下山時によく利用されている猿岩から落下して死に至ったらしい。
8日(水)に入山して11日(土・祝)に発見されたというから、丸三日も同じ場所に横たわっていたことになる。もしかすると、落ちた当初は意識があったのかもしれない。
しかし、ふだんでも訪れる人が少ない岩山だ。平日なので他に登山者がなく発見が遅れたのであろう。救助要請もできないほどのダメージを受け、発見されるのを待ちながら息を引き取ったのかもわからない。
冷たい地面の上にひとり、横たわっていたというのはさぞかし寂しかったことだろう。
下山時によく使われる猿岩。地面が見えないほど急な岩を鎖で下る。

岩山での事故は絶えない。
正確には山頂の北北西100メートルにある岩壁、「猿岩」を下山に使う場合の事故だ。
鎖の始まりから終わりまで30メートルある。すなわち、落差が30メートルということだ。傾斜は60度ほど。感覚的には垂直に近いといっていい。
両手で鎖をしっかり握り、靴を岩に接して降りていくが、下に引かれる力が強くて鎖を握る両の手がしびれてくる。だがここで手を緩めるわけにはいかない。必死で鎖にすがるがやがて限界が訪れる、、、そんな岩なのである。

管理人は山が好きだから、山での事故に関する新聞記事やニュースは関心をもって読む。
管理人が初めて岩山を訪れたのは2015年の8月だったから、それほど前のことではない。2週続けて通ったのだが、以後、訳あって今日まで遠ざかっている(理由は後述する)。
自分が登った山だから関心がある。岩山での事故に関心をもつようになったのもそれ以後、今日に至る一年半のことである。
岩山は鹿沼市にあるので事故は地元紙、「下野新聞」に詳しく載る(管理人はもっぱらWEBニュースで)。

以下、下野新聞WEB版「SOON」に掲載された岩山での事故を引用しておく(日付は掲載日)。

2017年2月12日(日)
滑落か女性死亡 鹿沼の岩山
11日午後0時5分ごろ、鹿沼市西鹿沼町の岩山(328メートル)で東京都足立区神明2丁目、無職女性(72)が倒れているのを登山者の男性が見つけ、110番した。女性は全身を強く打っており、間もなく死亡が確認された。
鹿沼署によると、倒れていたのは山頂北側の鎖場となっている岩場下の雑木林。岩場の最上部から発見場所までは約100メートル、斜度約60度の急斜面。途中に靴や登山用ストックなどが落ちており、滑落したとみて調べている。
所持していた手帳などから、8日に単独で入山したとみられるという。

2016年4月29日
鎖場で滑落事故 鹿沼の岩山
29日午後0時25分ごろ、鹿沼市西鹿沼町の岩山登山道で、埼玉県草加市、医療事務男性(47)が足を滑らせて約10メートル滑落した。
鹿沼署によると、現場は岩山の「一番岩」から西鹿沼町の登山口に至るルートの鎖場。男性は一番岩に登頂後、下山中だった。
同署で、男性のけがの程度などを調べている。

2015年12月4日
山で滑落、女性骨折か 鹿沼
4日午後0時50分ごろ、鹿沼市西鹿沼町の岩山の登山道で東京都小平市、無職女性(68)が滑落した。鹿沼署によると、左足を骨折したとみられる。
同署によると、女性は午前10時半ごろ、仲間3人と入山。北側の登山口に向け下山中、鎖場で手を滑らせ、約30メートル滑落したという。

2015年10月9日
鎖場で滑落、男性がけが 鹿沼の岩山
9日午後1時20分ごろ、鹿沼市西鹿沼町の岩山の登山道で、茨城県石岡市、無職男性(72)が足を滑らせて約10メートル滑落した。男性は胸椎を折るなどのけがをした。
鹿沼署によると男性は午前9時半ごろ、仲間2人とともに入山。その後、下山のため鎖場を降りていたところ、足を滑らせたという。

管理人が岩山に登った2015年8月以後、一年半の間に新聞に載った事故は4件もあることから、おそらくそれ以前にも事故は起こっていたものと推測される(古い記事はネットから削除されるため検索できない)。
新聞に載る事故は警察や消防のレスキューが出動するほどの重傷、重体、自力では下山できない例なので、上に紹介したものは氷山の一角なのかもしれない。
標高わずか328メートル。一般的には注目に値しない山ゆえに登山者は少ない。それにもかかわらず、一年半の間に同じ場所で4件もの大きな事故が起こっている事実、これは重くうけ止めなければならないと思う。

町外れにある、標高328メートルの危険な山、「岩山(猿岩)」

管理人の二度の経験で、岩山は古賀志山の岩場をはるかに凌ぐ危険な山というのが印象である。心技体のどれかが欠けると事故を引き起こす怖い山なのである。
先ほど、訳あって今日まで遠ざかっていると書いたのは心技体のうち、この山に挑戦する「心」が欠けているからだ。

これから書くことは管理人の心の弱さを晒すようだが、あえて書く。
2015年9月、管理人が岩山に登った翌月の出来事だ。
台風18号と17号がからんだ記録的な雨(平成27年9月関東・東北豪雨)により、岩山の登山口がある日吉地区の斜面が崩落し、斜面下の住宅3棟が巻き込まれてその家に住む女性が亡くなるという痛ましい災害があった。
登山口のすぐ近くに住宅があることは知っていたが、そこが被害に遭うとは思いもよらないことだっただけにショックをうけた。見ず知らずの土地で起こったことであればお気の毒という言葉ですんだのかもしれないが、二度登り、これからも頻繁に通おうと思っていた山のすぐ近くで、自然災害によって人が亡くなったことで心が痛んだ。

管理人、信心深いわけではない。神の存在を全肯定するような性格でもない。せいぜい困ったときに神頼みをする程度だ。しかし、岩山の登山口と隣り合わせの住宅で人が亡くなったことで、その方を悼む気持ちが心の中にある。
その気持ちを、当分の間は岩山に足をかけないことで表すつもりでいた。
あれから一年半が経過する。
その間に相次ぐ事故だ。気持ちがさらに萎える。こんなときは岩山に近づかないに限る。

まぁそれはメンタルの問題なので横に置いて技術的な話。
垂直に近い岩壁を、鎖を頼りに下る際にやってはならないことは、鎖を握る手の力を抜かないことだ。当たり前のこととはいえ、しかし、自分の意志に反して力は抜けるものなのだ。

公園の鉄棒に両手でぶら下がっていると、数分もすれば手の力が抜けて砂場に落ちるはずだ。
手のひらはかなり汗をかく。そうすると鎖と皮膚との摩擦が弱くなり、鎖を強く握っていても滑る。
下降中にバランスを崩して肘を岩に打ち付けたりすると、その瞬間に手のひらが開いて片方の腕だけで体重を支えなければならなくなる。だがそれは実際には不可能である。
加齢によって腕力、とくに握力が本人が思っている以上に衰えていると考えなければならない。

それらを前提に、自分に見合った万全の対策で望まない限り、岩山は難しいと思う。
岩山に臨む際の管理人の対応策は次の通りだ。
・心技体のどれかひとつでも不安に思うときは岩山はやらない。
・荷物の軽量化に努める。
・真夏にはやらない(体力の消耗が著しい)。
・雨の日はやらない(鎖は間違いなく滑る)。
・綿密な登山届を作成し、特に身内に説明しておく(息のあるうちに発見される確率が大きくなる)。
・事前に古賀志山の安全な岩場で練習しておく。
・事故に備えてヘルメットは必須とする。
・鎖との摩擦を増やすため、手のひらがゴムでできている手袋をはめる(※1)。
・ハーネスとスリング、カラビナを装着し、手の力が抜けそうになったら自己確保をとる(※2)

それから岩山(猿岩)のように垂直に近くまた、足をかける凹凸のない一枚岩を下降する際の基本技術で大切なことは、岩に対して靴底全体を直角に接して岩との摩擦を最大にすることだ。靴の置き方はリンク先の動画をご覧ください→こちら
※1、ヘルメットと滑り止め手袋(ホームセンターで売っている作業用のもの)

たとえ数メートル上からでも落下すればケガは免れない。せめて頭部を守るためにもヘルメットは着用すべきだと思う。といっても管理人、古賀志山では被っていないが。
画像の手袋はホームセンターで買った作業用のもの。作業用手袋の中では500円と高価だが使い勝手がいい。薄手なので鎖を握る際、手の感覚を損なうことがなくまた、力が直接加わる。手のひらはゴムの皮膜になっていて、鎖を直接握るのに比べるとおそらく数倍もの摩擦力があると思う。


※2、腰にハーネスとスリングを着けいざというときの自己確保に備える。この日は胸にも簡易ハーネスを着けた。

ハーネスは信頼できるメーカーの製品が1万円前後で買えるのでもっていて損はないと思う。これにスリングとカラビナを取り付けておき、腕がしびれてきたり握力が弱まってきたときはカラビナを鎖にかませば、鎖から手を離しても落下することはない。その間に腕を休ませて回復に努めればいい。
ただし、この作業は片手を鎖から離すため細心の注意を払う必要がある。単独行動ゆえのイレギュラーな方法ではないかと思っている。
パートナーと組んでロープによる確保をうけながら下るのが正しい方法ではないだろうか。

以上、手前勝手に書いてきたがこれだけ備えたのだから事故など起こるはずがない、とはいえない。
事例に挙げた4人の方だって備えはしてあったろう。しかし、落ちた。
なぜ落ちたのか、それを知って自分の血肉とするのが事故を未然に防ぐ近道だと思うが、わずか数行の記事から落ちた原因を知るのは無理というものだ。

とにかく命に関わることだ。
最悪の出来事に備えて、細心かつ最大の備えで臨むことが重要だと思う。
岩山での事故をこれ以上、繰り返してほしくない。心が痛む。

参考(過去二回の山行記録です)
2015年8月04日→こちら
2015年8月11日→こちら

いつもの男3人、強風をついて刈込湖を目指したが深い新雪に四苦八苦する。

2017年2月3日(金)

栃木県の面積の1/4を占める日光市は広いだけに気象状況が異なり、人の住む地域でいえば標高200メートルの市街地と1500メートルの湯元では天気も気温も大きく違ってくる。
標高530メートルの日光駅からわずか4キロしか離れていない我が家(820M)でも同じことが言えて、日光駅前が晴れているのに我が家には雪が舞い落ちているなどというのが日常的な光景なのである。夏で言うなら市街地にギラギラと日差しが降り注いでいるというのに、我が家の上空には赤薙山から押し寄せる真っ黒な雲が立ちこめ、雷雨だ。
標高1500メートルに位置する湯元など、季節は市街地とひと月も違うから別世界である。
昔、仕事で日本にやってきた欧米人が東京の暑さに閉口し、避暑地として奥日光を選んだという話がよくわかる。

それだけの環境差のある日光市だからスノーシューのフィールドは多彩だ。
管理人がお客さん相手にツアーを始めた19年前の1999年、グリーンシーズンと様相を異にするフィールドを、おっかなびっくり歩いたのを皮切りに、毎年あらたなフィールドを開拓していき、今では参加者の経験や性別、年齢を問わず、ほぼすべての人に的確なフィールドを提供できるまでになった。
ツアーのフィールドを決めるのは管理人の役割なので参加者に選択権はないが、選択の判断は概ね正しいようだ。次の年もまた参加してくれることでそれがわかる。

だが、フィールドの選択の妥当性とそこでの気象は別物であり、ときに過酷な体験をすることがある。
今日の参加者、Kさんは2010年に初参加だからツアーの古株で、その後2013年に同僚のTさんを誘って参加してくれるようになり、おふたりでの参加は今年で5回目だ。
実はふたりで来るようになって過去4回、管理人が主催するスノーシューツアー史上、他の参加者が経験しえない過酷な出来事を経験している。低気温と強風である。
・2013年 刈込湖→マイナス15度の吹きさらし。体感気温マイナス20度の中で昼食(※)
・2015年 丸 山→強風でツェルトが張れず昼食を断念
といった具合だ。

※管理人はこの他に昼食時にマイナス17度を経験しているがそれは想像を絶する寒さだった。パンをくわえたまま凍死してしまうのではないかとさえ思った(ホントの話し)。

KさんとTさんのどちらかが嵐を呼ぶのか、あるいはそこに管理人が入り込むことで悪天候となるのか、理由はわからないが、過去4回のうち2回も過酷な思いをしているのはなんらかの因縁があるに違いない。
そして5回目の今回だ。
果たして今日はなにが起こるのだろう。戦々恐々としてツアーに臨んだ。こうなったら記録を塗り替えてやるぞw


刈込湖コースの起点は湯元温泉の源泉である。
ここから湧き出た湯が旅館に供給されている。
雪こそ降っていないが空は鉛色で今にも降りそうだ。今日の前途を予兆している。


源泉からいきなり急登が始まり、一度、金精道路に乗り、金精道路から蓼ノ湖に冬道を降りる。
金精道路まで通常は10分程度だが今日は雪が深いから15分ほど見る必要がある。


金精道路脇にある刈込湖コース入口。実質的にここが登山口となる。
積雪期はここで地図にある登山道、いわゆる夏道と、雪が積もったときだけ歩ける冬道に分かれる。往きに夏道、帰りに冬道あるいはその逆というコースが取れるが、夏道は三岳の裾野をトラバースするため雪崩の危険がありお勧めはできない。
③という標識があるのが冬道。
※冬道も雪崩の危険箇所はいくつもある。くれぐれもご注意のほどを。


夏は道がないため降りることのできない蓼ノ湖。
荒涼として神秘的だ。


蓼ノ湖から小峠を目指す。
斜面は広く方向を見失いがちだが木の枝につけられたリボンを探して歩けば問題ない。


40分かかって小峠に着いた。
高さ2メートルの道標が半分埋もれている。
なお、ここまで古い踏跡を辿って歩いたが小峠から先、踏跡はない。ラッセル必至だ。


ここからは3人で協力し合ってラッセルなのだ。
それにしてもこの深さだものなぁ、先頭は辛い。


今度は管理人が先頭に立つ。
今シーズンこれで8日目のツアーなので身体が慣れているとはいえ、深い雪に潜ったスノーシューを持ち上げるにはそれなりの脚力を必要とする。順繰りにラッセルするのが疲れない方法。
ちなみにここに女性が混じるとどうなるか。
見栄っ張りの男達はいいところを見せようと思って疲れても交代を言い出さない。その結果、疲れ果てる。今日は男3人で良かった(笑)


さあ、これから刈込湖へ向かって階段を一気に下る。
道標の下に半分以上埋もれた階段があるが、道は雪の下にあって見えないから見当をつけて次の階段を見つける。


階段の段差は埋もれて斜面になっている。
今日はまっさらな雪なので滑ることがないが圧雪されているとよく滑る。それもまた楽しい。


さて、次の階段はいずこに。
雪が深いと階段を探すのも容易ではない。


最後の階段を下りるとそこは大きな雪原が広がる刈込湖だ。


ふ~、2時間半もかかった。


下を向いてなにかをしているKさんとTさん。
ここは凍った湖の上。氷の厚さを確かめているのでしょう。


とにかく風が強い。常時、強い風が吹き荒れている。
男3人、かつてのように寒さと強風に耐える身体に今はない。
迷わずツェルトを張って風よけとし、ランチは中でと決め込んだ。
ナイロン生地1枚だが、あるとないとでは大違いというもので、中でストーブを焚くと寒さとは無縁の別世界に変わる。
本日のランチは自家製のサンドウィッチとウインナ(この日のオプション)にKさんが持参したワインをホットで。もちろん食後はコーヒーを忘れなかった。

※ツアーは基本的にランチ(サンドウィッチ)がつきますがコースによっては例外があります。また、飲み物はつきません。


刈込湖からの戻りは冬道が面白い。
岩場に積もった深い雪をかき分けながら小峠に向かう。
ときに岩と岩の隙間にはまってしまい、ひとりでは脱出できなくなることがある。


ドビン沢に差しかかる頃になってようやく青空が広がった。
風は相変わらず強いが上空が曇天なのと青空なのとでは気分が変わる。


再び小峠。
往きにつけた踏跡は強風で飛ばされてきた雪で埋まっている。


帰りに別角度で見る蓼ノ湖もまたいい。
面積の3/4ほど凍るがここは北から沢の流入があるため凍ることはない。
なお、水辺にカワガラスが棲んでいて、ときおり人の足音に驚いて飛び立つ姿が見られる。


蓼ノ湖から金精道路に這い上がるダラダラした傾斜が疲れた身体に堪える。
これが終わると金精道路に乗り、あとは源泉に向かって下りを残すのみ。
このあと男3人は日帰り温泉に寄って冷えた身体を温め、ペンションに戻って無事に生還したことの祝杯を挙げた。

で、結果である。
5回のツアー中、3回は強風と低気温を味わったのでKさん、Tさんそして管理人が揃うと「何かが起きる」ことは間違いないらしいw
・2017年 刈込湖→強風、ツェルトの中でぬくぬくとランチ
・2015年 丸 山→強風でツェルトが張れず昼食を断念
・2013年 刈込湖→マイナス15度の吹きさらし。体感気温マイナス20度の中で昼食

スノーシューツアー開幕早々から赤薙山登山で疲労困憊す。

2017年1月22日(日)

14日から丸4日間、降り続いた雪はさらさらの粉雪でスノーシューを楽しむには絶好のコンディションとなった。
とはいえ、ツアーの予約は少なく、予定表は空白が目立つ。
なにしろ年が明けてもフィールドに雪はなく、これでは昨年と同じくスノーシューツアーのスタートが大幅に遅れるとみて、情報発信もおこなわないできた。
そこへもってきていきなりの降雪に急遽、下見をおこない、その結果をブログやFacebookで知らせてはみたものの、情報が浸透するにはそれなりの日数がかかるというもので、予約は今のところ少なく、しかも2月の予約ばかりだ。

その数少ない予約のうち、昨日は「おとぎの森」をフィールドにしてご婦人ばかり5名のツアーをおこなった。まだ誰も歩いていないまっさらな雪という“ご馳走”を前に、皆さんに楽しんでいただけたのは言うまでもない。
続く今日、大量の雪が積もったとの情報を見て、急遽申し込んでくれたスノーシューの常連Oさんとのツアーをおこなった。

管理人にとって2日続けてのツアーとなるわけだが、シーズン始めのスノーシューはまだ身体が慣れていないため疲れる。
無雪期のハイキングや登山に比べて雪の上を歩くのは、その運動量が倍にも3倍にも達するとてつもなくハードな運動なのである。
冬のツアー開幕、2日目にして、管理人の身体がまだ雪になれていないというのに、Oさんからのリクエストはハイキングを超えて赤薙山登山という過酷なものであった。

この無謀なリクエストを回避すべく説得を試みたのだがOさん、頑として受け入れてくれない(悲)
管理人:「あのね、雪は降ったばかりのふかふかで、スノーシューを履いても膝まで潜りますよ。小田代のほうが無難な気が、、、」
Oさん:「だったらなおさら、やってみた~い。膝まで潜ってみた~い」
管理人:「その~、赤薙山の手前にさしかかると雪庇が張り出したやせ尾根があってとても危険なのだよ。300メートル下の谷に滑落するかも」
Oさん:「あ~、その場所知ってる。去年歩いてちゃんと頭に入ってる」
管理人:「え~と、私、加齢と運動不足で体力面で不安があるのでもっと楽なコースを」
Oさん:「いっぽさんにもしものことがあったらアタシが助けてあげるから安心して」
万事がこんな調子なのである。どちらがガイドなんだか、まったくw

単独登山女子として自立を目指すOさんの今回の目的は、一歩でもいいから女峰山に近づきたいというものであった。昨年、二度の無雪期単独女峰山登山を果たしたOさん、すっかり女峰山の虜となってしまい今年もまた挑戦への意欲を燃やしている。そのためにも今から訓練を重ねておきたいらしい。赤薙山は女峰山に向かう稜線上に位置しているので、女峰山を目指すための訓練には最適なのだ。
ただし、さすがにこの時期は不安なのだろう、こんな老ガイドを頼みの綱とするOさんに敬意を表し、ガイドを務めることにした。

※管理人が主催するツアーは赤薙山登山も含んでいますが、それなりの登山経験がないと厳しいと思います。事前の相談をおこなった上で応じたいと考えます。


9:21
気持ちのいい青空だ。実に素晴らしい!!


ここはまだ標高1400メートルくらいなのに関東平野が一望という素晴らしい展望が得られる。
画像中央は高原山(鶏頂山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の総称)。


キスゲ平園地はスキー場の跡地を利用している。
こんなに狭いスキー場ながら傾斜は初級、中級、上級とあってその変化が楽しめる。ここは中級コース。これからが厳しくなる。


上級コースの斜面を真横から撮ったところ。
傾斜の程度がおわかりだろうか。


女峰山登頂へ向けての訓練登山。きっと楽しいんだろうなぁ、笑顔のOさん。
今日の出で立ちはスノーシューを履いて手にピッケルという変則的なもの。ザックにはあとで使うことを考えてトレッキングポールをくくりつけてある。
ピッケルはこの程度の積雪量、新雪、傾斜では役に立たない。つまり、いまは両足だけの力で急な斜面を登っているわけだ。脚に大きな負担がかかってスクワットと同じ効果がある。厳しいのひと言に尽きるがこれも訓練。


10:12
歩き始めて50分。長い斜面を登りきり小丸山(1601M)に達した。
正面に今日の目的地、赤薙山とそこまでの稜線が見通せる。振り返ると関東平野の大展望が待っている。
写真を撮ろうとしたらOさん、なにを思ったか、雪の上でジャンプをした。30センチほど浮き上がった。
陸でのジャンプは完成したので、今年は雪上ジャンプを完成させるのだという。


小丸山の右に目を転じるとツアーメニューにある丸山がそびえている。
丸山にも雪はたっぷり積もっているようだ。


さあ、小丸山をあとに赤薙山へ向かいましょう。
正面の大きな尾根は仮称・赤薙山南尾根といってツツジが生い茂る藪尾根。昨年挑戦した→こちらに詳しく


11:05
赤薙山直下の焼石金剛。
ここまで来れば赤薙山はすぐだ。
息を整え、小腹を満たすためにやや長い休憩を取る。


赤薙山は稜線上のどこからでもよく見えるが、焼石金剛まで来ると時間が読めるようになる。あと30分くらいかな。


11:31
ここが例のやせ尾根。
無雪期であればなんてことのない尾根だが、北からの風で雪が堆積し片側が雪庇になる。
正しい道は雪庇に近い側にあるが、踏む位置を間違えると雪庇ごと深い谷に落ちてしまう。
ここは樹林帯の際を歩くのが正しい。
余談だがここで柴のワン子を連れたご夫婦とすれ違った。
挨拶すると即座に、管理人の名前(本名)を言い当てられた。ご夫婦は当ブログの読者で市内在住のHさんであると名乗られた。
管理人、このブログに自撮りした顔を晒しているので記憶してくれていたらしいが、挨拶しただけでブログ主であることを言い当てられたことに驚く。それほどこのブログと管理人の顔が知られていることにありがたみを感じると同時に、責任ある情報提供を心がけないといけないなと思う次第だ。


やせ尾根を抜けると山頂はすぐ目の前。
大きな岩が見えたらあと一息だ。


12:03
登頂~~!
無雪期であれば頭上にある鳥居が今はご覧の通り。
冬山を制したという気分になれるというもんです。


赤薙山山頂は樹林帯に阻まれ展望は良くないが、一箇所だけ、木の間から女峰山と男体山が望める。
画像中央、一番奥に見えるのが女峰山。ここからだと近いように見えるが、ピークをいくつも越えなければ到達できない、難関の山である。
Oさん、昨年だけで3回登頂しそのうち2回は単独。管理人はルートを替えて5回登った。生涯あと何回登れるかわからないが、Oさんと同様、女峰山は管理人にとっても挑戦意欲をかき立ててくれる名山なのである。


Oさんのいる場所が赤薙山唯一のビューポイント。
女峰山にじっと魅入っていたOさんがにこやかな顔で戻ってくる。女峰山を前になにを思ったのであろうか。


2千メートル級の山としてはもっとも低い赤薙山だが、長居していると身体が冷える。
昼ご飯を食べたら早々に下山するに限る。
段差が大きいコースは雪が積もると斜面になってスノーシューでも滑る。そこでピッケルの出番である。雪面深く突き刺すとしっかり固定されるから、片手でヘッドを握って身体を支え、ゆっくり歩を進ませる。
管理人のうしろから「キャー、怖い」、「滑る~」、「たすけて~」とOさんの叫び声が聞こえる。が、もちろんそれは楽しんでいるからである。


昨年に続いてピッケル二度目の経験のOさんだが、急な下りもだいぶ慣れてきた。


ここで尾根は二手に分かれる。
広く、緩やかで歩きやすそうな尾根が右に見えるが、それは正しい尾根ではない。尾根の末端が急激に落ち込んでいて谷に続いているので絶対に進んではならない。
往きに登ってきた踏跡に沿って忠実に、同じ道を戻る。


やせ尾根を上方から眺める。なんと素晴らしい景色なんだ。
雪庇の危険性を認識し、安全ゾーンを歩く限り危険がないことがこの画像からわかると思う。


焼石金剛近くの笹原だが、どういうわけかここだけ雪が薄い。
おそらく地熱が高く雪が融けやすいのではないかと想像している。それが焼石金剛の由来ではないのだろうか。そのように考えた方がロマンがあって登山が楽しくなるというものだ。


13:20
小丸山へ向かって稜線を下るOさん。
この展望はなんど見ても素晴らしい。霧降の誇りでもある。


小丸山から先はスキー場を使わず、登山道で下るのが面白い。
無雪期は藪と化しているが冬は雪が積もって歩き甲斐がある。ここではスノーシューはそのままに、ピッケルをトレッキングポールに持ち替えて歩くことにする。
50センチほどの細い踏跡はシカが歩いた跡。


これは野ウサギ。
このように雪が積もると冬でも野生動物が活発に動き回っていることがわかり、自然に対する親しみがより深くなる。

スノーシュー最後の下見。

2017年1月19日(木)

今年も昨年同様、暖冬少雪でスノーシューの開催が危ぶまれましたが、14日から降り続いた雪のおかげでスノーシューのフィールドは十分すぎるほど雪が積もりました。
例年に比べて3週遅れの開幕となりましたが、これでお客さんにはスノーシューを存分に楽しんでもらえるでしょう。

明後日、土曜日の今シーズン最初のスノーシューツアー開催を前に積雪は十分とは思うものの、念のためにフィールドの下見をおこないましたのでそのご報告を。


「おとぎの森」コース入口の光徳園地です。
ミズナラの林が広がり気持ちが安らぐ場所。小田代ケ原や戦場ヶ原に比べると人が少なく、この広いフィールドを独り占めしたかのような贅沢な気分になれます。


う~ん、いい青空だ。


道路のカーブミラーで自撮り(笑)
ふだんなら頭上にあるミラーが目の前に。


昨シーズンは終わりが2月と早く、今シーズンはスタートが1月後半という遅さ。
そのため例年だと8ヶ月の空白期間なのに今シーズンは10ヶ月と、2ヶ月も余計に空いてしまった。
無雪期の山歩きで使う筋肉とスノーシューで使う筋肉は別物なので、シーズン始めはとても疲れる。今週は土日にツアーがあるので今日の下見で身体を慣れさせないと。
画像のスノーシューはモンベルが輸入販売しているATLAS社の製品。抜群の登攀能力があるのでツアーに参加するお客さんには同じメーカーのスノーシューをお貸ししています。


はて、なんでしょう?
これを見て即答できる人は自然に精通しています。
答はシカの足跡、いや胴体の跡です。
シカの足は細いので雪が深いとお腹が接するまで潜ります。その状態で前進するとこのような深い溝になります。
昔、今の何倍もの雪が降った頃、胴体まで潜って前進できず、その場で餓死する例が数多くあったとのこと。それで個体調整がされていたんですね。


日光では珍しいブナがここでは見られます。


光徳牧場の牛たち。
グリーンシーズンであればノンビリ草をはむ牛と書くところですが、今は雪の下。牧草は牛舎で食べるのでしょう。


管理人が歩いた跡。


シカに表皮を食われたウラジロモミ。ここではよく見る光景です。


場所を金精沢に移して散策。
笹が茂ってふだんなら歩けない林の中をのんびり歩きました。
画像はドライフラワーと化したツルアジサイ。


白根山登山口を示す道標も間もなく雪に埋もれるでしょう。


今月12日はこんな状態でした。


最近はこの車が管理人の足となって活躍しています。
トラックみたいな乗り心地、スピード出ない、燃費悪いの三拍子ですが頑張ってくれています。

スノーシューの下見で赤薙山にチェーンスパイクで登る(雪はまだ中途半端)。

2017年1月10日(火) 晴れ、気温0~4度

一昨日8日の夕方から降り始めた雪は21時前には止んでしまったが、標高820メートルの我が家で5センチほど積もった。ただし、水分をたっぷり含んだ重たい雪だったことに加えて、気温は夜になっても下がらず、屋根の雪は早くも融け始めてボタボタと庇を叩く音が聞こえる始末だった。

本来なら今頃すでに管理人がガイドを務めるスノーシューツアーが賑わいを見せる時期だが、今年も昨年に続く暖冬少雪で、開催が大幅に遅れる見込みだ。
天気予報によれば11日に日本海側に寒気がやって来て、日本海側と北日本は寒気が通過するまでの間、かなりの降雪になるらしい。日光の山沿いは冬は日本海側の気象の影響を強く受けるため、日本海の上空に寒気が押し寄せるとそのおこぼれに預かり、雪が降る。
8日に降った雪が融ける前に11日から連続して雪が積もれば根雪になりスノーシューができるようになる、そんな期待をしている。

8日に降った雪は我が家の周辺ではすでに融けてなくなってしまったが、山ではどんな具合だろう。
取り急ぎ、近場の山、赤薙山に登って状況を確認することにした。
なお、タイトルに書いたように積雪量が中途半端な雪の降り始めはスノーシューだと木の根や段差に引っかかって危険だし、靴のままだと滑る。そんなときはチェーンスパイクが威力を発揮する。装着が簡単だから場面場面で着けたり外したりできるし、アイゼンほどではないがそこそこのグリップ力があるのでアイスバーンを除けば滑ることはない。なによりも軽いし薄いし柔らかいので、着けていることを意識せず違和感なく歩けるのがいい。
管理人はこれをオールシーズン活用している。→無雪期の使用例


霧降高原道路をキスゲ平に向けて走っていると赤薙山が次第に大きく迫ってくる。
ここは反対車線に待避所があって写真を撮るのに最適な場所。この先へ行くと今度は赤薙山が頭上にかぶさるほど巨大になる。女峰山への通過点に過ぎないマイナーな山だが、目の前にすると山の雄大さがわかる。


赤薙山や丸山そして女峰山登山の起点となるのが霧降高原キスゲ平。
今日、目指す赤薙山は標高2010メートルだが、この1445段の階段がもっとも厳しいかも(^^)


階段を登り始めるとすぐ、ニッコウキスゲなどの高山植物を楽しむための散策路と交わる。標高は1370メートル。
そこにピッケルを突き刺し、シャフトに付着した雪を見ると約20センチと予想外に深いことがわかった。


次は階段700段目の散策路。標高は1470メートル。
先ほどより深く、30センチくらい。


階段の700段目の避難小屋から振り返り関東平野を眺める。
遠方は霞んでいるが筑波山まで見渡せる。この標高でこれだけの展望が得られる場所は奥日光にはないからキスゲ平の環境がいかに優れているかが知れる。


階段の最上部に到達した。
ここの標高は1582メートルだから、麓と赤薙山との標高差670メートルのうち、240メートルを階段で稼いだことになる。残り430メートルは緩やかな稜線歩きと短いが急傾斜。赤薙山は冬でも比較的安全に登れるから冬山入門の山としていいのではないだろうか。


いいっすね~、この大パノラマ。
キスゲ平は麓からも関東平野がよく見えるが標高が上がるにつれて展望はさらに広がりを見せ、大パノラマとなる。
画像は北西に位置する高原山(鶏頂山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の総称)。高原山の左に那須連峰が見える。
奥日光だと2千メートル超えの山頂以外、展望を得るのは難しいが小丸山から赤薙山の稜線は2千メートルに満たないが最高なんである(^^)


お~、今日は富士山が見える。
同じ位置から南南西に180キロ。


標高1601メートルの小丸山に出た。
ここから女峰山(実際には帝釈山)まで実に長い稜線が続く。
ところで、いつもと雰囲気が違うなと思ったら山名板が新しくなっている。以前は「キスゲ平」となっていたが「小丸山」に変わった。だが、地理院地図にキスゲ平も小丸山も表記はないから、国には認知されていない名称だと思う。
強いて言えば昭文社・山と高原地図に記載されている小丸山を通称名とするのが妥当なところか。
整理すると、天空回廊のあるキスゲ平園地全体(元のスキー場)をキスゲ平、キスゲ平を抜けてこの山名板のある場所を小丸山、小丸山から赤薙山を経て女峰山へ続く稜線を赤薙-女峰稜線と呼んで区分けするとわかりやすいと思う。
蛇足ながら、山名板の下の「標高一六〇一米」という表記は非常にわかりづらい。そもそも漢数字を横に並べて書くか?、書くなら縦じゃないのか?


今日の管理人の出で立ちはチェーンスパイクにピッケルという、ハイキングにしては大袈裟だし、冬山登山にしては中途半端なもの(^^)
とはいえ管理人、チェーンスパイクはオールシーズン使っているし、ピッケルは冒頭の画像でわかるとおり積雪量を計るのに持参した。


このように雪面に突き刺し、潜った長さで積雪量を知ることができる。
ちなみにこのピッケルの全長は標準の65センチなのでこの場所だとおおよそ50センチの深さ。


焼石金剛。
山名板と雪に埋もれた小さな社がある。
実は焼石金剛という名前だが、ここにはおそらく噴火で飛んできたのであろう大小の石がごろごろしている。
昔の人は大きな石(岩)が夕陽で真っ赤に染まるのを見て、それを神として崇めたのではないかと思う。それともうひとつ、実はふと思ったのだが、雪がまだ浅い今日、この周囲だけ雪がまったくついていない部分がある。地熱が高くすぐに融けてしまうのだろうか。それもやはり神の力と信じられたのかもわからない。


焼石金剛を過ぎると右側に樹林帯、左側に深い谷に挟まれた細い尾根となる。
雪の量が増えると谷側に雪庇ができ非常に危険な尾根に変わる。雪庇を踏み抜くと樹木のない斜面を為す術もないまま300メートル滑り落ちる。
樹林帯のきわが安全ゾーンだ。


赤薙山に導く道標。
道標にしたがって進むと木の根が露出した樹林帯を緩やかに登っていく。わずかでもいいから距離を短縮したい場合は画像正面に向かって進む。雪は深くなるが危険があるというわけではない。


山頂直下はしばし急傾斜が続くがこの林を抜けると、、、


赤薙山に到着。
小丸山から休み休み歩いて1時間42分、焼石金剛から56分。
休み休みというのは、雪の吹き溜まりに入り込んでもがいたり、振り返って景色を眺めたりしたことを指す。無雪期に女峰山へ行くときなどはこんなに時間をかけると登頂前に陽が暮れてしまう。


赤薙山山頂からの眺めは鳥居をくぐったところの崖っぷちからのみ。
そこからだと女峰山と男体山がよく見える。


こちらは男体山。


山頂の空気が冷たくなってきたので早々に退散することにしたが、今日はよく晴れ渡り、いい空の色をしている。


下りでやせ尾根を上から見たところだが進行左側は樹林帯で右は中ノ沢へ落ちる斜面。なかなか怖い。


雪庇にピッケルを突き刺すとヘッドまで埋まる。深さは80センチはあるだろうか。
ピッケルの数十センチ沢側に地面はなく、雪が載っているだけ。


小丸山まで戻りあとは階段で駐車場まで下ってお終いとなる。


最上段から700段目を見おろしたところ。
気温が下がるとこの雪は凍りつき、間違いなく滑る。
これからの季節、階段を利用する方は十分ご注意のほどを。